挿話12.似てる
テオドール視点。過去話。
小さい頃、悪い人たちに攫われたことがある。
犯人はスペンサー公爵に悪事を持ちかけ、バッサリと断られたうちの1人の貴族だった。
「チッ……寝ちまいやがって」
男は吐き捨てるようにそう言うと、荒々しく扉を開けて部屋を出ていった。
「…………」
隣の部屋から、ガタガタと男が雑に物を扱っている音が聞こえてくる。
僕は、ゆっくりと瞼を上げた。埃っぽい床から顔を浮かせ、周りを見渡す。
──小屋……いや、小さな民家、かな
今日もいつも通り、朝から決められたカリキュラム通りの授業を受けていた。しかし、いつから僕はあの男に捕らわれこうなってしまったのか、記憶がない。おそらく、休憩時間に出されたお茶に、何か仕込まれていたのだろう。
「…………っ」
舞い上がっている埃を吸い込んでしまい、咽せそうになるのを、必死で堪える。立て付けの悪そうなボロボロなドアに、隙間風の入ってくる小さな窓。薄暗く狭いこの部屋の四隅には、乱雑におこかれている木箱が数個。
狭いのも暗いのも、別に怖くはないが……。
いてて。
テオドールは音を立てないように、そっと腹部に手を当てる。
この場所に運ばれてすぐ、男は気味の悪い笑みを浮かべて、僕の腹を蹴った。衝撃で飛ばされた僕は、腹を抱えながら床に倒れた。そばにいた貴族の男は何かを喚いているようだったが、腹に当てていた手の力をほどき、ぐったりとした姿で横になる僕を見て急に冷めた態度に変わった。そして、おそらく金で雇ったのだろう、僕を蹴った男に何かを耳打ちした後、この家から出ていった。
あぁいうタイプは、下手に反応すれば反応した分、楽しんで暴行を続けるだろう。
経験上そう判断したテオドールは、痛みにうめきながら自然と意識を失なったフリをしていた。……意外と、演技派であった。
──それにしても
ああいう輩は、どうして学習しないのだろう。
最近のスペンサー公爵はまるで人が変わったようだ、という噂は今や貴族だけではなく街中に広まっている。以前は穏やかな性格で、物腰が柔らかだったらしいスペンサー公爵。情で押せば断れないだろうと言う、彼の優しい性格を利用しようとする輩は、最近では随分と減ってきてはいた。
しかし、長い間辺境地に住んでいたあの貴族の男は、その事実を信じていなかったらしい。これまでの輩たちのように、スペンサー公爵にバッサリと拒否された男は、今度はアイヴィーを利用しようと手を出しかけた。
だが、相手はあの義姉である。
あの義姉である。
何も知らない温室育ちの小さなお嬢様だと思って義姉に近づいた男は、何も知らない温室育ちの可愛らしいお嬢様のフリをして笑顔で対応した義姉に、まず言葉で言い負かされた。逆上した男が握った拳を義姉に向けたが、それも義姉の魔法で返り討ちにされた。極め付けは、後ろにいたベルの魔法で着ていた服を木っ端微塵にされ、すごすごと公爵邸を後にするしかなくなっていたのだ。
運悪く、僕はちょうどその場面に居合わせてしまっていた。
──あの時、すごい顔で睨まれたし……目をつけられちゃったんだろうな
スペンサー公爵に加え、その子供にまでも負かされたその怒りの矛先は、どうやら今こうして僕に向けられているようだ。
全裸で凄む大人を見たのは、あの時が初めてだった。
「……く」
思わず、当時の光景を思い出して笑いが込み上げてしまった。
こんな状況なのに。
──そもそも、姉さんの返り討ちの仕方も問題がある気がする。
いいや悪いのは、こんな事までするあの男に違いないんだけど。
笑ったせいで、蹴られた腹部が痛んだテオドールは、ふぅ、と小さく呼吸をして落ち着かせる。
