37.驚愕の学園祭
公爵邸のアイヴィーの自室。
ソファーに腰掛けたアイヴィーの傍には、お茶の片づけをするレーラとベルの姿がある。
「ベル、明日一緒に学園行く?」
「……留守番、してる」
明日の学園祭への同行を聞いたアイヴィーに、ベルは視線をそらしながらぽそりと答えた。
「…………」
「……」
あっそう。
「……じゃあレーラ行く?」
「行きます!!」
相変わらず強い眼力でベルを見つめるアイヴィーと、露骨に視線を逸らすベルの間には微妙な空気が流れていた。その横で、やった~~!と喜びまわるレーラ。
「はぁ~~、学園久しぶりですね~~!今年の目玉はなんでしょうね!」
学園祭では毎年、生徒に混じり先生方も自身の作品や魔術を披露する、二日目のオープンイベントが大きな話題となっている。そのため、二日目は一日目の比ではない程、学園生徒や関係者以外の起業家や各職種・現場の第一線で活躍している人たちが、大勢訪れる。
半ば当てつけのような形でレーラを誘ってしまったけど、当の本人はとても嬉しそうにしている。そんな彼女の様子を見て、アイヴィーはふっと笑みをこぼした。
まぁ、いっか。
*
迎えた学園祭。
一日目の午前はレーラと共に各所を回り、学園内の出し物を堪能していた。午後は解放されている図書館へ行きたいというレーラの希望もあり、バラバラに行動した。去年と代わり映えのしない内容の出し物であったが、普段は学業のみを行う場でこういった雰囲気を味わえるのは新鮮で、楽しめたと思う。特にこれといった問題もなく、一日目の催しは滞りなく終了した。
だが、事件は二日目の午後。
学園祭の目玉イベントである、中央庭園へ向けて作られている特設ステージで起こった。
「あ、せんせー」
「おぉ」
今日の午後も昨日と同様、図書館へ行きたがっていたレーラと別れ、イベントが行われる中央庭園へとやってきたアイヴィー。中心部から少し離れた木陰でステージを見ようと、人の波をよけ歩いている途中でライアンと遭遇した。
「何でここにいるの? 先生も発表あるんでしょ」
「あ──……」
何やら遠い目をしたライアンの話によれば、毎年、新作の魔導具を発表した直後、何人もの人がステージ上に押し寄せてくるようになってしまっていたため、今年は事前に用意した魔導具の性能を説明している映像を流す形で、本人はステージには立たない事になったらしい。
「へ──人気者は大変ですね」
言われてみれば去年、この二日目のイベントで中央庭園が大乱闘騒ぎという報告は受けてたなぁ……。
アイヴィーが目を細めて厭味ったらしい態度をとったその時、ワァッ、とあたりに歓声が湧き上がった。ステージ上に向けられた熱い視線を辿れば、どうやら次はこの学園祭で二日目だけ学園外部からの入場者が異様に増える所以──生きる伝説とまで言われているらしいライアンの、新作魔導具の発表が丁度始まるところだった。
「あ」
「?」
気の抜けた声を出したライアンを、不思議そうに見上げたアイヴィー。
そういえば、今回の発表する魔導具についてはライアンから何も聞いてなかったな……忙しそうにしてたし。
なんだかんだライアンの新作の魔導具が気になったアイヴィーは、どういったものが出るのか、少し期待を込めて発表が行われているステージへと視線を向けた。
しかし、そのワクワクとした期待のはらんだ表情は、徐々に真顔にひき戻され、やがて表情を失っていった。
「な、なに……これ」
ライアンは今回、3つの発表を行っていた。
一つ目は、この少し距離が離れている場所からでも余裕で見ることができる、プロジェクターのような巨大なディスプレイ。ステージ上に置かれた魔導具から放たれた光が、指定された空間に映像を鮮明に映し出している。
二つ目は、そこで映像と共に流れている音楽を録音・再生し、持ち運びが楽にできるという小型の魔導具。
そして、三つ目は……。
「お前の姿を一度キャプチャーして、この魔導具を使ってモデリングを行い、それからこっちの魔導具で曲に合わせて踊らせて作った映像」
「……? …………??」
アイヴィーは、ステージ上に映し出されたディスプレイの中で可憐に微笑みながら踊っている自分の姿を見て、理解が追い付かないといった様子で、隣にいるライアンをポカンと見上げる。
「は……、はぁ……?」
「前に10分、お前に精神干渉した時あったろ。そン時にキャプチャーしたんだよ」
「か……」
勝手に何してくれとんねん!!
