32.いい夢を
「なぁ、どうしてなんだ」
ハオシェンが正面から、アイヴィーを挟んでソファーに手を置き、追い詰めるように問いかける。
──な
な、に。
今、アイヴィーの目の前に居るのは、本来は知るはずのなかった人間が口に出してしまった未知の錬金術に、目をぎらつかせている男。まるで獲物を前にした獣のようなその雰囲気に、息をのむ。
「君はとても興味深い」
先ほどまで、新しいおもちゃを手にした子供のような陽気さを放っていた人間とは思えない、大人の表情をしてそう言ったハオシェン。
この、雄感……。
──ギャ、ギャップがすごい……。
原作で知っていた彼とは違う一面を目の当たりにし、アイヴィーが間の抜けた表情を晒していたその時、ガチャリと扉が開く音がした。目を向けると、そこにはティーセットのせたワゴンに手を置いたレーラが立っていた。
「え……あ。ご、合意ですか?」
ソファーを背に追い込まれているアイヴィーにを見て、恐る恐る口を開いたレーラ。アイヴィーは首を振りながら「いえ……」と、そんなんじゃない、と伝えようとする。しかし、ピクリと反応し、少し表情をこわばらせたレーラは、こちらへ向けて手のひらをかざした。
──えっ。え?!ちょっとまって!?
ボゥッ、と音を立ててレーラの手のひらから爆炎球が放たれる。
──おいおいおい!?
以前見たそれよりも、いくらか勢いもパワーも増しているように見える爆炎球に、アイヴィーは思わず慌てふためく。しかし、レーラへと視線を向けたハオシェンはスッと左手をそちらへ向け、術式分解魔法を展開する。手に触れる手前でボフッと威力が弱まった爆炎球を見て、ハオシェンは「ほぅ」と楽しそうな声を漏らした。
「今のは君が考えたものか?」
「え……!?」
いつのまにかアイヴィーの前から下り、レーラの方へと向かっているハオシェン。戸惑うレーラに、根掘り葉掘り今の爆炎球について質問している。
術式分解魔法は、相手が放った術式を正確に理解して、逆式魔法を展開しないと、完全に消失はさせられない。
今レーラが放ったのは、それ一つの単体魔術ではなく、いくつかの魔法を組み合わせた複合魔術。それに加えて、ベルの指導も加わった彼女の魔術は、以前よりもレベルが上がっている。それを一目見ただけで理解できるハオシェンはやはり只者ではないのだが、それでも自身が完全に打ち消す事ができなかった魔術に、かなり興味を抱いているらしい。
「……ふぅ」
魔術マニアと錬金術マニアが出会ったことで、ハオシェンの質問責めからなんとか逃れることができたアイヴィーは、ほっと溜息をこぼした。
「すごいな、てっきり火と風魔法の組み合わせかと思ったのだが、重力魔法も組み込まれていたのか。なるほど、だから勢いが通常のものよりも早かったのだな!」
「あ、はい!そうなんです!それは……!」
……。
…………。
………………それにしても、長い。
2人のトークは、とても白熱していた。
「ふぁあ……」
──眠くなってきた。
もう2人で話しててくれないかな。部屋行って寝ていい?
