月城曜はツイている
夜が訪れた。
そう錯覚するほどの黒が迷宮を染めていく。
夜霧に包まれたように薄暗くなる景色の中、トロッコを降りた晴久たちは思わず足を止めた。
まるで、雲の上に立っているかのようだった。
夜を踏みしめているとすら錯覚する非現実的な光景。足元を隠す黒い流体に重さはなく、どこまでも広がっている。
誰もがこの景色に驚いていた。
だが、驚愕の理由はそれだけではない。
級友の言葉。
それを理解できず、晴久たちは答えを求めるようにアリアドネから聞こえてくる音に耳を澄ましていた。
『……先生、この映像って……』
『月城のアリアドネだ。あいつはもう動けないから、その補助で映像の範囲が通常のものより広くなっている。加賀、日下、サポートを頼む。それと、皆にも映像を繋げてやれ』
何の話だろうか。それを問うよりも早く、晴久のアリアドネから光が伸びた。
光の先、宙に投影された映像は驚愕を深めるには十分なものだった。
通常のアリアドネと違い、いくつかの画面に別れ、全方位が映し出された光景の中心に立つは級友――月城曜。
しかし、そこにいたのは晴久たちが知る曜ではなかった。
黒い外套を纏っているかのように、その姿は黒に覆われていた。
外套の裾は大地と繋がり、足元の黒い流体と同化している。
影法師が浮き上がったような異様な姿で級友は静かに佇んでいた。
対照的に動き回る光があった。
紅蓮が躍る。
高速で走り回る【焔魔狼】の姿は炎に包まれ、もはや、ただの光としか認識できない。
そして、赤光はこの黒を晴らそうと強く輝き、曜へと強襲する。
悲鳴を上げる間はなく、続く断絶に声すら失う。
紅蓮を阻む黒壁。流動する黒が盾となり災厄を阻む。
幾度繰り返そうと結果は変わらない。不変の黒壁はどこから【焔魔狼】が襲おうと、罅すらなく完全に受け止めていた。
「すげえ、月城の奴【焔魔狼】を止めてやがる」
「ああ、これなら……」
それは、日本の戦力が集まった防衛部隊ですら不可能だったこと。
僅かに興奮した顔で言葉を交わす大田と林を始め、クラスメイトたちは曜の力に期待を深めていく。
だが、その期待を否定する声が響く。
『いや、月城の力では足止めはできても、あれを倒すのは難しい。お前たちはすぐにその場を動け』
「え……でも、それじゃあ月城君は……」
答えはきっと皆がわかっていた。
それでも水無月と同じく、二年三組の誰もが聞きたかった。
ここから離れていいのか。本当に曜が足止めしかできないなら、それは見捨てることを意味するのではないか、と。
『……月城は幼い頃に神器の力を手にした。だが、その事実を知っているのは私と校長、一部の研究者。そして、あいつの両親だけだ』
静かに先生は語りだした。
知らなければ、教え子たちはこの場を離れない。覚悟を決めることはできないと理解していたから。
『月城の力は”断截”。あの黒い物質の内と外を完全に遮断する力だ。衝撃を始め、光、音、熱、電波。条件を満たせば重力すら遮断することが、南校の校舎で行われた実験でわかっている。【焔魔狼】の炎さえ防ぐその力が月城が神器所有者であると名乗ることができなかった理由だ』
災厄の炎すら防ぐ力。
だが、月城曜の神器『叢雲』はある意味では天災級のイヴィルよりも厄介なものを防ぐことができない。
『神器所有者は狙われる。月城が神器所有者として明るみに出れば当然、その身を狙われることになるだろう。しかし、あいつは他の所有者とは違う。神器は防御に特化し攻撃に向かず、何より、あいつには人を殺す覚悟がない』
守ることに力を傾けた神器。
それなのに、この人の世で所有者である曜を守ることは決してない。
守るだけの力に人は恐怖を抱かない。
盾の内側で増長する悪意に晒され、近くにいる大事なものを巻きこみ続ける。
それでも、反撃の刃から迷いを消し去れない。
どうしても、殺すことへの忌避感を拭い切れない。