ディスプレイも、音楽再生の魔導具も、アイヴィーは専門棟ですでに何度も目にしていた。しかし、問題はその流れている映像にある。
そこには、今まで着たこともないような衣装を身にまとい、音楽に合わせて歌って踊っている自分の姿がデカデカと映し出されていた。
「はー、にしても間に合ってよかったわ~。最後の微修正に思ったよりも時間とられてな~~」
「……」
本当、なに。
何をしているんだ、この男は。
後頭部をかきながら、ふぅーーっと息を吐いて話し始めたライアンを、アイヴィーはじっと見つめている。
「引き画面での動きのぎこちなさの修正が難しくてさ~~。でも、なかなか上手くできてるだろ?あ、あと音声もちょっといじったけど」
音外れてるとこ、と言ったライアンは満足げな表情でディスプレイを見上げている。以前、ボイストレーニングのために録音していたアイヴィーの音声も使い、今回の三つ目の発表としてこの映像を作り上げたらしいライアン。
幻術魔法があるこの世界で、わざわざ人物情報を読み取ってモデルを作る魔導具を作ってまで、この映像を作るなんて……
──何してんの!? コイツ、マジで!
カッ、と勢いよくライアンを睨み上げるアイヴィーだったが、当の本人は楽しそうに笑顔で上機嫌に話を続けている。
アイヴィーは唖然としたまま、もう一度自身の姿がデカデカと映っているディスプレイを見上げる。
そ、それにしても、これはまるで……。
いや、もろに……。
アイヴィーが額からタラリと一筋の汗を流したその時、ライアンにガッと肩に手を置かれた。嫌な予感を胸に宿しながらアイヴィーはそっと顔を向ける。
「お前をこの世界で最初の、仮想世界の歌姫にしてやる」
──や、やめろ!!!
ニッと笑いながらそう言ったライアンを見上げながら、アイヴィーはふるふると小さく震えた。
「なんで私!? カノンちゃんとか他の女の子たちがいるじゃない!!」
「そりゃーお前のビジュアルと地位がいいからだろ」
何を当然な事を、とでも言いたげな様子でライアンは語り始める。
「平民や中途半端な貴族をモデルにアレを披露したところで、まず受け入れられることはなく、卑俗だと反感を買うのは目に見えてンだろ?」
……確かに。音楽はクラシック系の落ち着いたものが主流となっている今のこの世界で、あの激しさやポップさは異質だと感じるだろう。
「その点、公爵令嬢という地位と、その美貌! この二つを兼ねそろえたお前がモデルになることで、他の貴族たちの間で初めて見るこの“新しい異様なもの”に対する拒否感が、壁が、各段に下がる」
「…………」
話しながら、次第にテンションが上がってきたライアンは、声に感情を乗せて力強く説明する。
「これを始めたばかりの頃は、確かに俺は、ひっそりと隠れて、分かってくれる奴ら同士でだけ楽しめればいいと思っていた。」
レオナルドやベルでさえ、あのライブ会場の扉の解除ができず、実態をつかめなかったほどの徹底ぶりだ。ライアンがこの世界では誰も知るはずのなかった、アイドルというものに向けられる視線が必ずしも善だけではない、と予防線を張っていたのは分かっている。
「だが、この間、みんながライブを見に来てくれた時、あの時の様子とメンバーたちの嬉しそうな顔見て、確信したんだ」
拳をギュッと握ったライアンは、胸を張って言った。
「俺は、この世界にアイドルという文化を根付かせるため、こうしてここに生まれたのかもしれない!と」
「……」
瞳を閉じ、心臓の前に握った拳を置く、完全に入ってる状態のライアン。そんな彼とは対照的に、徐々に冷静になってきたアイヴィーは静かに口を開いた。
「精神干渉魔法使ったの随分前じゃなかった?」
「…………」
瞼を開けた後も視線を明後日の方向へと向け、目を合わせようとしないライアンを、アイヴィーはジッと半目で見上げる。
「……肖像権って知ってる?」
「この世界に、ンなものはない」
「モラルとかマナーの話!!」
ライアンが音楽や魔導具作り、そしてアイドルに対して並々ならぬ情熱を持っているのは分かっていた。だけど!
