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白い牙  作者: 犬井猫朗
第一章
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11/14

10






 狂蛇が怯んだのは、一瞬だけであった。

 体を起き上がらせると、既に距離をとり構えている玲衣をみる。

 その表情に苦痛や脅えなどの色は一片も無い。

 噛まれた腕も、蹴られた腹や打ち付けられた背中も、庇う様子など見られない。


 ………我慢か?いや、痛覚が無い?


 痛覚は生物にとって、最も大事な本能の一つだ。

 それを―――。

 いや、これも俺の……人間の勝手なモノサシということか?

 

 狂蛇は再び、爪を打ち鳴らすと―――



「ジャッジャッ!!」



 叫びの様な咆哮とともに、地を蹴った。

 上半身を地面すれすれに堕とし、這うように獲物へと迫る。

 並の人間からすれば、脅威的なスピードで、瞬く間に攻撃圏内に侵入(はい)った。 


 だが相手は玲衣――動体視力は、俺程ではないが、人間以上であることは間違いない。

 狂蛇の動きを確実に目で、追えている筈。


 既に狂蛇は攻撃動作に移っていたが、問題ない。

 振り下ろされる左腕、その一撃を最小の動きで避ける。

 そして空振りになった狂蛇の腕が、地面を砕いたっ!!


 ………おいおい、どんな威力だよ。


 動揺からか、玲衣の瞳が小刻みに揺れる。

 だけど、驚いている隙はない。

 間を開けず、二撃目三撃目が、玲衣を襲ってきているからだ。



「っ!」



 砂塵が舞う中、真横から空気を裂き、鋭き右腕が迫り来た。

 玲衣は前半身を屈めると同時に、前脚へ力を籠める。

 間一髪、頭上スレスレで、狂蛇の爪が通り過ぎていく。

 数本の黒い毛が、空中を乱れ躍る。


 僅かに掠ったのだろう頭部に――影が射した!


 狂蛇の攻撃は、まだ終わっていない。

 どんな敵でも油断は禁物。

 ましてや玲衣の()()()は、精彩を欠けば直結で危険に繋がる。



「ジャァッ!」



 玲衣は、前脚に籠めた力を、解き放つ。

 そして影の正体は、狂蛇の三撃目――前宙の要領で、太く強靭な尾が、真上から迫ってくる。


 次の瞬間―――洞窟が震えたっ!



「姉ちゃんっ!」


「……玲衣っ!」


「玲衣さんっ!」



 三兄弟の心配する声が重なった。

 彼等は、戦いの行方が見えなかったと思う。

 恐らく見えていたのは、俺だけだろうからな。

 だから彼等には、玲衣の安否が不明。

 砂煙で視界も悪い……余計に不安が懸かっているんだろう。


 だがその不安も、一瞬で消し飛ぶ。



「―――隙だらけよ!」



 狂蛇の背後に、黒い影が射す。

 勿論それは、玲衣だ。

 狂蛇は、声に反応し振り向こうとしたが………叶わなかった。

 玲衣は首筋に咬みつき―――



「――――ガッ!」

 


 狂蛇を顔面から、地面に叩きつけた。

 そのまま背中に乗り、顎に力を籠める。

 が、狂蛇を抑える程の力は玲衣には無かった。



「っ!」



 狂蛇は躰を回転させ、玲衣の捕縛から逃れる。

 玲衣も慌てて離れるが、少し遅かった。

 回転により勢いついた尾が、横から玲衣を弾き飛ばす。



「ガハッ!」



 壁に激突し、赤色の混ざった空気を吐き出す。

 モロに喰らったようだ。


 ………ここまでか?


 玲衣は何とか立ち上がるが、若干ふらついている。

 少なくないダメージをうけているのは確かだ。



「「「………っ!」」」



 三兄弟も声が出せない程、動揺を見せている。

 玲衣のあんな姿を、今まで見たことなかったのだろう。

 群れの雄達との模擬戦に、負けたことが無いみたいだからな。

 だが模擬戦と実戦は違う。

 その事を今回、思い知っただろうな……玲衣も三兄弟も。


 ………ここまでかな。


 狂蛇の追い打ちが始まる。

 俺は動き出そうとし―――止まった。


 玲衣の雰囲気が変わった?



