31.交渉失敗
公爵邸二階の廊下。
柱の出っ張りの陰にそっと屈むよう腰を下ろす二人がいた。
「ねぇルイス」
「なんですか?」
「もし私が、貴方を巻いて自由に行動をすれば、貴方は職務を全う出来てなかったってことで、お父様に怒られるんじゃない?」
「え……」
私は自由に動きまわれる。ルイスはほんのちょっぴりお父様に叱られる。お互い良い思いしかないよね?と提案を持ち掛けるアイヴィーに、ルイスは瞳をきょるんとさせている。
「お嬢様……」
ン……?なんか視線が微妙に合ってない、ような……。
途端、背筋に感じた悪寒。すぐ真後ろに何かの気配を感じたアイヴィーは、ゆっくりと首を動かした。
「楽しそうな話をしているな」
──ひ……ッ
「ルイス」
低く響くその声に、この場が支配されたのを感じる。
「わかってるな」
「はい」
スペンサー公爵の声に、いつの間にか立ち上がっていたルイスは、瞳を閉じて忠誠のポーズをとっていた。
スペンサー公爵が去って行ったのを確認したルイスは、ふっと振り返りながら言った。
「駄目ですよ、お嬢様」
「え……」
「交渉を持ち掛けるときは、きちんと周りの状況を把握してからじゃないと」
いつものように、ニコッとあどけない笑みを浮かべながらそういったルイスに、アイヴィーは力なく頷くのだった。
「イタ!」
「うおっ、びっくりした」
柱から微妙にはみ出していたアイヴィーの体の一部に、背後から歩いてきた誰かの膝が入った。
「何してんだ。そんなとこ座って」
アルロだ。
いたたた、と膝が当たった所を押さえながらアイヴィーが立ち上がれば、悪かったな、と軽い謝罪をしたアルロ。おそらくスペンサー公爵から指導を受けていたのであろう彼は、アイヴィーを見て、はっと口を開けた。
「あ、そうだスペンサー。言いたいことがあったんだわ」
「なに」
またルフィーナさん関係の話か?
「お前、野外はよくないだろ」
「何の話よ」
「この前の街での路地裏の話だよ」
少しだけ眉間にしわを寄せながら、そう言ったアルロを前に、アイヴィーは、あぁ……。と思い出す。
「見つけたのが俺だから良かったけどよ」
他の奴だったら今頃、派手に拡張された噂流されてたぜ。と言うアルロ。そういえばあの日、路地裏で推しと一緒にいるところを見られていたな。……他のやつも何も、わざわざ誰もあんな、平民達が好んでよく訪れているお食事処の脇道を徒歩で歩く貴族なんて居ないわよ。「残念ながら、あなたが思ってるような関係じゃないわよ」としれっとした態度で答えたが、そんなアイヴィーの声はアルロには届いていない。
「俺だって本当はめっちゃ話したかったけどさ」
瞳を閉じて腕を組み話始めたアルロに、アイヴィーは目を細める。
「スペンサーには色々助けられてるし?でも、俺の固い口に感謝した方がいいぞ」
何様だ。
「アンタまだ花とか渡し続けてんの?」
「え?なに?気になる?知りたい?」
「いや全然」
これ以上この話題を話されても面倒だと感じたアイヴィーは、露骨に話をそらしてみる。しかし、こっちの話題もこれはこれで面倒だったなと気づき、顔を背けようとしたところで、あ、と思い出したようにアルロに向き直る。
「ねぇアルロ、貴方にお願いがあるのだけど」
「なんだよ」
アイヴィーが小声でアルロに話している様子を、数歩離れた場所からルイスはニコニコと見守っていた。
「え、やだよ!てか何で知ってんだよ」
アイヴィーの話を聞き終えたアルロは、声を張り上げた。そんなアルロに、フンッといった表情を見せるアイヴィー。さっと一枚の白い布を取り出し、アルロの目の前に見せつける。
「これ、なんだと思う?」
「何って、ハンカチだろ」
「えぇ、これはハンカチよ。随分と綺麗な刺繍があると思わない?」
「…………な……、に」
そ、それは、まさか。と震えるアルロ。
そのハンカチに刺繍されている柄に、アルロは確かに見覚えがあった。
「実はルフィーナさんからアルロに大切な託を預かっていたり」
「なに!?」
「あれ……何か思い出せないかも……。さっき頼んだものが手に入れば思い出せる気がするんだけど」
「変な小芝居すんなよ!やるよ!もう!」
先ほどまでは絶対に嫌だと言っていたのに、ルフィーナさんの話になれば、ここまで変わるのかというアルロの返事に、アイヴィーはニコッと微笑んだ。
*
「すごい!この部屋も!ここにも!こんなにも魔術結界が施されている!」
「見ただけで分かるんですね」
「もちろんだ!」
数日後。
レオナルドから聞いていた通り、皇宮からの通達があった後、スペンサー公爵邸を訪れたハオシェン。馬車を降りてすぐ、魔術が施されている扉や窓を見たハオシェンは、キラキラと目を輝かせた。
「本当にすごいな、外からの遮断の他に……内側にも術がかけられているのか」
軽く握った拳を鼻の下に当てながら、ぐっと窓に顔を寄せるハオシェン。
「ここはまるで、軍事要塞か牢獄施設のようだ!」
「…………」
