57.守護龍
「わ~~っすごい! 気持ちいーー!」
全身を駆け抜ける風に少し肌寒さを感じるものの、見渡す限りの絶景に感嘆の声を上げたアイヴィー。その姿を隣で見ていたヴァネッサは、ふっと小さな笑みをこぼした。
数十分前、皇宮を訪れたアイヴィーは、これまでレオナルドとのお茶会で使われていたサロンへと向かった。しかし、サロンへ着いてどれほどもしないうちに、部屋へ入ってきたヴァネッサに連れられ、アイヴィーは部屋を後にする事となった。
広々とした皇宮の通路を通り、中庭を抜ける。手入れの行き届いた綺麗な薔薇が咲き誇る中庭の一角から、さらに奥へ。どうやらその先にある、小さな森へと向かっているようだ。
ヴァネッサに案内されるまま、森の奥へと足を進めるアイヴィー。やがて、あたりが開けた場所へ出ると、そこには綺麗な湖があった。そして、そのほとり立つ、一人の小さな少年の姿。
「守護龍様!」
『……ヴァネッサ』
見た目はまだ幼い子どものように見えるが、その少年の声は不思議と大人びて感じられる。守護龍と呼ばれたその少年は、ヴァネッサの姿に気づくと、穏やかに微笑みゆっくりと歩み寄ってきた。
アイヴィーは、目の前で話すヴァネッサと守護龍と呼ばれた少年を黙って見つめる。
──あれが、守護龍様……?
アイヴィーは、不思議そうに見つめたその少年と目があった。瞬間、気づいた時にはその少年は巨大な龍の姿に変わっており、アイヴィーとヴァネッサはその龍の背中に乗っていた。
「!?」
「危ないので、しっかりつかまっていてくださいね」
「……っぶぁ」
ヴァネッサの言葉の直後、今まで感じたことのない衝撃にアイヴィーは思わず目を瞑った。肌に感じる風が冷たい。ゆっくりと目を開けたアイヴィー。すると、辺り一面は綺麗な空色。視点を少し下に向ければ、小さな豆粒サイズになってしまった皇宮や街の家々が見える。
「驚きました?」
「えぇ……とても」
ふふっと笑いながら振り向いて言ったヴァネッサに、あっけにとられたアイヴィーは呆けた様子でそう答えた。だが、それも初めのうち。今やアイヴィーは守護龍の背で風を浴びながら、地上を見下ろし「人が米のようだ!」と叫んでいる。
「守護龍様に出会ってから、たくさん……色んな話を聞かせてもらいました。私の生まれ変わりだっていう、赤髪の女騎士さんについて、とか」
ひとしきり騒いだアイヴィーの隣で、どこか愛しそうに空を眺めながら、ヴァネッサが口を開いた。
「ね」
『あぁ』
ヴァネッサの声に、守護龍はまるで脳に直接響いているかのような不思議な声色で相槌を打った。
守護龍様の背に乗って大空を自由に飛び回っている今、駆け抜ける風音に負けないよう、ヴァネッサは声を張り上げて話している。その様子が、これまでの彼女とのイメージとは大きく違い、とても明るく、しかし不思議と朗らかにも見える。
ヴァネッサさん……なんだか生き生きしてるな。
──まるで、原作のヒロインの姿に近づいてきているよう
アイヴィーは先ほどの、龍の姿になる前の守護龍と話しているヴァネッサの姿を思い出し、これまでの能面のように動かなかった彼女の表情が随分とやわらいでいるのを感じた。原作で見ていた、よく笑い、明るく朗らかなヒロインの姿と重なる。
やがて、広い丘の上に降り立った守護龍は二人を降ろし、再び人型に姿を変えた。皇宮の森で初めて見たあの少年の姿とは少し違い、今度はその少年が成長したような青年の姿になっていた。
そして、その顔は……
「とんでもなく、目が落ちるほど美形ね」
「はい、レオナルドより美しいですよね」
ヴァネッサの言葉に、軽く噴き出したアイヴィー。
「初めて守護龍様のこの姿を見た時、世界中どこを探してもこんなに美しい神秘的な人はいないだろう、と目を奪われました」
「そうですね……ふふっ」
「?」
「もし今後、殿下とヴァネッサさんがまた喧嘩した時、この姿の守護龍様と一緒に城を飛び出して行くヴァネッサさんを、黙って見送るしかできない殿下を想像してました。きっと、さっき以上に拗ねてふてくされるんでしょうね」
ぷぷぷ、と少し悪い顔をしながらそう言ったアイヴィーに、はっとしたヴァネッサもつられて楽しそうに笑った。
「殿下とも、ここへ一緒に来られたのですか?」
「いえ。初めてご一緒するのは、アイヴィー様と決めていたので」
