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荒野の来訪者1

 緑の絶えた荒野をゆっくりと移動する影があった。

 赤茶けた土煙を巻き上げながら不毛の大地を横断していくシルエットは、遠目からはずんぐりしたダンゴムシと見間違いかねないが、近寄ってみれば人類の生存圏である租界同士を結ぶ数少ない交通手段の一つ、複層連結式の鋼殻キャリッジであることはすぐに分かる。


 点検と整備以外のほとんどの時間を荒れ果てた土地の走破に費やす鋼殻キャリッジは、不整地での踏破能力に優れた無限軌道と不測の事態に備えた分厚い装甲のため、他に類を見ない独特の形状をしているからだ。


 常に砂塵に晒されているため部品の消耗が早く、度重なる修理によって継ぎ接ぎの斑模様となっている外装が、どれだけ過酷な旅路を経験してきたのかを無言で物語っている。

 そして丸みを帯びた車体の先頭部分、運転席の隣に位置するボックス席では、変わった格好をした少年が意識を失った状態で転がされていた。


 外見は年の頃十六、七といったところ。

 百七十センチをやや上回る身長は、服の上からでも分かる均整の取れた体躯のおかげか、本来よりも一回り大きく見える。

 蓬髪とまではいかないものの、かなり雑にカットされた黒髪の下から垣間見える容貌は、荒野に生きる者特有の透徹した気配と同時に、歳相応の生意気そうな面影をも備えていた。


 着込んでいるのは租界を渡る旅人ならば一般的な、装飾性よりも耐久性に重点を置いたシンプルな防寒防風ジャケット。足元は随所を補強したブーツで固めている。

 旅装としてはスタンダードな部類で、評点するなら可もなく不可もなくといったところか。

 では、果たして彼のどこが風変わりかと問われれば、その答えが右腕の一点に集約されることは疑いようがなかった。


 少年は細長く裁断された布を幾重にも巻き付け、右腕の肘から先を一分の隙もなく覆っていたのである。手首、手の甲、指の先に至るまで、肌の露出が一切見当たらない徹底ぶりは、いっそ神経質と評しても異論はあるまい。


 と、その時。予兆として小さな呻き声を漏らした直後、死にかけのセミを小突いた時のように、少年が奇声を発しながら豪快に飛び起きた。


「どわっはっ!!」

「おっと、気が付いたかい」


 起き抜けの眼球にはお世辞にも優しいとは言い難い光量に目を細め、少年は首から上だけを捻じり、呼びかけられた方へと顔を向ける。

 様々な計器やレバーが配置されたシートに腰かけ、足元のペダルを操作しながら少年を見守っていたのは、制服と思しきかっちりした恰好に身を包んだ中年男性であった。

 重ねた年齢が皺となって刻まれている目元は柔和に緩められており、穏やかでゆったりとした気配が滲み出ている。


「……あんた、何者だ? ここはどこだ?」

「順番に説明するから警戒しなくても大丈夫だとも。ひとまず、これでも飲みなさい」


 男性が人肌程度まで温くなっている白湯を渡すと、少年は目礼をしてコップを受け取った。

 体に染み込ませるようにちびちび飲み始めたところで、身を横たえていた座席が小刻みに振動していることに気付く。

 周囲へ視線を巡らせてみれば、中央の通路を挟んで左右に整然と並ぶボックス席、はめ殺しの窓からは荒涼とした景色が広がっていた。


「もしかして、鋼殻キャリッジってやつか、これ?」

「正解。どうやら意識ははっきりしているみたいで結構、結構。君の推測通り、これは東亜租界を目指して荒野横断中の鋼殻キャリッジさ。ちなみに僕はその運転手。昨日、行き倒れていた君を救助したのだけれど、憶えていないかい?」

「悪い、さっぱりだ。でも、あんたが助けてくれたんだろ。ありがとな」

「なに、気にせずとも構わないさ。僕等だっていつ同じ状況になるか分からないからね。遭難者に手を差し伸べるのは、義務みたいなものだとも」


 鷹揚な雰囲気で不器用にウィンクしてみせる姿からは、押しつけがましい空気は微塵も感じられない。正真正銘、心の底から善意で少年を拾ってくれたのだろう。


 目を覚まして少しは時間が経ったおかげで、徐々に手足の感覚が戻ってくる。その段になってようやく、少年は己が縛られていることに気が付いた。とはいえ身動きが取れないほど厳重な拘束ではなく、勝手に歩き回らないよう座席に繋ぎ止めたといったところか。