振り返りながらにこやかに言ったその言葉は、ハオシェンの心からの感動を口にしたものであったが、アイヴィーは軽く目を細めて微笑んでいた。
やっぱりそう見えるのか。
公爵邸の執事に一頻り屋敷を案内されたハオシェンは、「よければお食事をなさいませんか」という提案に、大きく頷いた。
食堂へ入り、席に着いたハオシェンは、運ばれてきた料理を目の前にして目を丸くした。
「これは」
テーブルに並べられているのは、いつもの洋食ではなく、ここにいるほとんどの者はあまり見たことがない、しかし、アイヴィーにとってはなじみ深い、中華と和食。
「ハオシェン様は東の国からいらしたという事で、本国の料理とは異なるかと思いますが、東洋から仕入れた調味料を使い、準備させていただきました。」
「…………」
「どうぞ、お召し上がりください。」
驚いた様子で、そっと食事に手を付けるハオシェン。
「う、旨い!」
ハオシェンは一口、料理を口に運んですぐ、ギュッっとスプーンを握りしめた。
「このスープは、私が修行で訪れた地で食したものとそっくりだ。とても旨くて記憶に残っていたのだが、まさかここで味わうことができるとは」
「お口に合ったようでなによりです」
アイヴィーはそう言うと、ハオシェンを見てニコリと笑った。
──アルロに感謝ね。
日頃から、他国の珍しいものに興味があり、露店や旅商人から珍しいものを見つけては買い集めていたアルロ。最近は、各国の珍味やレシピ、調味料がブームだったらしく、ちょうど東洋のものも持ち合わせていた。先日、アルロに伝えたルフィーナからの言伝。それについて彼女から話を聞いている際、アルロのそんな話題が出たのだ。そして、調味料と共に譲ってもらったレシピを使い、公爵邸の料理人たちに掛け合い、本日の特別メニューを完成させていた。
次々に出される料理を、旨い旨いともりもりと平らげていくハオシェン。吸い込まれていく圧倒的な料理の量に、共に席についていたスペンサー公爵は、薄く口を開けて固まっている。テオドールは、初めて見る異国の料理を、恐る恐る口につけている。その姿に、小さい子が嫌いな野菜を震えながら口に運ぶ姿を思い出したアイヴィーは、胸をきゅっとさせていた。
やがて食事が終わり、別室でお茶でも飲みながら休憩しませんか、とアイヴィーが誘えば、ハオシェンはパッと明るい表情でその提案を受け入れた。
「君とは、もっといろんな話がしてみたかった」
そう言って笑いかけるハオシェンに、アイヴィーも最近久しく見せていなかった、完璧令嬢の美しい笑みを浮かべる。
アイヴィーはそこで、本題──自分の記憶だけでは再現が難しかった術式の話を持ち掛けようと決めていた。
案内されて入った部屋で、アイヴィーはハオシェンと向かい合う形でソファーに座り、談笑を始めた。この国に訪れるまでに回った様々な国。出会った人々や料理の話から、そこで起こった事件や事故。そして、彼の扱う錬金術の話になったところで、アイヴィーはさりげなく切り込んでいく。
「そういった場合は、あえて同じ属性魔法を展開したりするのでしょうか」
「え?」
「例えば、一度放った魔術を空中分解させて組み替えたり、とか」
「……あぁ」
アイヴィーの発言に、一瞬瞳を大きくしたハオシェンは、指先を鼻の下へあて、ふむ、と考える。
「できなくはないな…………しかし、」
ハオシェンは、スッと上げた顔の先に、アイヴィー捕らえる。
「なぜそれを君が知っているんだ?」
え……。
ハオシェンの声色が変わった。先ほどまでの朗らかな雰囲気から一変したこの空気に、アイヴィーは思わず背筋を伸ばす。
「それはまだ、私の頭の中の……空想段階のものだ。誰にも見せたり聞かせたことはなかった」
──あ……しまった。
「この建物にかけられてる多くの魔術は、ここで働く術者が施したものだと聞いた。だが、どうやら扉にかけてある、あの小難しい術式を考えたのは君と言うではないか。」
ハオシェンはゆっくりと立ち上がり、歩き始める。
「それに、食事もそうだな。」
二人の間にあったローテーブルを回り込む形で、アイヴィーのすぐ目の前まで迫るハオシェン。
「私は東の方からきた、大雑把にしか話していなかった。だが君はあの大陸の中で見事に私の故郷であったり、訪れて気に入った料理を準備していた。」
片手をソファーに置き、じりじりと上半身を倒しながら距離を詰め迫りくるハオシェンに、アイヴィーは思わず身を仰け反らせる。
「今考えれば、初めて会ったあの街でも、君が勧めた店に私の好物が多く揃っていたのも、偶然ではないのかもしれないな。」
「…………ッ」
もう片方の手も、アイヴィーを挟む形でソファーの背もたれへ置いたハオシェンを前に、逃げ場を失う。
「なぁ、どうしてなんだ」
──……ッ
正面から、ジッと視線を外すことなく、黄金にも見える琥珀色の瞳に捉えられたアイヴィーは、数度瞬きをして目の前の青年を見上げていた。