だから、月城曜はモラトリアムから抜け出せずにいた。
『そして、月城の希少性と危険性は他の神器所有者を上回る。勘のいい奴は気づいているだろう。あいつは神器を所有しているのではない。自身の体が神器になっている。それが意味することは、お前たちにもわかるはずだ』
自身の体が神器と化す。
そんな前例を晴久たちは聞いたことがなかった。
しかし、それが何を意味しているのかは先生の言う通り理解していた。
月城曜は、力を捨てることができない。
神器とは文字通り、『神』の如き力が憑いた『器』。
迷宮内に持ち込んだ刀や銃といった器が変異することで生まれるもの。だから、通常の神器ならば、器を手放すことで力を捨てることができる。
だが、曜にはできない。自分の体なんて捨てられるはずがない。
もはや、これは呪いだ。
”憑いた”のは神ではない。ただの不運をもたらす悪魔。
少しだけ、想像できた。
これから神器所有者として月城曜が歩く先に何があるか。
探索者として歩み出し、メイズ・バベルを取り囲む世界を学ぶクラスメイトたちには思い描くことができた。
それに対して何を思うかは人それぞれ。
しかし、共通して思っていることが一つだけあった。
クラスメイトたちの表情が変わっていく。
旭晴久は悟り切った笑みを浮かべ、太田剛は顔を引きつらせ、馬場美代子は額に手を当て、藤村湊は頬を叩き、森千恵はため息を零し、高橋太郎は首を振る。
他のクラスメイトたちの反応もそんな各班のリーダーたちとそう変わらない。
神器という極小の確率を引き当てる幸運。
そして、それが厄介ごとで塗れている不運。
月城曜はやっぱり変な運で不憫な奴。
だから――仕方ないから助けてあげよう、と。
そう、友人たちは思ったのだ。
『事情は理解したか? ならば行動に移せ。あいつの覚悟に釣り合う、後悔のない選択をしろ』
逃げろ、ではない。動け。
――他の誰かではなく自分自身が選択し、それがどういう結果になろうと受け入れる覚悟を持て。
そう言ってのけるのが、篠原律子という先生だ。
何よりも生徒の命を優先するのが先生だとしたら、篠原は先生としては失格かもしれない。
ただ、たとえそうだとしても、二年三組の生徒は彼女を信頼し続ける。
メイズ・バベルが現れてからの半世紀。
その激動の時代を生き抜いた経験から響いているからか。綺麗事や飾っただけの言葉と違い、篠原の言葉には力がある。強く胸に響いてくる。
それに、この人は子供だからと甘やかしてくれない。
いつだって、自分自身の意思で道を選ぶことを求める人だ。
そんな人の教えを受けてきたからこそ、二年三組の生徒は足を止めない。
「よしっ、じゃあ助ける方向でいいな!」
「でも、助けるって言っても倒すのは無理そうよね。防衛部隊でダメだったんだから、私たちがぶっぱなしても意味ないでしょ」
「ああ。それに、イデアさんもいるから皆でいくのはなしだな。月城の援護、逃走のサポートができる奴で固めた班とイデアさんを連れて逃げる班に分けようぜ」
仲間を助けるために必死に考え、話し合う。
そんな彼ら、彼女らのことをじっと一人の少女は見ていた。
その声は届かずとも、想いは異邦の少女に届いていた。
話し合うこのクラスメイトたちだけじゃない。
背後から響く無数の足音。
この世界に広がる想いに、イデアは花が綻ぶような美しい笑顔を見せた。
A班長、旭晴久。B班長、大田剛。C班長、馬場美代子。D班長、藤村湊。
E班長、森千恵。F班長、高橋太郎。G班長、月城曜(なお一人)。
森千恵
E班長。おさげ眼鏡。成績は常にトップで勉強が得意。でも、クイズとかは苦手。なおE班は全員、眼鏡を装備している。
高橋太郎
F班長。普通にいい人で、普通に勉強ができて、普通に強い。外面が無難すぎて、実は腹黒いのではないかと疑われている可哀想な人。
林武則。
B班員。ヘタレ。練習に強く、本番に弱い。お腹も弱い。でも、見た目はいい。




