荒野の来訪者2
「あン? 小僧、何のつもりだ」
東亜租界近辺を縄張りとする、小規模ながら凶悪で知られる盗賊団。通称ドルトン・ギャングを束ねる頭目は、たった一人で鋼殻キャリッジから降りてきた少年を訝しげに睨みつけた。
降伏を告げる使者役かと思いかけるが、瞳に怯えの色が一切見当たらないのが不自然だ。
「そう怖い顔すんなって。ちょいとばかし、あんたと話がしたいと思ってね」
「話だとォ?」
「俺のことは……そうだな、用心棒とでも考えてくれ。そんでもって提案なんだが、今回は大人しく手を引いちゃくれねえか? なんなら見逃してやってもいい」
彼我の立場とあべこべで意味不明な要求を、臆面もなく口にする。盗賊達は一瞬ぽかんとしてしまったが、すぐに発言の意味を理解すると、無遠慮かつ耳障りな声で笑い始めた。
「ひっひっひっ、お、おい、用心棒だってよ。こんなガキが!」
「くくくくっ、わ、笑ってやるなよ。あの坊主だってなけなしの勇気を振り絞ったんだ。もうちょっと敬意ってやつを持ってだな……ぷぷっ!」
「てめえの方が笑ってるじゃねえかっ」
ツボに入ってしまったのか、嘲りの大合唱が止まらない。が、それも致し方ない話だろう。
楼都や租界に属さない荒野という領域は、無法者達にとって文字通りの楽園だ。弱肉強食という唯一にして絶対の掟の下、ただ腕っぷしのみが物を言う。
そんな領域において盗賊達が警戒する数少ない脅威の一つが、用心棒という自分達とは方向性の異なる暴力装置であった。
腕利きの用心棒に返り討ちに遭い、全滅の憂き目を見た悪党の噂は枚挙に暇がない。弱肉強食の掟は、なにも獲物だけに適用されるものではないのだから。
とはいえ、目の前の少年がそんな凄腕とは、とてもではないが想像できないのもまた事実。
ぎりぎり成人しているかどうかといった風貌に、十人近い盗賊へ真っ向から喧嘩を売る無鉄砲さ。どこをどう見ても修羅場をくぐった経験の無い、浅はかな子供そのものだ。
「はァ、笑った笑った。なかなか楽しませてくれるじゃねェか、小僧」
「どういたしまして。あと、俺の名前は小僧じゃなくてシキってんだ。憶えとけよ」
「生意気な口をきくんじゃねえ!!」
頭から湯気を立ててわめいたのは、卑屈顔を怒りで真っ赤に染め上げた外地案内人であった。
「黙って聞いてりゃのうのうと。大人しく降伏するなら命までは取らないでやるつもりだったが、刃向かうなら容赦しねえぞ! そうでしょう、ドルトンさん?」
「てめェごときが口出しすんじゃねェ」
「ぷぎゃるっ!?」
羽虫でも払い除けるかのように無造作に振るわれた裏拳が、揉み手をしながら擦り寄ってきた裏切り者の鼻柱を陥没させ、二回転半ひねりと共に枯れ谷の底へ叩き付ける。
突然の凶行に周囲の気温が一気に下降するが、肝心のシキは気にした様子はなく、つまらなそうに欠伸をしていた。
一方の頭目は不機嫌そうに、裏拳を放った手をぷらぷらとさせていたが、ふと顔を持ち上げると凶悪な形相でシキを睨め付けた。
「けッ、仲間になったと勘違いした馬鹿のせいで、興が削がれちまったぜ。まあいい、俺様はてめえみたいな生意気なガキは嫌いじゃねェ。特に、現実って奴を教え込んで、澄ました面が涙と鼻水でぐちゃぐちゃになるのを見るのが、殺しとお宝に並ぶ大好物なのさァ!」
「随分と過激な嗜好だな、おい。あんたの趣味に付き合うのはご免被るぜ。むさ苦しい野郎に好かれても、ちっとも嬉しかないんでな」
「はッ、口の減らねェガキだ。そこまで早死にしてえなら、望み通り殺してやるよ。てめえら、そいつを穴だらけの肉袋にしてやンな」
