熟れた果実
深い。
急な階段であるというのに、なかなか終わりに到達しない。ようやく辿りついた場所は、横に二人並ぶのが精一杯……という狭い通路であった。
「風があるね」
イクサの呟きが前方から響いてくる。最後方にいる自分達にも届くほど、通路は声が反響しやすい。
燠火の真導士の一人が、手の平に炎を展開している。おかげで視界は確保できている。しかし、灯りがあるといっても。金と黒の目立つ二人以外は、全員がすっかり怖気づいていた。
かわいそうなのはティピアで、怯えて涙すら浮かべている。ジェダスはそれを気遣いながら、けれど決していやがる素振りだけは見せなかった。案外いい人なのかもと思えてくるから、人の心は不思議である。
しばらく歩いていった先に、木目の扉があった。イクサが開けようと試みている。けれども、しっかりと鍵がかかっているようで、一向に開く様子はない。彼を助けようと男二人が加勢した。三人で扉を押してみても、やはり鍵は外れない。
前方の有様に、悪徳商人殿がしびれを切らしてしまった。ずんずんと人を掻き分け、前方へ進んでいく。
「どけ」
その一言で予感を覚えたので、咄嗟にティピアの耳を塞いだ。
次の瞬間、耳をつんざく轟音が通路に反響し。憐れな扉は少し離れた床に、身体を張り付かせていた。
「……すごい力、だね」
「腕よりも、足の方が力が出るだろう」
そういう問題ではないと言いたげな、周りの沈黙。彼を貴族だと勘違いする者は、もうここにはいない。
ローグが強引に開いたその場所は、家の居間ほどの大きさの部屋だった。
部屋の隅から、鼠の鳴き声が聞こえる。鼠達は灯りから隠れるように、物影へと姿を消していった。
正面にはまた扉。左手にはどこかへ続く通路がある。
部屋の中にあるそれは、先ほど蹴破られた扉とは違い、頑丈な鉄拵え。鍵がなければとても開きそうにない。
だが幸運にも。鉄扉の手前にある机の上に、鍵と分厚い紙の束が見えた。
誰も彼もが室内を見渡し、一か所で目を留める。
右隅に、きっちりと積み上げられている荷箱。木と木の隙間から、白く淡い光がほろほろと零れている。額に、冷たい水の飛沫の気配。酸味を帯びた甘い匂い。
もはや疑いようはない。目の前にある荷箱が、この気配の大本だ。そして――。
両手で耳を塞ぐ。
壁に当たっては返る、たくさんの声。耳を塞いでも入ってくる。でも、そうしていないと気力が保てない。
……すすり泣き、叫ぶ、子供の声。
口々に出してと。帰りたいと親を呼ぶ、その幼い慟哭。
「サキ、しっかりしろ。……サキ!」
ローグの声が遠い。こんなに近くで呼んでいるのに子供達の声に消されて、彼の言葉が届いてこない。立っているのもやっとの状態で、呼吸をただ繰り返す。
イクサは迷うことなく足を進め、右隅に積んである荷箱の蓋を取り外した。部屋に広がる、毒々しいほど甘美な香り。
「何だ……これは」
蓋を壁に掛け、中を丹念に覗き込んでいる。
「ローグレスト、ちょっと見てくれないか」
イクサがローグを呼んでいる。
行ってくださいと伝えたいが、とても声が出せなかった。
「……わたし、サキさんのこと見てます」
小さな小さなささやきが、近くで出された。
ティピアの手が、自分の二の腕に触れる。涙声のティピアの主張を、ジェダスも後押しをした。
「行ってください首席殿。貴方の知見が必要です」
二人の言葉を受け取り、躊躇っていたローグが一つ肯く。そのまま裾を翻して、荷箱に向かって行った。
イクサに示され、箱を見た彼。
中身を検分し、突如張り上げた驚倒の声が、部屋に大きく響く。その声に反応したのか、隅の方で鼠が蠢いている。
「……何故、こんなものが」
あり得ない物を見た。
声がそうと告げている。悲鳴にまとわりつかれながら、ローグの様子を窺う。彼がここまでの驚き示すなどめったにない。何か尋常ではない事態が起こっているのだ。不安がどんどん積もっていく。
ローグの手が、荷箱に差し入れられた。
彼の手によって取り出されたのは、白く光を放つ――真っ赤に熟れた果実だった。