ゆっくりと身を起こし、壁にもたれかかったテオドールは、たまにメイド達からきくことがあった、温厚で穏やかなスペンサー公爵について考える。今とは180度違う、彼のイメージ。それがいつからか、歳を重ねると共に彼の眉間の皺は増え、悪事を働く者は徹底的に罰する、今のスペンサー公爵となったらしい。
──僕がきた時には、もうすでに今のスペンサー公爵だったから、想像もつかないや。
今よりも幼かった頃、どうしてもそれが気になったテオドールは、アイヴィーに尋ねたことがある。「どうしてお義父さんは、今の姿になったの?」と。しかし、それを聞いたアイヴィーはパチリ、と二度瞬きをした後、「さぁ?」とぼけていた。
だけど、今なら分かる。
──どう考えても義姉さんの言動が原因だろうな
遠い目をしたテオドールは、ふと床に転がっていたボタンを見た。この部屋で床に転がった時に、擦れて取れてしまったのだろう。袖口のボタンがなくなっていた。
ボタンといえば。
テオドールはつい先日、屋敷内でアイヴィーとした会話を思い出した。
『ねえさま、なにしてるの?』
『これ? 重力魔法の練習!』
『じゅうりょく……?』
『うん! ピンポイント重力魔法』
床にいくつものボタンが散りばめられた部屋の中で、アイヴィーが1人佇んでいたのを目撃したテオドール。パッと見れば、まるで何かの儀式を行っているかのようにも見え、恐る恐る質問をした。しかし、にこりと楽しそうにそう答えたアイヴィーに困惑したのを覚えている。
『ちょっとやってみるから、みてて』
『うん』
そう言った途端。パキパキパキッと音をたて、床に散らばったボタンが割れ始めた。
ピンポイント重力魔法。
彼女がそう言っていた魔法は、小さい的に範囲を絞り、ピンポイントで重力魔法を凝縮して放つことで、少ない魔力でも物凄い力で押さえつけられているかのように動けなくなると言う。
同じ力でも、対象にあたる面の範囲が大きければその力は分散され、範囲が小さければ小さいほど、力は強くなるのだそうだ。
『ちなみに、こうすれば下以外にも……』
バリンッ
『あ』
アイヴィーは得意げに、床に落ちているボタンを一つ拾い上げて、投げた。そして、そのボタン目掛け手をかざした瞬間、そのボタンは勢いよく真横へと飛んでいき……窓をぶち破って外へと消えていった。
『お、お父さんには秘密ね』
『……うん』
そのうち、バレると思うけど。
さっきまでの得意げな顔はどこへやら、冷や汗をかき笑いながらそう言ったアイヴィーを見て、テオドールは小さく頷いていた。
無邪気というか、アホというか。
それでいて、誰も思い付かないような魔法の使い方を考え出したり、気になったことはすぐに何でもホイホイ初めてみたり。この義姉はとにかく、好奇心が旺盛すぎる。
僕の知っている、慎重で冷静な伝統を重んじるスペンサー公爵とは、正反対の人間だ。
いったい彼のどこを受け継いで、彼女が生まれたのか……甚だ疑問だ。
「やっぱり起きてやがったか」
「!」
思い出に耽っていたテオドールは、ガタッと音をたて扉を開けた男と目があった。酒でも飲んでいたのか、酷い臭いを漂わせたボサボサの髪の男は、ゆっくりとテオドールのそばへと近づいてくる。
「依頼主の貴族の坊は気づかなかったようだったがな。気を失ったフリをしてたんだろ」
お前もさっき、僕が寝たと思って隣の部屋に行っただろう。
「気に入らねぇな。ガキの癖して、その何でも見透かしたような目ぇしやがって」
何も答えず、ただじっと見上げているテオドールに向かって、男は眉を顰め、露骨に嫌悪感を表す。
「妙に落ち着き払いやがって。気持ち悪いガキだな」
「…………」
男の言葉に、テオドールはぐっと拳を握り込んだ。
「普通はな、泣いたり怯えたりするんだよ。綺麗な世界で生きてるガキが、いきなりこんな所に放り込まれたらな」
「……ッ」
「だがお前はどうだ」
頭部に走った痛みに、テオドールは顔を上げた。