──こうしてみんなの前に発表するものを作るなら、一言本人に言うべきじゃない!?
「しょうがないだろ。今年の発表のことすっかり忘れてて、慌ててかき集めて作ったんだから」
「…………ッ」
──だったら最初の二つだけでよくない!?
アイヴィーが本心をゲロったライアンに向かって、唸るような声を出したその時、流れていた音楽と映像がピタリと止まった。ライアンの発表が終わったのだ。
瞬間、上部のディスプレイに釘付けになっていた何人もの人が一斉に口を開き、ざわめき始める。その中の一人がアイヴィーの存在に気付き、声を上げた。
「あっ」
一斉に注がれる視線。
な……、な。
「あ、あの……!」
比較的近くにいた生徒たちが数人、アイヴィーの傍まで駆け寄ってきて声をかけた。一人が口を開けば、次々と今見たばかりの映像についての感動を伝えられる。助けを求めるような視線をライアンに送れば、奴はフッと口角を上げて笑っていた。
「お前ずっと俺んとこばっかきてたし、友達いなかったろ。たまには同年代の子たちとも話して遊びな」
「…………ッ」
背中をトンッと軽く押され、生徒たちの前へと一歩足を踏み入れたアイヴィー。その隙にライアンはスッと輪から抜け、姿を消してしまった。
な、なんなの…………!!
こうなった原因であるライアンに恨めしい念を送りつつ、ハッとしたアイヴィーはあわてて完璧令嬢の仮面を被り、体裁を取り繕う。今までは公爵令嬢という立場もあり、こんなにも近距離で、しかも大勢の人間から同時に話しかけることはなかった。そのため、今のこの現状をどうすればいいのかと頭を悩ませていたアイヴィーは、これまでの鉄壁の仮面が少しずつ剥がされていることに気付かなかった。
*
ライアンが、自分の存在理由を熱くアイヴィーに語り始めた頃。
中央庭園が見える位置に展開されている飲食ブースの前には、そこの食材を全て食べつくしてしまいそうな勢いで、山のよう頼んだ料理をパクパクと平らげているハオシェンがいた。
「ん?」
もぐもぐと膨らませた頬を動かしながら、突然湧き上がった歓声がする方を振り向けば、そこには見たこともない大きな四角い映像。食べることを忘れ、いつの間にかそのディスプレイに釘付けになっていたハオシェンは、驚きの表情のまま言葉を漏らした。
「な、なんだ……?あれは、なんだ……!」
その語彙力の低さから、彼の興奮がうかがえる。
目の前に突如として現れた映像技術とその内容に、完全に目も意識も関心もすべて奪われたハオシェンは、震えながら導かれるようにステージの方へと歩いて行った。
そしてまた、同時刻。
ステージ中央部から少し離れた所にあるベンチには、アルロと並んで腰を下ろし、ライアンの発表映像を見るルフィーナの姿があった。
「……すごい、綺麗……」
「えっ」
ハオシェンと同様、ディスプレイに目を奪われたルフィーナは瞳を輝かせ、感嘆のため息を漏らしていた。そんな彼女の様子を見たのは初めてであったアルロは、思わず戸惑いの声をあげる。
今、アルロの目の前にいるルフィーナの表情は、あの日、アイヴィーたちと共にアイドルライブの劇場を訪れた時に見た、多くの参加者たちのそれに似ていたからだ。
「あの、ごめんなさい。私、もうちょっと近くで見てきます!」
「え、あ……うん」
沸き起こっていた歓声が静まり、大勢の人間が食い入るように見ている中央のステージまで、パタパタと走り去るルフィーナの背中を、アルロは黙って見送っていた。






