第1話 好きなあの子からダンジョンのお誘い。
杉原希夢は、栗橋梨菜に恋していた。
しかし梨菜はクラスの一軍女子。学年でも有数の美少女だ。対して希夢は自他ともに認める口下手な陰キャに過ぎない。
隣席という奇跡だけが希夢と梨菜をつなげている。
何度も何度も、彼女と恋人のようなこと……つまりデートに行ったり、手をつないだり、腕を組んだり……。そんな並行世界の妄想にふけったりもしていた。
しかし、妄想は妄想だ。
希夢が気持ちを打ち明けることなど恐れ多いこと。ただ一人、口にできない片思いを、おそらく永遠に抱き続けるのだろう。
それが青春という、人生で最も輝かしい時間に刺さった、痛ましい棘になろうとも。
夏休み突入まであと二日。
強い日差しが教室のカーテン越しにも感じられる。
クーラーという文明の利器がなければ、この教室にいる半数の生徒が倒れていたに違いない。
そんな暑い日の三時間目休み。
「ねー、杉原ぁ~。国語の教科書持ってきてないんだー。見せてよー」
授業の準備をしていたら、隣の席で女子たちとワイワイ話していた梨菜が、可愛らしい顔の前で手を合わせて頼んできた。
栗色の、カールのかかった長いポニーテールが揺れる。
ハイポニーに結ばれた髪は白いリボンシュシュで飾られ、清楚でもあり、またアクティブな印象を与えていた。
スクールシャツの上に着たグレーのベストは、豊かな胸元に結ばれた藍色ストライプのリボンとよくマッチしている。
「りなっち、また教科書忘れてきたの?」
「ほぼ毎日じゃん。わざと忘れてるまであるよね?」
ウケるんですけど~、とか言いながら、何が面白いのか、女子たちはキャッキャと笑い声をあげる。
「杉原~。たまには断っていいんだよ? 梨菜、すぐ調子に乗るからさ」
「あ、はぁ……」
キョドる希夢。隣席から放たれる陽の圧が強すぎる。
(一斉に話しかけてくるなよ! 怖いんだよ!)
心の中で女子たちに抗議するが、当然口に出せないボッチの悲しさ。
「そんなことしないよね~? 杉原はいつだって教科書見せてくれるんだから」
ねっ、て言いながら、梨菜は希夢にウィンクする。
長い睫毛が揺れながら右目が閉じた時、ドキッと、心臓が跳ね上がるのを自覚した。
「国語って教科書も厚いし、副読本もあるから重いんだよね。暑いし持ってきたくな~い」
「ほら、本音が出た。杉原も梨菜を甘やかさないようにね!」
散れ散れと言って、梨菜は女子たちを追い払った。
「なに、杉原。顔汗だらけじゃん。ウケる」
変な汗をかいたのは、暑いからではない。次々と女子から声をかけられ、焦りと困惑が身体を支配したからだ。
四時間目が始まるチャイムが鳴る。教師が入る前に、梨菜は机の足をガチャガチャと鳴らしながら、希夢の机にくっつける。
「今日もよろしくね」
梨菜はニコっと笑いかけた。
「杉原ってさ、顔いいよね?」
授業中。何気なく梨菜が、頬杖をつきながら、横髪をくるくると回す。
「メガネやめてコンタクトにしてさ。髪型も、ワックス使って毛先跳ねさせたりすれば、印象変わると思うんだけど」
そう言いながら、希夢の顔を覗き込んでくる。
頬に熱が帯びるのを自覚した。
「か、からかうなよ」
「からかってないよ」
「み、見た目が変わっても、俺、女の子としゃべれないから」
「私とはしゃべれるのに?」
梨菜はにまにまと笑う。
「しゃべるの苦手なのも、クールだと思われてモテるかもよ?」
からかわないでほしい。
「あー、顔が赤くなってる。ウブだなぁ、希夢クンは」
クスクスと笑う梨菜。
「そ、それに背も低いし、俺なんて好きになるヤツはいないよ…」
「そうかなー? そんなこと、ないと思うけど」
小首をかしげる梨菜。
「そういえば知ってる、ココネってばさ……」
梨菜が話題を変えた。希夢の話は、ここまでということだ。
梨菜の話は止まるところを知らない。結局、授業が終わるまで梨菜は話し続け、希夢は先生の声を聴くことができず、ただ黒板を書き写すだけのマシーンと化していた。
昼休みになった。
希夢は自分で作った弁当を食べながら、黒板のあたりで集まってる陽キャたちを眺めていた。
男女交わる陽の集団の中には、当然のように梨菜もいた。
「今日も恋する彼女を見てるようで」
希夢の席までやってきたのは、このクラスで(梨菜をのぞけば)会話できる親友の上尾守人だ。
長身だがボテッとした体格をしており、いかにも運動ができなそうなビジュアルのせいで、クラスの陽キャからパシリにされたり、いじられたりしている。
今日もやきそばパンを買ってくるように、陽キャの一人から言われたらしい。
同じ陰キャでも希夢は話し相手がいない、いわゆるボッチなので、いじられる守人とはベクトルが違っている。
