十六
「野田亮介?」
調査書に書かれている名を泉は読み上げた。添付されていた顔写真も確認するが、見覚えのない男だった。美形な方だとは思う。線が細いせいか乱暴な雰囲気もない。女性受けは良さそうだ。しかしどこか軽薄な印象を受ける。
尊の調べによると、この優男は毎週末に亜紀の自宅に訪れ、そのまま泊まって翌日二人で映画館や美術館に出かけているという。もはや完全にデートだ。
「歳は二十五。青森県出身で大学卒業後に上京し、今は横浜の書店で契約社員として勤務されています。マッサージはアルバイトのようですね」
尊が経歴欄を指し示す。泉は眉根を寄せた。
「なんだって亜紀はそんな低レベルな男と……神聖大学なんて聞いたこともないぞ」
スマホを取り出し検索してみる。Fランクとまではいかないものの、いわゆるCやDランクに位置する地方大学だった。これといった売りもない、普通の私大だ。
「亜紀さんはお茶の水大出身でしたよね?」
泉が首肯すると、尊は「それでは致し方ないかと」と一人で勝手に結論づけた。
「どういう意味だ」
「失礼を承知で申し上げれば、亜紀さんにとっては東条大学も神聖大学も同じなのではないでしょうか。自分よりも下という点においては」
「偏差値からして全然違うだろうが!」
「私立でしかも一流と呼ばれる大学ではない点では同じです。亜紀さんの場合、交際相手の学歴は判断基準にはなりえません。おそらく他の、彼女にとって重要な要素があるのでしょう」
尊は憎らしいまでに冷静だった。
「同じ理由から所得や資産は関係ないと考えます。一条家よりも裕福な家はそうそうありませんから」
学歴でも金でもない。だとすれば心変わりの原因はなんだろうか。
「好みのタイプだったとか?」
「可能性としてはありますね」
「俺に整形しろと」
泉は皮肉げに笑った。亜紀好みの顔にしてまで復縁はしたくない。そこまでする価値のある女じゃない。
「整形手術をする時間的余裕はありませんし、そもそも容姿はさほど重要ではありません」
「はあ?」泉は思わず不満を露わにした「だってあんた、さっき好みのタイプだって」
「問題は容姿ではなく、立ち振る舞いです。『美人は三日で飽きる』という言葉の通り、ぱっと見て好みの男性が現れたとしても一時的な好意は長続きしません。ましてや人間には理性がありますから、婚約者を袖にしてまで好みの男性に入れ込もうとはしません」
ドラマや映画のように目があった瞬間に恋に落ちるなんてことは現実にはないーー普通ならば。しかし亜紀はそれを押し通したのだ。
なんて非常識な女なのだろう。会長令嬢だかといってなんでも許されるとでも思っているのだろうか。泉の中で怒りが再熱した。
「あなたに対して誠実だったかどうかはさておき、亜紀さんには無茶な婚約破棄をするだけの理由があることを前提に動かなければ、何も解決しませんよ」
(他人事だと思って)
涼しい顔で諭す尊が恨めしくもあり、頼もしくもあった。
同年代なのにどうしてこうも違うのだろう。気品がありながらも苦労知らずのお坊ちゃんではない。世間を生き抜く強かさや慧眼を持ちながらも荒々しさはなく、しなやかでーーそう、まるで仏門に入った僧侶か神に仕える聖職者ようだ。
「じゃあ、どうすればいいんだ」
「敵を知り、己を知ることです」
尊は改めて調査書を泉に差し出した。
「そうすれば、おのずと解決策は見いだせるでしょう」




