(4)
寮のプレファブに向かっているのか、と思い俺は頭を上げて、男の様子を見た。
足場にいくつかつけられているライトで照らされた男は、グリーンのモッズコートを着ていた。テレビドラマで『都知事とおんなじ大島です』とかいうセリフで有名なキャラクターが、いつも着ている汚いコートと同じだ。
こっちの呼吸、足音、聞こえてしまったのか、打ち上げられた男は、通路側から海を振り返る。
俺は、急いで身をひそめる。
静かになったか、と思ってゆっくりと顔を出す。男の姿は、寮のあるエリアへと向かっていた。
「……」
工事現場に働きに来ているような、労働者をさらう必要があるのか。こんどはすこし距離をとって、その男を追いかける。
すると、男は寮と思われるプレファブの扉をあけると、いきなり中に入った。
「えっ?」
遠目で確実ではなかったが、男が俺の部屋に入っていったのだ。
急に出てき来るときのことを考え、プレファブの並びの、一つ向こう側を走って、そこから俺の部屋を見る。部屋の明かりは消えている。
そっと近づき、扉のノブを回す。
鍵が掛かっている。
「?」
鍵を取り出して、音を立てないようにゆっくりと鍵を回していく。
カチャリ、と大きな音がしてしまう。
俺は扉を素早く開けて、部屋の灯りのスイッチを入れる。
「誰だ!」
俺は部屋の中に向かって言うが、おじさんにもらった毛布が広げてあって、カバンから出した荷物が少し床に散らばっているだけで、誰かがいる様子はなかった。
「……」
扉に鍵をして、ユニットバス側の扉をゆっくり開ける。
「いるなら出てこい」
よく考えたら、こっちは丸腰だった。何も持たずに声を上げて扉を開けるのはまずかった。しかし、扉の中からは何も声が返ってこない。
浴槽、トイレを見るが誰もない。天井を開けて逃げた様子もない。
「ふぅ……」
俺は何もなかったことをに安堵した。
安心すると同時に、別の疑問が湧き上がってくる。
さっきのモッズコートの男は、どこの部屋に入ったのか、ということだ。もう一度、外に出て、どこに入ったのか、それとも入っていなかったのか確かめるべきだろうか。
と、ガタン、と音がした。壁を伝わって隣の部屋から聞こえてきたようだった。ここは五番の部屋だから、となりは六番だということだ。
「……」
騒がしいから、こっちの壁を叩いてきたのだろうか。コンビニと言い、もしかするとこの地方は夜は早いのかもしれない。
もうやめよう、俺はそう思った。今日のところは、モッズコートの男の行方は諦め、明日に備えて寝ることにした。
バッグから野宿の為に用意していた寝袋を出して、おじさんからもらった毛布の上に敷く。そして着ているものを脱いで、寝袋に入った。
「考えすぎ、考えすぎなんだ……」
朝、事務所に行くと、もうかなりの人が事務所で働いていた。
二階で着替えなければならないのだろうが、俺はまだカードも作業着ももらっていない。俺は一階で立っていた。
一人、また一人と事務所に入って来ては、二階の更衣室へ向かう。
人が来るたびに会釈をしたり「おはようございます」を返したりしていた。
そこへ昨日のおじさんがやって来た。
「おぉ、おはよう。昨日は眠れたかぁ?」
笑顔で会釈して、コンビニの話をした。
「いただいた毛布で寝れました。ありがとうございます。だけど、コンビニが、十時前に終わっちゃってたみたいで」
「うーーん、それは残念だったなぁ。ここらのコンビニは、店長の都合で早く閉めちゃうこともあるかもなぁ」
「あーー、やっぱりそうですか」
「たぶんそうだなぁ。ああ、そっか、まだ作業着とカードがないっけ。事務の娘ももうすぐ来るから、ここで待ってななぁ」
「は、はい」
と、また事務所の扉が開いて、人が入ってきた。
俺は、その人ではない、外に視線がいった。
「モッズコート」
「ん、どうしたなぁ?」
俺は指差し「ほら、あれですよ」
「どれなぁ」
おじさんを見て、おじさんから真っすぐになるように指を動かした…… が。
「どれ?」
「……」
「ん?」
「いなくなっちゃいました」
「もっずこーとってなんな」
「えっと」と言って、俺はスマフォで、テレビの刑事ドラマのキャラクターを検索して表示して見せた。
「ああ、しっているよ、たしか」
「じゃなくて、このコートです」
「えっ、コートがどうかした」
俺は昨日の出来事をおじさんに話した。
話し終えたところで、事務所内にチャイムがなった。
「おっと、予鈴がなったからその話はあとでなぁ」
「あっ……」
おじさんは駆け足で二階に上がっていった。
仕方なく立っていると、トントン、と肩を叩かれた。
振り向くと、頬に何かを当てられた。
「!」
「それカード」
女性の声だった。俺は頬に当てられ、張り付いたプラスチック製の小さな板を手に取った。
「それICチップ入っているので、お尻ポッケとかに入れないでね」
俺はようやく女性の姿を認識した。髪は後ろでアップにしていて、白いシャツに紺のカーディガンを羽織って、グレーのチェックのスカートをはいている。ザ・事務員とでも言うような恰好だった。
「寮は佐藤さんから教えてもらってるわよね?」
「あ、事務所に一人だけ残っていたおじさん、佐藤さんて言うんですか?」
「そうよ。橋口さんは、更衣室は分かる?」
事務の女性はそう言いながら指を上に向ける。
「昨日、その佐藤さんから教えてもらいました」
「そ。じゃ、ここにサインして」
ボードに紙が止めて合って、名前を書く欄がある。作業着とロッカーの借用書のようだった。俺は渡されたボールペンで名前を書いて、返す。
「もうすぐ、そこの広場に集合だから、急いで着替えてきて」
事務の女性腕を曲げて、走るようなポーズをして見せた。
「はい」
俺は降りてくる作業着の人たちとすれ違いながら、二階の更衣室に入り、自分のロッカーを見つけ、中に入っていた作業着に手早く着替えた。
誰もいなくなった更衣室で、着替えが終わると、急いで事務所の外にでた。
「お、君が橋口君?」
線が三本入ったヘルメットを被ったおじさんが、俺の肩を叩いた。
「そうです。よろしくお願いします」
「みんなに紹介するからこっちきて」
俺はそのおじさんと一緒に、集合した作業員の前に立った。
「今日から一緒に働く仲間を紹介する。橋口くんだ。挨拶して」
「橋口です。よろしくお願いします」
俺は会釈すると、拍手が起こった。三本線のヘルメットのおじさんが言った。
「午前中は安全講習だから、作業に入るのは午後からだが、その時は指導をよろしく頼む。所属は佐藤の班だ」
佐藤というのは、昨日のおじさんだろうか。と思いながら、作業員の方を見る。
「はい」
と返事をしたのは、あの佐藤さんだった。俺はほっとした。
「じゃ、橋口くんもそっち側に行って。今日の連絡を伝えます……」
よくわからない連絡事項の伝達が始まった。
とにかく、現場では安全第一らしく、作業での危険だったこと、危険と思われることを避けるようなことを何点か伝えていた。
作業の段取り自体は、それぞれの班でやっているようで、最後の班長だけ集めて何かを離していた。
佐藤班長が戻ると、俺に言った。
「事務所に行って『安全講習を受けに来ました』と言えば、動画見せてくれるから、午前中はそれやって」
俺はまだ七時なのに、と思ったが、言われた通りに事務所に向かった。
「橋口さん、安全講習よね」
「は、はい」
俺は事務の女性がIDをつけているのに気が付いた。




