(6)
佐藤さんは手を両膝の上に置き、じっと仕出し弁当の容器を見つめている。
「で、今朝、この事務所の前で、確かにそのモッズコートの男を見たんです」
「……」
しばらくの間。俺は勇気をもって言ってみた。
「あの、俺、思うんですけど、北の国の。……その、拉致をしたりする人なんじゃないかって。レーダーや監視に見つからないように、ああやって上陸して、街に潜伏して、さらう人を探しているんじゃないかと」
佐藤さんが、仕出し弁当の容器に手を置き、俺の方を振り返った。
「そうかもなぁ。こわいなぁ」
「えっ?」
「北の工作員だとしたら、気を付けた方がいいからなぁ。夜はノックされても開けない方がいいなぁ。開けたら連れ去られてしまうからなぁ。絶対なぁ。開けたら北の国に連れていかれてしまうなぁ」
「ほ、本当ですか」
「北の工作員ならそうだなぁ。絶対ノックされても開けちゃだめだぁ。あと、今日はコンビニはもっと早く行っておいた方がいいなぁ」
すこし佐藤さんの表情が砕けて、笑っているようにも感じられた。
そして立ち上がると、弁当の容器をもって事務所の外の方に歩いていく。
「ああ、橋口さんも食べ終わったらこっちにあるケースにならべて返しといてなぁ」
「は、はい」
俺は頭の中が混乱して、残りの弁当を味わうことができなかった。
昼からは午前中の講習とテストとはちがって、一気に肉体労働になった。
鋼材を運んだり、土を掘ったり、掘った土を猫車に乗せて運んだり、トラックの誘導をしたり…… あらゆる雑用を手伝った。
日が傾くと、すぐに仕事は終わりになった。
事務所に帰ると、もう山岡さんはいなくなっていた。
着替えていると、佐藤さんが肩を叩いた。
「着替えたらコンビニいくかぁ、行くなら連れてくぞ」
「いきます。昨日は暗かったんで、あってるかも確認したいので連れてってください」
佐藤さんと俺は、着替え終わると、事務所を出て『防潮堤』に突き当たると、道を左に進んだ。
「橋口さん、レンジ持ってる?」
「いえ、昨日持ってきたカバンに入るだけが引っ越し荷物なんですよ」
寝袋と、スマフォの充電器と、数冊の本と財布。引っ越し荷物って内容じゃなかった。
「じゃあ、あれだぁ、おすすめはスイーツかなぁ」
「ああ、おれ、スイーツだめなんで、コンビニでは買わないんですよ。もしレンジがあったらなんなんです?」
「あのコンビニのレンジのチャーハンあるんだけど、めっちゃうまくて」
「そうなんですか? じゃあ俺買いますよ」
「あれ、レンジ無いって」
「店にはあるでしょ?」
「持って帰るまでにさめちゃうなぁ」
「店で食べちゃいます」
「ああ、そういうのやったことないなぁ。俺もやってみるかなぁ」
「じゃあ、そうしましょうか」
なんとはなしに、コンビニの話をしながら歩いていると、コンビニについた。早く着いたような気がしたが、スマフォで時間を確認するとしっかりニ十分はたっていた。
コンビニで佐藤さんのおすすめのチャーハンを食べ、いろいろ話をした後の帰り際だった。
「本当にもう買うものないよなぁ」
「?」
「もう、今日はコンビニくることないよなぁ」
「ええ」
「うん。よかった。今日、夜は出歩くなよ。後、昼言ったの覚えてるかぁ」
「なんでしたっけ。コンビニには早く行っとけっていってましたから、今来たんで、大丈夫ですよ」
「ノックがあってもあけるなよ、って言ったと思ったけどぉ。わすれたかぁ」
北の工作員がノックしてくるから、開けるな、ということだったか。
「連れ去られてしまうからなぁ。連れ去られたら生きて帰れる保証はないなぁ」
佐藤さんは、コンビニを出ると、ずっとその話をし続けた。
