117.報復-Retaliation-
1991年6月10日(月)AM:11:59 白石区菊水旭山公園通
「こんな所に何があるってんだろうな?」
「長谷部が周辺で、頻繁に目撃されていたというだけですからね。そもそもその情報も真実かどうかわかりませんし」
「そうなんだよな。どの情報が本物で、どの情報が偽者かすら判断のしようがないしな」
近藤 勇実と倉橋 元哉の二人。
今までに手に入っている情報。
その真偽を確かめる為、ここにいる。
近くに駐車した車から降りた。
実際に徒歩で、付近を聞き込み。
収穫は何も無かった。
そもそもが警察でもない。
その為、聞き込みにしろ何をするにしろ。
表向きの行動に関しては限界がある。
「なんだ?」
「近藤さんも感じましたか。何かの結界ですかね?」
「ああ、そんな感じだな」
テレビ塔の方角へ顔を向けた二人。
目の前にある建物で、その姿は見えない。
そこで少し小声になった近藤。
「とりあえず車に戻るか。ところで倉橋気付いているか?」
「はい。さっきから尾行されてますね」
「目的がさっぱりわからんが、真直ぐ車に戻るか」
「そうですね。車を降りるところから見られてたみたいですし」
車に戻る二人。
謎の尾行者。
手を出してくる事はなかった。
尾行して来る相手。
見つかっても構わないのだろう。
さして注意しているわけではなさそうだ。
そしてとうとう車に辿り着く。
そこで尾行者は、一気に距離を詰めて走って来た。
見えてきた姿は二人。
どちらも外国人のようで、男の方は二十代前半位だろう。
そしてもう一人、並走している女は十代前半に見える。
「おいおい、また子供かよ」
倉橋は、近藤の呟きの意味を一瞬考える。
そこで緑鬼邸での事件。
近藤の報告書を思い出した。
「確かに子供に手を上げるのは、気が引けますよね」
独り言のつもりだった近藤。
倉橋の言葉に一瞬目を見開いた。
数瞬の間が空いた後に、反応を簡潔に返す。
「――だよな」
近藤、倉橋の五メートル程手前。
そこで停止した二人。
何処にでもいそうな外国人風の男。
女の方は、赤髪紫眼。
黒い色合いのカチューシャ。
大人びて見えて目立つ。
外国人風の男の体。
突如毛に覆われていく。
その姿が変化していった。
「狼化族か」
近藤の呟きに頷きで答える倉橋。
同い年で誕生日が近い二人。
実際は、知り合ってまだ間もない。
その割は、打ち解けていた。
「人狼に外国っ娘が俺たちに何かようか?」
しかし近藤の問いに答える事はなかった。
「ブリジットいくぞ」
人狼の言葉と同時に襲い掛かる二人。
位置関係の都合。
人狼が倉橋へ向かう。
近藤はまたもや、子供らしいのが相手だ。
人狼とさほど大差ない速度。
攻撃を繰り出そうとしている。
近藤は内心で舌を巻いた。
しかし即座に、倉橋と近藤を薄い炎の膜が覆い隠す。
炎の膜に阻まれた二人。
彼等の攻撃は弾き返された。
「近藤さん捕縛はお願いしますよ」
「人狼はともかく、もう一人にするのは余り気が進まないな。はあ」
後退しようとした二人。
炎の膜から、まるで蔓のような炎の紐が伸びていく。
あっさりと襲撃者の手足を拘束する。
その間に、倉橋は車の中から何かを取り出していた。
炎の紐に纏わりつかれ成す術も無い。
道路に転がった二人。
人狼の方は暴れている。
逆に、女の子の方は諦めたのかおとなしい。
「っざけんな。こんなん認めない。こんなあっさり負けるなんて。この俺様がげふ」
「うるさい。黙ってろ」
近藤の会心の一撃。
白目を向いた人狼。
そこに近付いていく倉橋。
まずは女の子の方に屈んだ。
「あまり手荒な真似はしたくないから、抵抗はしないでね」
彼女の手足に、研究所製作の特別製造の手錠と足錠をはめる。
その間一切の抵抗はなかった。
手錠足錠がされたのを見た近藤。
炎の紐による拘束を解除。
不思議と彼女の体には火傷の類はない。
同様に人狼の方も拘束される。
彼にはしっかりと火傷の傷があった。
その事に驚いた瞳の女の子。
「近藤さんらしいですね」
倉橋の言葉。
更に疑問符を頭に浮かべている女の子。
「うっせ。逆の立場ならおまえだってしただろ」
「しませんっていうか出来ませんよ。そんな器用な真似」
倉橋が女の子をお姫様抱っこ。
で後部座席に運んだ。
彼女はその間も抵抗しない。
年頃の少女らしく、若干赤らんでいる。
ついで人狼を、近藤が後部座席へ運んだ。
「帰りは俺が運転するわ。倉橋は女の子のご機嫌とりでもしてろ」
「ああ、はいはい」
車のキーを近藤に渡した倉橋。
近藤は、運転席に座る。
助手席に座った彼。
後ろの女の子に話しかける。
「君の名前は?」
俯いている彼女の瞳を見つめるような倉橋。
おずおずと口を開いた。
「ブ・・ブリジット・・・」
「日本語は話せる?」
「ハ・・ハイ。イチオウ」
