22.疑念
「それで、グレイソンが!」
「へー」
その日、アイヴィーはライアンに自分の推しについての情報を植え付けていた。原作でのグレイソンのかっこよさは既に聞かせていたので、この世界での推しとの接点や今の関係性を伝えたのだが、グレイソンがハニトラしていたという話を聞いたライアンは珍しく表情を曇らせていた。
「……いいのかよ、それは」
「童貞厨の方が逆に珍しくない?」
初めて会った瞬間から、すでに十年来の友人かのように砕けた話をしていた、前世がオタクのこの二人。最近では遮音魔法を施していることをいいことに、前世好きだった作品などを語る中で、あまり外で口にすべきではない下ネタや際どい話題も増えていた。
「処女厨が多いそちらの界隈と一緒にしないでくれますか?」
「おい、言葉に気を付けろよ。主語がでかいやつは嫌われるぞ。」
おちゃらけたやりとりの後で、話は自分たちが好きだったCPやシチュエーションについてになった。
「まぁ俺は何人も経験してる奴が、いざ本命と結ばれた時に、なにこれこんなの知らない、ってなる奴が好きだけど。」
「わ、わかりみを禁じ得ないわッ」
思いの外、二人の趣向があっているらしく、アイヴィーは顔を両手で覆ってライアンに激しく同意している。
「10年でオタク界の日本語、クソみたいになってない?」
「……いつの時代も、どこの界隈でも、ヘンテコな言葉はある程度流行るものよ」
そしてそれは、あんたもよく使ってるでしょうが、と心の中で突っ込むアイヴィー。
存分にエモ……もとい、萌え語りができたことに満足したアイヴィーは、そういえば、と話を切り出す。
「今もこの部屋って、遮音・遮振魔法がされてるのよね」
「おう、外にはなんも聞こえてないぜ。振動すら。」
たとえどんな大声を出したとしてもな、と半笑いで答えるライアン。それは、この前のカラオケの事を言っているのか?
「なんかいい感じに、時間とかも外とは切り離してゆっくり流れるとかは出来ないの?」
「ンな、なんとかと時の部屋みたいなことはできねーよ」
相変わらず、器用に見た事の無い魔導具を弄りながら話に答えるライアン。今回のものは少し複雑な物のようで、大小様々なサイズの魔導具がいくつも並べられている。この前のものとは違うらしいそれは、アイヴィーが一体何の魔導具なのかと訊ねても、出来てからのお楽しみだ、と教えてもらえなかった。
「時間を操るってのは簡単じゃねーんだ」
カチャカチャと小さな部品を組み立てながら話していたライアンは、スッとそれを置いてアイヴィーの方へ体を向けた。
「まぁ今できるとしたら、意識操作で時間を早めるくらいだ」
「?」
それはどういう、と疑問を抱いたアイヴィーに、ライアンはゴソゴソとポケットから小さな時計を取り出した。
「いいか、今の時間を見てろよ」
「うん、見たけど……」
「いくぞ」
パチンッ
ライアンが指を鳴らした。
次の瞬間、微かに体の重心が前に動いた感覚になったアイヴィー。
「な、なに?」
「目の前の時計見てみ?」
その時計は、先ほど確認した時よりも10分ほど進んでいた。
「え⁉なにこれ!」
「意識操作でお前の意識を俺が掌握した。」
──え⁉
「だから今の10分間、お前は俺の意のままに操られていたわけだ。」
「え………」
なんて事ないように、とんでもない事をしれっと言い放つライアンに、驚きを隠せないアイヴィー。
「……何か変なことしてないわよね」
「ン〜〜?」
素知らぬ顔で作業に戻ったライアンに、グムム、と訝しげな視線を送る。
まぁこれでも飲め、と飲み物が入った小さなボトルを渡され、不審な目を向けていたアイヴィーだったが、丁度喉が渇いていたため黙ってそれを受ける。
ライアン。この世界で初めての出会った同じ境遇の前世の記憶持ちで、しかもオタク仲間だったから無意識のうちに信用してしまっていたけど、歴代最高の学力と魔術があって、こんなに簡単に精神干渉魔法まで扱えるなんて……もしかして結構、本当に危険な人物なのでは……。
「…………」
「はは、ンな顔するなよ。悪いことはしてねーよ」
からかうように笑うライアンを、ジッと見るアイヴィー。
読めない。
でも、そんな悪いヤツな気はしないんだけどなぁ。
結局、その後も日が暮れる手前まで話し込んでしまったアイヴィー。急ぎ足で専門棟から門までの距離を歩いていると、「あ!おーい!」と馴れ馴れしい声が聞こえてアイヴィーは立ち止まった。アルロだ。
「なぁ、スペンサー……お前なに貰ったら嬉しい?」
「?」
いきなりなんなんだ。
何の脈絡もなく、突然された質問の意図をアルロにきけば、「実は……」と照れくさそうに頭をかきながら話し始めた。どうやら、ルフィーナにハンカチをもらったらしいアルロは、そのお返しに悩んでいるとの事だった。
「普通に花とかでいいんじゃない?あと手紙でも添えれば」