号令一下、血に飢えた盗賊達の構える銃がシキの額を照準する。
しかし、彼等の指が引き金にかかるのに先んじて、少年は動き出していた。
わざと全身の力を抜くことで、しゃがみ込むよりもコンマ数秒早く重心を落とす。一挙動で射線からの退避と反撃の体勢を整えたシキは、故意の脱力がもたらした倒れる寸前の前傾姿勢のまま、全身全霊を込めて大地を蹴りつけた。
弛緩からの加速。爆発的な瞬発力を余すことなく推進力に変え、一陣の風が背後で渦を巻く。
地面すれすれを飛ぶ燕のように銃の間合いを踏み潰し、文字通り瞬きをする間に盗賊達の懐に飛び込むと、速度を殺さぬままに放った左フックが一人目の犠牲者を強襲した。
驚き慌てる暇も与えぬ電光石火の早業に、餌食となった盗賊の意識が後頭部から抜けていき、残った体はボウリングのピンよろしく地面に倒れる。
くずおれた盗賊など一顧だにすることなく、続けてシキはブーツの踵で小石を蹴り上げた。
小石は握り拳にも満たない大きさであり、顔面にでも当たれば多少は痛かろうが、一発で成人男性をノックアウトできるものではない。だがしかし、飛んでいった先が今まさに銃撃を浴びせようとしていた敵の手元となれば、もたらす結末はまるで違うものとなる。
発砲音が鳴り響く。
シキを狙っていたはずの鉛玉は、発射直前にぶつかった小石の衝撃で銃身の向きが変わり、結果として別の盗賊に命中していた。くぐもった苦鳴と共に、不運な男がもんどりうって倒れ伏す。
投石ならぬ蹴石によって狙いを逸らし、同士討ちを誘う。言葉にすれば簡単だが、いざ実行となれば至難どころの騒ぎではない。絶技、神業と讃えてもまだ足りないほどだ。
そんな妙技を事もなげに披露されたのだから、やられた方はたまったものではない。
たまらず瞠目してしまう盗賊達。一瞬とはいえそんな隙をシキが見逃すはずもなく、流れるような拳と蹴りが、こめかみ、喉仏、みぞおち、金的と、人体の代表的な急所に次々と突き刺さり、取り囲んでいた四人は糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。
そこで改めて睨みを利かせれば、目の前の少年が自分達など片手間に屠れる実力者だとようやく理解できたようで、残りの盗賊達は完全に気圧され後ずさる。
これで彼等の思考は捕食者から被食者に転じた。残りは詰めを誤らなければ、万が一にも逆転はない。
そんなシキの目算も、しかしあっさりと覆される。
空気が変わった。そうとしか言い表せない感触に、シキの背筋が粟立ったのだ。
理屈ではなく本能に従い、追撃を放棄して背後へと跳びすさる。それが唯一の正解であったのだと、次の瞬間、これ以上ないほど明確な形で示されることとなった。
どこからともなく降ってきた異形の巨体が、寸前までシキが立っていた位置を踏み潰したのである。
獲物を捉え損なった大重量が、昆虫を連想させる三対六本の脚で地響きを立てて着地する。
ちょっとした重機並の大きさはあろうかというシルエットは、金属とも有機物ともつかない奇妙な材質で構成されており、一目見たら決して忘れることのできない強烈な存在感を放っていた。
太くがっしりした脚部が支える胴体には、生物ならば必ずあるはずの頭という部位が見当たらない。その代わりというべきか、極太の杭を打撃面に生やした、誰の目にも殺傷用としか映らない大槌を背負っている。
人間であればどれだけ力自慢でも持ち上げること能うまいその大槌は、背部と一体化している折り畳み式のアームによって保持されていた。
「ふン、勘の良いガキだ」
