74日目 観音寺
3月15日水曜日。朝7時…
『おはようございます。目が覚めテレビのお時間です』
「さやちゃぁぁぁぁんっ!!!!」
桐屋蘭子、発狂。
「……ひなおねえちゃん、これ、なに?」
「……これは新しい学校の教科書だよ」
「こーちゃんが、ぱふぱふちきん、かいてあげる」
「……ぱふぱふちきんって…なに?」
「かきかき」
「……ああっ、ちょっと…油性ペンで…やめてっ買ったばっかりなんだよ?」
「かきかき」
「( ´•̥̥̥ω•̥̥̥`)」
今日も平和だ。
何も無い春休みの一日…刻一刻と迫る滅亡の時を忘れさせるような暖かい朝日を迎えての朝。
カンパルノ妹と和解した私の心は晴れやかだった。
「…………ん?あれ?」
そんな、今日。
『皆さんに今日、ご報告があります』
私の推し、高村さやちゃんが報告があるというので、私は耳を澄ませた。
「……今日は遅いの?あなた」
「ああ、多分残業になる。というか…俺のゴルフクラブが見当たらないんだけど知らない?」
「……休日はゴルフ、平日は残業、接待…はぁ……あっそ。じゃあ、ご飯要らないのね?」
「なんだその言い方は」
「……あなたはいいわよね?会社に逃げれて。私は毎日この家で、家事に桐屋一家の面倒に…」
「おい、俺だって会社に遊びに行ってるわけじゃないんだぞ?」
「……そうですか」
「なんなんだ最近!」
「……別に!?ええそうですよね!?あなたが稼いだお金でゴルフクラブ買おうが!無駄に高いウイスキー買おうが!毎晩終電逃してタクシーで帰って来ようが!!あなたが稼いだお金ですもんね!私がやりくりしますから!?どうぞご心配なくっ!!一世帯居候してますけどご心配なく!!」
「お前なぁ!?」
「……あと、お義母さんの老人ホームの件、考えておいてね?」
「おいっ!!」
……なんだか美堂夫妻は最近ギスギスしてます。大人って大変だなって…
こんな感じの夫婦喧嘩とか、お母さんとお父さんが離婚したのとか見てると結婚って何がいいのかなって考えちゃうけど…その結婚の果てに産まれたのが私らなわけだし…
『私高村さや、先日結婚致しました』
「………………??」
結婚について考えてたら突然テレビの向こうから高村さやちゃんの衝撃的な一言が…
何かの聞き間違いに違いない。そう思って画面を見返したら、高村さやちゃんが左手の薬指を幸せそうに見せてた。
その指には白銀に輝くエンゲージリングが…
『おめでとうございます』『おめでとう!』
『ありがとうございます。夫と幸せな家庭を築きつつ、引き続き皆さんに素敵なニュースを届けていけたらと思っ』
バンッッ!!
「……え?」
「おねえちゃんがてれびこわした!!」
気づいたら私は美堂家のテレビをぶち壊してた。
「あぁ!?俺のゴルフクラブ!!」
陽菜パパのゴルフクラブで。
「蘭子あんたっ…他人様の家のテレビに何してんのよっ」
「はぁ…はぁ…はぁ…っ」
「何があったの!?」
「うぅっ……うあぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
結婚……?
さやちゃんが結婚……?
結婚!?!?
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!」
その瞬間、目の前が真っ暗になった。
もう地球滅亡とかどうでもいいくらいには…
私は叫んでた。
「あああっ!?うちのテレビがっ!!」
陽菜ママも叫んでた。
「俺のゴルフクラブっ!!」
陽菜パパも叫んでた。
さぁご一緒に。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
バシンッ!!ベキッ!!ボキッ!!ベキッ!!バゴンッ!!