「普通って何?どのくらいの大きさ?種類は?何色?どんなのがいいかな?」
「…………」
う、うざい……。
そもそも、なぜルフィーナさんはアルロにハンカチを渡したのか……。
「いや別に、大したことはしてないんだけどさ、気にしなくていいって言ってたのに、なんかずっと気にしてたみたいで……それで、今日これ、貰ったんだ」
「へぇ」
アルロが嬉しそうに、綺麗な黄色の花の刺繍が施されたハンカチを見せてきた。昼休みに渡されたハンカチに感動したアルロは、今の今までずっとそれを眺めていたらしい。
よく分からないが、アルロが何かルフィーナさんの助けになるようなことをしたようね。それで、そのお返しにルフィーナさんがハンカチを刺繍して渡した、と……。それにしても、すごく綺麗な刺繍ね。
アイヴィーは、そのハンカチを大事そうにたたみ、胸元にしまったアルロを見て言った。
「アルロ、目を閉じて」
「え……」
「早く」
突然のアイヴィーの発言に、アルロは戸惑いながらも目をつぶった。
「さぁ、ルフィーナさんを思い出して、イメージしなさい。」
「……ッ」
「今、彼女はどんな色のイメージ?どんな花を持って笑ってる?」
「……あ、……」
よし、今だ。
瞑想に入ったアルロから、ゆっくりと一歩ずつ離れ、その場を去っていくアイヴィー。
早く帰ろう。
アイヴィーが去っていったそこには、学園の敷地内で一人、目をつぶって立ちながら独り言を言っているアルロの姿が目撃され、彼の変人歴をまたひとつ増やすことになっていた。
公爵邸へ帰ったアイヴィーは、玄関先で久しぶりにスペンサー公爵と顔を合わせ、ギョッとする。
「最近、帰りが遅いらしいな」
「……申し訳ありません」
「学園内なら問題ないが、外に行くならルイスを連れていけ」
「行きません!いりません!」
スペンサー公爵の後ろに控えていたルイスは、公爵の発言にエッ、と切ない顔をした後、アイヴィーの拒絶を聞いてホッとした顔をしていた。スペンサー公爵の死角になっているため、自分にだけ見えるそのルイスの表情の変化に、アイヴィーは目を細める。
詳しくは知りたくもないが、ルイスにとっても、どうやら私より父についていた方が嬉しいらしい。私もルイスが居ない方が嬉しい。双方win-winな今の状態、出来るだけ現状を維持したい。
「……そうか」
スペンサー公爵は何やら考えていたようだったが、そう言って自室へと向かっていった。ホッと胸をなでおろす二人。
「お嬢様、元気そうですね!」
にこやかに嬉しそうな笑顔を向けてくるルイスに「あなたもね」と眉を下げながらアイヴィーは答えていた。
*
そして、翌日。
食堂にはアイヴィーとスペンサー公爵、テオドールの姿がある。三人でそろっての朝食はいつぶりだろう。それにしても、
「……なんだか最近、みんな明るくないですか?」
気のせいか公爵邸で働く使用人が、その中でも特にメイドたちの表情が、以前よりもずっと明るい気がする。
「あぁ、それはレーラだろう」
「レーラ……?」
公爵邸の侍女として働くようになったレーラは、一応アイヴィー専属という事になってはいるが、お互いの利害が一致しているため、空き時間は好きなことをするように、と別々に行動していることが多い。魔術大好きな彼女は、暇を見つけては魔術の勉学を進んで行っているし、ベルに新しい魔術を教えてもらっている時は、本当に楽しそうにしている。
しかし、そんな彼女が公爵邸のメイドたちを明るくしているとはどういう事なのだろうか。
「レーラは、手間のかかる使用人たちの仕事を、応用魔術を使って短縮化させ、負担を極端に減らしているそうだ。」
「へーー……」
既に食べ終わったスペンサー公爵は、アイヴィーがもぐもぐと口を動かしている間に、その詳細を教えてくれた。
「そうだな、最近では洗濯係から、風魔法と水魔法をうまく利用して、あっという間に大量のシーツを乾かしたという報告をきいている」
スペンサー公爵の発言に、なるほど、と納得するアイヴィー。以前、アイヴィーは、火の魔法と風魔法を組み合わせて熱風を起こして服を乾かすつもりが、調節が上手くできず丸焦げにしたことがあったのを思い出す。そうか、熱気で水分を吹き飛ばさなくても、水魔法で水分を集めればよかったのか。
「同じような魔法の組み合わせでも、使い手が違えば生み出される魔術も変わってくるな」
ン?
何のことか分からないけど、ずいぶん棘がある言い方ですこと。
そうなんですね!と、とぼけるアイヴィーを一瞥したスペンサー公爵は、スッと食後のコーヒーに口を付けた。
「今日も町ですか?」
「いや、今日は皇宮へ行く」
夕方には戻る、と言ったスペンサー公爵は、サッと立ち上がり、食堂を後にした。二人の会話を聞きながら黙々と食事をとっていたテオドールは、食堂の端にある、まだ幼かった頃にアイヴィーが水と風の魔法で作ったドリルで開けた、小さな穴に視線を向けていた。