九死に一生を得たシキを眺め、言葉とは裏腹にたいして悔しがるでもない頭目。
その右手の甲からは赤い血が滴り、されど重力を無視して横向きに糸を引いては、眼前の異形へと吸い込まれていく。断じて目の錯覚などではない。奇怪としか言いようのない光景であったが、シキはその正体に一つだけ心当たりがあった。
「あんた、イングレイヴ使いだったのか」
イングレイヴとは、物理法則さえ超越しうる正体不明の物体の総称だ。それらイングレイヴを自在に生み出し意のままに操るのが、イングレイヴ使いと呼ばれる能力者である。
イングレイヴの形状や特性は能力者ごとに多岐に渡り、同じものは一つとして存在しない。
使い手の血液を構成材料とするこの異能は、一説によれば、繁栄を極めていた旧世界がたった七日間で荒野だらけの現世界に変貌した原因でもあるという。
「ご名答ってやつだァ。正解したてめェには、俺様の【串刺し金槌】をたっぷり味わわせてやるよォ!!」
頭目の哄笑と同時、彼のイングレイヴ――【串刺し金槌】が動き出した。
六本の脚を器用かつ巧みに操り、鈍重そうな外見を裏切る俊敏さでシキに迫る。
距離を詰めながら、まるで見せつけるかのように杭槌をおもむろに持ち上げ――しかし、衝撃はまったく別の角度からやってきた。
杭槌は囮。これ見よがしに振りかぶることでシキの注意をそちらへ引きつけ、その隙に放たれたのは、六脚の内の一本を最短距離で突き出す変則的な前蹴りだったのだ。
「が、ふっ!」
粗暴な言動を裏切るテクニカルな一撃。初見のフェイント技にまんまと引っ掛かったシキの体が、軽々と宙を舞ったかと思うと、一回、二回と地面をバウンドし、最終的に鋼殻キャリッジの車体にぶつかって停止する。
苦痛に顔を歪めながらも立ち上がろうとするシキであったが、それより早く間合いを詰めてきた【串刺し金槌】が、今度こそ満を持してその名の由来でもある杭槌を叩きつけてきた。
舌打ちをその場に残し、横っ飛びに身を投げ出すシキ。
直後、容赦なく振り下ろされた杭槌はシキの脳天があった部分を通過すると、運動エネルギーを一切減じることなく、鋼殻キャリッジの外装へと喰らいついた。
金属が圧されひしゃげる破砕音を撒き散らし、杭の先端が半ば以上まで埋め込まれる。
銃弾では傷付けることすら困難とされる分厚い装甲を、たったの一撃で貫通するとは。見た目通り、いやそれ以上の破壊力だ。
「ようやく力の差ってやつが分かったかァ? 多少腕に覚えがあろうが、イングレイヴにはイングレイヴでなきゃ対抗できねェのさ。てめェにできるのは、ドルトン・ギャングに喧嘩を売ったことを後悔することだけってわけだ」
「……そいつはどうかな」
「ほォう?」
まだ勝負を諦めていない目で、ゆっくりと起き上がって構えを取るシキの姿に、頭目はいっそ感心したように喉を唸らせた。
あれだけ一方的に打ちのめされてなお、心折れることなく立ち向かってくるとは、よほど強靭な精神力の持ち主か、あるいは本物の馬鹿か。ちなみに両方という可能性もある。
「まあどっちでもいいかァ。【串刺し金槌】の蹴りを食らって減らず口を叩ける根性は認めてやるが、そんなに足元がふらついてちゃ、やせ我慢してるのが丸わかりってもんよォ」
「勝手に見下すんじゃねえよ。もう勝ったつもりでいるなら、痛い目を見るぜ」
「痛い目ときたか。どうやって見せてくれるってんだァ?」
強がっているとしか思えない少年の啖呵に、頭目は失笑を漏らしてしまう。
するとシキは、布で覆い隠した右腕を緩やかに前方へ突き出すと、腰を落としてちょいちょいと手招いてみせた。
