40話 襲撃者
「なぁにぃぃぃ、言ってんだ、この馬鹿チンがあああああっ」
だが、いきなり隣でリンゼイが怒声を上げる。
反射的に見やると、握った拳で殴り掛かってきていて、咄嗟にディーンは手綱を握り、躱す。逆に体勢を大きく崩したのはリンゼイだ。拳が空を切り、上半身を横向きに揺るがせた。
「リンゼイ!?」
慌ててディーンは手を伸ばすが、間一髪でリンゼイは鐙に乗せた足を突っ張ることで落馬を防いだ。馬も絶妙のタイミングで速度を落とし、リンゼイが鞍に安定するタイミングを計ってくれた。
「おい、大丈夫か!?」
「うるさい!! いいか!? ディーン! 男ってのはなぁ!」
心配そうに声をかけるディーンに怒鳴りつけ、リンゼイが『男とはこうあるべきだ』演説を大声でぶちはじめる。戸惑うディーンを他所に、騒ぎを聞きつけたセトが首をひねって背後を見やった。
「どういたしましたか?!」
「いや、どうしたもこうしたも……」
ディーンが困惑した声をセトにかけたときだ。
遠方のセトの体越しに、騎馬が見えた。
砂塵が上がる。かなりの速さだ。
最初、ディーンは『一角馬騎士団』の誰かだろうか、と思った。
街まではあと少しだ。
様子を見るために、斥候の誰かが派遣されたのだろうか。
そう思い、目を凝らす。
そして、内心首を傾げた。
馬上の男は、黒い外套を目深にかぶっている。
一角馬騎士団は、水色の隊服ではなかったか。袖口や襟元に紺色の刺繍が入り、淡い紫色のサッシュベルトをつけているはずだ。
だが。
こちらに向かい来る馬上の人間は。
黒い外套姿。
蹄の音に気付いたのだろう。セトは後ろに向けていた首を前方に戻した。
同時に。
騎乗の男の、フードが外れる。
セトが悲鳴を上げた。
ゲッペルスだ。
「セト!!」
ディーンは馬の腹を拍車で蹴る。馬は首を低くし、突進した。
セトとの間はかなりある。
セトは真正面から突っ込んでくるゲッペルスの馬をかわそうと、手綱を絞った。戸惑ったように馬がいななく。後ろ足で立ち上がって抵抗をしようとした馬を、セトはなだめるが、今度は前足に重心をかけ、後ろ足で空蹴りをした。
完全に足が止まった。
セトが振り落とされまいと必死に制御しようとする。
その間に。
ゲッペルスがセトの隣に並んだ。
同時に。
腕を伸ばして腰を抱きとる。
騎馬がいきなり接近したこともあったのだろう。怯えたセトの馬がさらに激しくもがき、あっけなくセトは振り払われた。
そこを。
ゲッペルスは片手だけで受け止め、騎馬を駆る。
「止まれ!」
ディーンは怒鳴る。
ゲッペルスは左腕一本でセトを抱え、包帯のまかれた右手だけで手綱を繰っていた。
勢いを止めず、ディーンに向かって突っ込んでくる。
早い。
迎え撃とうとしたが、これは間に合わない。
ディーンは佩刀にのばしかけた手を止め、手綱を握る。短く持ち直し、ハミまでの距離を調整した。ぴんと手綱が張った状態で、方向を転換させようと、さらに左を引く。馬が首を左に向けると同時に、セトを抱えたベッケルフの馬が走り抜けた。ディーンは体重を左にかける。馬の体が反転した。今やディーンの馬は完全にベッケルフの馬を視界にとらえる。ふぅと馬が息を吐く。どん、とディーンは両足で馬の腹に合図を送った。
馬が、駆ける。
首を低くし、鼻先を伸ばし、短い呼吸をせわしなく吐きながらも、一心にベッケルフの馬を追った。
「ディーン!?」
立ち往生しているリンゼイが馬上から呼びかけたが、声をかける余裕はない。
「離して!!」
セトは鞍にとりつきながらも、自分の腰を抱くベッケルフに怒鳴っていた。
「動くな! セト!!」
ディーンが怒鳴る。この速さで振り落とされたら、けがでは済まない。ディーンは荒い息を漏らす馬と、ベッケルフの背中を見やる。
追い付かない。
早い。
ディーンは迷う。自分の愛馬なら多少の単語が通じた。『進め』。『とまれ』。それぐらいなら、手綱を手放したとしても、やりおおせるだろう。
だが、この馬は今朝乗ったばかりだ。
乗りこなしやすいことはわかるが、手綱で細かい指示を出さないと、すぐに立ち止まってしまうところがあった。
「進め!」
ディーンは大声を張った。地面を蹴る蹄鉄の音に負けぬよう、腹から声を出す。
「進め!」
もう一度言う。円筒形の耳がぴくりと動き、ディーンの声を拾った。
ディーンは太ももを締め、しっかりと鞍を両股の間に挟むと、右手で手綱を絞ったまま左手で弓を取った。ちらりと前を見る。やはり、距離は縮まっていない。ディーンは深く息をひとつ吸うと、手綱を手放して矢筒から矢を引き抜く。
手綱から両手を放したからだろう。戸惑ったように馬が速度を緩める。
「進め!」
ディーンが怒鳴る。慌てたように馬は速度を上げた。
ディーンは膝で鞍をしっかりと抱えたまま、鐙にかけるつま先に力をいれ、腰を浮かせた。
馬上で矢をつがえ、上半身をひねる。
揺れる。
弓を握る左掌に意識を集中させる。小指で弓自体を縦に支え、親指を前方に押し込んで弦を引き絞った。右頬に矢の腹が当たる。狙いを決める。まだだ、と弦を右手で引く。ぎちり、と弓がしなった。馬が駆ける。
狙いが定まった。
弦を、放つ。
矢は空気を切り裂くように飛び、ベッケルフの右肩に命中する。
ベッケルフは首をのけぞらせて呻いたようだ。手綱を緩めたのだろう。馬の速度が見る間に落ちる。
「セト、しがみつけ!」
ディーンは二射目を弓につがえて怒鳴る。ちらりと紫水晶のような瞳が自分を振り返る。頷いた。セトは鞍に両手をかけ、あがくように足を蹴りだして上半身を持ち上げた。ベッケルフを押し出すように、自分の体を前鞍にあずける。
ディーンは安堵の息を漏らし、弦を放った。
矢は、ベッケルフの右頬を削り、そして同時に馬の耳をかすめたようだ。
急な攻撃に怯えたらしい馬はいななき、二本立ちになった。セトが悲鳴を上げ、ベッケルフは手綱を捌ききれない。セトは馬の首に両手を回したようだが、落ちていくベッケルフがセトの長髪を無造作につかんだ。
「セト!!」
ディーンが叫ぶ。セトはベッケルフに髪を掴まれたまま、あがくように彼とともに落馬した。




