第22話 商爵家①
「お初お目にかかります、ドルゼスト様、レナーミア様。グラース・クイン・メルト・アヴァリーです」
公爵家のエルゼルが来領して、その三日後。ツェルナリオ家の屋敷にやってきたのは、丸い顔にくりくりとした目が印象的な、まだ少年のような雰囲気を持つ青年だった。
「ツェルナリオ領にようこそ、グラース商爵子」
「手厚く迎えていただき感銘です!この日を心待ちにしておりました。たった三日間の滞在となりますが、何卒良しなに」
商爵子は明るい雰囲気を声に出しながら、ドルゼストと握手を交わす。
「レナーミア嬢も」
グラース商爵子が右手を差し出してきたことに、レナーミアは驚いたが。
「ええ。この地がグラース様の、よき思い出になりますように」
戸惑いは刹那。すぐに手を伸ばし、笑顔で社交の挨拶を返した。
貴族男性が未婚女性と握手を交わすことはほとんどない。ましてや、身分の低い者が身分の高い者に握手を求めることは無礼とされる。
アルクステンの爵位は高い順に王爵、侯爵、公爵、伯爵、子爵、男爵と並ぶが、商爵は厳密には貴族として数えられないため、実質の地位は男爵より低いとされる。
……グラース商爵子は対面早々、礼儀の失敗を犯しているということなのだが。「特殊な土地に一人で来たから緊張もあるのだろう」と、ドルゼストもレナーミアも咎めることはなかった。むしろ、平等主義のレナーミアは「対等に接っすることができたわ」と、内心喜んでいる。
グラース様と私は年も同じだし、きっと早く仲良くなれるわね。
イェルズェル公爵子との件もあり、やや不安に苛まれていたレナーミアだが。商爵子の明るい人柄を見て、「杞憂だったみたい」と、心の緊張が解けた。
*
商爵子グラースの第一希望は、「人魚村を訪れてみたい」だった。
「ずっと憧れていました!伯爵夫人が築いた世界的観光地を、この目で見て見てみたいと」
接待スケジュールに添い、ツェルナリオ家の馬車は来客とレナーミアを相席させ、猫メイド一人とグラースの付添人一人、二人の小鬼兵と共に、人魚村へ向かっていた。
当初は来訪の歓迎を兼ねるために荘厳な馬車で出向くはずだったのだが、予定は変わり、窓枠のない軽馬車二台で移動していた。
「身分は隠させてください。あるがままの人魚村の姿が見たいのです」と、グラース商爵子からの強い希望があったためだ。レナーミアは再び伊達眼鏡を装着し、一般人になりすましている。
「わたしはこれでも、凡人のフリをするのは得意なのですよ?」
山高帽を膝に置き、枯れ草色の外套を羽織るグラース商爵子は、あどけなく笑う。彼はなかなか多弁であり、レナーミアから何かを問うことは少なかった。
「商会の下にある店を見回る時には、わざと客のふりをするのでね。つけ髭をすることもあります。今回も念のために持ち寄せましたけど」
グラース商爵子はさっと、鼻の下に巻き髭をつけてみせた。似合っているような、似合っていないような。商爵子のユーモラスな行動に対し、レナーミアはふふふ、と控えめに笑う。
「面白いでしょう?」
グラース商爵子もその反応を喜んだ。
「ふざけているようでも、『こんな奴が商爵様の家にいるはずがない』と商人たちに思わせるのが、実は大事だったりするのですよね」
「親しみやすさを作る、ということかしら?」
「緊張を解くという意味ではそうですけど、商人たちは警戒心が強いですから。『粗探しをされている』と怯えて、アヴァリー家に本音を言ってくれないのです。彼らの正直な気持ちを炙り出すためには、こっちから騙すしかないのでね……」
グラース商爵子は肩を竦めた。
「とてもよくわかります」
レナーミアが神妙に頷いた。
「店を守るために上役の機嫌を取らないといけないと、思われてしまうのよね。取繕われた方が、後で大きな問題になるのに」
「その通りです! 全く、酷い誤解ですよ。商会こそ商人を守るためにあるのだから、心身潔白であれば悪いようにはしません。商会長だって、おべっかよりも商会の悪口を堂々と言われた方が、喜ぶのですよ?」
「……」
レナーミアの脳裏にエルゼル公爵子がちらつく。彼の放った、「変に気を使われる方が不快になる」という言葉を思い出した。
「……ああ、すみません。わたしばかりが話し過ぎました」
レナーミアの顔に重い影が射したせいだろう。商爵子は急に慌てたように、謝罪を口にした。
「いいえ。お話、とても面白いわ」
「……そうですか。それなら、いいのですが……」
グラースはふと、自信のない視線を、自らの膝上に落とす。
「商業に関することは好きなのですが、わたしは四男ですからね。商会を継ぐことはできないですし。実際に、大した才能もないですけれど」