「やめ…やめてぇっ!!家を壊さないで!!賃貸なの!!あなた何とかして!!」
「やめてくれっ!!俺のゴルフクラブ!!カーボン製だぞそれ!!」
「蘭子っ!!これ以上借金増やさないでっ!!」
「……蘭子(汗)」
「おねえちゃん、かっこいい」
「ぎゃあああああああああっ!!!!」
ポキンッ
「おっ…俺のゴルフクラブがっ!!うわぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
3月15日水曜日…地球滅亡まであと27日。
絶望の一日が始まる--
*********************
高村さやちゃん。
私の推しのニュースキャスター。
可愛くって美しくって、いつでも私に勇気と元気をくれる女性。
私が誰かを好きになるとすればそれはこーちゃんかさやちゃん…次いで校長せんせーくらいか…
私は高村さやちゃんを愛してる。
いや、愛してた。
私こそが誰よりも彼女を理解して、彼女も私に語りかけてくれていた。
なのに……
マンションの屋上から見下ろす町の景色はこんな日だっていうのに憎たらしいほどいつも通りで、何事も無かったかのように時間が流れてる。
屋上の柵の向こう側に立つ私は眼下の硬い地面を見つめてた。
「蘭子っ!!」
お母さんの声が聞こえる。
「あんた冗談じゃないわよ!?今すぐそこから戻りなさいっ!!」
「おねえちゃん……」
お母さんとこーちゃんが私を見つめてる。そして陽菜も……
「……蘭子…死にたくないってこの前言ってたじゃない…馬鹿な真似はやめよ?」
屋上の扉が開いて美堂夫妻が警察と一緒にやって来た。状況を一目見た警官が顔色を変える。
下も凄い騒ぎだ。
「蘭子ちゃん…落ち着いて……」
「ゴルフクラブの事はもういい…考え直そう?ね?」
「警察です!そこを動かないでっ」
「来ないでっ!!」
私の声に皆が固まる。
……LINEだ。
カンパルノ妹
マイプリンセス、新しいチャンネルアカウント作ってもらったよ
動画は孫が編集してます
……すまん、カンパルノ妹。
「……蘭子、あんた…急にどうしたの。いいからお母さんに話してみなさい?」
来ないでって言ってるのにお母さんがにじり寄ってくる。でも私はそれに拒絶をもって答える。もう一度喉が張り裂ける勢いで「来ないでっ!!」って叫ぶ。
今度こそ母さんの足が止まった。
「おねえちゃん、こわいよ」
こーちゃん……
嗚呼、愛しのこーちゃん…ごめん。こんな事になってしまって…
もう純粋な気持ちでこーちゃんと目が覚めテレビ、見れないや…
振り返って最愛の天使の顔を見つめる私の頬に、涙が一筋…
全員の顔が凍りついた。
「……みんな…ごめん」
「……蘭子っ!!」
「いやっ!!だめっ!!蘭子ぉっ!!」
「おねえちゃんっ!!」
「早まらないで蘭子ちゃんっ!!だめよ!!」
「蘭子ちゃんっ!!」
「いかんっ!!至急応援をっ!!」
つま先が数センチ、前に突き出る。なんだかこのまま、空を飛べそうだ。
お母さんが駆け出した。なりふり構わず全力で向かってくる……
それを見つめながら私は--
「さやちゃんの……バカヤローーっ!!!!」
渾身の怒りの叫びが町に響き渡った。
お母さんも、こーちゃんも、陽菜も、陽菜パパもママも、お巡りさんも、下に集まった野次馬も…
全身全霊の私の叫びに固まった。
「……よいしょっ」
そんでもってひと叫びして柵の内側に戻ってくる私の姿に、更に固まった。
「お母さんお腹空いた」
クラウチングスタートでダッシュしてきたお母さんから本気のビンタ、食らいました。
*********************
自室(陽菜の)で布団に引きこもってたら夕方になってた。
私は立ち直れなかった。
さやちゃんは私の人生の半分を捧げた人であり、これは重大な裏切りだと思ったからだ。
自殺する程落ち込んでるのかと言われたらそんなんで死んでられない。どーせあと30日もせずに死ぬんだし。
「……そっか、はは…さやちゃんもどーせあと少しで死ぬんだな…どこのやろーか知らないけど結婚相手も一緒に……はははは……はは…ざまぁ…みろ……」
「……蘭子」
「ざまぁみろ……(涙)」
泣いた。
私が泣いたのは人生で四回。
産まれた時。
ピエール・ガンバッテルマンが買えなかった時。
陽菜に屈辱を味あわされた時。
そして今だ。
陽菜の枕で鼻をかんで、私は寝込んだ。心做しか熱っぽい。私は一体どうすれば……
…………やっぱり死のうかな。
「……蘭子ぉ」
その時、陽菜しか居ない部屋に不躾に入ってくる女が居た。我が母、志乃だ。
私は睨み返す。
呆れた顔をしたお母さんが入口の方から声をかけてくる。
「ご飯できたわよ。あと、ご飯の前に話があるわ」
「……ご飯のメニューは?青酸カリ?殺鼠剤?」
「バカ言ってんじゃないわよ。全く…推しが結婚したくらいで…」
「結婚したくらい?したくらい!?」
「推しが結婚したなら推しと無理心中するくらいの気概見せなさいよ」
「……おばさん、そういう事言うと蘭子本気にするから」
陽菜が失礼な事言ってる。
「そんな事より蘭子、早く来なさい。こーちゃんが待ってるわよ」
あと二日くらい引きこもってたかったけど、こーちゃんからの呼び出しとあればそうもいかない。
私は重たい足取りでリビングにやって来た…
そこには美堂夫妻とお母さん、そしてこーちゃんが待ってた。
こーちゃんが泣き腫らした私の顔を見ててくてく駆け寄ってくる。
「おねえちゃん、げんきだして?」
「こーちゃん……」
嗚呼愛しのこーちゃん。なんて優しいんだろう。ままどおるより優しい…
早速気になったのはリビングのテーブルに置かれたでかいクーラーボックスだった。
陽菜が問いかける。
「……これ、なに?釣りにでも行ったの?」
「これ、おねえちゃんへの、ぷれぜんと」
プレゼント?もしかして牡蠣?