 明らかに素人仕事な不揃いの結び目をまじまじと観察していると、運転手が申し訳なさそうに頭を下げてきた。


「すまないけど、東亜租界に着くまでは我慢してくれるかい。僕は拘束なんて要らないと言ったのだけど、君が盗賊の回し者じゃないかという意見を払拭できなくてね」

「そ、その通りだ。遭難者のふりをして、こちらの居所を仲間に伝える魂胆なんだろう! 貴様のような怪しい奴なんか、荒野に捨てておけば……いや、今からでも放り出してやるっ!」


 悲鳴に変わる寸前の、ヒステリックな金切り声が鼓膜に飛び込んでくる。

 ぐるりと首を巡らせれば、慎重なのか臆病なのか絶対に手が届かないだけの距離を取り、卑屈そうな顔をした男が少年を睨んでいた。

 先刻の糾弾はこの男のものだったらしい。少年を盗賊の一員と疑っている者達の代表者といったところだろう。


 好奇心の赴くまま、警戒心で凝り固まっている相手を、目を逸らすことなく観察してみる。すると男は、何を勘違いしたのか顔色を青褪めさせ、表情筋を引き攣らせた。


「な、なんだ小僧。文句でもあるのか。それとも自分が盗賊だと白状する気に――」

「文句なんか無えよ。荒野の真っ只中で行き倒れなんて、面倒な事情を疑って当然だからな。盗賊扱いには断固抗議させてもらうけど、待遇は妥当だと思うぜ。言われた通り、東亜租界までは大人しくさせてもらうとするさ」


 不自然なほどの落ち着きぶり。いっそのこと投げやり感すら漂う態度で、少年は現状を受け入れる。

 予想された反発が無いため逆に戸惑う男に代わり、運転手がその場を取り成した。


「まあまあ、彼もこう言ってくれていることだし、目的地まではもう少しじゃないですか。どうしても怪しいと思うなら、我々が目を光らせておけば済む話です。それに世の中、助け合いが大切ですよ」

「……ふん、せいぜい寝首をかかれないようにするんだな」


 捨て台詞を吐いてそっぽを向く。横柄とも映る姿に、運転手は仕方がないといった風に苦笑してみせた。


「すまないね。彼は今回の荒野横断のために雇った外地案内人なのだけれど、少し神経質なところがあるようなんだ。気を悪くしないでくれるかい」

「素性の知れない怪しい奴を警戒するのに、いちいち許可はいらねえだろ。あんたの方こそ気の回し過ぎだ。俺なんかに気を使ったせいで禿げちまってもつまらないぜ」

「はは、それは勘弁だ。それじゃあ、ついでというわけではないのだけど、少し話を聞かせてもらっても構わないかな。どうして君は、荒野のど真ん中なんて場所で倒れていたんだい?」


 口調こそさりげなさを装っていたが、わずかに早口となってしまう。それに伴い、声音にも緊張の色が一滴混ざり込んだ。

 職責上、行き倒れの理由を問い質すのは避けられないのだが、場合によっては相手の事情に深く踏み込むことにもなりかねないため、つい委縮してしまったのだ。

 翻って少年は、しばし腕を組んで瞑目していたが、ゆっくり目を開くや堂々と言い切った。


「うん、さっぱり分からん。これっぽっちも思い出せねえや」

「…………まあ、君が言いたくないならば、今はそれで構わない。詳しい話は、東亜租界に着いてから聞かせてもらえればいいとも」


 あからさまな回答拒否であったが、予想された可能性の一つではあったため、運転手は特に食い下がろうとはしなかった。むしろ胸を撫で下ろしたくらいである。

 誤魔化し方は稚拙極まりなかったが、下手に追及して厄介事に首を突っ込みでもしたらと考えると、迂闊に藪は突けない。飛んでくる火の粉を避けるためには、最初から火種など作らないのが一番なのだから。