どうやら、彼女はクスタードの森で封印を解かれてから、こうして守護龍の背に乗せてもらい様々な所へと連れていかれ、たくさんの景色を見せてもらったようだ。そして、この場所はそのたくさんの景色の中で、ヴァネッサが一番気に入っている場所らしい。
……なるほど。
アイヴィーは先ほど送り出してくれた、レオナルドの様子を思い出す。
一度はサロンへと足を運んだアイヴィーであったが、すぐ現れたヴァネッサに手を引かれ、こうして守護龍様の背に乗せられてここまで来た。共にお茶をするつもりだったらしいレオナルドが、どこか拗ねた様子で送り出した光景を思い浮かべたアイヴィーは、瞳を閉じながら一人納得する。
「アイヴィー様は、」
「……アイヴィー、でいいですよ」
アイヴィーとヴァネッサは、公爵令嬢と皇族騎士という関係であった。しかし、今のヴァネッサはレオナルドの婚約者であり、次期后妃となる存在。以前とは、立場が大きく変わっているのだ。
「え、っと……はい」
アイヴィーの言葉に、ヴァネッサはどこか戸惑いつつもゆっくりと頷いた。
それから二人は、日が沈むまで、たくさん、いろんな話をした。
話をしながら、手元に咲く花を摘み、綺麗な花冠を作るヴァネッサを横目に、アイヴィーは長く伸びる葉を割いて編み、小舟の船を量産していく。
ヴァネッサが生まれ育った国は、どうやら滅んでいるらしい。
まぁ、守護龍の愛し子にこんな扱いをしたんだから、そうなって当然と言えば当然なのかもしれないが……
「ただ、戦火を逃れ残された建物はあるものの、街の住人は一人も見当たりませんでした」
「そう……」
「あの場所から川沿いに下っていった先は、この国の南部の村と繋がっています」
再び守護龍の背に乗り、今度は七色に光るという不思議な川の傍に降り立ったアイヴィー達は、先ほど丘で作った草の船を一つずつ川に流している。ヴァネッサが作った小さな花の王冠を乗せた船は、途中でひっくり返りながらも、共に下流へと流れていく。
「ですので……生き残った人たちは、もしかしたら、そこへと逃げ込んでいるのかもしれません」
南……そういえば最近、南部の情報をよく耳にする。
特産物だったり、新しい技術がどうとか……少し前、ハオシェンも南部へ行くと言っていた。
以前は人も少なく、荒れた土地が広がっていると聞いていたが、最近では南部から送られてくる食物も工芸品もこれまでとは桁違いに数量が増え、品質も良くなっている。それだけ生産力が上がっていれば、当然人は増えているはずだ。異国民がいる可能性も、なくはない……。
「でも、本当に驚きました。レオナルドに突然出かけようと言われて連れ出されたと思ったら、あれよあれよという間に…………こんな」
「あはは」
何よりも大変なのは、この帝国の皇族について学ぶ時間が増えた事!と顔をゆがませるヴァネッサに、アイヴィーは再び笑い声を漏らす。
「もしかして、こういうしがらみが嫌で……その、レオナルドの婚約の申し出を避けてらっしゃいましたか?」
「バレましたか?」
ニヤリ、と黒い顔をしたアイヴィー。笑いあう二人。
「アイヴィー様ですよね……。レオナルドにクスタードの森へ向かうよう言ってくださったのは」
「……えぇ」
ヴァネッサは一度目を伏せた後、少し離れた所で風に当たりながら涼んでいる守護龍を見て続ける。
「レオナルドの事も……そうなんですが、守護龍様と出会わせてくれて、ありがとうございます」
その表情は笑っているのに、どうしてだろう。今にも泣きだしそうだと感じるものだった。
別に、大したことはしていない。
原作を見て、知っていた情報をレオナルドに伝えただけだ。
でも
「どういたしまして」
「……アイヴィー様は」
綺麗な所作で笑ったアイヴィーに、ヴァネッサはゆっくりと口を開く。
「グレイソンと……そうなりたいとは思わないのですか?」
「…………」
顔を上げたヴァネッサと目が合う。アイヴィーはジッと彼女の顔を見つめる。
幸せそうな顔しおって。
「あむぉ……?」
「様じゃなくていいって言ってるじゃない」
もう今はあなたの方が立場は上になっているのだから、と言いつつも、アイヴィーはヴァネッサの頬をつまみ、むにっとひっぱっている。
「それと、自分が幸せだからって、人にそんな事言うなんて……」