守人は、希夢の「気持ち」を知る唯一の人間だ。
「さすがにあの輪に入るのは無理だから。イカロスのように焼かれてしまうよ」
「陰の者の宿命ですな」
ため息をつきながら、食べ終えた弁当箱をハンカチで包む。
「そういえば明日は一学期の終業式。明後日から夏休みですな」
「そうだね」
「杉原氏の夏休みのご予定は?」
「実家には帰りたくないから、アルバイトかな」
「『ダンジョン』には行かないのですかな?」
「ダンジョンなぁ……」
希夢は乗り気ではない気配を漂わせる。
「守人は行くの?」
「拙者はとてもとても。危険はないと聞いてますが、万が一のことがあると思うと怖くて入れませんなぁ」
「そうだよな。俺もごめんだよ」
一緒に行く友達もいないし、と続ける。
「そういえば、北本君はダンジョンに挑んでいるとか」
「そうなの?」
希夢の目は、陽キャ集団にいる、長身の金髪男子の方に向いた。
北本は梨菜とやたら距離が近いので、あまり好きになれないヤツだった。
今も梨菜の肩に手をかけて、何が面白いのか誰かの冗談で笑っている。
希夢が憮然とした表情で鼻を鳴らした時、五時間目の予鈴が鳴った。
「ねえねえ、教科書見せてよ」
五時間目は、梨菜のいつものおねだりで始まった。
四時間目から机はくっつけぱなしだったので、そのまま教科書を見せる流れとなった。
カツコツと教壇の教師がチョークで黒板を叩く音が響く。
「ねえ杉原ぁ。夏休みはどうするの~?」
守人と同じようなことを聞かれた。
「バイトでもしようかなと……」
既視感のある会話。
「バイト? なにか欲しいものあるん?」
「いや……少しでも生活費を稼ぎたいなって思って」
「だったらさ、私とダンジョン行かない?」
唐突な、お誘いだった。
希夢は唖然として目を見開き、梨菜の顔を直視した。
「ダンジョンって……なんで急に?」
「ダンジョンってさ、モンスター倒したらお金になるじゃん? だったらバイトしてるのと一緒だと思わない?」
希夢にとって魅惑的な笑顔を浮かべて、梨菜は希夢を勧誘する。
「そんな簡単に……。危ないでしょ。もしものことがあったら」
「え、あのダンジョン、《《何があっても死なない》》って知らないの?」
「そこ、うるさいぞ!」
先生に叱られてしまった。「すいませーん」と梨菜が気怠そうに心のこもっていない謝罪をする。
その上で、会話は続ける。彼女の辞書には反省という言葉はないかもしれない。
「安全安心のダンジョンなんだよ。ねぇ、杉原も行こうよぉ」
「急にそう言われても」
「返事、明日までだからね! 終業式終わったらまた聞くからね!」
梨菜は強引に、約束を押し付けてきた。
希夢は梨菜の言ったことをすぐに飲み込めず、何度も反芻して、理解しようとした。
アパートに帰って、梨菜に言われたことを考え直す。
山の上のダンジョンのことなら、希夢も耳にしたことがある。
希夢達が通う私立宇伊逗高校は地神山という、|関東平野の縁《エンド・オブ・関東平野》にある山のふもとに建てられている。
その地神山の中腹に隕石が落ちた時、ダンジョンの口が開いた。三年前のことだ。
世界には様々なダンジョンがあるが、どれもダンジョン渡りと呼ばれるクレージーな者たちが命を賭して挑む危険地帯だ。
ダンジョンの地形は複雑であり、おまけに固有のモンスターが棲息し侵入者を脅かす。
しかし山の上のダンジョン……地神山ダンジョンは、梨菜が言うように、誰も死なない初心者向けダンジョンだという。
その話は以前から聞いていたし、北本のように気軽にダンジョンに挑んでいる生徒もいるので、ダンジョンに関するちょっとした情報くらいは耳にしている。
しかし陰キャの希夢にはパーティを組めるほどの人脈もないし、ソロでダンジョンに挑む度胸もなかった。
それにしても。
「梨菜と一緒にダンジョンか……」
二人でダンジョンに行くことを夢想する。
(梨菜のピンチに駆けつける俺。盾で敵の攻撃を受け止め、剣で押し寄せる敵を切り裂く。いいじゃないか)
そんなかっこいい自分を見せれば、梨菜もきっと自分に気持ちを向けてくれるに違いない。
陰キャにだって、恋を成就させたいという野望くらいはある。
スマホのフォトフォルダを開く。
タップして一枚の写真を表示する。
それは梨菜が冗談で撮った、希夢とのツーショット。
梨菜を想う時、希夢はこの写真を見る。
輝くような笑顔。人差し指と中指であごに触れて、ポーズをとる梨菜。
(ダンジョンに行こうよ)
写真の中の梨菜が、そう言ってるような気がした。
「行ってみるかな。ダンジョンに」
希夢は、独り言ちた。
(つづく)