「それじゃあ、さっきの疑問に答えようか」
「倉橋言わな―」
近藤の言葉を遮り続ける倉橋。
「駄目だよ。近藤さん、彼女の疑問に答えなきゃ可哀想じゃないか」
「が・・う・・ぎ・・が・・」
近藤は反論する言葉を口に出せない。
意味不明に単語を羅列するだけだった。
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1991年6月10日(月)PM:12:25 中央区米里行啓通
歩いていた青年が、指を刺して騒いでいる。
彼の尋常ではない様子。
周囲の人達も青年が指し示す先を見た。
その先の小学校の校庭。
突如現れた存在。
人外のその姿に、反応は様々だった。
クサーヴァー・ブルーメンタール。
彼は衝撃で、頭がくらくらしている。
腹部にも言葉にならない痛みが走った。
そこで更に顎に強烈な痛みが走る。
校庭を更に突き進んだ。
彼の体は途中で跳ね上がった。
何度かバウンドしてから止まる。
口を動かそうとした。
それだけで顎にとんでもない痛みが走る。
言葉を出す事もままならない。
≪黒球≫
誰か女の声が聞こえたきがした。
気付けば直ぐ側に転がっている悪友の人狼。
先程まで見えていた曇り空。
見えなくなっている。
視界は何処もかしこも、黒い粒子の幕のような物に覆われていた。
彼の頭の中はしっちゃかめっちゃかだ。
現在の状況を把握し切れてない。
黒い粒子の向こう側。
歩いてきたであろう一人の制服の女性。
悪友であるバジリオ・アランゴの標的である高校生。
そこで彼は一つの結論に辿り着いた。
今のこの状況。
この女が作り出していると気付く。
まともに言葉を発する事の出来ない口。
抵抗を試みようにも、命令を聞かない体。
彼は今まで生きてきて、最大最悪の状況である事を理解した。
「お前が舞花に何をしたのかは、あの状況を見れば何となく予想は出来る」
耳に入ってくる声。
何とか反応しようとする。
しかし、自分の口なのにまともに言葉に出来ない。
彼の中に今までにない感情が生まれる。
本当の恐怖という感情だ。
過去に、ブリット=マリー・エクに半殺しにされた。
更にアグワット・カンタルス=メルダーに殺されかけている。
しかし、あの時は考える余裕もなかった。
今は全然違う。
彼女は、一歩また一歩と近付いてくる。
「貴様はただではすまさん。舞花と同じ、いやそれ以上の苦痛を与えてやる」
右手の先に感じる激痛。
黒い球から伸びた刃。
右手の小指、指先と爪の間。
幾度も突き立てて切断した。
順番に他の指も繰り返される。
人差し指が終わっても更に続いた。
声にならない苦悶の音。
その度に顎に走る痛み。
両手の指全てに繰り返される。
その間、何度意識を手放したかわからない。
何度痛みで覚醒したかもわからなかった。
涙で曇った瞳。
そこから見える瀬賀澤 万里江。
彼には悪魔にしか見えなくなっていた。
「この球の中の音は、一切外に漏れないから安心しろ」
因果応報。
彼が今まで行なった事。
その報いを受けている。
まさに真っ最中だった。
彼にはもう彼女の声は、悪魔の声にしか聞こえていない。
そこにいるのが、一見見た目は普通の女子高生。
にも関わらずだ
考える力を失った。
耐え難い痛みに支配されている。
彼の耳に入ってくるのは、隣のバジリオの声。
いや、声ににならない悲鳴。
何をされているのかはわからない。
しかし自分と同じような事をされている。
朧気ながら、そう考えた。
それから記憶も徐々に途切れ途切れになる。
彼女の言葉。
それさえもまともに聞き取れなくなっていく。
およそ十分後。
黒球から出て来た万里江。
徐々に収束していく黒球。
二つの人の形をした黒い粒子。
完全に収束した後、そこに横たわっていた。
教室に戻った万里江。
夕凪 舞花を抱きかかえる。
そのまま何も言わずに立ち上がった。
頭を優しく撫でながら、向う先は保健室。
「舞花、遅くなってごめんね」
万里江の声を聞いた舞花。
何か言おうとして言えない。
彼女は静かな涙を流す。
一転して大声を出して泣き出した。
若干青褪めている保険医。
彼女に舞花の治療を頼んだ万里江。
そこには、人狼にやられたであろう人達。
治療された上で寝かされていた。
離れようとしない舞花をなだめる万里江。
恐怖と絶望から介抱された彼女。
普段の聞き分けのよい舞花ではなかった。
なだめるのを諦めた万里江。
保険医の治療が終わるまで待った。
舞花の右手。
小指と人差し指に巻かれた包帯。
万里江は、苦々しい思いになる。
彼女は再び舞花を抱え上げた。
そして職員室に向う。
この状況の後始末の為だった。
職員室に到着した万里江。
電話回線の不通、テレビ塔の黒い球。
それらの異常事態を、初めて知るのだった。
 




