133.疑念-Doubt-
1991年6月10日(月)PM:12:56 中央区人工迷宮地下一階東ブロック
彼女はうんざりしていた。
勝てるわけもない。
なのに挑んでくる醜い顔。
緑の肌の人型生物にだ。
彼女の周囲。
五体不満足になった彼等。
その亡骸が散乱している。
少女の背後には、手当てされた男が一人。
殺す事が目的ではなかったはず。
だが、遣り過ぎてしまったようだった。
なので一応、彼女が手当てしたのだ。
少女の服装。
彼と出会ったときのものではない。
黄緑の、ドレスっぽいワンピース。
しかしその服も、既に返り血に染まりつつある。
血塗れは嫌だった。
なので、迷宮内に、あらかじめ準備してあった。
その服に、着替えたのが、今の格好。
結局は、無意味になってしまった。
そもそもがここに前に来た時。
生物の存在する痕跡すらも、感じられなかったはず。
なのに、今はそうではない。
状況がさっぱり飲み込めない彼女。
なので一応、男を守っている。
「自分でここまで怪我させといて、自分で守っているなんて、何てナンセンスなんでしょう」
独り言のように、自嘲気味に彼女は零した。
「どうするべきでしょうか? 状況がさっぱりわからない以上、一度ここから外に出るべき? それとも残るべき?」
一人思案に暮れている少女。
突如感じた魔力の高まり。
思考を中断して、視線を発生源に向けた。
そこには脱ぎ捨てた服と鞄。
彼女は確認する事もない。
男をお姫様抱っこした。
服と鞄とは、逆方向に走り始める。
爆発音と、背後から迫る爆風。
衝撃の波に曝されながらも、彼女は走るのをやめない。
しかし、それでも爆風は迫ってくる。
彼女は男共々飲み込まれてしまった。
全てが収まった後。
風の壁に守れた彼女が、男をお姫様抱っこしたまま立っていた。
訝しげな表情で、何が起きたのか思考する。
しばらくして彼女は、爆風が起きた方角へ走り出した。
男はいまだ起きる気配もない。
「遣り過ぎてしまったのでしょうか? 彼が一向に目覚めないのは、困りました」
彼女の思いとは裏腹。
視界前方に現れた醜小鬼の群れ。
複数の足音が、後ろからも聞こえてる。
どうやら、背後にもいるようだ。
爆発の音に集まってきたのだろう。
しかし両手は今使えない。
少女の周囲。
いくつもの、槍のような渦が出来上がっていく。
群れの後方から放たれる矢を巧みに躱す。
徐々に肉薄していく少女。
放たれた槍のような渦。
射線上のあらゆるものを削り、引き千切っていく。
そうして空いた隙間を通過して行った。
並行して槍のような渦を放つ。
発射した側から、新しく作り直していく。
結局は突破したと言うよりは、群れを壊滅させた。
若干、体に違和感を感じていた。
微かな苦痛に、顔を少しだけ歪める。
それでも走る速度は維持して駆け抜けた。
もうすぐで、魔方陣の床。
という所で、左側の通路から現れた、醜小鬼の群れ。
「もうそこなんですのに!?」
再び鎗のような渦を作り出す。
排除しながら進んでいく。
体にかかる疲労感。
一度、膝をとられ倒れそうになった。
だが、無理やり足を踏み出して、体勢を立て直す。
徐々に息も荒くなってきている。
それでも群れを薙ぎ払う。
目的地に、とうとう到着した。
男を魔方陣の上に寝かせる。
そして、点滅しているスイッチを叩く。
競り上がっていく床。
徐々に闇黒が、彼女の視界を支配していった。
「・・・ん・・ん? う・・うーん? はっ? ここ・・くっ」
「健二様、軽い怪我ではございません。おとなしくしている事をお勧めいたしますよ」
目覚めた相模 健二。
即座に、頭の中を駆け巡る記憶の奔流。
「その・・声はブリット=マリー・エク?」
彼の声は微かに震えていた。
「はい、ブリットとでもお呼び下さいませ。そんなに怯えなさらなくても、今の所、何かするつもりはございませんので、ご安心下さいませ」
殺されかけた健二。
彼からすれば、即座にその言葉を信用する。
そんな事が出来るわけもない。
どうやら真っ暗闇の中。
ブリットと二人きり。
恐怖が心を支配するのを押し止める健二。
さっぱり飲み込めない状況。
何とか推理しようと、努力する。
健二はまず、自分の体が感じてるものについて考えた。
肌に感じる感覚からして上はシャツだけだ。
体のあちこちに何かが巻かれている。
そんなような感じも受けると推理。
しかし何故上はシャツだけなのか。
