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75日目 推しとの距離間

「…マダコって脳が九個もあるんだって」

「あんたより頭いいんじゃない?」


 昨日、我が家(美堂家居候中)に新しい家族がやって来た。

 名前は観音寺。ドンを付けてもいい。

 推しが結婚するという絶望的な状況に追いやられた桐屋蘭子を慰める為に我が弟、こーちゃんがわざわざ豊洲市場で買ってきたマダコです。


 なんか調べたらタコって寿命短いんだな。


 90センチの巨大水槽の中で蛸壺に籠って出てこない観音寺だけど、昨晩はエビを食べた。今日は鯛の切り身をあげる予定。私らよりいいの食べてる。


 お母さんも興味津々、タコのなんとも言えない瞳に吸い込まれるように水槽に張り付いてる。


 タコって何考えてんだろ……不思議な目してんな。


「おはよう、かんのんじ、あさごはんたべる?」

「……観音寺。あんまり水汚さないでね」


 観音寺はその奇妙な姿で早速みんなを虜にしたみたい。私らの好奇の眼差しを受けても我関せず、広い水槽内で悠々自適に暮らしてる。


 3月16日木曜日。



「……あなた、観音寺を迎えるにあたっての出費は、あなたのお小遣いから引いておきますから」

「なんでだよ。ふざけるな」

「……ふざけるな、じゃないでしょう?あなたがいいなんて言うから居候が増えたじゃない」

「お前なぁ…蘭子ちゃんが可哀想だと思わないのか?」

「……あなたはいいわよね?会社に逃げられて」

「いい加減にしろ!!」


 美堂夫妻は相変わらず子供の教育に悪い夫婦喧嘩を続けてた。

 そして……


『おはようございます。目が覚めテレビのお時間です』


 私の精神衛生上非常によろしくないスマイルが今朝も画面を占領してる。

 私は陽菜みたいな目…つまり死んだ魚の目をしながら画面を見つめる。きっと今の私の目は、観音寺より覇気がない。


 いやでも目につく左手の薬指に輝く結婚指輪。

 腹立たしい…

 朝から私のメンタルは非常に危険な領域まで汚染されてた。



 昨晩高村さやちゃんの結婚相手について調べてみた。けど、相手は一般人男性との事で名前は出てこなかった。

 さやちゃんのインスタグラムには数ヶ月前から何となくそれを匂わせるような投稿があったのを知った。自宅でのクリスマスパーティの写真にはケーキが二皿分あり、恐ろしい事に洗面台が写ってる投稿はアップにすると歯ブラシが2つ…


 吐いた。


「おぇぇぇぇぇっ」

「……蘭子!?私の部屋で!?」


 一晩中。



 最悪な朝を迎えた今日。地球滅亡までの26日間を毎朝こんな気分で迎えなきゃならないのか…


「…………いや」

「蘭子、お母さん仕事行くけど…なに、その目は。何かを決意したような眼差しだけど…あんた、大人しくしてるのよ?」

「…………」

「……返事がないわね」

「……………………」

「蘭子?」


 桐屋蘭子、このまま終わる事は…できない。


 *********************


 やって来たぞ……


 決意の眼差しを秘め、たった一人でその場所に立つ私は巨大な球状のシンボルを見上げてた。

 場所は東京、お台場。


 無地テレビ本社ビルだ。


 電車賃が無いからここまでヒッチハイク(ゴルフクラブ振り回したらなんかタクシーの運ちゃんがタダで乗せてくれた)でやって来たんだ。


 目的はそう……決まってる。


 私はゴルフクラブ片手にテレビ局に突入する。


「…?……!?なんだ君は!!」


 ゴルフクラブ振り回しながら入館したら早速警備員に呼び止められた。けど、自称日本一警備員と対立した女、桐屋蘭子は怯まない。


「どけ」

「いや退くわけないだろ」「なんだね?君は。そんなもの持って」

「高村さやちゃんに会いに来た」

「……警察呼ぶよ?」「そんな人ここには居ないな」

「嘘をつくな。通せ」





 三分後、ボコボコにされた私はテレビ局の前に捨てられてた。お台場の潮風が頬を乾かしていく。濡らしたのは…悔し涙だ。


「ぐぅぅ……」


 あんまりだ。六人がかりだなんて……こっちは推しに裏切られたばかりの傷心の身だって言うのに…っ!