……まるでお兄様みたいなことを仰るのね。
レナーミアは独りごちるが、口にはしない。兄の場合は自尊心の低さというより、自戒的な意味と、謙遜に近い言い方だが。
「才能がないなんて、そんなことないわ。たくさん勉強をされているのでしょう?」レナーミアが慰めを口にすると、
「ええ、もちろん。わたしなりには」
と、暗い声が返ってきた。
「父のもとから独立して、自分の商会を持つ夢もあります。でも、その高い目標に手が届く自信はありません」
「……」
「既にご存知のことと思いますが、わたしが婿候補としてここにいるのは、ツェルナリオ領を欲する父の意図もあります。アヴァリー家は女児がいないので、婿か養子という形で血筋を広げるしかなく……今の代においては、わたしの役目なのですよ」
アヴァリー家は男系らしい。後継となる男児に恵まれるのは良いことだろうが、当人たちからすれば、「政略結婚」の手札が少ないことに苦悩しているそうだ。
婿はともかく、養子なら欲しがる貴族もいるだろう……しかし、商会の財力は欲しても、一般民の成り上がりにすぎない商爵とは壁があるのだ。
また、アヴァリー家からすれば、高い血筋の者から嫁を探すことが難しいという。……最も、損を嫌うアヴァリー家は、嫁を入れるのも婿を出すのも、かなり慎重にしているという理由もあるらしいが。
商爵家の繁栄を目的とするならば、政略結婚の相手は、国内で権力の強い一族を選ぶべきだ。
ツェルナリオ家はというと、辺境の貴族として独裁国家と同等の権限はあるものの、アルクステン国家との折り合いは悪い。つまり、アヴァリー家にとって、ツェルナリオ家と婚約を結ぶメリットは低い。
「後ろ盾」として関係を持てば孤立する。経済の面で言えば交易が少なく、商会の税収が高いツェルナリオ領を取り込んでも、むしろ損をする可能性が高い。
では、何故、商爵家はツェルナリオ領を欲するのか?
「今、父が求めているのは『魔物の商人』です。アヴァリー家とツェルナリオ家が手を組めば、莫大な資産を得ることができるでしょう。アルクステン国家を凌ぐ財力を持つことで、兵力の拡大も期待できる……酔狂かもしれませんが、父は新しい国を築き、経済の王になろうとしているのです」
「経済の王……?」
それって、アヴァリー家がアルクステンに反逆することにならないかしら?
レナーミアは首をもたげる。
「……ツェルナリオ家に肩入れしているようで不思議ですか? 事情としては、アルクステンの制度が理由なのですが……」
グラースはこほんと一つ咳払いをして、真面目な顔をする。
「商会は毎年、"商営料"としてその土地の領主に利益の二十パーセントを納めなくてはならないのはご存知ですか?」
「商営料?」
「要は、商売をする権利をもらう代わりに、その土地の利用代を払わなくてはならないというものです。徴収される二十パーセントのうち、十パーセントはアルクステン国家に還元されます。でもツェルナリオ領は恒久的な"特定経済地"ですから、商営料は利潤の五十パーセント。だから多くの商会は、ツェルナリオ領に支部を置きたがらないのです」
"特定経済地"の指定は、領地によって利潤が偏らないようにするための制度だ。
例えば、不作が続いて経済破綻の可能性がある領地には、基準の二十パーセントを十五パーセントに引き下げ、軽税することができる。逆に、商業都市といった経済力の高い土地は三十パーセントに引き上げ、多くの利潤を得ることができる。だが、"特定経済地"は各領地が定められるものではなく、アルクステン国王の判断に委ねられている。そこから国家に還元される利益も、国家の一任だ。
一方で、ツェルナリオ領は長い間"特定経済地"に定められている。商会にかかる税率も暴利であり、ツェルナリオ家から国家への還元率も、三十パーセントと高い。
なんとも不自然だが、これはアルクステン国家がツェルナリオ領を援助をしていた時の名残であり、ツェルナリオ家を経済的に支配するための策略だったものである。かつて、魔物がいなかった時代のツェルナリオ領はアルクステン国家に逆らえず、"特定経済地"としての年税を支払い続けてきた。
未だにそれが取り払われないのは、アルクステン王からの圧力だろう。だが、今はそれも意味をなしていない。
それは財力が足りているからではなく、「商営料を国に還元する必要がない」ためである。つまり、"特定経済地"や"商営料"の制度が、今のツェルナリオ領内において、実質機能していないのだ。
