14話 わたくし、許嫁がおりますの
いきなり切り込んだリンゼイに、危うくディーンはワインを吹き出すところだった。慌てて飲み込み、しかしむせる。げほげほ、と顔を逸らして咳き込んでいる間に、セトが大きくため息をついた。
「わたくし、許嫁がおりますの」
「まぁ、君ぐらいの年齢なら、いてもおかしくなさそう。いくつ? 僕は16歳で、ディーンは18」
リンゼイがシチューの具材を口に運びながら首を傾げた。
「まあ、そうですの。わたくしは16ですわ。10歳になったときに、許嫁が決まりましたの」
ふうん、とリンゼイは相槌を打つ。
「今年にでも結婚式を挙げるのだと侍女から聞きました」
「そりゃ、おめでとう」
咀嚼しながらリンゼイが言うと、目力強く睨まれた。
「めでたくなどありませんっ! 毛むくじゃらの大男なのですよっ」
ぴしゃりと言い放つセトに、リンゼイは笑う。
「おもいっきり、政略結婚なんだ。年、離れてんの?」
「年はそんなに変わらないと聞きましたが……。年より、何より、毛むくじゃらが嫌っ! すね毛が生えてるんですっ。すね毛が! おまけに、ひげまで……」
おぞましい、とばかりにセトはパンを膝の上に置き、自分の腕をこする。
「腕は丸太のよう。背丈は巨木のよう、目などぎらぎら光って……」
「いや、男だから腕は太い方が良いじゃん。ひげ生えるでしょ。僕も生えるよ、ひげ」
「嘘っ! 見えませんわよっ!?」
「あるよ。ほら、よく見て」
リンゼイが顎を突き出し、セトが目を細めて顔を寄せる。じっくり数秒見たあと、首を傾げた。
「……産毛ではなくて?」
「ひげだよっ」
真剣に抗議するリンゼイに、セトは不服そうだ。
そのやりとりを見て笑っていたディーンだったが、不意に紫色の瞳を向けられ、思わず木匙を取り落とすところだった。
「貴方も生えますの? おひげ」
真っ直ぐな目で尋ねられ、苦笑した。
「まぁ。男だから」
「すね毛も?」
「……まぁ。うん」
一体、何を俺は答えているんだ、と思いながらもディーンは頷く。セトは満遍なくディーンを見渡したあと、ほう、と落胆の息を吐いた。
「教会騎士でも、すね毛は生えるんですのね……。ひげも……」
「異端審問官だって、すね毛あるぞ」
堂々と審問官服の裾をめくり、ズボンをめくり上げる。セトに示してみせるが、セトはやっぱり首を傾げた。
「……なんか、想像と違いますのよ……。審問官殿のは」
「なにがだよっ! すね毛だよっ」
猛然と抗議するリンゼイを無視し、やっぱりセトはディーンを見る。
「ディーンも見せて下さい」
「いや、良いだろ、別にっ」
慌てて首を横に振る。なんでこの子に俺はすね毛を見せねばならんのだ、とディーンは矛先を逸らす。
「父上や……。兄君はいないのか。彼らに見せてもらえよ」
「父上や兄君ですか……」
途端にしょぼん、と肩を落とす。それまで「僕だって、ボーボーだ」と訳の分からないことを主張していたリンゼイも、その様子に口をつぐんだ。ディーンも同じだ。これはまずいことを聞いたと口をへの字に曲げる。
「いや、ま。その……。その、許嫁が嫌で、それで?」
慌ててディーンがそう口にすると、「そうでしたわ」と、ぽんと両手を打った。
「それで、泣き暮らしておりましたら……。あの男が来ましたの」
「「あの男?」」
ディーンとリンゼイの声が重なる。セトは眉根を寄せ、苦々しく答えた。
「ベッケルフですわ」
セトは黒パンを口に放り込むと、憎しみを込めてかみ砕く。
「逃がしてくれる、と言いましたの。他国へ」
ディーンとリンゼイは顔を見合わせた。その間に、セトは蕩々と語る。
「わたくし、馬術が趣味で……。毎日部屋に閉じこもって泣いておりましたので、周囲の者が心配しましてね。それで、私の馬術の相手に、とあの男が選ばれてやって参りました」
「悩みを打ち明けたんだ……?」
リンゼイがため息交じりに問う。セトは一瞬言い返そうと口を開いたが、項垂れるように頷く。
「だって、あの男しか私の悩みを真剣に聞いて下さらないんですもの。他の者は皆、親が決めた相手と結婚するのが一番だ、と。年頃になれば周囲が選んだ男と結ばれ、子を産むのが一番だ、と」
セトは膝の上の黒パンに視線を落としたままそう言う。
間違ってはいない、とディーンは思う。町娘や村娘ならいざ知らず。貴族の子女だ。親が決めた婚姻相手のところに嫁ぎ、財産を、家を、名誉を次世代につなげなくてはいけない。自分の姉が。
そして。
自分がそうであるように。




