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狂蛇が怯んだのは、一瞬だけであった。
体を起き上がらせると、既に距離をとり構えている玲衣をみる。
その表情に苦痛や脅えなどの色は一片も無い。
噛まれた腕も、蹴られた腹や打ち付けられた背中も、庇う様子など見られない。
………我慢か?いや、痛覚が無い?
痛覚は生物にとって、最も大事な本能の一つだ。
それを―――。
いや、これも俺の……人間の勝手なモノサシということか?
狂蛇は再び、爪を打ち鳴らすと―――
「ジャッジャッ!!」
叫びの様な咆哮とともに、地を蹴った。
上半身を地面すれすれに堕とし、這うように獲物へと迫る。
並の人間からすれば、脅威的なスピードで、瞬く間に攻撃圏内に侵入った。
だが相手は玲衣――動体視力は、俺程ではないが、人間以上であることは間違いない。
狂蛇の動きを確実に目で、追えている筈。
既に狂蛇は攻撃動作に移っていたが、問題ない。
振り下ろされる左腕、その一撃を最小の動きで避ける。
そして空振りになった狂蛇の腕が、地面を砕いたっ!!
………おいおい、どんな威力だよ。
動揺からか、玲衣の瞳が小刻みに揺れる。
だけど、驚いている隙はない。
間を開けず、二撃目三撃目が、玲衣を襲ってきているからだ。
「っ!」
砂塵が舞う中、真横から空気を裂き、鋭き右腕が迫り来た。
玲衣は前半身を屈めると同時に、前脚へ力を籠める。
間一髪、頭上スレスレで、狂蛇の爪が通り過ぎていく。
数本の黒い毛が、空中を乱れ躍る。
僅かに掠ったのだろう頭部に――影が射した!
狂蛇の攻撃は、まだ終わっていない。
どんな敵でも油断は禁物。
ましてや玲衣の闘い方は、精彩を欠けば直結で危険に繋がる。
「ジャァッ!」
玲衣は、前脚に籠めた力を、解き放つ。
そして影の正体は、狂蛇の三撃目――前宙の要領で、太く強靭な尾が、真上から迫ってくる。
次の瞬間―――洞窟が震えたっ!
「姉ちゃんっ!」
「……玲衣っ!」
「玲衣さんっ!」
三兄弟の心配する声が重なった。
彼等は、戦いの行方が見えなかったと思う。
恐らく見えていたのは、俺だけだろうからな。
だから彼等には、玲衣の安否が不明。
砂煙で視界も悪い……余計に不安が懸かっているんだろう。
だがその不安も、一瞬で消し飛ぶ。
「―――隙だらけよ!」
狂蛇の背後に、黒い影が射す。
勿論それは、玲衣だ。
狂蛇は、声に反応し振り向こうとしたが………叶わなかった。
玲衣は首筋に咬みつき―――
「――――ガッ!」
狂蛇を顔面から、地面に叩きつけた。
そのまま背中に乗り、顎に力を籠める。
が、狂蛇を抑える程の力は玲衣には無かった。
「っ!」
狂蛇は躰を回転させ、玲衣の捕縛から逃れる。
玲衣も慌てて離れるが、少し遅かった。
回転により勢いついた尾が、横から玲衣を弾き飛ばす。
「ガハッ!」
壁に激突し、赤色の混ざった空気を吐き出す。
モロに喰らったようだ。
………ここまでか?
玲衣は何とか立ち上がるが、若干ふらついている。
少なくないダメージをうけているのは確かだ。
「「「………っ!」」」
三兄弟も声が出せない程、動揺を見せている。
玲衣のあんな姿を、今まで見たことなかったのだろう。
群れの雄達との模擬戦に、負けたことが無いみたいだからな。
だが模擬戦と実戦は違う。
その事を今回、思い知っただろうな……玲衣も三兄弟も。
………ここまでかな。
狂蛇の追い打ちが始まる。
俺は動き出そうとし―――止まった。
玲衣の雰囲気が変わった?
