35.未知の空間
湧き上がる歓声。
響く振動が空気を通して伝わり、心臓が震えている。
「最後の曲、いくよーーーーッ!」
わぁああぁああっ
ライブ当日の本日。
今まであれだけ開錠に苦労していた扉を難なく突破し、劇場内に入ったアイヴィー達四人。開演前に、ライアンから案内された劇場後方の少し床が高くなっている所には、軽くフードを被って変装をしたレオナルドと、その傍に仕えるグレイソン。そして、アイヴィーとアルロの姿があった。
*
三日前。
専門棟の一室で明らかとなった「例の教団」の実態。
説明後、緊張感は解け始めたのだが、やはりどこか理解できないといった様子のレオナルド達に向けて、ライアンは「じゃあ、せっかくだし一回見に来るか?」と軽い口調で提案していた。三日後の集会に合わせて奇襲をかける、とまで言っていたレオナルドだ。その日は「例の教団」のために時間を確保していたこともあり、ライアンの提案に賛成した。
すると、ライアンはポケットからサッと小型の魔導具を取り出し、この場にいるメンバーの正面にかざした。その魔導具から、ポゥ……淡い光が放たれた。
「よし、これであの場所に入れるぜ」
おそらく教団の集会所……だと思われていたライブ会場の扉を開錠するために、私たちの生体データを読み込んだのだろう。小さな魔導具を指先で動かし、サクサクと登録を済ませたライアンは清々しいほどの笑みを浮かべていた。
「……僕はいいよ」
「え」
アイドルのライブ、というものが一体どういったものなのか。口で説明するより、実際に見に行ったほうが分かりやすい、と話もまとまったところで、テオドールはそっと辞退を申し出た。
「僕よりも、アルロにも知らせてあげた方がいいんじゃない?」
……確かに。
テオドールの指摘を受け、専門棟を出た先でルフィーナと話していたアルロを見つけたアイヴィーが、声をかけたのだった。
*
「~~~~♪~~♪」
「わぁああああぁっ!」
「かわいいーーーーっ!!」
「カーノーン!カーノーン!」
椅子などはなく、基本スタンディングで行われているこのライブ。入場してきた他の観客たちは皆、出来るだけステージの近くで見たいと前方へ間隔を詰めて並んでいる。そのため、アイヴィー達が立つこの後方は、比較的空間に余裕があった。
「…………これは」
爆音と湧き上がる歓声と熱気で、空間全体が振動している。この重く響く音をダイレクトに肌で感じる音楽というのを、おそらく初めて味わったであろうレオナルドは、感嘆を吐いていた。
舞台上で歌って踊っている女の子たちに注がれる視線。何色もの光が舞う場内。何もかも初めて見る光景を前に、アイヴィー以外の人間は呆然としている様子だ。
「あ」
どうやら、レオナルドが件の知り合いの女の子を見つけたらしい。隣から聞こえてきた声と同時に、舞台上で歌っている女の子の一人が、一瞬目を見開いてこちらを見た。しかし、サッと視線を外し、踊りと歌を続けていた。
すごい……プロ根性だ。
アイヴィーがふと反対側を見ると、隣に立つアルロは珍しく目を細め、どこかいつものような覇気がない。
「どうしたのよ」
「いや……。これに親父と兄貴が大金をつぎ込んでいたんだなぁと」
「…………」
アイドルにハマるというのは、単に歌や踊りに惹かれるからだけではない。あの教室でライアンも口にしていたように、彼女たちのパフォーマンスを受け、彼女たちの笑顔を見て、思わず自分も笑顔になったり、幸せな気分を味わえたり、元気を貰えたりする。
歌や曲以外にも、視覚的感覚的に、心のうちにあるモヤモヤを解消してくれたり、疲れた心を癒してくれる効果もあるのだ!多分!
毎日、自分の好きなものに正直に真っ直ぐ生きているアルロ。そんな彼とは正反対の性格をしているらしいあの二人には、余計、一度踏み込んでしまったこの世界に歯止めが利かず、飲み込まれて行ってしまったのかもしれない。
この反応を見るに、アルロには全く刺さっていないようだが……。
──きっとあんたのお父さんとお兄さんの心には、とんでもなく響いたのよ!
