第一話 過去を水に流す
魔法の無駄使いをする魔法使いの仕事に就いていますが、業務は退屈で億劫です。
上官から「世界各地へ赴き、海辺に向かってただひたすら水属性魔法を撃ち続けなさい」と命じられた日には、率直にひどい仕打ちだと思いました。
断るか悩みましたが、結局は待遇の良さと、一人旅が好きだという理由で引き受けました。
選択肢として引き合いに出された、首都に残り、朝から晩まで書類の山に印鑑を押すだけの仕事が、今の仕事以上につまらなさそうな予感がしたというのもあります。
冗談半分で、郊外でベーカリーをやりたいと抗議したりもしましたが、きみには向かないだろうと止められました。
曰く、パンを上手に焼きはするだろうが、売り場で面倒事を起こすに違いないだろうと。
作業が得意で、交流が苦手。
どうやら、ぼくの直属の上官──ぼくに辺鄙な地への出張を命じることもクビにすることも、あるいは必要とあらば、ベーカリーを営むよう強制することも、諸々の手続きを割愛してサイン一つで成しえてしまう、とてつもなく強い権力を持っているレファリア・レーズベルトは、ぼくが思っていた以上に、ぼくのことを理解していたようです。
もしかすると、ぼくに一人で──厳密には、翼竜を一頭連れてはいますが──任務に当たるよう命じたのも、ぼくの性格を理解した上での采配なのかもしれません。
ぼくが働きやすいように、などという感情的な配慮ではなく、業務効率の最大化を考えてのことでしょうが。
レファリアはいかなるときも他人の感情を汲むようなことはしません。
人を駒のように扱いますが、一方で、駒の扱い方を熟知しています。
これはポーンの死を厭わず、クイーンは大切にするという意味でもあり、目的を達成するためならば、クイーンをも見殺しにするという意味でもあります。
とにかく、感情が欠けた生粋の合理主義者なのです。
レファリアの人物像──主にその性格の問題点──について長々と綴ることもできますが──なにしろ声を大にして言いたい文句が星の数ほどあるので──これは上官から受けたハラスメントを告発するための意見書などではなく、ぼくが実際にこの目で見た世界の真実について書き残すための日記なので、レファリアについては一度脇に置き、なぜ今のぼくの仕事──魔法の無駄撃ちなどという、一見して意味不明な行動が業務の体を成し、ましてや待遇が良い公職として定められているのかについて、述べさせてもらうことにします。
一言でいえば、戦争のせいです。
四年前、人類は魔法を武器に、後に〈卵が割れた日〉と呼ばれることとなる、大規模な戦争を繰り広げ、結果、八割の人類が犠牲となりました。
一端の魔法使いとして戦争に参加し──兵役による強制的な参加ではありますが──数多の敵兵を魔法で焼き殺したぼくがいうのもおかしな話しかとは思いますが、愚かで醜い争いでした。
〈卵が割れた日〉を境に、群雄割拠の時代は終わり、征服という形で、世界中のあらゆる国家はカフグルフ共和国の旗のもとに統合されました。
共和国の国旗である、金色で描かれた鷹の横顔を中心に据え、正義と武威を誇示するようにしてはためく白い旗は、共和国の首都であるファレーデの至る所で目にすることができます。
戦後に勝利と繁栄のモニュメントとして乱立された石造の高層建築群は、そこかしこに旗が刺さっていますから。
話を戻します。
〈卵が割れた日〉で、あまりに多くの生命が喪われましたので、戦後にはたちまち魔法を否定する論調が民衆を席巻し、復興の礎となりました。
デモクラシーの始まりと、魔法の終わりです。
我々は戦争を経て、人類は魔法を扱うには未熟で稚拙だ、という結論を導き出したのです。