 ……まぁでも、SP相手に無双できる私が一介の警備員に遅れをとる事はない。当然これは、蘭子の策略なのだ。


 テレビ局ってのはテロ対策で内部はとても複雑な迷路のような構造になってるらしい。

 さやちゃんの居場所なんて教えてくれないだろうし、警備員と格闘しながら探し回るのは困難だ。


 なのであえて狙いを晒した上で一度退却したのさ。




 私は知ってるから……






 キャップとサングラスとマスクで顔を隠した私はそのまま局から離れる。数十メートル程離れた、道路を挟んだ向かい側、一見するとそこは局とは関係ない立体駐車場の出口。


 でも私は知っている。

 奥からのっそりと出てくる白いセダン。私は車の前に飛び出した。


 急ブレーキで車体を跳ねさせるセダン。運転手が恐る恐る窓から顔を覗かせた。

 私は顔を晒す。


「さやちゃんっ!!」

「…………あっ…あなたはっ!?」


 そこには日本の朝の顔、ニュースキャスター高村さやちゃんが居た。


 *********************


「……あの立体駐車場は地下で無地テレビの地下駐車場と繋がってる…マスコミ対策とかでタレントさんが秘密裏に局を出入りする時、あそこを使う…結婚発表の直後に不審者が殴り込んで来たとあったら、さやちゃんはあのルートで局を出るだろうって…」

「…………じゃああの騒ぎはあなたが…てか、よく捕まらなかったですね」

「未成年だから」

「そういう問題じゃなくない…?」


 近くの喫茶店、密談にうってつけの奥の席。

 私と高村さやちゃんは向かい合ってコーヒーを飲んでた。


「あっち!にっがいっ!!ちょっとマスター!これ苦いんですけど!?(怒)」

「……ブラックですから」


 マスターに苦言を呈しながらもテーブルの上に置かれたさやちゃんの手を見つめる。やはりそこには銀色の結婚指輪が輝いてる。


「……あなた事は覚えているわ」


 さやちゃんが言った。


「推しに認知されていた……っ」

「あんな衝撃的な出会いは忘れられるものじゃないもの……」



 私達の出会い--

 それは忘れられるものじゃない。お互いに…


 でも私は推しとファンとの距離感をちゃんと理解できるタイプのファンなので、これまでさやちゃんに不用意に接近するような事はしなかった。


「……そう、思ってた…」

「……今回はどうしたの?」

「どうしたのじゃないでしょ…さやちゃん…どうして……どうして結婚なんてしたの!!」


 桐屋蘭子怒りの慟哭。客の入ってない店で助かった。

 感情的になる私を窘めるようにさやちゃんは私を見つめてた。

 私は続ける。


「……あなたに会いたいって思ってたよ。でも、それはこんな形で叶えたい願いじゃなかったのに…私は一ファンとして、あなたとの出会いは封印してた。無かったことにして、私は今日まであなたを推し続けてた。でも…」

「……」

「結婚するんなんてあんまりじゃんかよぉぉぉぉぉぉぉ(涙)」


 なんか最近よく泣くな私。


「私もあなたと出会った事は記憶の奥底に、大切な思い出としてしまっていた。もう二度と会うことは無いと思っていたけれど…でも、まさかこんな形で…祝福してくれると思ってたのに…」

「私にこれから毎朝!左手の薬指を光らせたあなたを見ろと言うのか!?」

「……嫌なら見なくてもいいんだけど…」

「あなたの口からそんな言葉は聞きたくないっ!!」

「…………相変わらずエキセントリックな人」


 さやちゃんは左手の薬指を愛おしそうに撫でながら…


「……私、ようやく幸せを見つけたのよ。バタフライの人」

「…その呼び方はいや。バターフライの人って呼んで」

「あなたに貰ったこの命、あの日私誓ったわ。絶対幸せに生きるって……」

「え?無視?」

「その夢を叶えました」


 さやちゃん……


「バタフライの人…あなたのくれた命、大切に生きてます。だから私の幸せを祝福してください」

「……(涙)」

「これからもテレビ見てね?」

「ううぅ……うぅぅ……っ」


 嗚呼……こんな事なら……

 あの日助けなければ……


 *********************


 中学一年の夏。その日は記録的な台風が北関東を襲ってた。台風直撃の前夜から降水量は一時間に80ミリを超え、暴風吹き荒れる家の外はまさに自然の暴力に晒された魔都と化していた…