小声でアルロと話し終え、スッと前を向き直ったアイヴィーは、ふとレオナルド側からの視線を感じた。
「?」
「…………」
首を向けると、こちらを見ていたグレイソンと目が合った。ぱちり、と大きく瞬きをした後、控えめに笑ったアイヴィー。しかし、グレイソンは何も発することなく顔を前に戻してしまった。
「……?」
なんだろう……。
*
「なんか……未知の空間って感じだったな」
ぼそり、とアルロが言った。
ライブが終了し、本日参加していた観客たちが、興奮冷めあらん様子で近くにいた同士達と語り合いながら会場を後にしていく。先ほどまで大勢の人が溢れかえり、歓声と爆音、そしてそれによる振動で湧き上がっていたこの場所は、今はアイヴィーたち数人だけを残している。静かになったこの広い空間は、ガランとして少し寂しさを感じるが、どこか数十分前までの熱気と余韻を残している。
「ちょっと!なんでここにレオが居るのよ!」
パタン、と扉が開く音が聞こえた。直後、ステージ近くの扉から、先ほどステージで踊っていた女の子の一人が駆けて来て、レオナルドに詰め寄った。
「……君の様子がここ最近おかしいからと、仲間たちが心配していたんだよ。カノン」
──ぶっちぎり一位の子だ……!
でも、レオって……。
借りにも、一応、皇太子であるレオナルドにタメ口……。
アイヴィーはレオナルドにかなり親しい様子で話しかけている、売り上げぶっちぎり一位のカノンに、静かに驚いていた。しかし、そんなカノンの態度を咎める様子は全くなく、当然のように受けていれて答えているレオナルド。
──本当に、平民の人たちとこんな風に交流を持ってたんだ。
今まで、貴族間での皇太子殿下としてのレオナルドしか見たことがなかったアイヴィーは、目の前のこの新鮮な光景に思わず目を奪われていた。
すると、レオナルドの後ろを覗き込むように、ひょこっと顔を出したカノンは、アイヴィーを見てあっと声を上げた。
「もしかして!リオプロデューサーさんがよく話してるお嬢様?」
「え」
「おい、俺はいいが彼女は貴族だ。態度を考えろ」
レオナルドに対する時と同様、弾けるような声をあげアイヴィーの方へと近づいてきたカノン。そんな彼女を、レオナルドはやんわりと窘める。
「あっ、すみません……」
「いえ、私にも構わず、普通に接してもらって大丈夫ですよ」
「ほんとですか!分かりました!」
──……素直な子だ。
というか……。
アイヴィーは振り返って、会場中央にある別の扉からいつの間にか入ってきていたライアンに、ニヒルな笑みを見せる。
「……何ちゃっかりプロデューサーって呼ばせてんのよ」
「何事にも形から入るのは大事だろ」
ライアンは何食わぬ顔でケロッと答えた。
「それにしても凄かった!演出も全部先生が考えたの?」
「……お~~」
今度は少し、照れ臭そうに答えたライアン。
先ほどのライブ、女の子たちのダンスも歌もビックリしたのだが、なによりライブ中の演出にアイヴィーは感動していた。
暗くなった会場内を、何色もの光の線が駆け巡り、ステージ後方からは白い煙がもくもくと溢れていた。歌詞に合わせて、パラパラと雪が降り積もるかのように、キラキラした小さな紙が天井から散らされた。曲のサビや盛り上がりに合わせて、爆音とともにステージの端から炎や水飛沫が噴き出る演出。最後のは、おそらく安全性も考えて幻術が使われているのだろうが……。まるで前世で見たそのまんまのライブ演出を、まさかこの世界で見ることができるとは思っていなかったアイヴィーは、内心酷く興奮していたのだ。
「最初は、ここまでじゃなかったんだけどなぁ」
初めは、ステージに立つ女の子のイメージカラーに合わせて、その子のパートには同じ色の光で会場内を照らせるよう、様々な色の光が出せる魔導具を考え作ったと言うライアン。
「でもなんか、やってくうちにそういやアレも、あっコレも、って気づいたら」
ここまでの規模の演出になっていた、と。
「リオプロデューサーはすごいんですよ!それ以外にも、毎回違った衣装を用意してくれて、今日の衣装も新しく作ってくれたんです!」
かわいいでしょう?と、その場でくるりと回って見せたカノン。その表情は本当に嬉しそうで、彼女がこのアイドル活動を心から楽しんでいるのが感じられた。
「本当にかわいいわね、衣装のデザインも先生がしたの?」
「いや、衣装は別に任せてるやつがいるよ」
たまに、デザイン案としてラフは描いたりするけど。と言ったライアン。
この男も心底楽しんでやっているな。本当に。
どうやらカノン以外にも見知った顔がいたようで、レオナルドは舞台付近に集まっていた女の子たちの元で話をしている。その中の一人の女の子がライアンを呼んだ。「おー」と返事をして、彼女たちの元へ行くライアンの背中をアイヴィーは見送った。
──ん?
