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第壱話 好奇心は猫を殺す ①


 過剰な好奇心は、思い掛けない災難を呼ぶ。

 好奇心もほどほどに。


☆..:*:・゜'★,。・:*:・゜'


(暑くて溶けそう………)


 連日猛暑が続く真夏の季節。

 誰もいない廃れた上がりのホームで浅黄(あさぎ)(れん)は急行列車の到着を待っていた。

 年代は20代前半だろう。鴉の濡れ羽色の美しい黒髪に夜色の目は穏やかさと儚げさが見え隠れしている。白を基調としたトップスに紺のジーンズ。首元にはシルバーのアクセサリーが輝いており、シンプルな服装は蓮の容姿を際立たせていた。


 流れる汗をハンカチで拭った後、それをショルダーバックに仕舞い込み代わりにiPhoneを取りだす。

 画面に表示されている時刻を確認すると後1分程で急行列車が到着することが判り安堵した。冷房に慣れきった体はこの炎天下の下で長く持たない。じりじりと焼ける暑さから意識を逸らすためLineを起動させ目的のトークを表示させる。そこには簡潔で分かりやすく乗車時間と乗車した車両番号が記された内容があった。


 送り主は蓮の父方のいとこである(あかつき)かさね。蓮と同じ職種についている1つ年上の社会人だ。

 今回は2人の夏季休暇が偶然重なったため、一緒に帰ろうと約束を無理矢理取り付けたのだ。こういう機会を作らなければかさねは実家に帰る事をなく、日頃の疲れを癒すと理由をつけて自宅でのんびりと過ごすことを選んでいただろう。それくらい実家に寄りつかないのだ。


(逢うの久しぶりだね)


 相変わらずの簡潔な内容に口元が綻ぶ。

 割と近い仕事場に出勤しているにも関わらず、ここ数年逢うことはなかった。互いに暇な時期が重ならず、重なったとしてもどちらかが仕事疲れで倒れていることが原因の1つだろう。今の仕事を選んだことに後悔はしていないが、納期が近くなった時の激務だけは勘弁して欲しい。


 そんなことを考えているうちに急行列車が目の前で停車しドアが開く。キャリーケースを持ちあげ乗車すると、冷房の空気が火照っていた体温をゆるりと下げていった。後ろから誰も入ってこない事を良い事に胸元の服をパタパタと仰ぐと冷やされた空気が籠った熱気を追い出してくれる。暫くこうしていたいが、かさねを待たせるのは悪いと思い火照った上に気だるさを帯びた体を無理矢理動かした。


(確か7号車の自由席……)


 客席へ続く自動ドアが開き、左右を見てかさねが座っている場所を探すと見慣れた薄茶色の髪が見える。そこに向かってキャリーケースを引いて行くと、座席に座っている人物の視線が読んでいる文庫本から蓮に向けられた。


「迷わなかったか?」


 久しぶりに逢ったというのに全く距離感を感じされない口調は、蓮の中で安堵を(もたら)す。

 年代は蓮より1つ年上のはずなのだが、容姿だけで判断すると同年代かあるいは少し下という印象を受ける。柔らかな薄茶色の髪に夜色の目は純粋な生命力を感じさせる輝きがあり、見る者を惹きつけるものがあった。深緑を基調としたランニングタイプの服に青鈍のジーンズ。胸元にはチョーカー、耳には幾何学模様のピアスを身に着けている。全体的なパーツが良く似ているからか、きょうだいといっても信じる事が出来るだろう。


「迷わなかったけど暑かったよ」

「だろうな」


 キャリーケースを上の棚に押し上げながら答え、隣の座席に腰を下ろす。そのタイミングを見計らってかペットボトル用の保冷バックに包まれた御茶を手渡された。どうやら蓮が炎天下の中水分を取ることなく待ち続けていることを予想していたらしい。


「ありがとう。……幾ら?」

「気持ちだけ貰っておく」

「ご馳走さま」

「どういたしまして」


 苦笑しながらそれを受け取り、一気に半分くらい喉に通した。喉が渇いていたことがようやっと自覚でき、溜まっていた息を吐き出す。

 急行電車はアナウンス共に動き始め、発車時特有の揺れが車両全体に響くと静止していた景色が動き始めた。

 眩しいくらいの太陽とぽつぽつと見える家々に青々と繁る田圃風景(でんえんふうけい)。そしてそれを仕切るようにある畦道(あぜみち)は、都会からの喧騒を一時的に忘れさせるほど静かで穏やかなものだった。数年前まではこれが当たり前の景色としてあったのだが、今は酷く昔のように思え懐かしさのような安堵感が胸を占める。


「最近どうなの?」

「相変わらず愚痴しか言えない程の忙殺さだな。そっちは?」

「ようやっと落ち着いたかな」

「よし、今すぐ手伝いに来い。塵すら残らぬほど扱き使ってやる」

「絶対に嫌だ」


 気安い掛け合い。

 再会までの期間が長かったせいもあるのだろう。近況の話しをしているだけだというのに、話しの流れが途切れることはない。

 御茶を飲みつつ、かさねが食べていたと思われるチョコチップクッキーを摘む。サクッとした口当たりにほろ苦いチョコのアクセントが生地の甘みと相まって美味しい。御茶と良く合うため、甘いものが得意ではない蓮でも何枚でも食べれそうだ。


「これ、かさねが作ったの?」

「まぁな」

「プロ顔負けの腕前じゃない?」

「素人のクッキーにプロが負けたら駄目だと思うが……。ありがとう」

「どういたしまして」


 耳が僅かに赤くなっている所から見ると照れているのがわかったが、それを口に出すことはない。以前それを指摘した者がかさねをからかい続けた揚句激怒させ、食の暴力を受けたことが記憶にあったからだ。