北の工作員は何をしているかわからない。北は津波で流された我が国の人の遺体ですら実験に使う。とか、そんな感じだった。
「うわさじゃ、まず金品を持ってないかみぐるみ剥がす。衣類だって、北じゃ貴重らしいなぁ。だから持ってるもの全部とって、それから体や骨も実験に使うんだぁ。人間のすることじゃねぇなぁ」
「そ、そうですね」
ここまで行くと、誇大妄想狂かなにかだ、と俺は思った。
「だから北の工作員が来たかもしれねっから、絶対に朝まで扉をあけるなぁ。これは本当だぞ。他は噂だけど」
「そ、そうだったんですね。てっきり佐藤さん信じてるのかと」
「!」
佐藤さんが、何かを見つけたようだった。
「ちょっとこれ持っててなぁ」
佐藤さんがコンビニ袋を俺に預けると、作りかけている防潮堤に向かって走り始めた。
俺は佐藤さんの行く先を目で追うと、その先には昨日見た制服の女の子がいた。
佐藤さんを見つけると、女の子は通路に向かって走っていった。海に出ようというのだ。
「こら、海にいったらあぶないぞ!」
佐藤さんが必死に追いかける。
俺も両手のコンビニ袋の中身を気にしながら、ゆっくりとその後をおって、海に出る。
佐藤さんに腕をつかまれて、女の子が暴れていた。
「放せよ!」
「ほら、もう海は危ないから来るなって言ったろう。後、昨日防潮堤の足場にイタズラしたのお前だろ」
「防潮堤なんか作ろうとするからだよ。防潮堤が出来たら父さんも母さんも、帰ってこれないだろ」
佐藤さんの手を振り払おうと手をバタバタ振り回すが、佐藤さんはがっちり手首をつかんで離さない。
「津波にさらわれたのが何年前だと思っているんだ、帰ってくるわけないだろう。いい加減現実をみるんだ」
「死んでない。死んでないんだよ」
と女の子は大きな声で叫ぶ。
俺に気付いたようで、女の子は叫び声を変えた。
「痴漢だ、この人痴漢! 助けてよ」
俺は、他に聞いている人がいないかと思って、とっさに周りを見回した。
佐藤さんは、つかんでいる手を引っ張って、女の子の口に手を当てた。
「ばか、さわぐんじゃない」
俺と佐藤さんが知り合いだと分かると、女の子は声を上げるのを諦めた。
俺たちは通路を通って、陸側にもどると、女の子に説教をした。
「いいか人は海から帰ってこないなぁ。海からくるのは北の工作員だけだぁ」
またそれか、と俺は思った。それで女の子が納得してくれるとは思わないのだが。
「……」
「今度津波が起こっても、街が飲み込まれないようにするためだぁ。そして北の工作員が入ってこれないようにする為にも『防潮堤』は必要だなぁ。分かるなぁ」
「けど…… これが出来上がったら、お母さん、帰ってこれなくなっちゃう」
「だから……」
佐藤さんは俺の顔を見た。俺からも一言くれというのだろうか。
「あのさ。俺も両親もういないんだけど、いない、って考えるとつらいよな。だから俺は離れて暮らすことになった、って思うことにしているんだ。いつか会えるけど、今は会えないからって。いない、って思うと、どうにもならない辛さだけがのこるからさ」
「……」
陽は落ちて、道を照らす小さなLED灯に照らされ、女の子は泣いた。
「いなくなってんなんかない…… きっと生きてる」
「だから、今は会えないんだ」
「なんだよ! 今会えないって。知ったような口きくんじゃないよ。海から戻ってくるんだ。木材の破片にしがみつきながら、お母さん、ずっと海に浸かってたからふやけちゃったよ、って言いながらね…… 何にも知らないやつがいい加減なこと言うな!」
佐藤さんが手を離したようで、女の子は仮設住宅の方へと走り出した。
「少しは心にとどいたのかもなぁ」
「そうでしょうか」
「見つけて捕まえても、いつもは、あんなにしゃべらないからなぁ。すこしは考えたのかなぁ」