ふとステージ奥に目をやったアイヴィー。
ライブ中は後方の壁際で目を細めていたアルロが、いつのまにか舞台上に上がり、先ほどのステージ演出に使われたのであろう魔導具を、まじまじと様々な角度から見つめている。
ん~~この自由空間!
「…………」
でも……まさか。
──この世界でこんな光景を見ることになるなんて、思わなかったな。
口元を緩めたアイヴィーは、辺りを見回すよう頭を動かした。そして、その視界の端で捉えた光景に、全ての思考を奪われた。
──────!!!!!
ライアンと話しているレオナルドの奥。壁際でぶっちぎり一位の子が、グレイソンに手を伸ばしてる!そして、それを避けるように身を引きながら、手ではらうような仕草をしている推し……!!
「…………ッ」
なんだこの、まるでソシャゲのSSRカードの、メインの子の後ろの方に映っている他キャラ同士の絡みのような光景は……!
──この一枚で、妄想がすごい……捗るやつ……ッ
アイヴィーは心の中で手を合わせた。
この光景は、脳内のNEWフォルダーに大切に記憶しておこう。
は~~。それにしても、あのカノンちゃんという子。レオナルドと交流がある仲間だというのは分かったけど……グレイソンとも関わりがあったんだ。そっか。幼い頃からレオナルドと共にいたのなら、グレイソンとも一緒にいたりしたのかな?
グレイソンの幼少期……。
──っく……!
いいなぁ……!
き、聞きたい……知りたい……ッ!
────、────ッ。
アイヴィーが己の欲と戦いを始めた、その時。
脳裏に何かが駆け巡った。
「…………?」
ぱち、と目を開き、一点を見ながら思考する。
「なんだろ……」
あごを指で挟みながら、考える。何かを思い出せそうで思い出せない妙な感覚に、下唇を軽く噛み、眉間に小さなしわを作るアイヴィー。どれくらいそうしていたのか、アイヴィーがふと顔を上げると、後片付けも終わり、お開きだと外に出るよう呼びかけられていた。
足を進め、扉へと向かう。その途中も、先ほどの感覚について思考していたアイヴィーは、横から感じた誰かの視線に、ふっと顔を向けた。
「…………」
推しだ。
あの後、カノンちゃんの手から逃れることができたのだろうか。グレイソンが、少し首を傾けながらこちらを見ている。そして、一度視線を外した後、ゆっくりと真顔でこっちへ向かってくる。
「!」
すぐ目の前で立ち止まったグレイソンは、アイヴィーの頭にトンッと軽く手をのせた。
「……ッ」
「ついてる」
思わず背筋を伸ばしたアイヴィーに、そう言って頭に乗せていた手をすぐに浮かせたグレイソン。
目の前で開かれたグレイソンの手から、ハラリと一枚の小さな紙が落ちる。何となく反射で手を出して、ヒラヒラと舞い落ちるそれをキャッチする。
キラキラと光る紙。
さっきのライブで、演出として使われていた紙吹雪だ。
──いつからついてたんだろ……。
「……ありがとうございます」
グレイソンは、他人に虫がついていようが、鳥の糞がついていようが、ゴミがついていようが気にしないタイプだと思ってたけど……。
いつもとは違う、初めての体験であっただろうこの空間で、こんなにキラキラしてるものが視界に入っていたら……さすがに。
「気になったのかな」
アイヴィーに礼を言われた後、スッとレオナルドを追うように扉を出ていったグレイソンを見て、ぽそりと呟いた。
「ふふ」
「機嫌なおった?」
指先で摘まんだ紙を見ながら、笑い声を漏らしたアイヴィーは、扉を出てすぐ、外で待っていてくれたベルの声にハッとする。
「なおってない!」
「…………」
「いや、まって、違う。機嫌とかそういう事じゃない!」
あれから、何か隠し事をしているベルとアイヴィーの間には、妙な空気が流れていた。
一体ベルは何を、誰を、隠しているのか。
ベルを見るたび、それが気になって仕方がないアイヴィーは、彼に常に熱い視線を送っていた。
「そんなに、ガン飛ばさないで」
長い間アイヴィーと共に過ごしてきたベルは、時折こういったアイヴィーが使う言葉を真似して口にする。ムムム、とねちっこい視線を送れば、ベルは少し困ったような表情を浮かべる。
「もう少ししたら、話す……」
「なんで今じゃダメなの?」
「……心の、準備が」
心の準備って何⁉ 余計に気になるじゃん!
「悪いことは……してない、よね?」
「………………う、ん」
「間!!」
不安になる間!!
ベルの手をとり、馬車へ乗り込んだアイヴィー。不自然に視線を逸らして窓の外を見つめるベルに、アイヴィーは再びジッとしつこい視線を送っていた。






