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白い牙  作者: 犬井猫朗
第一章
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 僕は自分の天幕へと戻ってきた。

 戻る途中、双子には訓練は出来ないと謝罪し、部下には今夜0時に出発すると伝言は伝えた。

 抜かりは無い筈。

 そして今から早速、任務の準備を始める訳だが……。

 僕は入り口で、立ち止まっている。

 床に散乱する図書の数々、食べかけの食べ物、等々。


 ………見事に荒らされているな。


 床の本を二つ三つ程取り上げ、本棚に戻した。

 目線を寝台に向ける。

 誰かが寝ているような膨らみがあるのだが……勿論、僕は寝ていないし、誰かと同棲している訳でもない。

 視線を感じたのか、もぞもぞと布団が動く。



「………はぁ」



 犯人は恐らくだが、あの人しかいない。

 溜め息しか出ないな……。


 ……入るなと、あれほど言ったのに意味が無い。


 寝台の近くにある机に目をやる。

 本日の目当ては、これか……。

 机の上に置いてあるのは、開かれたままの厚さ十センチの魔術教本。

 開いてあるのは、『第73頁 中級水魔術の理』。


 ………懐かしいな。


 確か、初級が陽魔素で水を操るのに対し、中級は陰魔素を拡散、膨張、融和を繰り返し水を創るんだよな。

 素人目だと、初級の方が有用だと勘違いしてしまう。

 確かに元から在る水を使う方が簡単かもしれないが、支配力が弱く圧倒的に脆いのだ。


 ………俺は使えないんだけどね。


 まあ、敵の魔術を知れば弱点も分かる次第って訳だが、それは閑話休題(さておき)

 問題は、この寝ている空き巣である。

 無言で布団を掴み――――。



「…………起きてください」



 寝ている空き巣から、布団を引き剥がした。

 そこにいたのは、黒髪のロングヘアーの女性。

 いきなり外気に触れたからだろう、躰を丸め小刻みに震えている。


 ………やっぱり、貴女ですか。


 彼女の名前は、カレン。

 第二部隊を預かる、僕と同じ隊長格だ。



「…っう……寒ぃ…返してぇ~」



 相変わらず寝起きは弱いな。

 滑らかな白磁の様な腕を震わせ、布団を持つ僕に伸ばしてくる。



「返すも何も、これは僕の布団ですよ」



 呆れ声で話す。

 外では毅然とした、姉御的な女性なのだ。

 僕も歳が近いということで、よくしてもらっている。

 美人な事もあり、皆から慕われているのだ。


 ………誰にも見せられないな。


 彼女は私生活が、てんで駄目なのだ。

 食に興味なく空腹に限界が来たら漁り、興味を引かれたモノには脇目を振らず一直線、家事は一切出来ない。

 僕も最初は、驚愕した。

 空腹で倒れている彼女を何度か介抱してからというもの、僕の自室に入り浸っている。



「嫌だぁ……」


「嫌って………はぁ」



 仕方無い。

 昼間からやりたくないが、これでしか起きないからな。


 …………殺しますよ?!


 彼女に殺気を飛ばした瞬間―――。



「っ?!」



 僕の首筋に冷気が触った。

 寝台には、寝ていた彼女の姿はない。

 彼女は今、僕の懐にいる。



「やっと起きましたか…」


「ルイス……この起こし方はやめてよね」



 僕だって嫌ですよ。

 何も無い昼間から、殺気を放つ気分になりたくありませんし。



「まあ、いいわ。お帰りルイス」



 僕だと認識した彼女は、首筋から手を放し冷気をおさめる。

 そして、何事もなかったかのように挨拶を始めた。


 

「はぁ………ただいま」



 此処は僕の自室なんですけどね。





 ――――――――――――。





 部屋の片付けと、仕度を終えるのに一時間も有した。

 勿論僕一人でだ。

 彼女に手伝ってもらったら余計に散らかるだけだしな。

 彼女はその間、椅子で『魔術教本』を読んでいた。



「……どうぞ」


「ありがと、ルイス」



 僕は湯呑みを彼女の近くに置く。

 中身は薬茶という、極東にあるという国の飲物。


 ………落ち着く味だ。


 苦味と香ばしさが独特の旨みを醸し出している。

 刀といい薬茶といい、この国は僕の嗜好を擽るのだ。



「苦いわね……」



 ただ、カレンさんの口には合わなかったようだ。

 確かに薬茶は、その独特な苦味で好き嫌いがはっきりと別れる。

 子供や甘党の人には合わなかった。

 少し残念だが、趣味嗜好は其々だし、仕方がない。

 僕は薬茶を下げ、代わりの飲物を出そうとする。



「いいわよこれで、不味いとは言ってないわ」


「そうですか、無理はしないで下さいね」



 僕はそう言い、彼女の向かいの椅子に座った。



「私は無理はしない主義よ」


「ええ、そうでしたね」



 彼女は魔術教本を、パタリと閉じ、僕に顔を向ける。



「…………面白かったわ」


「それは、良かったです。それで、中級水魔術は理解出来ましたか?」


「ええ、初級より全然解りやすいわね」


「そうですか?」


「そうなのよ………既存の水は扱い難いわ」



 そう言う彼女の持つ湯呑みから、ピシッピシッっと音が鳴り出した。

 中身の薬茶が凍っていく音である。


 …………薬茶が勿体無い。


 飲めなかったのなら仕方無いが、これとは違う話。

 ムッとして彼女をみる。



「ごめんなさい、ちゃんと飲むから安心して」



 謝罪し、先程とは違い踏ん張るような表情をする。

 すると徐々に薬茶がシューっと音をたて湯気がたち始めた。



「やっぱり難しいわ」



 薬茶を元の状態に戻し、一息つく彼女。

 少しばかり無言の状態が続く。



「………それで要件は?」



 夜に備え、僕はもう寝たいのだが。

 彼女が此処にいては、寝たくとも寝れない。

 だから単刀直入に聞く事にした。

 何もなければ彼女は、仕事の仕度をしてる僕を見れば帰る筈。

 その信用はある。



「あら、せっかちは女に嫌われるわよ?」


「カレンさん」


「ふふ、冗談よ………そうね」



 彼女は一瞬の沈黙の後、言葉を紡ぐ。



「こないだ新人を10人程連れてきたわ」


「そうですか―――」


「それで脱落者が3人程よ……」


「なるほど、ありがとうございます」



 僕はその情報に口角が上がった。

 彼女は僕の表情を確認すると、思案する様子を見せ口を開く。



「何時にするの?」


「そうですね、今日の夜にでも招待しますね」


「そう…………分かったわ」



 そう言うと、彼女は椅子から立ち上がる。

 入り口付近で立ち止まると、僕の方に振り向いた。

 振り向いた彼女は、いつになく真剣な表情で、不安そうな顔をしていた。



「ルイス、貴方呑まれてないわよね?」


「ええ、ちゃんと僕ですよ―――」



 彼女の問いに、僕は笑顔でそう答えた。












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