 遭難者を見捨てられず、反対意見を押し切って救助はしたものの、これ以上に火中の栗を拾おうとするのは、さすがに他の乗客達に対して無責任に過ぎる。

 荒野特有の危険生物が遭難理由であれば黙秘する意味は薄いので、逆説的にその可能性が排除できたことが一応の成果か。


 そう結論付けて操縦に戻りかけた運転手であったが、思い出したように「そういえば」と呟くと、座席ごと九十度回転して再び少年へと向き直った。


「本当なら真っ先に訊くべきだったのに、すっかり忘れていたよ。君の名前を教えてもらっても構わないかい?」

「俺の名前? …………確かシキ、だったと思う。そう呼ばれていた、気がする……」


 妙に歯切れ悪く、少年――シキが答える。

 気にならないと言えば嘘になるが、これ以上はプライバシーに踏み込むと直観し、運転手は聞き流したふりで明るく言い立てた。


「シキ君だね。短い間だけど、東亜租界まで仲良くやろうじゃないか」

「……ああ、俺の方こそよろしく頼む」


 一瞬とはいえ逡巡した自分自身を振り払うかのように、シキは必要以上に勢いよく首肯してみせた。


       ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 翌日、鋼殻キャリッジはこの旅程で最大の難所へと差し掛かっていた。

 徐行運転の車体がトロトロと進んでいるのは、枯れて乾ききった谷の底だ。

 左右を切り立った崖に囲まれ、大型かつ重量級の鋼殻キャリッジでは通れるかどうかも怪しい狭い幅しかないこの谷は、外地案内人曰く、知る人ぞ知る東亜租界への抜け道らしい。


 わざわざ険しい道を通ることについて、最初は難色を示していた運転手だったのだが、シキという不安要素を抱える時間を最小限にするためと理論武装されてしまっては、渋々首を縦に振らざるを得なかったのである。


 ともあれ、一度進むと決まればそこはプロだ。計器とミラー、そしてハンドルのみに全神経を集中させ、慎重にキャリッジを進めていく。やがて、曲がりくねった道の先に渓谷の出口を視認できた時、運転手は自然と肩の力を抜き、全身を弛緩させてしまっていた。

 完全に谷を抜けるまでは気が抜けないと頭では理解しつつも、張り詰めっ放しからの解放感につい身を委ね――


「止まれっ!!」


 不意に轟いたシキの大音声に、反射的にブレーキを目一杯踏み込む。

 整備の行き届いた車体は強引な操作にも機敏に反応し、地を噛む履帯がざりざりと砂利を掘り返した。急ブレーキによって発生した慣性が人や物を容赦なく床に投げ出す中、シートベルトのおかげでハンドルとの顔面衝突を回避した運転手は、思わず非難の声を上げてしまう。


「あ、危ないじゃないか! いきなり大声を出すなんて!?」


 ところが、一向にシキからの反応がない。

 たった一日という短い時間だが、くだらない話題にも嫌な顔一つせず雑談に応じてくれていたのだ。それがいきなり無視を決め込むとは、違和感をおぼえるなという方が無理というものだろう。

 気になって隣席の様子を確かめようとした運転手であったが、それよりも早くフロントガラスに影が落ちたため反射的に窓の外を見上げ、そして絶句することとなった。


 なぜなら影の正体は、こちらに向かって一直線に落下してくる大岩だったからである。

 一抱えどころではない、巨石と呼んだ方が適切なサイズ。

 運転手は目を見開き、迫りくる死の予感に硬直する。

 それでも日頃の行いが良かったのか、岩塊はかろうじて直前で衝突コースを逸れた。とはいえ直撃こそ免れたものの、大質量は速度を緩めることなく鋼殻キャリッジの目と鼻の先に墜落する。


 刹那の後、凄まじい衝撃が乗員を襲った。

 土砂が横殴りに車体を打ち据え、石つぶては雲霞のごとく防弾性のフロントガラスへと殺到してくる。

 十時間にも感じる十秒が過ぎ去り、飛礫の嵐が収まった時、運転手は震える声を絞り出すので精一杯な有様となっていた。


「た、助かったよ、シキ君……」


 シキの警告が少しでも遅れていたら、今頃は岩の下敷きとなっていた。頑丈さには定評のある鋼殻キャリッジとはいえ、許容量を超えた重量物に押し潰されれば、たとえ人命は助かっても走行不能に陥っていた可能性が極めて高い。

