第質話 猫の目のよう ①
物事が目まぐるしく変化する。
くるくると回る風車のように、止まる事を知らない砂時計のように。
☆..:*:・゜'★,。・:*:・゜'
― 世界を救え。
― あれは道具だ。その道具に感情を抱いてどうする。
― 私の可愛い人形さん。最後の最後まで私の為に踊り続けなさいな。
― 国民から犠牲の出ない異世界からの召喚。これ程便利な制度はない。
数多の色を混ぜ合わせて作られた黒の欲望と驕り高ぶる者達の声。
それは泡沫のように。水面ではせる水泡のように。生まれては消え、消えては生まれる。
絶え間なく聞こえ続ける声は、耳朶に響くだけで飽き足らず蓮の心に直接落とされた。それは幾筋もの傷を作り、見えない血を流し続ける。
だからなのか、ふとした拍子に気づく。
彼らは己の世界が救われる、あるいは自分達さえ良ければ召喚された者達の末路などどうでも良いという事実に。
召喚された者にとって召喚された世界に縁はない。救う義理もなければ義務もない。それにも関わらず、召喚された者が召喚された世界に従事する最大の理由は「帰りたい」という望郷の想いからだ。
家族に逢いたい。友人に逢いたい。自分の知る世界に帰りたいという純粋な想い。
彼らはその想いを利用し踏み躙り、言葉を巧み操りながら彼らが望む方向へ進むよう仕向ける。感情の揺らぎを見つけると、そこから召喚された者達の良心に漬け込み思うがままに使い潰す策略を練るのだ。身を粉にして世界に身を捧げても、絶望にその心が蝕まれようとも、その過程で死ぬことになろうとも、彼らにとって召喚された者達は同列ではない。
だからこそ傍若無人にして非人道的な行為を、良心の呵責すらなく実行に移す事が出来るのだ。
命令に従わなければ、脅せばいい。
使えなくなれば、また召喚すればいい。
それは歪で奇妙なメビウスの帯を連想させる。
気づいた事実に泣き叫べば良いのか。それとも彼らを糾弾すれば良いのか。それすら分からず、ただただ子供のように目を閉じ、耳を塞ぎ、唇に歯を立てる。
脳裏を占める助けを求める言葉は、彼らの声と重なり閉じた世界に溶けて消え続けていく。
いっそ狂った方が楽になれる、その甘露な誘惑の手を取ろうとした瞬間だった。
「起きろ」
塞いでいるはずの耳に冷涼さを帯びた声が聞こえたのは。
それは幾度となく蓮達を助け、絶対なる信用と信頼を置く事が出来る者の声だった。その名前を呼ぼうと口を開くが、何故か名前が出てこない。
知っているのに知らない。呼びたいのに呼べないという両刀論法は焦りを生み出す。
必死に思い出そうと記憶を取り出そうとするが、バラバラの欠片は音だけを残し明確な形となる前に消えていく。
(どう………して?)
幼少の頃から当たり前のように傍にいた。手を伸ばせば仕方ないなという風に繋いでくれた。
記憶から想い出を引き出すことは出来る。だが相手の顔と名前が出てこない現状は絶望に似た混乱を引き起こし、まだ残っていた冷静な部分を容赦なく削り取っていった。
このままでは何かに呑みこまれてしまう。自我を、大切な想い出を奪われてしまう。
その恐怖から逃れたくて。誰かに助けて欲しくて伸ばした手は何かの温もりを掴み取った。
「起きろと言っているだろ!」
ようやっと掴み取った温もりに安堵する前に、怒気を含んだ声と共に背中に激痛が奔る。突如襲いかかる激痛は、強制的に何かを終わらせ混濁に沈もうとしていた意識を浮上させた。
閉ざされていた瞼が震えゆるりと開き始める。
この時初めて先程まで見ていたものが、限りなく現実味を帯びた夢であった事に気がついた。
「およそう、蓮」
「………かさね?」
声の聞こえた方向に視線を上に向けると、心底呆れたような安堵したような複雑な表情をしたかさねの姿が視界に入る。
先程まで思い出す事が出来なかったかさねの名前が意識せず口から出てきた事に、先程まで感じていた恐怖や狼狽、そして悲壮といったものはゆるりと溶けていった。意識が正常に動き始めると蓮の左手は、かさねの手首を強く握りしめていることに気づき慌てて外そうとする。
「今手を離せばどうなるか判らないぞ」
蓮の行動に気づき、警告を促しながら今度はかさねが蓮の手首を掴む。
痛みを感じないよう絶妙な力加減だが、安易なことで外れないよう独特の握り方をしている。蓮はそのことに疑問を覚えながらも一先ず今いる場所を見回した。
視界の限界まで広がる漆黒の空間。そこには星の代わりに大小様々な機能や装飾等が加えられた開き戸や引き戸、そして折れ戸が数百とも数千ともいえる数が存在していた。それらの戸は固く閉ざされたもの、僅かに開いているもの、完全に開いているものとがあり、どれ1つ同じものがない。その光景は現在までに撮影された中で最も深い宇宙の画像「ハッブル・ウルトラ・ディープ・フィールド」を連想させ、1つの完成された美術品のような圧倒される美があった。
その美は現実には決して存在しない。その事実が興奮を覚え酷く心を高揚させる。
だがそれは長く続かなかった。かさねの左手に掴まれているキャリーバック2つと同様に蓮達もまた宙に浮いているという事に気が付いてしまったからだ。
「ここ……どこ?」
「重力を感じられない。宇宙服を身に纏っていないにも関わらず身体異常を起こしていない。そして何より星の代わりに無数の扉が存在していることから推察するに宇宙空間と酷似したどこかだろう」