冗談のような話ですが、人類は──ぼくも含めて──戦争だろうと魔女狩りだろうとなんだろうと、行為の最中には大義やら使命やらを高らかに掲げますが、いざ結果が悪ければなに食わぬ顔で過ちだったと非難し、悔恨を唱えるのです。
それこそ、魔法の発動に必要な詠唱のように。
なんと愚鈍な種族なのでしょう。
──やや話が脱線しましたが、戦争の果てに、残存した人類の間では魔法は忌まわしきモノだとの社会通念が敷かれたのです。
結果、二度と魔法を用いた戦争が起きないよう、魔法という文化、もとい軍事技術そのものを葬り去ってしまえ、との自戒の念から発足された組織が、ぼくたち、魔法を滅するために魔法を使う〈官庁魔法使い〉です。
ぼくたちが魔法を無駄撃ちし続け、世界中のマナを枯らすことで、誰も魔法を発動することが叶わない世界を実現し、実質的に魔法を消し去るのです。
おっと、ぼくとしたことがマナの説明を忘れていました。
きっと誰かがこのメモを手に取る頃には、ぼくたちが世界中のマナを水に変え終え、魔法は廃れ、マナとはそれがどのようなものであったかさえわからなくなっているでしょうから──この点については自信が持てませんが、ともかく人類はそうあることを望んでいるので、ぼくもそのような未来が訪れていることに期待するという意味で──マナがいかなるモノなのかも、ここに書き残しておきます。
簡潔にいえば、空気中に漂う、魔法を発動する際に用いるエネルギー源です。
無味無臭、無色透明で、質量もありません。
ですので、魔法が使えない人では、その存在を知覚することさえ不可能です。
ではぼくたち魔法使いがどのようにしてマナを知覚しているかって?
それを魔法使いではない人に説明するのはとても難しいのですが、いってしまえば先天的に備わっている第六感のようなものです。
言語化しづらい感覚ですが、感じられるのです。
気配のように。
そしてこれが、魔法を使えるか否かが素質に依存するといわれている所以でもあります。
魔法を発動すると、発動した魔法の種別と規模に応じて消費され、消滅します。
マナを捻出する方法は──少なくともぼくが知る限りでは──存在しません。
つまりは、不可逆性を持つ有限のリソースです。
ですので、枯らしてしまうことができるわけです。
全て水属性魔法で、水に変えてしまうという形で。
ちなみに、水属性の魔法に固執する理由は、安全かつ効率的だからです。
魔法は水の他にも、火、風、雷、闇の合計五つの属性が存在しますが、水以外の属性はマナを枯らすという目的に適していません。
風はマナの消費量が極端に少なく、反対に火と雷は、魔法使いが体力を激しく消耗するので大変です。
闇はマナと体力の観点では効率的ですが、生物に死をもたらす魔法なので、対象となる命がない場合には発動させられません。
闇属性魔法だけで世界中のマナを枯らすとなれば、地球上の全ての生物を贄にする覚悟が必要となります。
生き残ることに必死で、惨たらしい争いが絶えない人類にそれがあるかといえば、自明です。
以上の理由から、ぼくたちの仕事には水属性魔法を用いることが推奨されています。
とて、水属性魔法にも懸念点はあります。
海面の上昇です。
専門家の予想によれば、世界中のマナを水に変えた場合、二十メートル前後の上昇が起こるとされ、これにより陸地の四割は水に沈むそうですが、あまり大きな問題ではないとされています。
なにしろ人類の八割は死んだのですから。
土地が四割減ろうと有り余ります。
さて、前置きが長くなりましたが、その日、ぼく──シャンデラ・フローリーは、相棒である翼竜のファフと一緒に、ファレーデから北東に九百キロ離れた場所にある、小さな村──バラバを訪れていました。
無論、仕事で、です。
