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白銀の渦の中で、何かが弾け飛ぶ音がした。きらきら、空から黄金の粒が降ってくる。沈んでいく太陽の、欠片みたいに。
弟が静かに歩み出て、左手を握り込んだまま身を丸めている少女を、横抱きにした。だらりとさがった少女の左手に、黄金の指輪はない。ヴィッセルの横で同じものを見ただろうリステアードが、ハディスの背に尋ねた。
「どうするんだ、彼女はお前の大きな地盤だぞ。実家に帰すわけにも」
「クレイトスの駒にはさせない。閉じこめる。……すぐ戻るよ」
目の前で弟の姿が消えた。転移したのだ。
ふうっと両肩から息を吐く。そんなつもりはないが、緊張していたようだ。最悪、竜妃が逆上してハディスに襲い掛かることもヴィッセルは考えていた。
ハディスとフェイリスが手を組むのであれば、ジルなど敵ではない。だが、ハディスが傷つかないわけではないから。
「……今は、信じましょう。ハディスだって無茶はしない」
わかったようなことをリステアードが言う。じろりとヴィッセルはリステアードをにらんだ。
「どういうつもりだ」
「どういう意味です?」
「お前が味方するとは思わなかった」
女神やその器が、どこで聞き耳を立てているかわからない。だが聞かれていてもかまわないと、ヴィッセルは正面から尋ねる。この絵図を描き上げようとしているロレンスとかいうあの子どもも、意外に思ったに違いない。
「僕はハディスの味方だが、ずっと」
弟が堂々と答える。こめかみが引きつった。
「たかが一、二年、ハディスのそばにいただけで、よく開き直れるな」
「ですがあなたひとりでハディスを支えるのは無理ですよ、兄上」
いきなり外交用の笑顔を向けられた。何もかもわかっているぞ、と言わんばかりに。
「そもそも、クレイトスがこちらに手のうちをすべてあかしたとも思えない。そんな状況で、きょうだい喧嘩をしている場合ではないでしょう」
「……てっきり味方だと言いながら真正面から反乱でも起こすかと思っていたんだが」
「今のハディスに必要なのは、正しいだけのお説教ではない。兄上もおわかりでしょう、クレイトス……いや、あの側近か。僕たちはもう先手をとられてるんです」
たしかにあの側近は、ベイルブルグを放棄するだけの価値がある策を講じた。今まで竜神の姿が見えなかったせいで思いつきもしなかったことを、ハディスに見せつけた。
お前が守れと教えられてきたものは、お前の大切なものを守らない。
「兄上のほうが得意な分野なのは理解しています。だが、やらねばならない。お祖父様も、義父上もやってのけたことだ。できるできないではない、やるんだ」
挑むようににらまれ、ヴィッセルは押されたように息を呑む。
「マイナード兄上もルドガー兄上も、あてにできない。いや、あてにしてはいけない。エリンツィア姉上はこういったことに不得手だ。ナターリエは微妙な立場だし、ルティーヤもフリーダも幼い。僕と兄上しかいないんだ、今のハディスの両翼になれるのは」
――昔、次期ラーヴェ皇帝の両翼になると言われていたのは、アルノルト・テオス・ラーヴェとマイナード・テオス・ラーヴェだった。ヴィッセルにとっては屈辱の、だがリステアードにとっては輝かしい兄の、あるべき未来。
たった今、この弟は、それを過去にした。
今、自分の胸に去来したこの想いはなんだろう。まさか、悲しさではあるまい。喜びでもない。しいて言うなら、畏れか。初めてずっと握っていたものの意味に、気づいたような。
胸を張らねば。今更、怖じ気づくわけにはいかない。うしろで手を組んだ。
「覚悟があるなら結構だ。このまま平穏にいくはずがない、あとで泣き言を言うなよ」
「承知している」
どこからか、女神が見ている気がした。だが、かまわない。まずは、竜妃の騎士たちだ。今、姿を消したのが偶然なわけがない。
ちらと見あげた空からは、もう光が失われ始めている。




