14話 予定外の日々 エピローグ
それから、数年が過ぎた。
領地の医療改革は少しずつ形になり、薬草の栽培から加工、薬師の育成、医薬品の保管や輸送まで、以前とは比べものにならないほど整ってきていた。
その日、屋敷の庭にある東屋では、アニエスとフェリクスが向かい合ってコーヒーを飲んでいた。
「しかしまあ……」
フェリクスが、庭の向こうへ視線を向ける。
そこには、子どもたちと話すアルヴィンの姿があった。
昔なら、どんな場でも冷静で隙のない顔を崩さなかった男が、今では子どもたちの話に耳を傾け、時には困ったように笑っている。
「……あの鉄面皮のお前が、ずいぶんデレついた顔をするようになったな」
フェリクスが、しみじみと呟いた。
「昔のお前なら、あの程度の話を三分も聞いていられなかっただろうに」
「フェリクス」
アルヴィンが仏頂面で振り返る。
「今のお前なら、三分どころか一日中でも子どもの話を聞いていそうだ」
「……悪いか」
「いや。実に結構だ」
フェリクスは楽しそうに笑った。
そこへ、子どもたちが駆けてくる。
黒髪に紫の瞳を持つやんちゃな5歳の長男セドリックと、マロンブラウンの髪に緑の瞳をした、愛くるしい3歳の娘アンジュが、父親のまわりにまとわりついている。
「父上、これ!」
「そうか。ありがとう」
アルヴィンはしゃがみ込み、小さな花束を受け取る。
その隣では、アンジュが父親の袖を嬉しそうに引っ張っていた。
「父しゃま、こっち!」
「ああ。アンジュ、順番にな」
そう言いながらも、アルヴィンの顔はとても優しい。
フェリクスはそんな二人を眺めて、ふっと笑った。
(昔の鉄面皮を知る身としては、今の愛妻家で子煩悩なこんな姿は想像もつかなかったが……まあ、なんだかんだで、情の深さは感じてはいたけどな……)
「フェリクス様?」
アニエスが首を傾げる。
「いや。親友の幸せな姿を眺めていたら、コーヒーが妙に美味しくてね」
「まあ……それは何よりですわ」
アニエスが微笑む。
*
片腕にアンジュを抱き上げ、今日読んだ、お気に入りの冒険物語の話をし始めたセドリックと手を繋ぎ、愉しげに庭を散歩するアルヴィン様。
その横顔を眺めながら、私は思いを馳せる。
前世の私なら、きっとスマホを取り出して、『見て。あのクールなイケメンが、今やこんなイクメンよ!』と、きっと、実家の両親に事ある毎にメッセージを送っていたのかも。
(……まあ、目の前で、こうして眺めていられれば十分ね)
ふと右手を見る。
そこには、あの日、街の小さな店でアルヴィン様から贈られた銀の指輪。
小さな白い花と、細い緑の蔓。
正式な場では公爵家の宝石を身につけるけれど、薬草畑の視察や領地の街を訪れるときには、今でもこの指輪を選ぶ。
指先でそっとなぞる。
あの日の「君に似合う」という言葉が、今も胸の奥に残っている。
顔を上げると、アルヴィン様と目が合った。ほんの少し気遣わしげに目元を和らげた彼が、こちらへ手を差し出す。
「アニエス。そろそろ戻ろう」
「はい」
私はその手に、自分の手を重ねた。何年経っても、こうして自然に手を取ってくれる。それが、なんだか嬉しい。
人生は、計画通りにはいかない。
かつての私は、この場所を離れて、自分ひとりの人生を始めるつもりだった。けれど、思いがけない出会いがあって、思いがけない場所を訪れて、思いがけない仕事に関わって。
気づけば私は、ひとりではなくなっていた。私の考えを聞いてくれる人がいる。一緒に悩んで、一緒に未来を考えてくれる人がいる。
そして今は、その人との間に生まれた家族がいる。
お腹にそっと手を添える。この先も、また新しい日々が待っているのだろう。
きっと、予定通りにはいかない。
でも。
私は今、この人生を心から気に入っている。 逃げなくてもいい場所を、自分で選ぶことができた。ひとりで歩くこともできた私が、誰かと並んで歩くことを選んだ。
白い花の指輪が陽の光を受けて、小さくきらめいた。差し出された温かい手に、そっと自分の手を重ねる。
遠くから響く賑やかな笑い声に、心地いい風が優しく重なる。
私は小さく微笑み、隣を歩く彼と共に、きらめく光の中へゆっくりと歩みを進めた。
(Fin)