この村は遡ること二十五年前──丁度ぼくが生まれた年に近くで金脈が見つかり、当時は一括千金を夢見た鉱夫たちが大勢押し寄せたことで大いに賑わいましたが、それも花火のような一瞬の輝きで、金脈堀りのブームが過ぎ去ると次第に人は離れてゆき、〈卵が割れた日〉の際には、まだ共和国の領土ではありませんでしたので、先住民は共和国軍に鏖殺され、一度は廃村と化しています。
今住んでいる三百人余りの人々は、戦後に居着き、もうなにも出てはこないであろう金脈を遊び半分で掘っている酔狂な人々です。
ろくに舗装もされていない石畳の道路の脇に、蔦と藻草に浸食された煉瓦造りの平屋が並ぶ景観には、かつての賑わいの残滓すら見受けられません。
ファフの背中で鞍に跨るぼくが上空から村を一望した後、ピュウーッ、と口笛で着陸の合図をすると、ファフは肩甲骨から翼膜にかけて黒色から灰色へと変化するグラデーションが特徴的な両翼を一度大きく羽ばたかせ、蒼穹を背にして地に降り立ちました。
ファフはぼくが鞍から降りて、巨樹の幹をも一思いに粉砕する、長く逞しい顎を下から撫でてやると、「ぐるるる」と低い唸り声を上げながら甘えてきます。
ファフが小竜で、まだ身長が(翼竜の身長は地に脚をつけた状態での高さではなく、顎の先端から尻尾の先端までの長さをいう)二メートルしかなかった頃からの習性です。
今では七メートルにまで成長しましたが、甘えんぼうな性格は変わりません。
ファフと戯れていると、建物の一つから老父が顔を出し、ぼくたちのほうへ歩いてきました。
「お待ちしておりましたダぁ、国ン魔法使いさん」
ひどい訛りですが、柔らかい口調で挨拶をされました。
老父は曲がった身体を杖で支え、真っ白髭を垂らした皺だらけの顔に、柔和な笑顔を浮かべています。
「村ン長をしとりますう、ワールですう」
ぼくは莞爾と微笑み、会釈を返しました。
快く出迎えてもらえるのは素直に嬉しいです。
法には〈官庁魔法使い〉が公務で訪れた際には、そこに住まう者が食事と宿を無償で提供しなければならないと定められていますが、具体的な部分は曖昧で、粗略に扱われることもしばしばあります。
現在の〈官庁魔法使い〉の大多数は、〈卵が割れた日〉で戦果を挙げた精兵からの抜擢ですので、"人殺し"のレッテルを貼られ、畏怖の念を抱かれていたりするのです。
畏怖だけでなく、魔法使いに対して怨恨を抱いている者も少なくありません。
人類の八割は〈卵が割れた日〉で死んだのですから、確率論的にいえば魔法使いに家族や友人を殺されているほうが自然です。
故郷を跡形もなく灼かれた者も大勢いるでしょう。
故郷を焦土に変えた者に飯を振る舞えといわれて憤慨するのは当然です。
かくいうぼくも、〈卵が割れた日〉で故郷を喪いました。
一夜にして敵国の魔法使いの部隊に蹂躙され、家族と友人とが虐殺されたのです。
ぼくが徴兵で故郷を離れてから十日と経たないうちの出来事でした。
逃げ延びた同胞がいるかは不明です。
ですので、〈官庁魔法使い〉に敵愾心を剥く者の気持ちは理解しているつもりです。
「そちらンごっつう竜サなに食べるダ?」
村長のワールがファフを見上げて訊きました。
「この子は森で適当に食べますので、お気遣いなく」
ファフはかなりの雑食です。
翼竜の中には妖精だけしか食べないような、偏食が激しい種もいますが、ファフは妖精の肉に限らず、牛や豚に人間、野草や果物も喜んで食べます。
世界各地を旅しなければいけないので、食に寛容なのは大変助かっています。
ちなみに、好物はゴブリンです。
ぼくには理解できませんが。
ワールはぼくを一戸建ての宿に案内してくれました。
来訪者は決まってここに泊めるのだとか。