 蓮はかさねの様子に気づかれないようにそっと笑うと、もう1枚摘もうとして手を伸ばす。が、それは別の黒い手によって横から奪われた。


 人間の手ではなく、小さな黒い手によって。


「………え?」


 手の先を追ってみると40センチ程度のひょうきんそうな顔をした丸っこい灰褐色の動物と目が合う。

 目の周りは黒い毛で覆われ、それ以外は白い毛でで覆われた顔模様。尖った鼻先と丸くて小さな耳がまるっこくてむっくりとしたふさふさな体についており、小さな黒い手には先程横から奪われたチョコチップクッキーを持っていた。

 昔実物を実家で見たことがあるのではっきりと言える。


「た――――――」

「キィィィィィィィィっっっっ!!」


 狸《たぬき》だ、と言う前に空気を切り裂く音と動物の悲鳴。続いて隣の座席に狸が叩きつけられる音が耳朶に響いた。茫然とその様子を見た後、勢いよく隣を見るとそこには日傘をバッド代わりに使用し狸を叩きつけた元凶――かさねの姿があった。


 口元が引きつる。

 あの僅かな時間で状況を把握しただけでなく、日傘を取り出し狸だけを正確に狙ったスイングはある意味神業だろう。しかも使用していた座席テーブルがいつの間にか畳まれ、ペットボトルやクッキーは避難済みのようだ。

 こういうことに関しては無駄な能力を発揮する。


(関心している場合じゃなくてっ!)


 あまりの神業に関心すら抱いてしまったが、これはどう見ても動物虐待の部類だ。例えチョコチップクッキーを無断で盗んだという事実があろうとも、何も知らない者がこの状況だけ見ればかさねの分が悪い。


「いきなり殴ったら駄目じゃない!」

「うちのじい様が言っていた。狸を見たら即攻撃。これ常識」

「そんな地域限定常識(ローカルルール)いらないから!」


 第2弾をもって止めを刺しそうな勢いのかさねに抱きついて止める。だが、それだけで怒りに染まったかさねを止める事は出来ず蓮を引きずる形で狸に近づこうとしていた。

 社会人になって疎遠になったとはいえ、かさねは長年武術の幾つかを修めていた。その技術は数年の空白の期間(ブランク)があろうとも体に刻まれたものは余程の事がない限り失われない。何もやっていない蓮が完全に止められない事は百も承知だが、ここで何もせず傍観を決めれば狸はここでご臨終である。


 夏季休暇最初の1日が動物虐待で始まるのは決して幸先の良いスタートではないだろう。


「こいつは丹精込めて作り上げた無花果(いちじく)を食い荒らしただけでは飽き足らず、トマトに甘瓜(あまうり)まで滅茶苦茶にした害獣(がいじゅう)だ。それを庇うのは農家を敵に回しても良いと判断しても良いんだな?」

「そんなことより何で狸が急行に乗っているのか疑問に思ってよ!」

「更に良い餌を求めて無賃乗車。マジ殺す」

「何でそっちの発想なのっ?!」


 確かにそう言う可能性も捨て切ることは出来ないが、何故それ以外の回答を排除するのだろうか。

 いや、何となくだが分かる。それ程までに狸に対するかさねの心象が悪すぎるからだ。


≪殴らないでおくんなんしぃぃぃぃ≫


 突如聞こえた叫びに2人の動きが同時に止まる。その声は耳朶を伝って聞こえるものではなく、脳に直接響く感覚がするもの。

 蓮とかさね以外に声を発するものがあるとしたら車内アナウンスくらいだが、あのような叫びを丁寧語以外で話すような車掌がいるだろうか。いや、いないだろう。そのことを踏まえた上で声を発することが出来、尚且つ先程の言葉の意味を解釈するのであれば声の主は限定される。

 2人の視線は自然と狸に向けられていた。


「狸は廓詞(くるわことば)を使うのか」

「そうだね………って違う!!」

花魁言葉(おいらんことば)の間違いだったか?」

「そうじゃなくて!何で狸がしゃべるのかじゃないの?!」


 目の前にある状況から正確に分析したかさねの言葉に思わず頷きそうになる。しかも本来注視するべき点(・・・・・・・・・)を完全に黙殺(スルー)し、使う言葉の表現に視点の置くのはどうだろうか。

 かさねらしいといえばかさねらしいが、ここで指摘するものでもないと思う。


「成程。然るべき機関へ持っていってその害獣を売ってこいということだな?」

「そっちでもないから!!」

「状態も良いから(こぞ)って競り落としてくれるだろう」


 捕らぬ狸の皮算用をし始めるかさねの言葉は、対象者(ターゲット)の恐怖心を更に増長させる。しかもその時に発生するであろう報奨金の額や行われるであろう実験内容はあまりに現実的かつ具体的すぎて聞いているだけだというのに背筋に冷たいものが流れてきた。


 その場で恐怖に震える狸。

 かさねに抱きつきながら冷や汗が止まらない蓮。


 ある意味混沌(カオス)だった。




物語の始まりです。

今回は主人公格の2人が登場しました。物語はこの2人を中心に繰り広げられていきます。


そして、ブックマークをしてくださった方、本当にありがとうございます。これからもこの物語をよろしくお願い致します。


■修正履歴

2014/10/04:廓言葉(かくことば)廓詞(くるわことば)に修正

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