21話 贄とひきかえと聞いた
「……ディーン」
どうしましたか、セトはそう言いかけて言葉を飲んだ。
聞こえたからだ。
「贄と、引き換えと聞いた」
平坦で、抑揚のない声だった。
「贄と、引き換えと聞いた」
小さな声だ。
ディーンは気づいていない。開かないらしい扉を、いらだったように今は蹴りつけている。重く、軋むような音を立てているのに、不思議と扉は微動だにしなかった。
「贄と、引き換えと聞いた」
その。
セトに向けられた言葉の語尾が。
ごぼり、と。
気泡が破裂するような音に潰える。
「贄と、引き換えと聞いた」
こぽり。
今度は軽い発砲音の後に、言葉が続いた。
漂うのは。
異様な臭気。
「贄と、引き換えと聞いた」
下だ、と気づいた。
声は、下から聞こえる、と。
セトは恐る恐る、視線を足元に向ける。
すぐそばにあるのは、魔方陣の幾何学模様。様々な図形が織りなすのは、古代から連綿と引き継がれた約束事や契約の証。
魔術とは、過去から現在までの様々な契約を、まるで迷路をたどるように書き記すことから始まる。精霊、妖し。魂。そんな実体を持たず、だが、確実に「意識」を持った存在達と交わした約束を積み重ね、さらにもうひとつの、大きな「契約ごと」をなそうとする。
それが、魔方陣を使った術だ。
青白く光る契約書は、地の精霊と取り交わした約束事が描かれている。
とらえること。とどまらせること。
地の精霊は、術者にそれを約束していた。
「贄と、引き換えと聞いた」
声は、板間の下から聞こえてくる。
セトは、だが、いぶかしむ。
この小屋に入るとき、段差は感じなかった。
地面と、小屋の床。
そこに『差』はない。
ということは。
この小屋は、地面に直接板が渡されただけなのだ。隙間があるといっても、指の第一関節ほどもあるかどうか、というところではないだろうか。
そんな。
そんな、些少な隙間から。
どうして。
声が聞こえるのだろう。
「贄と、引き換えと聞いた」
セトは目を細める。薄暗い。室内に窓がないせいで視界が悪い。
声の聞こえる方に目を向ける。
真下だ。
そっと足をずらし、チュニックの裾をからげる。編み上げの長靴がのぞく。セトは自分の、そのつま先を見た。
板と板がうまく隣り合っていない。
少しだけ、隙間があった。
こぽり、と。
そこから気泡が割れる音がする。
臭気が立ち上った。
「贄と、引き換えと聞いた」
声が、聞こえる。
セトはチュニックを握りしめたまま、膝を折る。腰をかがめた。しゃがみ込み、板間の隙間を。
覗き込む。
「贄と、引き換えと聞いた」
目が、あった。
どろり、と白濁した瞳だった。
くすんだ、青色の瞳をしていた。
彷徨うように、探すように。二度三度、揺らいだかと思うと。
硬直するセトの瞳と。
目が。
合った。
「お前が、贄か」
ぽこり、と気泡がまたひとつ、潰えたようだ。吐き気を催す臭気が板の割れ目から吹き上がり、セトは悲鳴を上げて立ち上がる。