ファフは宿の裏に広がる広大な草原の空き地で寝てもらうことになりました。
ファフは利口なので、目を離していても村人に危害を加える心配はありません。
ぼくがそうするよう命じない限りは。
さて宿ですが、見窄らしい外観とは裏腹に、中は瀟洒で、綺麗に整えられていました。
淡く揺れる蝋燭の炎が照らすのは、灰色を基調とした粋な一室です。
床には精緻な刺繍が施された絨毯が敷かれ、壁の一面には荘厳な暖炉が備えつけられていました。
大理石製の豪勢なマントルピースの隣に飾られた鹿の剥製も見事なものです。
「長旅でお疲れでしょうに、食事の用意はすぐにしますダ」
給仕全般までしてもらえるようなので、甘えることにしました。
「滞在はどのぐらいの考えてるダ?」
「一週間を予定しています」
レファリアから命じられた、バラバの南西に位置する広大な森──〈自然の陥穽〉のマナを枯らすという業務だけなら、おそらく五日とかからないですが、ぼくは観光が趣味なので、滞在期間は余計に見積もります。
なにしろ食事と宿泊は無料なのですから。
職権濫用ではありません。
福利厚生だと解釈しています。
翌朝、ぼくは早速〈自然の陥穽〉へと赴きました。
踏み入れた狩人たちが、奥に潜む怪物に喰われ、帰らぬ人となることから、死処と呼ばれる森へ。
そのような場所に一人で踏み入れて大丈夫なのかと心配に思う者もいるかもしれませんが──あるいは、いないかもしれませんが──大丈夫です。
なにしろぼくは、そのような場所に一人で踏み入れても大丈夫だろうと判断され、送り込まれる程度には腕が立つ魔法使いですので。
手荷物は魔法の発動に必要な──厳密にはなくとも発動可能ですが、あると色々と便利な──愛用の杖と、ワールが用意してくれたお弁当だけです。
服装は肌着にローブだけですし、ぼくは体躯に恵まれているわけでもないですから、森に住まう猛獣たちは、ぼくを格好の獲物と見做して襲ってくるかもしれません。
あまりおすすめはしませんが。
戦闘になれば、血を流すのはぼくではないでしょう。
あるいは誰でもないかもしれません。
自然の中には多様な生物が混在していますので。
あなたはオーガを知っていますか?
人間より一回り大きいも屈強な焦げ茶色の体躯に、牛のような角を生やした醜い姿は、一度見れば忘れはしないでしょう。
オーガは負傷しようが身体を真っ二つに裂かれようが、血を流しません。
代わりに噴き出す黄緑色のねばねばした液体をそうだというのであれば、その限りではありませんが。
ちなみにですが、ファフは留守番です。
木々が鬱蒼と茂る狭い場所では、巨躯を誇るファフは大幅に動きを制限され、窮屈に感じさせてしまう、という以前に、ぼくはどこへ行くときも、ファフを戦力として同行させることはしませんし、一人で片づけられる仕事に付き合わせたりもしません。
ファフは専ら首都とを往復するための移動要員で、それ以外のときは自由にさせています。
無論、戦力として数えた場合には頼もしい限りです。
ファフの咬筋は鰐の四倍以上もの力があるのですから。
翼竜の中には咬むだけでなく、威嚇や攻撃として火や毒を吐く種もいますが、ファフにそのような芸当はできません。
それを不便に感じたことはありません。
火や毒が必要となれば、ぼくがそれらを魔法で捻出するまでです。
それに、もしもあなたが、翼竜は飼ったことがないにしても、猫を飼ったことがあるのなら、想像してみてください。
飼い猫が火を吐けないことで、なにか不便に感じることがあるでしょうか。
おそらくないでしょう。
むしろ安心するはずです。
自分が眠っている間に、うっかり飼い猫のげっぷで火事になる、なんてことにはならないわけですので。