おりゃ!と正面から押し倒すようにヴァネッサに襲い掛かったアイヴィー。その光景を横目に見た守護龍は一度目を丸くしたが、きゃっきゃっと楽しそうな笑い声が響くと、そんな二人の様子をじっと見つめ、やがてふっと息を漏らして見守っていた。
守護龍はあまり口数は多くないが、ふとした時にヴァネッサをじっと見て微笑んでいる。
時折、アイヴィーと二人の会話に口を挟むものの、それにも全く威圧感を感じない。
本当に……“守護する者”って感じだ。
ヴァネッサと守護龍の雰囲気に、どこかほっと胸が暖かくなるのを感じたアイヴィーは、穏やかに微笑んでいた。
やがて日も暮れ、帰る時間となった。
来た時と同じように、守護龍の背に乗せてもらい、あっという間に皇宮へとついた。
「思ったよりも遅くなってしまいましたね、申し訳ありません」
「楽しかったですよ」
想定していた時間よりも、かなり長く話し込んでしまっていた。ヴァネッサが申し訳なさそうにしていたが、突如、「あっ!」と声を上げた。
「馬車……! 少々お待ちください。呼んでもらってきます」
そう言い残して走って行ってしまったヴァネッサ。
──え?! あなた、今の立場的に誰かにお願いすればいいんじゃ……
時期皇太子妃としてレオナルドの婚約者となった今でも、ヴァネッサは騎士としての生活をまだしばらくは変えたくない、と申し出たらしい。その騎士としての感覚が抜けないのか、去り際にアイヴィーの護衛の意を込め、自分が戻るまで守護龍もここへ留まっていてほしいと言ったヴァネッサ。『あぁ』と短く返事をした守護龍は、人型へと姿を変え、静かにアイヴィーの隣に立ち共に馬車を待ってくれていた。
「……」
沈黙が続く。
だが不思議と、嫌な感じはしない。
彼が身にまとう穏やかなオーラは、傍にいる者を癒すのだろうか?
アイヴィーは、横目に守護龍をチラッと見る。しかし。
──本当に美形だ。
再び人型になった今の彼は、先ほどの丘の時と同様、大人の姿をしている。そんな守護龍を横目に、アイヴィーは感嘆の声が漏れそうになるのを堪える。すると、その視線に気づいたのか、こちらへと顔を向けた守護龍は、スッと足をすすめ、アイヴィーの目の前まで近づいてきた。
思わずびっくりして一歩下がるアイヴィーであったが、そんなこと気にも留めないといった様子の守護龍は、グッと顔を近づけてくる。
『ちょっといいか?』
「えっ」
守護龍は一応承諾の質問をしたものの、うろたえたアイヴィーの答えは聞かず、スンッと鼻を首元に近づけた。
「……? あ、の……?」
スンスン、と何度か首周りで鼻音を立てられる。
──に、匂いを嗅がれている……。
しばらくして満足したらしい守護龍は、スッと体を離した。しかし、目の前に再び現れたその美しい顔の眉間には、ぐっと深いしわが寄せられており、忌々しそうな表情が映し出されていた。
『やはり……お前、魔物臭いな』
「え……」
突然の守護龍の発言に、アイヴィーは思わず固まり、声を漏らす。
『魔物を使役しているのか?』
「そ、んな事……」
『でなければ、つかれているのか』
ふっと視線を逸らしてそう言った守護龍は、よほど嫌な臭いなのか顔をしかめた後、再び「臭い」と口にした。
ハッとして自分の周りを見返すアイヴィー。
『いや、今この場にはいない』
「えっ……?」
『むしろ、ここ数日程は近くにいた感じではないが……』
不安そうに眉を下げ、力が抜けるような声を出したアイヴィーに、守護龍は首を傾けながら続ける。
『今いないにも関わらず、匂いがこれほど残っているのは、よほど執着がある魔物か、単純に魔力の強い魔物だろう』
「えぇ……っ」
『お前が触れて匂いが付くほど、近くにいる者か……あるいは、近くにある何か。それが魔物だ』
守護龍の口から告げられる重大な事態に、アイヴィーの体の力は徐々に抜けていく。
『まぁ……しかし、禍々しさはそれほど感じられんから、心配はいらんと思うが。一応知らせておく』
遠くの方から、ヴァネッサが走ってくるのが見えた。守護龍は「では、また」と言い残すと、ヴァネッサと入れ違うようにして去って行ってしまった。アイヴィーは口元を引きつらせながら、戻ってきたヴァネッサと共に馬車を待つ。
魔物……!?
魔物につかれてるって、どういうこと!?
「えぇ……」
「……?」
先ほどまでの楽しかった感覚が一瞬にして消え去ったアイヴィーは、再び力なく息を漏らしていた。