「ツェルナリオ領は『人間の商人』には不利ですが、『魔物の商人』なら話は百八十度ひっくり返ります。ドルゼスト伯爵子から伺った話だと、現在ツェルナリオ領にある主要商会は三つ。そのうちの二つは、魔物が商会長をやっていると聞きました」
「ええ。人魚村商会と、モルガ商会。人間が中心なのは、ユステリア商会ね」
レナーミアも、自領の主要商会の名前は心得ている。人魚村商会とモルガ商会は、利益の二十パーセントをツェルナリオ家に納税している、二大商会だ。
そして、ツェルナリオ家が得た三十パーセントの金利は、全てツェルナリオ家の金庫に入る……極端な言い方をすれば、『魔物の商人』は脱税できるのである。
(ユステリア商会は外国の商会であるため、アルクステンの"特定経済地"や"商営料"の制度は適応されず、また別の制度に縛られている)
「魔物は『アルクステンの国民』として認められていない。権利も義務もない代わりに、商人の制度に縛られません。商会が得た利益の全てを得ることができるなら、商業の幅も広がります。短期で膨大な利益を得ることもできるでしょう。アルクステンの手から、ツェルナリオ領が離れることもできるかもしれない」
「……それは、つまり」
ツェルナリオ領の独立。それが叶うかもしれない。レナーミアは驚きのあまり、息を飲む。
「(それもそうだけれど……)」
レナーミアは、もう一つ驚いていることがあった。
「アヴァリー家は、魔物の住民を恐れていないのね」
グラースの話が本当なら、アヴァリー家はツェルナリオ家と共に、魔物の王国を築くということになる。
「恐れていないかと言うと語弊はあります。わたしの父からすれば、利を産む魔物や悪魔は、正義なのですよ」
戦争があれば凶器が売れる。
何処かで聞いた諺を思い出して、レナーミアはぶるりと身震いした。
アルクステンの商会制度の穴をついて、『魔物の商人』を据えたのはフェリナである。
レナーミアは以前、父に聞いた話を思い出す。伯爵夫人は凄腕の改革者だが、障害を排除するためなら手段を選ばない、冷酷な一面もあったという。
金利を得るためなら、悪行も辞さない。これは、大商人にありがちな心得なのだろうか。
「(でも、本当に賢い者は人を殺さない)」
母の口癖。当時十歳にも満たなかったレナーミアは、その言葉の意図を解していなかったが。少なくとも、どんなに冷酷な手段を取っても、母は人の命で損得勘定をする真似はしなかったのだろうと、レナーミアは信じている。
「……父のことはさておいて。わたし個人としては、ツェルナリオ領の財力を築いた伯爵夫人に深い興味があります……いえ、尊敬しています。わたしがこの土地に来れたのも、何かの運命だと思うのです」
「ツェルナリオ家の婿になるのは、相応のリスクを伴うわ。グラース様は怖いと思わないの?」
「まさか! わたしの人生は、何処かの貴族の家で名前だけの飾りになり、潰えるだけと思っていましたから。もしツェルナリオ家に入れるというなら、これほど嬉しいことはありません。誠心誠意、ツェルナリオ領のために尽くしていきたいです」
アルクステン国家がアヴァリー家当主の野望に気がついているかは定かではないが。アヴァリー家と婿養子の話をつけたのは兄だ。新国を築くことを条件に、取引したのだろう。
アヴァリー家当主の腹黒さには畏れを感じるが、グラースには夢を追う少年のような、明るい心が見える。
……こんな方が、アルクステンにいたなんて。
社交界で言葉を交わしたこともない間柄だったが、グラースのような人間がいることに、レナーミアは嬉しさを覚える。優しい希望があるようにも思えた。
「お母様が、グラース様を呼んだのかもね」
「そ、そんな! 恐れ多い!!」
グラースはわたわたと手を動かし、「ありえない」と首を振った。少し子供っぽいあどけなさも、可愛らしいわと。レナーミアはくすくすと笑った。
「……婿候補は四人いるのでしたね。わたしが選ばれるかわからないというのに、誇大なことを語ってすみません」
「いいえ」
「本当は、社交界でも貴女に話しかけたかったのです。父と兄たちの立場を崩さないために、叶えることはできませんでしたが……」
「そうだったの?」
「レナーミア嬢には悪い噂も多いですが、気さくな方だという話も聞いていましたから。やはり、良い噂の方が真実なのですね。いつの間にか、レナーミア嬢の敬語もなくなっているので」
「……あら? 本当だわ」
「できればそのままにしてください、歳も近しいことですし。わたしが丁重に扱うべき来賓だとしても、伯爵家の人たちに畏まられると、こっちが緊張してしまいます」
グラース商爵子は明るく笑った。
「商爵家」の後半はもうちょっと推敲してから投稿します。