体のあちこちに、何かが巻かれているのかがわからない。
結局、近くにいるであろう彼女に、聞くしかないと結論する。
動かすたびに、少し痛みが走るが幸い口は動く。
「ブリット、敵であるはずのお前が、俺に止めも刺さず、こんな真っ暗闇に、何で俺といるんだ?」
「それは、私が教えて欲しい所でございます」
「何? どうゆう事だ?」
「今更隠しても意味はないでしょうし、私の受けた指示を申し上げましょう。健二様を倒した後、私はあなた様を担いで、イーノムが用意しておりました地下迷宮に、予定通り移動いたしました。本来はそこで、仲間達の一部と合流する予定でしたが、仲間達は誰もおりません。そしてしばらく待っていると、醜悪な顔をした、緑色の小柄な集団に襲撃されました。このまま地下に留まるのは危険と判断致しまして、今は、迷宮の外に向っている途中でございます」
「え? あ!? んっと?」
「ちなみに私と健二様は、真っ暗闇の閉鎖空間の中におります。もし私を組み伏せる事が出来ましたら、殿方様の欲望を、好きなだけ叩きつける事も出来る状況でございますね」
「え? はっ!? おまえ!? 何言ってるの!?」
予想もしない彼女の言葉。
組み立て始めた思考が一気に崩れた。
「それとも、私の様な幼児体系では、欲情等いたしませんでしょうか?」
「いや? ちょ!? まて? だから何言ってる!? というか俺のイメージってどんなの!? 送り狼かよ!?」
「人の身をした心狼に、処女を奪われる狼の体をした心人というのも、中々経験出来ない体験でございますわね? そう思いませんですか? どうでしょうか? 私を組み伏せて、初めてを奪って見るというのも、よろしいのではないでしょうか?」
「心狼っ!? 俺の事? という事はは心人って? いやちょっ!?」
余りにも過激なブリットの発言。
恐怖心を忘れて狼狽する健二。
「うふふふ。うふ。ふふふふふふ」
言ってる内容と、笑い方にドン引きしそうな健二。
だが、完全に毒気を抜かれていた。
そしてそんな自分に気付いて、弄ばれた気分になる。
だが逆に冷静になれた。
「無邪気な小悪魔だな」
「無邪気な小悪魔? 私の事でございますか? 酷いですわ。こんないたいけな少女に向って、泣いてしまいそうです」
泣く仕草でもしてそうだ。
しかし残念ながら、健二には見えていない。
それでも何故か罪悪感に蝕まれる。
「えっと? あいや? あのね? ごめん」
「ふふふふ」
もうどう反応していいか。
それすらもわからなくなった健二。
しばらく無言の時間が続く。
そして徐々に光が差して、朧気ならが周囲の状況が見えてきた。
女の子座りをしているブリット。
紫の服ではなく、黄緑のワンピースっぽい服を着ている。
所々が何かの返り血に染まっているようだ。
健一には、その原因まではわからない。
少なくとも自分の血ではなさそうだ。
痛みに耐えながら、上半身を起した健二。
自分の体の状態に気付いた。
予想通り上はシャツだけ。
傷口は包帯で包まれており、手当てされているようだ。
体のいたる所の傷。
同様に、上手に手当てがされている。
何かが巻きついている感覚。
それはこの包帯だったと思い至った。
「ブリット、お前が手当てしたのか?」
「はい。元々あの場では、殺すつもりではありませんでしたから」
「そう? い? えっと・・ありがと?」
「傷をつけた張本人が、お礼を言われるというのも、おかしなものでございますね。もっとも、傷をつけておいて、手当てをした私もおかしな気分ではございましたけど」
健二に近づいてくるブリット。
毒気を抜かれていた健二。
それでも、警戒心は無意識に出てしまう。
しかし彼女は、そんな健二の心など無視するかのようだ。
彼の体の下に、両手を差し入れた。
何をされるかわからないが動けない健二。
自分の能力では、止められないのをわかっている。
抵抗する気も起きない。
そこでまた、彼の予想外の行動を起したブリット。
小柄な体躯で、健二をお姫様抱っこしたのだ。
正直言って身長差もあり、アンバランスな事この上ない。
大の大人が、子供にお姫様抱っこされる。
何とも言えない、イレギュラーな状況。
年甲斐もなく、若干、健二は赤面した。
「ど・・どうするつもりだ?」
「思う所がありまして、イーノムを信じる事は出来なくなりました。それならば、ましな方へ行こうかと思います」
「ましな方? 何処へだよ?」
「古川 美咲のお城ですわ」