いつの間にか、すぐ目の前まで来ていた男がいきなりテオドールの前髪を掴み上げたからだ。
「知ってるぜ、お前養子なんだろ」
「……だから何」
「はっ」
ようやく口を開いたテオドールに満足したのか、口を開け何かを言おうとしている男の後ろに、ふわふわと木箱が浮いているのが見えた。
「あ」
「あぁ?」
自分を通り越し、その後ろを見ているテオドールの視線に気づいたのか、男は顔を歪めながら振り返る。途端、ガシャンッと音をたて、木箱は男の真上から落ちた。
「テオ……ッ!」
「!」
聞き慣れた、耳に馴染んだ声が聞こえた。
木箱に押しつぶされるようにして倒れた男の奥から、アイヴィーが駆けてくるのが見える
「ねえさま……」
「テオ、大丈夫?」
「う、」
「いだぁっ!」
テオドールの正面に膝をついたアイヴィーは、怪我はないかと彼の顔を両手で掴み確認する。大丈夫だよ、とテオドールが頷こうとした瞬間、アイヴィーは突如大声を上げた。
視線を下ろすと、木箱に押しつぶされていた男がアイヴィーの足を掴んでいた。よほど強い力で掴まれたのだろう、膝を擦りむいたアイヴィーは涙目になりながら男の顔に蹴りを入れていた。
男が怯んでいるすきに、再びテオドールを様々な角度から見て怪我がないことを確認したアイヴィーは、ホッとした表情を浮かべていた。
「お前と違って大人しい弟だな。そいつは蹴られても、鳴き声ひとつあげなかったぞ」
アイヴィーに差し出された手を取り、立ちあがろうとした瞬間、ガチャガチャと音をたてながら、木箱の下からようやく脱出した男が、馬鹿にしたような声色でそう吐いた。
「…………は?」
地を這うような、今まで聞いたことのない声が聞こえた。
先ほどまでホッとした表情を浮かべていた、目の前にいるアイヴィーの目は、黒く澱んでいた。
「え、わっえ?」
「…………」
ばっと左袖をまくられたと思ったら、今度は服の上から揉まれるように何度か掴まれた。反対側の腕も同様に服の上から揉まれる。
「っ」
「!」
そして、胸元から徐々に下がっていった手が腹に差し掛かった時、グッと走った痛みに顔をしかめた。誘拐されてすぐ、男に蹴られたところだ。
テオドールの裾を捲り、腹を確認したアイヴィーは、ゆっくりと立ち上がった。
この時のアイヴィーの表情を見て、僕は思った。
あ、似てる……。
✴︎
「おなかは! だいじだから! 殴ったらだめって! 知らなかった!?」
「……グッ、っは……っ」
現在、アイヴィーは男の首元に跨り、握った小さな拳を男の頬にお見舞いしている。右、左と交互に何度も。やがて、握った指に痛みを感じたのか、今度は手を開き、平手打ちを左右交互に繰り返していく。
正確には殴られたんじゃなくて、蹴られたんだけど……。
どこかぼんやりとした頭で目の前の光景を眺めていたテオドールは、ふと床に大の字に背をつけたまま動かない男の手の甲を見た。一部だけ小さく不自然にへこんで見える。
あぁ、あの時の魔法を今、この男の手足に使っているのか。
数日前に見せてもらった魔法を思い出して1人納得したあたりで、ようやくハッとしたテオドールが声を出す。
「あ、あの、ねえさま……もう」
「だいたい! いい大人が! あんなアザができるほど! こどもに! さぁ!」
「……ちょっ、……おっ、ぐ」
「ねえさま……僕」
僕は大丈夫だから、そう伝えようと声をかけるが、彼女には届かない。
聞いていない。
結局、公爵家の騎士によって扉が蹴破られ、スペンサー公爵が到着するまでの数分間、アイヴィーは馬乗りになった状態のまま、男を殴り続けていた。
そして、今回の事件が原因で、スペンサー公爵とアイヴィーは壮大な親子喧嘩をしたのち、部屋に軟禁されたアイヴィーが夜更けに邸宅を抜け出してしまうという、また別の事件が起こったのだった。






