20話 異臭
「扉は打ち付けられていたんだろ? いつもはどこか別の場所から入れるのか?」
伸びをして壁の側面を見る。作りも仕様もぞんざいではある。きっとどこか、板が外れて出入りができるようになっているんだろう。
「ここで、若者たちは、何をしますの?」
気づけばセトが二人の背後に立っていた。きょとんとした紫色の瞳で小首をかしげた。
「不純異性交遊とはなんですの」
困惑するディーンより先に、リンゼイが、しれっとした顔で答えた。
「愛を語らってたんだよ。寝る間も惜しんで」
「まぁ、それは素敵なことですわ!」
セトが華やいだ声を上げるが、リンゼイは鼻を鳴らした。
「あのね、セト」
リンゼイは顔を近づける。
腰をかがめ、セトの鼻先で視線を合わせた。
「女の子を口説いたり、『愛を語らおう』とするときに、場所を選ばない男ってさ。サイテーだよ」
「どういうことですの」
目をしばたかせるセトだが、興味津々にリンゼイを見ている。
「大事にしたくて、傷つけたくなくて、嫌われたくない相手をさ、こんなところに連れてくる?」
リンゼイは親指を立て、小屋を示す。
「君、こんな、汚ったないところでチューしたい?」
言われてセトは真っ赤になる。
「ここしか……その、なかったのでは? あるいはやむにやまれぬ事情があったのでしょう」
「そんな事情や理由がある男はやめとけ、ってことだよ」
リンゼイは腕を組み、ふん、と鼻息荒く語りだす。
「僕ならまず、食事に誘うね。頑張って、値段の張るお店。一回目が勝負だよ。ここで、『普段の僕』を見せちゃダメなんだ。一回目は、『精一杯、君のために頑張った僕』を見せるんだ。だって、女の子だって、『一生懸命おしゃれをした自分』で来るんだからね? それなのに、『普段の僕を好きになってもらう』とか言って、普段着で、いっつも行くようなファストフード店とかチェーン店に連れて行っちゃだめだよ。ここはちょっと頑張ろう」
「でも、背伸びしたまま付き合うのは疲れます。というか、そのファストフードってなんですの?」
眉を下げ、セトは言う。ちっちっちっち、とリンゼイは立てた人差し指を横に振って見せた。
「女の子だって背伸びしているんだ。互いに背伸びしてたら、疲れる時期は一緒さ。その時、互いに『普段の自分』になって向き合えばいいんだよ。要するにね」
リンゼイは立てた人差し指をセトの鼻先に向ける。
「落としたい女の子がいるなら、全身全力でことに臨めってことさ。手を抜いたり、考えるのをやめたり、ここでいいかって妥協するような男は、その程度しか、自分を好きになってないってことなんだよ」
「深い……、ですわね」
うんうん、と頷きあって熱く語り合っているが。
致命的なことに。
この二人。
互いに恋人がいない。
なにもかもがあくまで机上の空論だった。
リンゼイは次々に自分が編み出した最高のデートプランとやらを披露し始める。そこにセトが子ども並みに乙女チックな妄想を入れ始め、リンゼイの饒舌はさらに加速した。
二人の妄想は、もはやディーンには聞きがたいところにまで発展し、ごほり、と大きめの咳ばらいをする。
「で。この中で、さっきの男は何を見つけたんだ?」
声をかけると、リンゼイは「そうだった」と手を打ち鳴らした。
「まぁ、ちょっと見てよ。百聞は一見に如かず、っていうだろ?」
リンゼイが顎で扉を示して見せる。「聞いたことがない格言ですわ」とセトは首をかしげるが、ディーンは慣れっこだ。
扉に打ち付けただけの、取っ手らしき木の棒を握る。
ぐい、と手前に引くと。
妙な軋みを上げて、開くというより、傾いてきた。セトが小さく声を上げるから、ディーンは慌てて肩を扉に押し当て、倒れるのを防ぐ。
「大丈夫?」
好奇心につられて、いつの間にかディーンの隣にいたらしい。セトは驚いたような顔で扉を見ていたが、ディーンの視線に気づいて、笑顔でうなずいた。
ディーンは両手で扉をつかみ、開けるというより、持ち上げて、隙間を作る。
小屋内部に顔を押し込むと、セトも自分にくっついて覗き込んでいた。
「おやおや……」
ディーンは苦笑した。
隣でセトは顔をしかめている。臭いのせいだろう。鼻の根元にしわを寄せ、息を吐く。
照明もない薄暗い小屋の中には、大きな魔方陣があった。
白墨で描かれたのか、幾何学模様が絡み合うその画は、ディーンにはさっぱり理解できない古代文字が書き連ねてある。
小屋の中には、それ以外何もない。
それなのに。
「この匂い、なんでしょう……」
セトは両手で鼻を覆い、ディーンを見上げる。
ディーンも首を傾げた。
どちらかというと、動物系の腐敗臭に似ていた。チーズのような発酵臭が室内に充満し、扉を開けたというのに、薄まるそぶりも消える気配もない。
「匂いの元が、見当たらないな……」
ディーンは言い、小屋の中に入る。
板を敷いただけの簡易な小屋だ。ぎぃ、とディーンの体重で簡単に床がしなる。
「……この、魔方陣……」
きぃ、と軽い軋み音が鳴った。顔を向けると、セトが相変わらず両手で口と鼻を覆い、魔方陣に歩み寄っている。
「リンゼイ、この魔方陣……」
しばらく凝視したのち、セトは扉を振り返る。壁の板目から洩れいる光を乱反射し、紫水晶のような輝きでリンゼイに言葉を放つ。
「これ、異端ですわ」
「だよね。しかも、カーレンにまつわるものだよ」
傾いた扉が邪魔なのか、リンゼイは両手で支えながら、首だけ小屋につっこむ。入るつもりはないらしい。異臭が気になるのか、顔をしかめ、首を横に振る。
「最初は、どっかの司祭が儀式でも行ったのかとおもったけど、それ、カーレンだし、おまけにさ、術の様式が……」
リンゼイは中途半端なところで口を閉じた。
セトもディーンも。
口を引き結び、見る。
がらんどうの床に、描かれた魔方陣が淡く薄く、発光していたのだ。
(生物発光みたいだな……)
青白いその光に、ディーンはそう思った。
錬金術師たちに昔見せてもらったことがある。イカをさばき、コロニーを取り出して培養すると、暗闇で青く光るのだ。
(そういえば、セトの背中にあった魔方陣も、同じく青く発光していたっけ……)
ディーンがセトを見やった時だ。
「ふたりとも早くそこから出ろっ。うぎゃっ」
リンゼイは怒鳴り、そして悲鳴を上げる。「リンゼイ!?」。驚いてディーンが顔を向けると、あれだけ奇妙に歪んでいた扉が。
ぴたり、と。
ピースが嵌ったパズルのように、閉じていた。
「痛って……っ! ディーン! ディーン!!」
小屋の外でリンゼイが喚いている。板をはめ込んだだけの扉が大きくしなった。外側から叩いているらしい。ディーンは駆け、扉にとりついた。リンゼイが闇雲に叩くものだから、上手く取っ手が指にかからない。
「離れろっ」
大声で呼びかけると、扉の振動がぴたりと収まる。ただ、すぐそばにはいるようだ。荒いリンゼイの息遣いは聞こえた。
ディーンが取っ手を掴み、引く。びくともしない。今度は押した。動かない。舌打ちする。右肩を板に押し付け、体重を乗せて押す。
軋みもしない。
閉じ込められた。




