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第4話 記録:祈りボタン現象


21世紀初頭、

「祈りボタン現象」と呼ばれる社会的ムーブメントが発生した。


発端は、日本の地方都市に住む一人の高齢女性によるSNS投稿だったとされている。

彼女は、事故や災害の被害者に対して手描きの水彩画と哀悼の言葉を添え、

投稿の最後に「祈りボタンを押してください」と呼びかけた。


当初は、一般的な“いいね”機能を利用した哀悼の投稿にすぎなかった。

しかし、一部のユーザーがそのボタンを「祈りボタン」と呼び始めたことで、

共感の動作は次第に宗教的な意味を帯びていった。


いつの間にか、それを押すことが“善意の証”であり、

押さないことが“無関心”と見なされるようになったのである。


以降、類似の投稿が国内外で急増した。

投稿者たちは互いを“祈り人(いのりびと)”と呼び合い、

祈りを通じて世界と繋がることを信仰のように語った。


当初は慈善的な活動と見なされたが、

やがてその中心に「快楽」と「依存」が混じりはじめた。

祈りボタンを押すたびに生まれる“安心感”は、多くのユーザーを惹きつけ、

SNS上には「優しさの連鎖」「祈りは世界を変える」といった言葉が流行した。


しかしその一方で、報道のコメント欄には

「悲報がなければ祈る相手がいない」

「誰かを救いたいから悲しい出来事が必要だ」

といった発言が見られるようになる。


一部の専門家は、この現象を“共感依存症”と呼び、危険視した。


運動のピーク時には、“祈りの会”と称する集会が各地で行われた。

参加者はスマートフォンを掲げ、蝋燭の光の中で、

被害者の名前をハッシュタグとして唱え、画面の祈りボタンを押した。


その儀式はやがて宗教的熱狂を帯び、「祈りボタン教」と揶揄された。


やがて、“聖母”と呼ばれる人物が現れた。

初期に水彩画を投稿した女性と同一人物かどうかは不明だが、

彼女のアカウントは短期間で百万人を超える信者を集め、

「世界の悲しみを受け止める者」として崇拝の対象になった。


一方で、各地では“祈りの予告”と呼ばれる投稿が相次ぎ、

「祈りのための死」を願う書き込みが社会問題となった。


現在、当時のSNSはほとんどが閉鎖され、データも残っていない。

一部の大学機関が保存していたログには、

初期投稿者のアカウントとされるIDが存在した記録があるが、

その詳細は削除されている。


ただ、地方の公立図書館の資料室には、

「海辺の家族」と題された小さな水彩画が保管されている。


作者は不明。

紙面の端には、擦れた文字が残っている。


「あなたの悲しみが、世界を優しくしますように。」


その絵は、現在も閲覧申請が相次いでおり、

展示の際には多くの参拝者がスマートフォンを掲げ、

画面の中の白いボタンを押していくという。


 


──居酒屋 常夜──


与太郎はグラスの縁を指でなぞりながら、静かに続けた。


「……人間ってのはよ、

 誰かを救いたいなんて言ってもよ、

 ほんとは自分の孤独を救ってほしいって生き物なんだ。」


カウンターの上のスマホが、かすかに震えた。

画面には、与太郎の投稿した一文が映っている。


「#あなたの悲しみが世界を優しくしますように」


彼は少し笑って、煙を吐いた。


「いいね、じゃなくて“祈りボタン”を押すってな。

 ま、呼び方なんざどうでもいいさ。

 問題は──押した指が、誰のためのもんかってことだ。」


提灯の火が揺れる。


誰もいないカウンターの奥で、

与太郎のスマホがもう一度、ひとりでに光った。

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