今日は残業で遅くなるって言ってたはずの陽菜パパが何故か居るリビングに私は腰を下ろした。
目の前のクーラーボックスからはエアーのぶくぶくした音が響いている。中身はまだ存命らしい。
そしてほのかな磯の香り……
「……こーちゃんがあんたに元気になって欲しいからって…豊洲で買ってきたのよ」
「え?ひとりで?」
「な訳ないでしょ?お母さんも一緒に行ったわ。どーしても行くんだって聞かないから」
「……」
「開けな?」
こうまで言われて開けない訳にはいくまい。
顔を輝かせるこーちゃんの前で私はクーラーボックスに手をかける。
リビングの照明が蓋の閉じられたクーラーボックスの暗闇を照らす。私達が上から中を覗き込むその先に--
……タコがいた。
「……タコだね」
「タコなのよ」
「タコだ」
美堂一家が目の前の光景を説明する。タコが一匹入ってる。それ以上でもそれ以下でもない。
なかなかのサイズだ。多分……マダコ。立派だ。目算800グラムはありそうな……
ついこの前タコパやったばかりなんだけど…
「……ありがとうこーちゃん。美味しく食べ--」
「あたらしいかぞくだよ」
……なんて?
「なまえ、なんにする?」
わくわくした顔で訊いてくるこーちゃんに私は固まってしまった。
母が補足する。
「あんたが落ち込んでるから友達連れて行くんだって、聞かないのよこの子…まぁタコなら……いいかなって……」
なにが?
「……こーちゃん、これ、飼うの?」
「おねえちゃん、ちゃんとおせわするんだよ?」
……整理しよう。
目の前には生きたタコ。マダコだ。
どうやら食材としてではなく、ペットとして連れてきたらしい。
そして大前提としてここは自宅じゃない。美堂宅だ。
美堂夫妻をそっと見る。
「…………飼うの?ここで?」
陽菜ママからの圧力。
応じたのはうちのママ。
「この子言い出したら聞かなくって……」
「……でも、ここ、私らの家なんですけど…ね?あなた」
同意を求められた陽菜パパは……
「……うん、まぁ…このマンションペット不可だけど…水槽で飼うやつなら別に…」
「あなた?」
「……金魚みたいなもんだろ?」
「ちょっと!!」
……結構でかい。
水槽、90センチくらいいるんじゃないだろうか…
「おねえちゃん、なまえ、どうする?」
でも……こーちゃんのこの笑顔を裏切る事なんてできる?
この子は落ち込んでる私を見て、元気付けようってわざわざ豊洲まで……
「……運命感じたんだってよ。市場でこの子を見た瞬間…目が合ったって」
お母さんが語る。こーちゃんとタコの出会いを。
特徴的なタコの目を見る。おいおい、陽菜よりも生き生きしてんじゃねーか。
流石豊洲市場だな。
タコと見つめ合う。
なんだか語りかけてる気がするよ……「死にたくない」って。
でもそれだけじゃない。
なんかこいつ……他人じゃないような……
ていうか……
こいつ、私とどっかで会ったような気がする…
語りかけてくるようかタコの眼差しが視界から離れない。
こーちゃんからのプレゼント。それだけじゃない。
私達はなにか…運命で繋がってる。そんな気がするような…………
……吸盤が不揃いだからオスだな…
「あなた…冗談じゃないわよ。水換えとか餌当番とか、結局私がする事になるのよ?」
「仮にそうなったとしてもいいじゃないか。そんなに手間のかかるものでも無いし…もし死んだらたこ焼きにすればいい」
「あなたはいいわよ!?家にいないんだから!!」
「なんだと!?」
美堂夫妻が大人気なく喧嘩を始めた時だった。
「……観音寺」
「「え?」」
美堂夫妻が声を揃える。
この場の全員に宣誓するように私はもう一度声を張った。
「観音寺。この子の名前は……観音寺。ドンを付けてもいい」
「おねえちゃん…」
唖然とする美堂夫妻を前にこーちゃんを抱き上げて観音寺に触れる。観音寺もそれに応えるように吸盤を手に吸い付けてきた。
こいつ……かわいいじゃないか。
「今から水槽と海水の素とエアレーションと濾過器買ってこよう。行くぞ陽菜。金出して」
「……え?蘭子……タコ……食べないの?」
桐屋蘭子の新しい家族との残り26日間が始まる…