森に入り、まずは川を探しました。
魔法で生み出した水が、きちんと海へと流れていくようにするためです。
無計画に水属性魔法を乱射しようものなら、たちまち周囲は湿地帯へと変わってしまうでしょう。
いうまでもなく、そうなるのは、ぼくのように強大な魔法を発動できる凄腕の魔法使いに限った話ではありますが──自然災害の禍根を残すわけにはいきませんので、土壌の水分量は一定の数値以下に保たれるよう調整しなければいけません。
水属性魔法で山に穴を開けるなりして、自力で川を引く方法もありますが、それなりに面倒ですし、周囲の湿気と生態系を考えれば、近くに水場があることは明白でしたので、探したほうが早いと判断しました。
濃密な緑の匂いを楽しみながら歩くこと十五分、十分な大きさの川を発見しました。
弁当を河原に置き、杖を宙に掲げ、魔法の発動に必要な詠唱を始めると、杖の先端が青白い光に包まれます。
意識を研ぎ澄ませ、光に集中すると、まるでそこに透明な雨雲があるかのように、宙で無数の水滴が具現化され、川へと雪崩れ込んでいきます。
──と綴れば、この日記を読んだ人が魔法に疎い場合に、まんまと騙されてくれるかもしれませんが、上述の描写には多分に嘘が含まれています。
弁当を河原に置いたのは本当です。
杖を宙に掲げたのも。
ですが、この程度の水属性魔法を発動するのに、詠唱なんて面倒なことをする必要はないですし──ぼくがそれを省略できるだけの実力があるからではありますが──意識を研ぎ澄ませたり、集中したりする必要もないです。
本を読みながらでもできますし、歌を歌いながらでもできます。
あるいはその両方をやりながらでも。
ぼくはこと魔法に関して、自他共に認める天才です。
それが〈官庁魔法使い〉になるための条件なので、当然ではありますが。
ところで、ぼくが森に踏み入れた直後からずっとぼくを尾行し、しれっと隣に陣取っている樹はどういうつもりなのでしょうか。
樹洞を眼窩にして左右違う高さから覗く半月型の眼眸に、裂開から生まれた口の横線。
幹に顔を持つ樹がぼくの隣に立っている──根を地面から引き抜き、岩場を這う蛸のようにくねくねと動かし、音もなく地上を匍匐しながらぼくに接近してきた──ことに気がついていないとでも思っていたのでしょうか?
けして樹像などではなく、文字通り、幹に浮かぶ顔面が、至近距離からぼくを睨んでいたのです。
意思と顔を持つ樹自体は珍しくもありません。
樹人といいます。
ですが、樹人は従来、他の生物に対し友好的で、その穏やかな性格につけいられ、害虫から好き勝手に齧られているような生物ですから、こうも憎悪と闘志に燃える──樹なので本当に燃えたらえらいことですが──個体を目にするのは初めてで、やや驚きました。
狩人たちを屠る怪物がこいつに違いないことも、その禍々しい気配で察しました。
ぼくは気がついていないフリをして、仕事を続けました。
魔法を撃ち始めてから十分が経過した頃です。
不意に樹人が巨枝から垂らされた無数の蔓を鞭のようにしならせ、ぼくを攻撃してきました。
もしも樹人に十分な知性と呼べるものがあり、狡猾だったのなら、迂闊に接近はせず、遠くからぼくを観察し、その理由がなんであれ、マナを無駄使いしていることを見抜き、周囲のマナが枯渇したタイミングで奇襲をかけたでしょう。
ですが、樹人はそうしませんでした。
時期尚早にぼくのことを襲ってしまったのです。
これはぼくの仕事がまだまだ残っていたという意味でもありますが、周囲はまだマナで満ちていました。
顛末は語るまでもないでしょう。
十秒足らずで樹の怪物が木炭に早変わりした──ただそれだけです。
ぼくが火属性魔法を使えないとでも思いましたか?