淡々と語られる言葉に混迷はない。
その様子から蓮も少しずつだが落ちつき始め、1つの可能性が脳裏を過る。限りなく低い可能性であるがないとは言い切れない。そして出来る事ならその可能性が当たりである事を一抹の望みに賭けた。
「これって……かさねの悪戯だよね?」
「このような大々的な仕掛けを作り上げる知識と技術を持ち合わせていたら、今頃SEやらずに別の職種についているな」
そうであって欲しいと一抹の望みを賭けた願いは、呆れたと言わんばかりの表情と言葉に無残にも砕かれる。
「じゃあ何でここにいるのっ?」
「とりあえずそれについて幾つか仮説を立ててみた」
「何時の間に?!」
「お前が意識を取り戻すまでの間だな」
つまりかさねはあのどす黒い欲望と驕り高ぶる者達の言葉を聞くことなく、最初から意識を保ち続けここにいたということなのだろうか。もしそうなら何故蓮だけにあの悪夢ともよべるものを見たのか疑問に残る。
蓮はそれについて話す事は後にし、別の質問を投げる事にした。
「取り乱したりとかしなかったの?」
「そのようなことをする暇があったら、1つでも多くの打開策を考える方が時間を有意義に使える」
「うん、分かってた。かさねってそういう人だって分かってたよ」
「なら聞くな」
蓮だけが混乱ている現状が物凄く幼稚な行為に感じられ恥ずかしくなる。
決して冷静さを失わず今やるべき最善の手を打ちだすその性格は頼れる部分が多く、また救われる事が多い。
だがそれがこのような常識を逸脱する異常事態でも有効だとは思ってもみなかった。全ての出来事を第三者として捉え、己の感情を排除し、今ある最善の手を呼吸をするかのように自然に考える様は人間として決定的な何かが欠けているのではないだろうか。
それが何かの形となり言葉になろうとしたが、それは全ての常識を嘲笑うような出来事で霧散することになる。
視界の端にあった黒枠障子戸が音をたてゆっくりと開かれたのが見えた。
視線をかさねからその戸へと移動させると、その向こうから意識を刈り取られた30代後半の男性が姿を現す。乱れた生活習慣と食生活のせいで超肥満した体系には、社会人として如何なものかと思われる黄ばみと皺が目立つスーツを着ている。不衛生、不摂生は見る者全てに不快感を与え、女性であれば眉を顰めるだけでは収まらないと安易に想像出来る風貌だった。
「人?!」
蓮とかさね以外の人間が現れた事に歓喜が混じった声をあげる。
男性はその声に気づくことなく、急速に赤く発光するとその場から流星のように飛ばされた。慌ててそれを追うように視線を移動させると、その先には複雑な装飾品が付けられた開き戸が開いている。赤く発光しているものはそこに引き寄せられるかのように飛び込み、完全に戸内部に入り込むと重音を出しながら完全に閉じていった。
それは時間にして5秒程度。瞬き2つで起きた出来事だった。
「今の……何?」
「流星。一般的には流れ星と呼ばれる」
「あれのどこが流れ星?!どう見ても人だったよね?!流星物質には見えないよね?!」
流れる軌跡だけで判断するのであれば、流れ星という表現は正しいだろう。
だが、公式発表されている流星とは天体現象の1つだ。過去に彗星から放出された比較的小さな塵が小天体の大気に衝突し、プラズマ化したガスが発光して流れるように見えることを指す。どう間違っても人間でその現象を起こせるはずがない。
「宇宙の神秘とは、時とて人間の思考を凌駕するものだ」
「ちょっと待って!あれを見たのは初めてじゃないってこと?!」
「蓮が目を覚ますまでの間に何度か流れた。どれも未成年であることから対象者となる者は肉体的・精神的に未成熟であることが条件の1つだと思っていたが………。どうやら年齢は条件外のようだな」
「何で言わなかったの?!」
「聞かれなかったから言わなかった」
「2R1Cはどこへ行った?!」
「報・連・相ではないのか?」
不思議そうに言うかさねに蓮の眉目が釣り上がった。
ここ最近という訳ではないが、良く使われている経営ワードとして報・連・相が挙げられる。これは報告・連絡・相談の頭文字を繋げて生み出された造語であり、相互理解を深めるために、互いの現状を知るために、相手に現状を正しく理解するために必要な社会人としての在り方を判り易くまとめたものだ。
そしてそれと同異語として使用されるのが、報告・連絡・相談の頭文字を繋げて作られた造語「2R1C」。日本語と英語の違いであるが、現代の日本にとってはこちらの方が判り易いのかもしれない。
「新入社員が本物のホウレン草を会社に持ってきた時点で使うのをやめた!」
「新人がダラだと大変だな」
「そうだね!新人がダラだと……って違う!現状に関する仮説って何?!」
「その前に1つ。絶対なる確証を持って言える事がある」
滅多に見ない真剣な面持ちに、こくりと喉が鳴る。
「流れ星に願いをしても絶対に叶わないという確証だ」
「それ今、全然全くっ関係ないよね?!」
どのような状況に置いてもかさねらし過ぎる見解に蓮は叫ばずにはいられなかった。
文書量の関係により、本来登場するはずの方が登場できませんでした………。
書きたい場面が多すぎて次話に持ち込みになりそうです。
閲覧して下さった方、そしてブックマークをしてくださった方。
本当にありがとうございます!あまりに嬉しかったので文書スピードが上がりました。
次話も楽しみにしていただけたら嬉しいです。