瞼が重くなってきたアイヴィーの漏れ出た声に、ハッとした様子でレーラが振り向いた。
「あ!お嬢様!申し訳ありません!つい夢中になって、ってあぁ……ッ、お茶がすっかり冷めてしまいました!」
「大丈夫よ。でも今日はもう遅いし、ハオシェンさんにもお休みになってもらった方がいいのではないかしら」
「はい!では、ハオシェンさんはこちらでお待ちください。後ほどお部屋まで案内する者を連れて参ります。」
「あぁ」
レーラが扉を開け、持ってきていたワゴンを引きながら部屋を出ていく。その間、アイヴィーとハオシェンは軽く挨拶を交わす。
「先程はすまなかった、つい好奇心を抑えきれず」
「……いえ」
「おやすみ、いい夢を」
レーラに続いて部屋を出ようとしたアイヴィーに、ハオシェンが近づいてきて、頬にキスをした。
──……あのキャラ、あんなんだったっけ。
部屋を出て、自室へ向かう廊下を歩きながらアイヴィーは考える。
──原作ではこんな風に他人と絡む日常シーンはそんなになかったし、描かれてないだけだったのかも。
極まっていくオタク達の中には、原作で描かれていないエピソードとエピソードの間を考えて楽しむ者がいる。原作では詳しく描かれていない部分の、キャラクター同士の掛け合いや、出来事。それらを考察したキャラクターの性格や世界観、状況を元に妄想する。
ストーリーの行間を読むのが好きなのだ。
アイヴィーもそのタイプだった。だか、それは、そこに登場するキャラクターやストーリー自体に興味がなければ、行われる事はない。アイヴィーは特段、このハオシェンというキャラクターに思い入れはなかったため、推しであるグレイソンほど考察も妄想もしていなかったのだ。
……まぁ、でも。原作で読んだ彼と、実際に向き合って会話した今の彼を合わせて考えると、自分の知らなかったことや興味のある事には、錬金術以外にもグングン突っ込んでいくタイプにみえる。
この国では親しい人同士では、別れの挨拶で頬にキスすることは珍しくはない。アイヴィーもテオドールが領地へ向かう時にやっていた。その時は、軽く拒否をされてしまったのだが……。
きっとハオシェンのことだ。
この国の魔術や魔導具に触れていく中で、この国の人々の風習も観察して真似ているんだろう。
──完全なる錬金術バカだけど、柔軟性のある人なんだよね。
郷に入れば郷に従うというか……と、そんな事を考えながら自室の前に到着したアイヴィーは、扉を開けた瞬間、肌をかすめた少し冷えた空気に、思わずぱちりと目を見開いた。
「え」
確かに閉められていたはずの窓が開いている。カーテンを膨らませながら流れてきた風が、アイヴィーの髪をふわりと揺らした。そして、その端には人影がある。
おそらく窓から侵入したであろう、グレイソンがそこにいた。
──な、なんで!?
ど、どうやって……!?
カチャ、と控えめな音を立てて扉が閉まる。
「…………」
どれくらいの時間か、言葉を発せずただお互いを見つめあった。
その時、コンコンと扉を叩く音が聞こえた。
「おじょ~さま~?」
ルイスだ。
ハッとしたアイヴィーは、軽く首を動かし、背後の扉を見る。
「もう戻られました~?ちょっとセキュリティ反応したみたいなので、窓だけ確認したいんですけど……」
ま、まずい。この状況はまずい。色々とまずい。
こんな時間に推しがここに居るのを見られるのもまずいが、グレイソンと対峙してルイスの本性を知られるのもまずい。
焦り始めたアイヴィーを前に、グレイソンが出ていこうと窓枠に手をかけた瞬間。
バチッ
グレイソンの手は勢いよく窓から弾かれる。
ハッ!そうだった!
