第11話 戦神チトセ - (3)
※2016/04/19 一部修正。
西側国境の事件から1年が過ぎた【四神歴紀元前24年】。
オトギの生活は変わらず続いていた。
あの後、千歳は騒ぎを聞きつけてやってきた鬼人族の王に話をつけ、呆然と立ち尽くす森人族の大集団に食料と休む場所を与え、長旅で傷を負っていた者達には治療を施した。その際、森人族の身体に興味津々の小魔族の医者が殺到したことは、今では笑い話だ。
大集団がオトギに馴染むまで、そう時間はかからなかった。
今は未だ、総勢461名の集団が寄り添いながら固まって暮らしているが、数十年もすれば他種族のようにオトギの至る所で見かけるようになるかもしれない。
大変なのはまとめ役の8名だった。
事情を聞けば、彼らは同じ森人族達からの迫害を受けて、この地まで逃げ延びてきたという。
迫害の理由が宗教上の問題だと聞き、千歳は自身を神と崇める国民達の姿を浮かべてゾッとした。
このままでは、千歳を神と認められない者が迫害される国になってしまうのではないか、と。
明確な侵略の意思を受けても、一先ず頭を冷やした彼らとの対話を望んだのは他でもない千歳自身だった。
杖も取り上げられ、軟禁状態で嘆き喚く森人族8名を連れて、千歳は国中を歩きまわった。
国民は、森人族を直接見たことが無い。
もしかしたら、森人族達もそうだったのかもしれない。
森人族達は千歳と共に様々な街で寝食を共にし、住民と対話をし、生活に触れ、そして尽く歓待を受けた。
そこで彼らが見たのは、多少の諍いはありながらも、各種族が共存する世界。
「貴殿は不老だと聞いた」
旅の途中、森人族の老人が呟いた。
「なぜ、あれだけの力を持っているのに王にならない?」
テーブルを挟んだ対面に座る千歳に向けられた疑問。
老人の表情には認めたくないという思いが滲み出ている。
それは千歳を、という意味ではなく、このオトギ行脚の中で見てきた全てに対するものだった。
「向いてねーんだ」
対する千歳の返事は、簡潔なものだった。
木製のコップに注がれたお茶を啜りながら、その視線は窓の外を向いている。
森人族の老人はその視線を追いながらも、食い下がる。
「その力があれば、どんな望みも叶うだろう。ましてや神と崇められるその身であれば、あのような小さき諍いすらも消し去る盤石な統治ができる」
窓の外では、狼人族の女性と鬼人族の男性が怒鳴り合っていた。
鬼人族の側では、小魔族の青年が困り果てたように立ち尽くしている。
それを眺める千歳の表情に、焦りの色は無かった。ここからでは会話の内容は聞こえないが、後方から衛兵が駆けてくるのが見えている。
「王ったって、強けりゃいいってもんじゃねーだろう。腕力に劣る女性だって、鼻たれの小僧だって、譲れねーもんはある。あの時はああ言ったが、種族だけが仕切りじゃねーよ。だから今も諍いは無くならねー」
老人は言い返そうとして口をつぐむ。
同族からの迫害を受けた彼らにとって、それは痛い程理解できてしまう理屈だった。
他の森人族達も、いつしか食事の手を止め、千歳へ目を向けていた。
その場の空気に千歳は視線を事態が収集しつつある窓の外から戻し、一度深い溜息をついて諦めたように語り出す。
「俺の人生は、本当に戦いの連続だったんだ。本物の生存競争の中で殺し合い、その術だけを磨いてきた。魔獣、魔蟲、人間だって殺した。そうでもしなきゃ生き残れなかった。そういう時代だったんだ。きっと、お前らの先祖もそうだったんだろうな」
大型魔獣が繁殖する程に、実りの多いこの時代の森と共に生きてきた森人族達。
彼らもまた、厳しい生存競争の中で安住の地を求めていた。見方を変えれば、彼らは“作る”のではなく、“探す”という道を選んだだけなのかもしれない。
「それでも世代が変わって……長い時をかけてようやく、多種族が共存する為の基盤ができた。その基盤を支える為に、武器を置いてペンをとったやつがいる。鍬をとったやつがいる。包丁をとったやつがいる」
森人族達の目に、これまでの旅の情景が浮かぶ。
誇らしげに狩りの獲物を解体する狩人達。
限られた食材から、創作料理の開発に明け暮れる料理人達。
インフラの整備に精を出す土木作業員達。
環境学的観点からの次期開拓地候補の選定に頭を悩ませる学者達。
そして種族の足並みをそろえようと一つのテーブルにつき、時に笑いながら、時にぶつかり合う王達。
「そんな中、俺は武器を置かなかった。……だから俺には、向いてねーんだ」
“その方が気楽だしな”と言いながら、カラカラと笑う千歳を見る森人族達の目は、憑き物が取れたかのように穏やかなものだった。
森人族達はその後、老人を王としてオトギの地に根を下ろすことになる。
これまでの常識が目まぐるしく変わっていく日常の中、彼らは千歳を“戦いの神”と崇め奉った。
“戦神チトセ”としての名声は、種族を問わず瞬く間にオトギ全土に広がっていったという。
なぜ、千歳が武器を置かなかったのか。
その答えに潜む千歳の弱さに、この時点で誰が気づくことも無かった。