このぼくが。
ぼくは、生態系に影響を及ぼすようなことは──たとえそれが、人を喰らう化物の退治であろうと──できる限りしない、というポリシーの持ち主なので、樹人がなにもしてこないのであれば、こちらから攻撃するつもりはありませんでしたが、仕事の邪魔をするというのであれば話は別です。
かくして森は、火を放たれるという方法で平穏を取り戻しました。
その日の夜には、村の人々が総出でぼくを歓迎する宴を開いてくれました。
催しの際には人間がすっぽり収まる大きさの鍋を村の広場にてみんなで囲い、酒を酌み交わすのが慣例なのだと教えてくれました。
献立は肉の一切れがやたらと大きい、トマトベースの猪のスープです。
みんなとてもフレンドリーに接してくれました。
ぼくたち〈官庁魔法使い〉が戦時中になにをしていたか、あまり詳しくは知らないのでしょう。
ぼくが、鍋に沈んだ猪のように、惨憺たる死を与え、血の海に沈めてきた敵の数やその惨状を聞けば、仲睦まじくなんてできるはずもありません。
ぼくは、怪物です。
優しさを享受する資格なんて──、と考えるぼくの隣に、村人の一人が腰を下ろしました。
「ほんによう来てくださったダ」
鉱夫のラバットです。
しゃくれた顎に、褐色の厚い肌。
短く切り揃えた白髪。
丸々とした目は厳しくも柔らかい印象を受けます。
筋骨隆々の巨躯をどっしりと地面に下ろし、山盛りのスープを手に持っていました。
「国ン魔法使いさんには、感謝しとるダア」
「感謝されるようなことは、なにもしていませんよ。仕事ですし、この仕事自体、尻拭いと贖罪のようなものですから」
「そうかもしれあせんガ、あっしらは救われたんですワ」
「救われた?」
「ここにいるモンの多くは、国ン反対側サあるだクラントゥいう村の出身でエ、戦争ンときに襲われたンを、国ン魔法使いさんが助けてくださったダア」
勘違いをしていました。
ラバットがいう国の魔法使いは、ぼく個人ではなく、〈官庁魔法使い〉を指しているようです。
ぼくは誰かを守るような戦い方はしませんので。
「その〈官庁魔法使い〉を、優しいと思いますか?」
ぼくは嫌な質問をしました。
「ああ、優しい人でしたダ」
「その人はきっと、クラントゥを襲った敵を、見境なく殺したでしょう。女だろうと子供だろうと、殺したに違いありません。それを勘定に入れてもなお、優しいと思いますか?」
「誰かを守るためにハ、ときに鬼にならんといけんのです」
「では、強大な力による支配的な統治を肯定しますか?」
ぼくが黙々とスープを口へ運ぶ間、ラバットは少し考えるようにして唸っていました。
「弱いモンはア、強いモンに包まれとうほうが、安心すべ」
「それは保護という理想的な形に着地した場合に限った話でしょう。社会の中で地位格差が開いた場合の多くは、隷属的な関係へと至ります」
「でも、国ン魔法使いさんはあっしらを無碍に扱いアせん」
「ぼくはそうかもしれませんが、ぼくの上官はその限りではありません。真に上に立つ者が、という意味でしたら、今の共和国は十分に独裁的でしょう」
これは紛れもない事実です。
レファリアは最終的に──。
それからは連日、日が出ているうちは〈自然の陥穽〉──もう狩人が奇怪な死を遂げることはないかとと思われますので、名称を変更するべきかもしれませんが──とにかく森へと赴き、川に向かってひたすら水属性魔法を撃ち続けました。
樹人が焼死体──もとい、木炭になるところを目撃した野生動物がぼくの威容を喧伝したのか、初日以降、魔物の類に襲われることもありませんでした。
とても退屈な時間と、水属性魔法で嵩が増した川だけが、揺蕩うようにゆったりと流れていきました。
五日目の夜には雷雨が村を襲いました。
雷はそのほとんどが住居から少し離れた位置にある、見慣れない形の人工物らしき尖塔に落ちました。
尖塔の下には小規模の牛舎程度の大きさをした銀色の箱のようなものがあり、ぼくは以前から興味を惹かれていたそれについて、あれはなんですか、とワールに訊いたのですが、村の人々も、あれがなんのためにあるものなのかは知らないとのことでした。
ただ〈卵が割れた日〉以前からそこにあるとのことで、先住民が使用していたなにかしらの施設なのではないかと考えているそうです。