アイヴィーはルイスが「以前よりも邸内のセキュリティレベル上がってる」と言ってたのを思い出す。
『外からの侵入を防ぐのもですけど、一旦入ったら簡単には出られないようにしたみたいです。』
「…………」
「……」
二人は互いに窓に視線を向けたまま、無言で立ち尽くす。
「あけますよ~~?」
「え、あっちょっとまって!」
ルイスの声にハッとしたアイヴィーは、慌ててグレイソンの手を掴んだ。
「っおい」
アイヴィーが「もういいわよ」と言えば、ふぁあ、とあくびをしながら入ってきたルイス。
「また何やってたんですかも~。窓開けっぱなしだし」
眠いのに……と文句を言いながら、空いている窓の元まで向かい、鍵を閉めたルイスはアイヴィーに視線を移す。
「…………」
「……なに?」
ベッド前で、わざと片手を庇うようにして立つアイヴィー。不自然な笑みを浮かべながらルイスと向き合えば、ルイスは半目でじっとこちらを見ている。気づかれたのか。冷や汗を流すアイヴィー。
「またそんなことして」
「……へへ」
ルイスはベッドふくらみを見て、ため息をこぼした。「次は旦那様に言いますからね」と言ったルイスは、もう一度あくびをして部屋を出ていった。ドアが閉まり、足音が遠ざかったのを確認したアイヴィーは、ふぅ、と息をついてシーツをめくった。
「もう大丈夫ですよ」
「…………」
あの時、グレイソンの手を握ったアイヴィーは、自身のベッドに隠れるように促していた。
シーツの下で、ぬいぐるみに埋もれながら不満げな顔を向けるグレイソンに、アイヴィーは以前も何度か夜中に抜け出した際、まるで何事もなく眠っているかのようにベッドに細工をしたことがあるため、これが一番疑われず安全だったと説明する。
「それに、クローゼットは防犯対策で登録されてる人以外が触れれば、あの窓と同じように弾かれます」
「……だったらなんでベッドにそれをしてないんだ」
寝てる時に命を狙われる方が危ないだろう、と言ったグレイソンにアイヴィーは、はっとした表情をした後、口元に手を持っていき「確かに……」と呟いた。
言われてみれば、なんでだろう。
そんなアイヴィーの様子に、はぁ、と息を漏らしたグレイソン。
「それで、何の用だったんですか?」
何か用があったから、わざわざこんな時間にここへ来たのでしょう?と言ったアイヴィーは、ハッとした様子で続けて問いかける。
「急ぎの用ではないんですか?」
「?」
以前、グレイソンが公爵邸へ侵入した時は、アイヴィーから早急に引き出したい情報があったためである。耳元で「急いでいるんだが」とささやかれた記憶が呼び覚まされたアイヴィーは、顔が熱くなるのを抑えながら、状況を説明する。
新しく強化されたこの公爵邸のセキュリティは時間指定魔術がかけられており、今の季節だと朝日が昇ってからではなければ、あの窓の魔術は解除されない。それを聞いたグレイソンは、ピクリと反応して眉間にしわを寄せた。
「あ、でも魔術解除はできませんが、最悪破壊はできるので大丈夫です」
物騒なことをサラッと言ったアイヴィーに、何が大丈夫なのか、と目を細めるグレイソン。
「なので今回はいいですが、もうここへ来てはいけません」
「…………」
まっすぐと目を見てそう告げたアイヴィーに、グレイソンはしばらく無言で視線を送っていたが、やがて、スッとアイヴィーの顔に手を伸ばす。
──!?
グレイソンの表情は変わらず、アイヴィーの頬に触れた指先が、耳元の髪を絡めとる。
──なんで!?今、このタイミングで!?
まるで、以前教室の窓際でされたハニトラのようなグレイソンの仕草に、アイヴィーは混乱する。そんなアイヴィーの心情はお構いなしに、グレイソンは自身が手を添えている所をジッと見つめている。
「~~~~……ッ」
意を決したアイヴィーは、グレイソンの手を両手で掴み、ゆっくりと髪から外した。
「こんな事しなくても、協力できることは話しますから」
「……わかった」
相変わらず無表情のグレイソンはそう呟いた後、いくつかの質問をしてきた。そして最後にハオシェンの話になり、アイヴィーはふっと笑いながら「相変わらずあの調子で元気ですよ」と伝えた。