「そいつは見てのお楽しみってやつだ。お代はきっちり払ってもらうけどな」
「口の減らねェガキだ……まあいい、乗ってやろうじゃねェか、その挑発!」
頭目は吠え、イングレイヴがその意志に応える。
高々と振り上げた杭槌を勢いよく振り回すと、【串刺し金槌】は再び巨大な凶器を叩きつけた。
しかし、今回も必殺の一撃は空を切ることとなる。
その理由は簡単だ。杭槌が狙い定めていた標的が、攻撃の届かない位置へと移動してしまったからである。
しかし、それはシキの後退を意味しない。ダメージを負っているとは思えない迅速な身のこなしで滑り込んだのは、なんと【串刺し金槌】の胴体真下。
直撃すれば荒野の染みどころか、四散して無数の肉片となるだろう一撃も、アームの構造上、己の股下までは届かない
後頭部をかすめていく死神の鎌を幻視しながらも、紙一重でこれをかいくぐったシキは、杭槌が乾いた大地に突き刺さるのを尻目に、上体が沈みこむほど深く深く踏み込むと、全身のバネが生み出す反発力を腰、肩、右腕へと連動させて、真上に向けて目の覚めるような掌底を繰り出した。
ドドンッ、という太鼓の音にも似た破裂音が鳴り響き、腹部を凹ませた【串刺し金槌】が強制的に仰け反らされる。
小よく大を制す信じ難い光景。たかが拳打のあまりの威力に、誰もが目を剥き言葉を失う。
だが、これで終わりではなかった。
古来より、物体とは上から下に落ちるものと相場が決まっている。かち上げられたイングレイヴもまた然り。
【串刺し金槌】もまた重力の軛に囚われる。落下地点で待ち構えるは、右腕を大きく後方へと引きつけ、限界までひねった上半身と強く踏みしばった下半身に尋常ではない力を蓄えた、自称用心棒の少年だ。
「や、やめ」てくれッ!?
頭目が懇願の悲鳴を上げるより早く、渾身の右ストレートが放たれる。
暴風を一点に凝縮させたような正拳は、直前の掌底が穿っておいた凹みを、寸分の狂いもなく撃ち抜いてのけた。
岩塊が降ってきた時よりも一回り激しい轟音が、枯れ谷中に反響する。打ち据えられた【串刺し金槌】は水平方向の強烈なベクトルによって地面から引き剥がされると、目にも止まらぬ速度ですっ飛び、さながら流星のごとく飛翔した後、谷の出口を塞いでいた巨石に激突した。
一秒、二秒、三秒。
誰もが固唾を飲んで見守る中、シキがゆっくりと右腕を下ろす。
その途端、背筋の寒くなるような一撃を叩き込まれた【串刺し金槌】がずるりと崩れ落ち、風に吹かれた砂山のように跡形もなく崩れ去っていくではないか。
ちらりと横目で確かめてみれば、頭目も仰向けでひっくり返り、泡を吹いて痙攣している。
イングレイヴ使いは己のイングレイヴと密接に繋がっている。許容量を超えたダメージが能力者である頭目に逆流し、失神した結果イングレイヴを維持できなくなったのだろう。
それだけにとどまらず、【串刺し金槌】が激突した大岩に亀裂が入るや、文字通り真っ二つに裂け割れた。崖の上から落ちても原型を保っていた大岩を砕くとは、果たしてどれほどの破壊力が働いたというのか、想像するだけで鳥肌が立ってしまう。
たった一撃で全てを粉砕してみせたシキは、巨岩の向こうから差し込んできた陽光を背に、その場でのんびりと肩を回すと、唖然としている盗賊達へ問うた。
「大人しく手を引くなら、見逃してやっても構わないぜ?」
ほんの数分前の台詞の焼き直し。だが嘲笑する者は一人とていない。
この日、東亜租界に悪名を轟かせていた盗賊団ドルトン・ギャングは、たった一人の少年の前に呆気なく崩壊したのだった。