「待って!」



 玲衣が大声をあげた。

 だが鋭重な爪が、後数十センチというところまで迫っている。



「私はっ――――」



 迫り来る爪に、牙を当て軌道をずらす。

 ガキィッン!という高音が、洞窟内に響く。


 赤い滴が飛ぶ。


 玲衣の額に掠ったようだか、直撃は免れた。

 だがもう一度、反対から迫る爪。



「まだっ―――」



 それも牙で相殺する。

 再び額を抉る――――両目に血が被うが、瞳を閉じない。

 そしてもう一度。



「やれるっ―――」



 鬼気迫る玲衣の雰囲気に、戦いに三兄弟も呑まれている。

 俺は口がひきつりそうだ。


 ようやく、闘いが戦いになったんだ。


 今度は、玲衣だけじゃなかった。

 狂蛇の腕から血が飛んだ。



「ジャッ!」


「私だってっ――――」



 狂蛇も玲衣も、痛覚を無視した戦い方。

 血滴舞う戦場に、俺は高揚感を感じていた。


 ―――綺麗だ。


 ふたりとも怯まず、肉を抉らせる。



「黒王のっ―――」


「ジャッ!」



 何度も何度も、刻みあう。

 吹き続ける赤い雨の中―――躍る狼と怪物。


 ―――美しい。



「血族っ!」



 玲衣の牙が狂蛇を捉えた。

 狂蛇の右腕が、狂蛇から離れ空を飛ぶ。

 玲衣も勢いを殺せなかったのか、転がり飛ばされた。



「ジャッジャッジャァぁ!」



 狂蛇の怒声が響く。

 玲衣も立ち上がり、叫ぶ。




『――誇り高き牙獣よっ!!』



「「「「っ?!」」」」


「じや……?!」



 一瞬で、洞窟を静寂が支配した。

 玲衣から謎のエネルギー――波動というべきか、殺気にも似た何かが発せられた。

 色で言い表せば、濃紫。

 思わず毛が逆立つ―――戦慄を感じた。


 …………今のは?!


 隣でバタッ!という音が重なり聴こえる。

 見れば、三兄弟が倒れていた。

 どうやら気絶したようだ。


 狂蛇も何か感じたのか、微動だにしない。

 だが、それも一瞬で再び戦闘に戻る。



「玲衣?」



 だが、玲衣は戦闘に戻る気配がない。

 それどころか……意識が朦朧としているようだ。


 ―――今度こそここまでだな。


 何とか意識を繋ぎ止めているようだが……。

 狂蛇の迫る左腕に反応できていない。



「――もういいよ、玲衣」



 自分が思ったより優しい声音がでた。

 多分朧気にしか聞こえていないだろうが、安心したように気絶していく。



「お疲れ様」



 ――後は俺に任せろ。

 

 既に狂蛇は、玲衣の目前。

 一瞬後には、玲衣は切り裂かれるだろう。

 勿論それは、当たればの話だ。



「玲衣には触れさせる訳ないだろっ!」



 集中状態を二段階上げる。

 時が世界が、遅くなっていく。

 俺は玲衣達のもとへ、ゆっくりと歩み寄る。


 ―――合格だよ玲衣。


 倒れゆく玲衣にそう語りかけ、微笑む。

 そして再び狂蛇の方をみた。



「別にお前は悪くないよ……」



 こいつも生きるのに必死なだけだ。

 皆、生きるために殺す。

 それが摂理だ。

 でも悪いけど、俺のモノには手は出させないよ。



「――ガッ!」



 玲衣に後一センチまで迫った狂蛇の腕を、容赦なく噛み千切った。

 悲鳴も血飛沫も、噴き出すまで時間がある。

 玲衣にこれ以上、他者の血を浴びせたくないな。

 それに俺も進んで血を浴びたいと思わない……。


 

「―――っと!」



 頭を横斜めに下げ、狂蛇の腹に向け、振りきり頭突きをかました。

 狂蛇は吹っ飛び、壁に激突する。



「なるほど、この程度じゃ死ななそうだな」



 くの字に身体が折れ曲がってるが、それだけ。

 骨が飛び出すかと思ったが、思いの外頑丈だな。

 再び狂蛇に歩み寄る。

 衝突の反動で、壁から剥がれる途中の狂蛇。


 ………仕方ない。



「じゃあ切り刻むか―――」



 そうだな、玲衣に牙の使い方を教えないとな。

 そんなことを思いつつ、空に浮く狂蛇を牙をナイフの様にし、切り刻んでいった。





 







 

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