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一鬼夜行  作者: がーすー
7/13

一鬼 その一



 千里が鬼へ捧げられる当日。まだ日が昇る前に、千里は井戸の冷水で身を清めていた。

 唇は紫になり、体が凍えて震えている。いやそれは寒さだけではないのかもしれない。


 みそぎを終えて立ち上がり、体を拭いて部屋へと戻る。

 そこにはおばさんと数人の女衆が控えていた。

 千里に化粧を施し、髪を結わえ、おばさんが若い頃に着ていたという、仕立ての良い着物で身を包む。


 千里は昨日から誰とも、一言も交わしていない。

 普段の快活さや生気がまるで感じられない様子は、着飾られる人形そのものだった。


 すっかりと日が昇るころに準備を終えて、一人きり部屋に佇む。

 正午には村の衆が担ぐ御輿で、供物と共に山寺まで運ばれる。


 それが千里の最後となる。



 千里はもう涙を流さなかった。自分は供物だ。そう思って何も考えないようにした。


 ふと、しばらく鬼一の姿を見ないのが気になったが、それも今の自分にはもう関係のない事と思い、考えるのをやめた。

 足が治れば勝手に村から出て行くだろうし、そもそも鬼一がいたところで何かが変わるわけではないと思った。




 時間になると、障子の向こうからおじさんの声がした。


「千里よ、刻限だ……」


 千里は無言のまま部屋を出る。

 おじさんは化粧や着物が崩れないよう、そっと千里を抱きしめた。




 千里を乗せた御輿は村を出る。

 半日かけて山を一つ越えた先にある山寺の境内に到着した。


 古びた寺はところどころ傷みが目立ち、補修もろくに行われていない。

 千里は供物の酒や米などと一緒に、屋根のかかった本堂の前に降ろされた。


 ここで一人、夜になって鬼が来るのを待つのだ。



 御輿を担いできた村の衆がいなくなり、千里は一人残された。


 カラスの鳴き声や木立のざわめきがやけに大きく聞こえる。

 日も徐々に傾きはじめ、境内はだんだんと暗くなる。


 それにつれて千里の恐怖も膨らみはじめ、小さな物音がするたび、びくりと体を強張らせ怯える。


 やがて日も沈み、境内を照らすのは天上の満月へと変わる。

 カラスの鳴き声もいつの間にか止み、聞こえてくるのはフクロウの鳴き声になっていた。






 パキッ。






 木の枝が折れる音。そして生温い空気と血の匂いが漂ってきた。

千里の心臓が高鳴り始め、全身が粟立ち、呼吸が苦しくなる。


何の姿も見えないが、千里はたくさんの気配を感じていた。


(きた……)


 両手を握り締め、体を微動だにせずひたすら恐怖に耐える。

 気配がだんだんと近づき、血の匂いが強くなる。


 そして首筋をいきなり、ついとなぞられた。


「~~~~っっ!」


 千里は、声にならない悲鳴をあげた。



 背筋を悪寒が這い上がり、全身に鳥肌が出た。

 千里はゆっくりと、自分の背後を振り返る。


 人の顔があった、だがその舌はとてつもなく長く、体は狸の物の怪がいた。

 千里はそれに驚いて思わず後ずさる、しかしすぐに背中が何かに当たってしまい、それ以上は進まない。


 はっとしてもう一度振り返る。そこには沢山の頭蓋骨を背負った、首のない大男が立っていた。


 気が付けば、屋根の上や、軒下や、柱の陰や、木の陰など、いたるところに妖怪がひしめいていた。

よく耳を澄ませば、それぞれが何か呟いている。


「オレハアシガイイ」

「オレハミミダ」

「シリガウマソウダ」

「メダマヲカジラセロ」

「ハラヲクイテェ」


 千里は飛び起き、寺から離れて狭い境内の真ん中まで必死になって逃げた。

 しかし雨風に晒され剥がれた石畳に足を取られて転倒し、すねを傷つける。


「っ!」


 皮がめくれて、傷口からは血が滲んだ。

 それでも這って、寺から逃げようとする。


「娘よ」


 地鳴りのような声が境内に響く。

 千里はぴたりと動きを止めた。


「お前を喰えば、オレを脅かす者はいなくなる」


 いつの間にか、鬼が千里の背後にいた。

 

一歩こちらに近づくたびに地面が揺れ、寺がギシギシと音を立てた。

 鬼はとうとう間近に迫り、倒れている千里に、ゆっくり手を伸ばした。


「……けて、たすけ……だれ、か……」


 千里はなんとか声を絞り出す。

 だがそれは、境内を囲む雑木林のざわめきにかき消された。





「情けねぇなぁ……。小娘一人に、何をそんなに怯えてやがる」


 唐突に、林の中から声が発せられた。



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