どうやら今回は、早急に持ち帰らなければならない情報はなかったらしい。
「では、朝方に出ますか?」
「……窓を壊すわけにはいかないだろ」
グレイソンの返答に、一瞬驚いたような表情をしたアイヴィーは、大丈夫ですよ、と伝える。
「……ちょっと、叱られるくらいですから」
「…………」
視線をそらして澱んだ目でそう言ったアイヴィーを、じっと見つめていたグレイソン。スペンサー公爵を思い浮かべ、あぁ……、と納得する。
しばらくして、アイヴィーは、あ!と何かを思いつく。「だったら!」と言いながら、さっとグレイソンのすぐ傍まで移動してきたアイヴィー。そんなアイヴィーの行動に、無言で探るような視線を向けるグレイソン。彼の目の前に手をかざしたアイヴィーは、パチンと指を鳴らす。
直後、糸が切れたようにその場にパタリ、と倒れこんだグレイソン。それに一瞬、体をビクッと揺らしたアイヴィーだったが、そっと顔を近づけてのぞき込めば、瞳を閉じたグレイソンから、穏やかな呼吸の音が聞こえる。眠っている。
──おおっ
これは以前、アイヴィーが専門棟のあの部屋でライアンに使われた、精神干渉系の魔術。「お前なんか変なことに使いそうだからやだよ」と渋るライアンに、粘りに粘って術式を聞いていたアイヴィー。瞳を閉じ、完全に意識を手放しているグレイソンに、そっとシーツをかけ、ふぅ、と一息をつく。そして、自分は魔改造したソファーを倒して、ベッドの形状に近づけたそれに横になる。
──グレイソンの顔、まだ隈が残ってた……。それに、こんな時間まで働かされてるなんて、前世だったらとんでもないブラックだよ。
アイヴィーはスッと体を横に向け、推しが寝ている自分のベッドを見る。
健やかに眠る推し。シーツは毎日取り替えて綺麗にしてもらってるし、今日はまだ、私はベッドに入ってない。
へへ。
推しに、ふかふかお布団で寝てもらっちゃってる。
推しにはあったかい湯船に浸って、美味しいご飯を食べて、ふかふかの布団で寝てもらいたいっていう、前世の夢がまたひとつ叶っちゃったなぁ……。
アイヴィーは、幸せを胸に感じながら、スッと目を閉じ眠りについた。
*
明け方。
外はまだ仄暗く、ほんのりと室内の様子が見えるほどの明るさの中、グレイソンはゆっくりと瞼を開けた。
「……?」
いつもと違う天井と感覚に、むくり、と上半身だけを起こし、状況を確認する。
「ん……」
身じろいだアイヴィーの声に反応し、少し離れたその場所に顔を向ける。
──なぜ俺がベッドにいて、こいつはソファーで寝てるんだ。
ふと意識を手放す直前、自分の目の前に手をかざされた事を思い出し、何か魔術を使われたのだと理解する。グレイソンは、アイヴィーを見て顔をしかめる。しかし、パッと自身を見ても何かされた形跡はない。手元にある自分に掛けられていたシーツに視線を移したグレイソンは、少し前にあの路地裏で「ちゃんと寝てますか?」と言われたのを思い出す。
「…………。」
なんなんだ。
昨夜、意識が無くなる前の、アイヴィーとやり取りが頭をよぎる。
こちらを見て真剣な表情をしているアイヴィーの顔へ、そっと伸ばした右手。指先が頬に触れ、ふわりと耳元の髪を持ち上げる。あの日、病室で見た擦り傷は綺麗になくなっていた。
──確か、魔術師が治したと言っていたか。
何も発さず、じっと傷があった箇所を見ていたグレイソン。
やがて、そんなグレイソンの手をアイヴィーは両手でスッと掴み、髪から外した。
「こんな事しなくても、協力できることは話しますから」
視線をそらしながらそう言ったアイヴィーの顔は、先ほどよりもずっと赤みが増しているように見えた。
──……
ベッドからそっと足を下ろし、腰を浮かせたグレイソンは、アイヴィーが寝ているソファーのすぐ前で立ち止まる。すぅ、と穏やかな寝息が聞こえる。病室で見た、痛々しい彼女の姿とは違う、傷のない綺麗なアイヴィーの寝顔。
グレイソンの背後から照らす明かりが、徐々に強くなり、やがて部屋の中を鮮明に映し出す。
「…………」
チュンチュン、と窓の外で鳥の鳴く声が聞こえる。
ふわりと流れてきた、まだ少し冷たい朝の風がアイヴィーの肌をかすめ、さわさわと穏やかに髪を揺らしていた。