 そして荒野横断中に立ち往生となれば、冗談ではなく生存の危機である。そんな大惨事を未然に防いでくれたのだから、どんなにお礼を言っても言い足りないほどだ。

 ところが当のシキは、いまだ立ち込める粉塵の奥を、険しい眼光で見透かさんとしているではないか。


「気を抜くなよ。さっき崖の上に人影が見えた。勘だけど、岩を落とした連中だ」


 警告の意味するところを瞬時に悟り、運転手は蒼白となる。

 シキの推測が正しければ、これは事故ではなく攻撃ということになるからだ。そんな荒っぽい真似をする理由など、どれだけ考えてみたところでたった一つしか思い当たらない。


 すなわち略奪である。

 荒廃しきった世界において、租界間を移動する機会は限られている。その少ない機会を浪費してまで二束三文のガラクタを運ぶわけもなく、租界を渡った荷が高額で取引されるのは一般常識ですらあった。ならず者達にとっては美味しい獲物というわけだ。

 もっとも、だからこその鋼殻キャリッジであり、たとえ襲撃を受けても頑丈な装甲に物を言わせ、振り切って逃走することが可能なはずだった。


 ただし、それも逃げ場があるならばの話だ。

 巨石で行く手を塞がれてしまっては、いくら鋼殻キャリッジでも強行突破は不可能。かといって後退するには地形が入り組み過ぎており、退路が潰されている可能性も十分にある。


 ならばせめて籠城を、と算段を立てようとした運転手の目に、乗降用ハッチの開放を示す警告灯が飛び込んできた。

 血のように赤いランプが心臓を鷲掴みにする。慌ててステップ付きの乗降口に駆け寄れば、故障や誤作動などではなく、間違いなくハッチは開け放たれていた。しかも鍵の機構まで取り外され、どうやっても施錠できないようになっているではないか。


 なぜ? という疑問が浮かび、すぐに解消される。

 突然の谷風が吹き抜けていき、視界を遮っていた砂塵を一掃したのだ。

 天然の目隠しが払い除けられると、銃口を向ける十人近い盗賊達に頭目らしき巨漢の男、そして卑屈そうな顔に下卑た笑みを張り付けた外地案内人が、キャリッジの進行方向に立ち並んでいた。


 状況を見れば猿でも分かる。外地案内人が鍵に細工し、内側からハッチを開けたのだ。

 推測は即座に次の推測への導火線となる。わざわざ狭隘の谷間を通るよう主張したのは、落石の罠で足止めするためだったと考えても、決して穿ち過ぎではあるまい。


「きひひ、ようやく理解したらしいな。そうさ、その通りだよ。ご覧の通り、俺は名高いドルトン・ギャング様と手を組んでいたというわけだ。まんまと騙された間抜け共、お前等には有り金を全部置いて、仲良くあの世に旅立ってもらうぜえ!」


 まさしく虎の威を借る狐の体現とばかりに、外地案内人が本性を露わにして勝ち誇る。

 ぶん殴ってやりたい衝動に駆られるが、今はこの窮地を切り抜ける方が先決だ。

 だが、咄嗟に妙案が浮かぶならば誰も苦労はしない。もしもこの場を無事に乗り切れるウルトラCがあるならば、見栄も外聞もなく縋りつきたいところなのだが、生憎と運転手にはそんな都合の良い奇跡の持ち合わせはなかった。


 考えれば考えるほどに思考が空転し、責任感が重石となって圧し掛かってくる。そんな彼を焦燥の底無し沼から引き上げたのは、恐怖に塗り潰されつつある車内の空気を完璧に無視し、マイペースな口調で放たれた一言であった。


「おっちゃん、ここは俺に任せてくれ。助けてもらった借り、ここで返させてもらうぜ」


 誰もが脅えて身を縮こませる中、声の主――シキだけがそれに当てはまらない。

 一切の気負いを感じさせない自然な立ち姿。手足を縛っていたはずの縄はいつの間にか引き千切られ、足元に打ち棄てられている。

 何よりも、息を呑む運転手から半分だけ見えた口元には、獰猛で不敵な笑みが浮かんでいた。

夜にもう一本投稿します。

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