第10章 王太女誕生
互いの思いを告白し合ったその三年後。
まだ少し肌寒さを感じる王宮内の庭園の八角形の白いガゼボで、リシェルとマーシャルがお茶会をしていた。
本来なら王女には絶えず侍女や護衛が側に配置されるところだが、一緒にいる婚約者はこの国一の騎士であり、魔物に襲われても対処できる逸材なので、他に誰もいない。
造り付けのテーブルの上にはクッキーとパイの載った皿と、紅茶のセットが置かれてあった。
マーシャルは幸せそうな顔でクッキーを頬張っていた。
「今回のクッキーも最高です。クルミの感触がたまりませんね」
正式に付き合い始めてから、初めてリシェルはマーシャルに好物を訊ねた。その結果、彼は辛党ではないが、甘過ぎる食べ物は苦手だということを知った。
だから彼女の作る甘さ控えめのクッキーを彼は好んでいたのだ。
その後、彼の好きだというクルミを始めとする木の実を加えると、彼は大げさと思えるくらいに喜んだ。
それ以外にも、大好きなリンゴを使ったデザートは、甘くても唯一好きだというので、リシェルはアップルパイ作りにも挑戦した。
不器用なので何度も失敗しなから作り方をマスターした。
マーシャルはその廃棄されるはずだった試作品でさえ、厨房の人間に頼んでこっそりと入手していた。
自分のために彼女が頑張ってくれている。それだけでマーシャルは幸せを感じられたのだ。それに味自体は美味しかったし。
今では見た目もとても素晴らしく仕上がるようになっていた。
「学園生活はいかがですか?」
「もう、授業は終了していますから、ダンスの練習くらいですわ」
「殿下は誰と練習をされているのですか?」
マーシャルが不機嫌そうな顔をして訊ねたので、リシェルは笑った。
彼女が学園に入学してからというもの、週末毎お茶会をしているのだが、彼は婚約者の学園生活の話を聞く度にイライラしたり、不機嫌になったりするのだ。
人前ではクール過ぎて、氷の騎士と呼ばれている人物とはとても思えない反応だった。
学園に入学する前のリシェルは、公の場に出ることはあっても、年の離れた大人としか接することがなかったので、マーシャルは冷静でいられたのだ。
しかし、学園に入学すると同世代の人間ばかりいるわけだから、五つも年上の自分よりも親しくなる男性が現れるかもしれない。そう思うと気が気ではなかったのだ。
王家の影と呼ばれる者が王女を守ってくれているので、自分がいなくても彼女の身の安全は確保できるかもしれない。しかし、心ばかりはどうしようもないからだ。
この三年間どんなに忙しくても、王都にいるときは必ずマーシャルがリシェルの送迎をしていた。近衛騎士としてではなくて、彼女の婚約者として、周りの人間を威嚇するために。
「この国一強くて有能な貴方を敵に回そうとする人なんていませんよ」
そうリシェルが言っても
「恋は盲目になるのです。貴女のお兄様達を見てご覧なさい。
リシェル殿下は日毎可愛らしく、美しくなっておられます。そんな貴方を好きにならない方がおかしいですよ」
そうマーシャルは言い張っていた。
最初のうちはあまりにも心配症な婚約者に、どう対処すればいいのかリシェルは戸惑っていた。
そもそも嫉妬するのは本来自分の方だろうにと、意外な展開に驚いた。
しかし、今ではそれもすっかり慣れっこになっていた。むしろ変わらずに嫉妬してくれることを嬉しく思うくらいだった。
それでも不要な心配はさせたくなかったので、彼女はこう言った。
「私のお相手はクリスティナ様ですわ。
下のお子様も三歳になって手が離れたので、少しは外へ出たいと、ボランティアで学園においてマナーとダンスの講師をしてくださっているのです」
クリスティナとは、第一王子の元婚約者だった公爵令嬢のこと。
現在はマーシャルの親友であり、文化教育大臣補佐をしているマルタン伯爵令息の夫人となっていた。すでに息子と娘の二人の子を授かり、幸せに暮らしていた。
彼女とリシェルは今も実の姉妹のような親しい関係を続けていた。
それに比べてチャールドの方は未だに独身で、現在は弟ではなくて妹の補佐役を務めていた。
それはなぜかというと……
ハロルド第二王子は王太子に選ばれる前に、この国を訪問に来ていた大国の王族に失礼な振る舞いをしたことで、臣籍降下させられていた。その結果、リシェルが王太女となったからだ。
一体彼が何をしでかしたのかというと……
歓迎会の際に客人である王太子妃に対して第二王子妃がタメ口で話しかけ、客人の装いを地味だとか、流行遅れだとか、オブラートに包むことなく、直球な物言いをした。
それに対して当然嫌悪感を表した王太子に対して、夫のハロルドは謝罪するどころか、妻を庇う発言をしたことで王太子夫妻は激怒させたのだ。
そして席を立とうした二人に、リシェルが兄夫婦の代わりに謝罪したのだ。
王太子妃のドレスがいかに伝統のある素晴らしいデザインのドレスであるか。
いかに貴重な生地で仕立てられているか。
そして訪問国に対して最高の敬意を示した装いであるか。