 前日から振り続ける豪雨の影響で川は氾濫し、激しい濁流が街を襲ってた……


 そんな日に私達は出会った。



 前日の私はお母さんと一悶着あった。

 そう、私は海に行きたかったのに、お母さんがそんなお金はないと言い出したんだ。大体この大荒れの天気で海になんか行ったら死ぬぞ、と。

 海に行けなかった私の怒りは頂点に達して、同時にある事を思いつく。


 ……今外は川の氾濫で冠水…実質海じゃね?


 私はその日スク水姿で町に繰り出してた。


 なんでもその日はとある一級河川が大氾濫してたんだって…そのせいで町は完全水浸しの上とてつもない勢いで水が流れてた。




「あーーーれーーーっ!!」



 ……そんな流れに揉まれて、流されていたのが高村さやちゃんだった。


 当時の私は彼女の事を認知してなかった。ただ、町の惨状をリポートしに来た命知らずのキャスターが濁流に呑まれてるんだってのはすぐに分かった。

 認知してなくてもどこかで見た顔だったし、慌てた様子の撮影クルーも居たし…


 私は一瞬迷ったけど、人として正しい事をする事にしたんだ。


「あっ!あれを!!」「なんだあの子は!?スク水姿の女の子が濁流の中に飛び込んだぞ!?」「大変だっ!!すぐに救助を呼ぶんだっ!!」


 撮影クルーが大慌ての中私は激流に逆らってバタフライ。

 昔通ってたスイミングスクールでは『水中のフクロウナギ』って言われた私だ。泳ぎは得意。

 すぐにさやちゃんには追いつけた。


「捕まって!!」

「がぼがぼっ!!ぼぼっ!!」

「早くっ!!」

「あっ……ちょっ…がぼぼ…捕まれないっ!!」


 …生還したさやちゃん曰く、バタフライが激しすぎて手を伸ばしても掴まれなかった、との事。



 ……結局二人一緒に流されました。




 命からがら撮影クルーに救出された私ら。

 さぞ怖い思いをしただろう…そう思いながらさやちゃんを見つめてたら…


「はぁ…はぁ……続きを……中継繋いでください…」

「……あんた、こんな状況でまだリポート続けるつもりなの?」


 思わず突っ込んだ私に彼女は笑って言ったよ。


「私はキャスターだから……」


 *********************


「あの時のあなたのジャーナリズム精神に感銘を受けた…なんて事はなかったけど……」

「え?なかったんだ……」

「むしろ、我が身も顧みずに危険な現地取材を続けるその精神性に私は嫌悪感を覚えた。雲仙普賢岳の噴火の時の話知ってる?」

「……ごめんなさい」

「ただ…あの時の笑顔が素敵でね……」

「……え?」


 過酷な環境で咲く花が美しいように……

 過酷な現場でも笑っていた君のその笑顔に私は惹かれたんだ……



 金がねーので車で送ってもらうことになったんだ。

 車内のさやちゃん臭を瓶詰めしつつ…帰ったら部屋で開封しよう…わくわく。


「バタフライの人…私はあなたの名前が知りたい」

「よしな。推しとファンは適切な距離感が大事。私達はお互いを知らない……それが一番いいじゃないか…」

「……じゃあなんで今日来たの?」

「結婚はダメだから」


 ……まぁでも…推しにあそこまで言われたなら仕方ない。

 推しの幸せは私の幸せ。

 ……それにお前らの新婚生活もあと25日で終わるからなっ!!


 推しと夕日を眺めながら、そう思う事にした。

 だから明日も……君を見るよ。



 地球滅亡まであと25日…

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