二十五
あっさりと言う尊の顔には何の感慨も浮かんでいない。非常に小慣れた印象を受けた。そうして多くの人を手玉に取ってきたのだろう。
(時間はあまりない、か)
野田はほぼ陥落。尊が彼を操って亜紀を手酷く捨てるのも時間の問題だ。一ヶ月、いや二週間が限度だろう。
(急がせないとな)
「ところで、永野さんって実はクリスチャン?」
「いいえ。あいにく無宗教です」
「でも聖書……」
「ああ、そのことですか」尊は肩をすくめた「在庫検索と商品の取り寄せをしていただければ、最低でも二回は接触できます。辞書でも学術書でも、書店が品切れで出版社にはほぼ確実にある書籍ならば何でも良かったのです。クリスマスが近いので聖書が一番自然かと思いまして」
美貌に胡座をかいているのではなく、野田に近づくために工夫を凝らしている。したたかな青年だ、と泉は思った。尊は自分の魅力を最大限に引き出す方法を知っている。
(だからこそ、落とし甲斐があるってものさ)
内心では舌舐めずりをしながらも、泉は何食わぬ顔で「てっきりミッション系の学校に通っていたのかと思った」と言い訳した。
「中学、高校は都内の私立でしたが普通の共学でしたし、その後も医大ですから」
尊が挙げた学校名は泉でさえも知っている名門の進学校だった。やはり優れている者は学歴も凡人とは違う。
「あれ? 出身はたしか……北海道、でしたっけ」
尊が頷くのを確認してから、泉は「北海道のどこですか」と訊ねた。さらに詳しいことを聞き出すつもりだ。
「おそらくご存知ないかと。田舎と呼んで差し支えないほど小さな町です」
「なんていう町ですか?」
「美深町です。町に小学校は一つしかありませんでした。駅前もシャッター街になっているかもしれません。本当に何にもない、のどかな町でして」
こちらの思惑を知ってか知らずか、尊は訊ね返した。
「泉さんは小学、中学校は公立ですよね?」
「小学校からそのまま、ほぼ全員が同じ中学校でしたよ」
変わり映えのしない、つまらないものだった。しかし既に派閥が決まっていたので楽ではあった。
「都内の進学校とは雲泥の差です」
「子どものやることなんてどこでも同じですよ。親のことや、名前や苗字を理由に揶揄ったりとか」
「永野さんが?」
泉は目を瞬いた。明らかに凡人とは一線を画した美貌の青年を揶揄するような馬鹿がいるとすれば、それは単なるひがみだ。
「私の場合は『尊』なので、ヤマトタケルとか、あるいはミコと略して女の子扱いされてましたね。まだ可愛い方です」
「へえ……俺の時はどうだったかな」
別段珍しい名前でもないので、それを理由にからかわれたことはなかった。ただやはり親の仕事や家族を理由にいじってはいた。
「三兄弟を『団子』って呼んだり、小川に『汚川』の漢字あてたりとかはしていたけど」
「まあ、その程度ですよね」
尊は自身の右手首に目を視線を落とした。精密かつ造形美が特徴のブライトニングの時計。たしか五十万は下らないはずだ。何故泉が一目でわかるかというと、亜紀の叔父である一条忠寛専務がそのブランドを愛用しているからだ。
「では、そろそろ失礼させていただきます」
「デート?」
こうして軽口が叩ける程度には親しくなっていた。尊は気を悪くした素ぶりもなく、口角を少し上げた。
「まさか。クライアントですよ」
その時計の贈り主かもしれない、と泉は直感的に考えた。尊は今まで時計など腕にしていなかった。あえて今日、それも高級な物を身に付けたのは、贈り主に会うからーーありえないことではなかった。
(そして相手は男だ)
根拠は何もない。あるのは直感だけ。しかし泉は確信した。尊に時計を贈った男がいる。
ざわりと、胸に不快な感触がした。正体不明の『依頼人』の時と同じだった。一言で言えば、気に食わない。自分の預かり知らないところで、尊が他の男と親しくしていることが。