「王族の中に、貴国の素晴らしさを理解できずに失礼な振る舞いをしてしまった勉強不足な者がいたことを心から恥じ入ります。
これから貴国についてより一層学んでいこうと思いますので、ご教授願えれば幸いです」
と。
そして王太子妃の大好物だという最高級のチョコレートを使ったケーキを準備させた。
チョコレートはこの国の特産であり世界中で人気が高いが、なかなか手に入れ難い貴重な菓子だ。
しかも王太子妃にはミルク入りのチョコレートで作ったケーキで、甘いものが苦手だというので、王太子にはビター味のチョコレートケーキだった。
これによって、客達はどうにか機嫌を直してくれた。
そして帰国する際に、保存の効くチョコレートのお土産も準備してそれを手渡すと、王太子が言った。
「次回からは我が国との交渉の窓口はリシェル殿下と、婚約者であるマーシャル=コルトン子爵にお願いしたい」
と。
マーシャルはリシェルと婚約する際に、これまで固辞していた爵位を授かることに決め、コルトン子爵となっていた。
そして二年前に近隣諸国合同訓練が行われたとき、それに参加していたマーシャルは、突然飛来系魔物に襲われた王太子を守ったのだ。
王太子はそのことで彼に感謝し、恩義を感じていて、それ以降も手紙などのやり取りをしていた。
リシェルが王太子夫妻の好みを把握していたのは、マーシャルから彼らの話を聞いていたからだった。
第二王子夫妻のやらかしはそれが初めてではなかった。それまでも国を揺るがすほどではなかったが、王家の権威を落としかねない失敗を何度となくしてきた。
その主な原因は王子妃だったが、王子は妻を溺愛していたために甘やかし、厳しく正そうとはしてこなかった。
しかし、国際問題まで引き起こしかねない彼らを見て、これまで彼らを擁護してきた元老院の長老達もさすがに堪忍袋の緒が切れた。
とはいえ、他に後継者に相応しいと思える男子継承者がいなかった。
頭を抱えた彼らに、とうとう息子達が重い腰を上げて、王室典範の改正を承認するように迫った。
第二王王女とその婚約者の評判は今では国内外で高く評価され、二人が後継者になることを国民だけでなく、他国からも望まれていたからだ。
王女は学生の身でありながら、すでに王族として様々な公務を熟しており、インフラなどの公共施設の整備、福祉活動にも力を入れきた。
そして、国民達とも積極的に触れ合う機会を設けてきたからだ。
しかも、王女と婚約者の騎士が助け合い、寄り添うその仲睦まじい姿は、国民の憧れとなっていた。
それゆえに、その時点では、すでに元老院の多くの議員が改正に傾いていたのだ。
元老院の頭の硬い年寄りの中の一人は、可愛いがっている孫が重い病に罹ったとき、その病に効く薬を隣国と交渉し、流通させたのが第一王女だと医師に教えられた。
またある者は、息子が騎士団の遠征中魔物に襲われたとき、救ってくれたのがマーシャルだったと聞かされた。
その他の議員達も、国が推奨した一領地一特産運動を実施したことで各地に名産品が生まれ、地方が潤ってきていたが、それは第二王女の提言によるものだった。その事実を子どや孫達に指摘されたからだった。
最後まで改正に反対していたのは、すでに議長と副議長のみになっていた。
そうなると、彼らの家族は貴族だけでなく国民からも白い目で見られ、肩身が狭くなっていた。それでも年と共に頑なになっていく当主に逆らえずにいたのだ。
しかし、第二王子のやらかしを目の当たりにして、最後の二人もとうとう改正を承認し、その後、自らその職を辞した。
その結果、王室典範はすぐさま改正されて、速やかに施行された。そして女性王族にも王位継承権が認められることになったというわけだ。
当初ハロルドとその妻は王位継承権がなくなっても、兄のチャールドと同様王族として王宮に残れると思っていた。
ところが、いざという時のためにと王位継承権は残ったが、臣籍降下となって、新たに領地無しの一代限りの伯爵位を与えられた。
なぜ王宮に残れなかったのかといえば、彼は兄と違って王族としての最低限のマナーと見識を持ち合わせていなかったので、王族しての責任が果たせないと判断されたからだ。
領地を与えなかったのは、彼らにまともな領地運営ができないと判断したからだ。そんな領主では、領民に迷惑をかけるだけであったからだ。
国王夫妻は次男夫婦に向かってこう言った。
「王族の義務よりも互いの愛が何よりも大切なのだろう? それならば愛の力で二人は生きて行け! 無駄にはなったが、王族としての教育は施してやったのだからな。
餞別として古い離宮を一つ与えてやろう」
と。
その後、二人は夫人の実家の援助を受けて細々と暮らしている。
まあこんな残念な経緯で、リシェルは王太女となってしまったのだった。
そして彼女はまもなく学園を卒業する。そしてその三か月後に、マーシャルと結婚することになっていた。
そんな超多忙の中で、二人は庭でお茶会をしていたのだった。