取り壊そうにも妙に頑丈で、邪魔というほどでもないので放置しているのだとか。
時折、雷に撃たれた際に、ウィーン、と低く唸るような音を鳴らし、壁の一面に埋め込まれたガラスの斑点のようなものが、赤色や緑色に明滅することがあり、それが少し不気味だとも教えてくれました。
ぼくはその話を不思議に思いながらも、どこか上の空で聞いていました。
それよりも、雨曝しで眠るファフが心配でした。
翼竜は恒温種で、加えてファフは身体が大きので、一夜にして随分と消耗してしまいます。
可哀想です。
六日目の早朝の出来事です。
ぼくは激しく戸を叩く音で目を覚ましました。
「国ン魔法使いさん、国ン魔法使いさん! 起きとりますかえ? えらいこっちゃ、えらいこっちゃ!」
目を擦りながら毛布から這い出て玄関戸を開けると、肩で息をするラバットと目が合いました。
「早朝からそう慌てて、どうしたのですか、ラバットさん」
「どうしたやありませんガ! 朝飯の前に一仕事しイよと鉱山に向かったんですダァ、ほんだら穴ン奥で、とんでもんえェもん見ィつけたァダ!」
とにかく見に来てくれ、と騒ぐラバットに凄まれ、ぼくは渋々と身支度を済ませ、鉱山へと向かうことにしました。
宿を出るとそこにはワールがいて、まだ日も出ていない暗がりの道を、松明を片手に三人で歩き出しました。
道中、ぼくはラバットになにを見たのかを尋ねましたが、上手く説明する言葉がないようで、曖昧な返答ばかりが続いたため、質問を止め、自分の目で確かめることにしました。
鉱山は村から東に五キロ離れた位置にあります。
景観が村周辺の色鮮やかな緑から、土と石の殺風景な無彩色へと変わるにつれ見えてくるのは、直径三百メートル以上もある、人の手で掘られた円形の陥没です。
階段状に深さ十メートル程度の層が五段あり、その随所から四方八方へと縦横三メートルの掘削用のトンネル──というより洞窟が、蟻の巣のように伸びていました。
ラバットに連れられ、洞窟の一つへと向かいました。
いくつかは土砂で塞がれ、通れなくなっていました。
ラバットがいうには、昨日の雷雨で鉱山の一部が崩落したのだとか。
洞窟に入ると、灯りは手に持つ松明以外はありません。
見えるのはせいぜいが五歩先までで、歩くたび、背後が暗闇に塗り潰されていきます。
横一列で歩いては窮屈なので、ラバット、ぼく、ワールの順で縦に並んで進みました。
ひんやりと冷たい石と頬とを順に撫でては焦らす湿った風がどうにも不快です。
空気が薄いからか、若干の息苦しさもありました。
洞窟は所々で左右に分岐がありましたが、足元に敷かれた鉱車用の線路を頼りに進んでいたので、迷うことはありませんでした。
岩石、岩石、岩石──変わり映えない灰色の洞窟を歩くこと十分、開けた空間に出ました。
数メートル先までしか見えていない状況でも、広い空間だと確信できました。
風の流れが一変したのです。
「コ、ここダさ」
ラバットが立ち止まったので、ぼくは手に持っていた松明をワールに預け、周囲を把握するために、手始めに天井へ向けて火属性魔法を発動しました。
杖から深紅の炎が噴出し、一直線に上へと伸びていくと、暗闇が穿たれ、一瞬ですが視界が確保されました。
実に広々とした空間で、鍾乳洞が連なる天井までの高さは、ざっと三十メートル以上もあるかのように見えました。
次に、前方へもう一度、同様の魔法を撃ちました。
奥行きも同じ程度です──が、
「見えたダ?」
炎が暴いた暗闇の中──だだっ広い空間の一番奥、洞窟の壁面に後ろ半分がめり込んだ状態で、なにかが立っているように見えました。
次いでもう一発、より大きな炎を放ち、暗闇を灼いたとき──それをはっきりと捉えました。
高さは、二十メートルかそこらでしょう。
やや歪なのを考えれば、幅は──肩幅は、六メートル弱。
金属製と思わしき銀色の身体。
それは──。
このときのぼくはまだ、眼前に佇立する、人の形をした銀色の物体を適切に表す言葉を知りませんでした。
なにしろそれは、ぼくが──ぼくたちが、しいては当時の人類が──到底知る由もない技術の結晶でしたので。
ですので、それを指す固有名詞は未来から引用します。
このときぼくが邂逅を果たした未知なる銀色の巨人は──この一件を踏まえ、後に作られた言葉ではありますが──『ろぼっと』というのだそうです。