「待って!」
玲衣が大声をあげた。
だが鋭重な爪が、後数十センチというところまで迫っている。
「私はっ――――」
迫り来る爪に、牙を当て軌道をずらす。
ガキィッン!という高音が、洞窟内に響く。
赤い滴が飛ぶ。
玲衣の額に掠ったようだか、直撃は免れた。
だがもう一度、反対から迫る爪。
「まだっ―――」
それも牙で相殺する。
再び額を抉る――――両目に血が被うが、瞳を閉じない。
そしてもう一度。
「やれるっ―――」
鬼気迫る玲衣の雰囲気に、戦いに三兄弟も呑まれている。
俺は口がひきつりそうだ。
ようやく、闘いが戦いになったんだ。
今度は、玲衣だけじゃなかった。
狂蛇の腕から血が飛んだ。
「ジャッ!」
「私だってっ――――」
狂蛇も玲衣も、痛覚を無視した戦い方。
血滴舞う戦場に、俺は高揚感を感じていた。
―――綺麗だ。
ふたりとも怯まず、肉を抉らせる。
「黒王のっ―――」
「ジャッ!」
何度も何度も、刻みあう。
吹き続ける赤い雨の中―――躍る狼と怪物。
―――美しい。
「血族っ!」
玲衣の牙が狂蛇を捉えた。
狂蛇の右腕が、狂蛇から離れ空を飛ぶ。
玲衣も勢いを殺せなかったのか、転がり飛ばされた。
「ジャッジャッジャァぁ!」
狂蛇の怒声が響く。
玲衣も立ち上がり、叫ぶ。
『――誇り高き牙獣よっ!!』
「「「「っ?!」」」」
「じや……?!」
一瞬で、洞窟を静寂が支配した。
玲衣から謎のエネルギー――波動というべきか、殺気にも似た何かが発せられた。
色で言い表せば、濃紫。
思わず毛が逆立つ―――戦慄を感じた。
…………今のは?!
隣でバタッ!という音が重なり聴こえる。
見れば、三兄弟が倒れていた。
どうやら気絶したようだ。
狂蛇も何か感じたのか、微動だにしない。
だが、それも一瞬で再び戦闘に戻る。
「玲衣?」
だが、玲衣は戦闘に戻る気配がない。
それどころか……意識が朦朧としているようだ。
―――今度こそここまでだな。
何とか意識を繋ぎ止めているようだが……。
狂蛇の迫る左腕に反応できていない。
「――もういいよ、玲衣」
自分が思ったより優しい声音がでた。
多分朧気にしか聞こえていないだろうが、安心したように気絶していく。
「お疲れ様」
――後は俺に任せろ。
既に狂蛇は、玲衣の目前。
一瞬後には、玲衣は切り裂かれるだろう。
勿論それは、当たればの話だ。
「玲衣には触れさせる訳ないだろっ!」
集中状態を二段階上げる。
時が世界が、遅くなっていく。
俺は玲衣達のもとへ、ゆっくりと歩み寄る。
―――合格だよ玲衣。
倒れゆく玲衣にそう語りかけ、微笑む。
そして再び狂蛇の方をみた。
「別にお前は悪くないよ……」
こいつも生きるのに必死なだけだ。
皆、生きるために殺す。
それが摂理だ。
でも悪いけど、俺のモノには手は出させないよ。
「――ガッ!」
玲衣に後一センチまで迫った狂蛇の腕を、容赦なく噛み千切った。
悲鳴も血飛沫も、噴き出すまで時間がある。
玲衣にこれ以上、他者の血を浴びせたくないな。
それに俺も進んで血を浴びたいと思わない……。
「―――っと!」
頭を横斜めに下げ、狂蛇の腹に向け、振りきり頭突きをかました。
狂蛇は吹っ飛び、壁に激突する。
「なるほど、この程度じゃ死ななそうだな」
くの字に身体が折れ曲がってるが、それだけ。
骨が飛び出すかと思ったが、思いの外頑丈だな。
再び狂蛇に歩み寄る。
衝突の反動で、壁から剥がれる途中の狂蛇。
………仕方ない。
「じゃあ切り刻むか―――」
そうだな、玲衣に牙の使い方を教えないとな。
そんなことを思いつつ、空に浮く狂蛇を牙をナイフの様にし、切り刻んでいった。
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