来鬼 その一
ほのぼの終了。
千里は布団に入って、しばらく寝付けずにいた。
山道の往復で体は疲れている。
いつもならぐっすりと朝まで眠るはずなのだが、今日はやけに寝苦しい。
「……んむ~」
体をうつ伏せにしてみたり、横にしたり。
しかしどうにも寝付けず、仕方ないので少し外の風にでも当たろうと思い布団から出た。
足音を忍ばせて歩き、庭へ向かう。大きな月は真上にあって、庭の草木を蒼く照らしていた。
縁側に腰掛けて深呼吸をする。真夜中の冷たい空気をゆっくり吸い込み、吐き出す。
それを何度か繰り返すうちに、なんとなく寝れそうな気がして千里は立ち上がった。
忍び足で歩き始めた千里は、首もとに秋夜の冷たい空気とは違う、吐息のような生温い感触を感じた。
それに違和感を覚えて、足を止める。
そして、辺りが暗くなったことに気が付いた。
足元の影が薄れている。月に雲がかかったのだろう。
そう考えて、違う。と否定した。
今日は雲がない。
千里は、空を見上げた――。
それを見た瞬間に、足元から沢山の虫が這い上がってくるような、全身を冷たい水に漬けられるような感触が千里を襲った。
月は隠れていた。
まるで大きい雲のような、妖怪の群れで。
どこからか生温い空気と共に、血の匂いが漂ってくる。
それに吐き気を覚えつつ、千里は降りてくる妖怪から目を離せずにいた。
特に目を引いたのは、一際大きい巌のような体躯の、頭に一本の角が生えた妖。
あれは二百年前に退治されたはずの鬼ではなかろうかと、千里はぼんやりと思った。
「……ぁ、ぁぁ……」
声が出ない。
込み上げる恐怖に叫びたいのに。何も知らずに眠っているみんなに知らせたいのに。
声は出なかった。
やがて鬼達は、村の真ん中の畑に降り立つ。大きな地鳴りと共に地面が揺れた。
そして鬼は鳴いた、聞いた者が錯乱してしまいそうな恐ろしい声で。
村中の戸板を。屋根を。そして山々を震わせる鬼の鳴き声。
それを聴いた千里は、力なくその場にしゃがみ込んだ。
体の震えが止まらない。
奥歯ががちがちと音を立てる。
村中の人が鳴き声に飛び起きた。
村を一望できる屋敷からは、村中の家の灯りがついて、何事かと飛び出す人の様子がよく見える。
たまたま近くにあった家が、消えた。
大勢の妖怪が家に覆いかぶさり、潰して、そこへ群がって、やがて離れる。
すると家があったはずの場所は、木の破片意外に何もない更地に変わっていた。
「何事かっ!」
おじさんが寝室から飛び出してきた。
縁側で震えている千里を見つけ、そして千里の視線を追う。
「……おぉ、なんということだ……」
おばさんも出てきて、同じように鬼達を見つけ、そして気を失いその場に倒れた。
「終わりだ……。この村は、終わりだ……」
おじさんはその身を震わせて、膝から崩れ落ちた。
鬼は一体何に気が付いたのか、唐突に屋敷の方を凝視した。
鬼のまんまるな目が、こちらと合った。
千里はそう思った。
そして鬼は屋敷へ向って、真っ直ぐに歩き始める。途中にある木や家をなぎ払い、文字通りに真っ直ぐ歩く。
おじさんはそれに怯えて、気絶したおばさんを抱えて泣き喚きながら背後の壁まで這いずった。
千里は金縛りにあったように体が固まり、声を出す事も目をそらす事もできず、ただただ、鬼がこちらへ来るのを見ていることしかできなかった。
とうとう鬼が屋敷の庭、縁側にいる千里の目の前まで辿り着く。
岩に手足を生やしたような体つき。
大人の胴より太い腕。
鍛えられた鋼のような肌。
子供など、一口で飲み込む大きな口。
そこから覗く大きな牙と、暗く濁った目。
一歩ごとに地面が揺れ、身の丈は十尺を軽く超えている。
屋根にかかるほど高い場所にある鬼の顔が、ぐい、と下げられ千里の眼前に迫る。
(……っ!)
千里は身を引こうとするが、体は動かず、呼吸も出来ない。
開けた口から声を出そうとしているが、喉から先には出てこない。
「見つけたぞ」
鬼が喋った、地鳴りのような声で。
「お前で最後だ」
一体何が最後なのか、千里にはさっぱりわからない。
そんなことよりも、息が苦しかった。
「出雲の血」
出雲ってなんだっけ、と思い出そうとするが、頭の中は真っ白で何も考えられない。
そして徐々に意識が薄れた。
頭がふらふらするな。
そう思ったのが最後だった。
千里の目の前は、真っ暗になった――――。
ああ、思いがけず五七五調になってしまった。




