黄金色に染まった世界の中で
「それは関ヶ原の敗報を書状で知ったからだろ?」
因幡は銀色に輝く前髪を掻き上げた。水で濡れていた髪は、陽射しに照らされてすでに乾いている。
「そうとも言い伝えられているけど、総合的判断ってことだと私は思うわ。いろんなことを考慮した結果、撤退するのがベストだと判断したわけ」
「おまえは歴戦の軍師かよ」
「諸葛孔明と呼んでね」
「しょか……なんだそりゃ」
見上げた陽射しは西に傾いていた。
雛乃はもう店に戻っているだろうか。彼女はひとりで出歩いたことがないはずなので、御廟所を飛び出していったものの、道に迷っていないだろうかと南朋は首を巡らせる。
「店に帰る前に、寄るところがある。こっちだ」
純白の耳で指し示した因幡のあとについていく。
どこだろうと思ったが、先日目にした景色に、南朋は得心した。
上杉家の別邸であるこぢんまりした屋敷へ辿り着いた。門をくぐると、畑の向こうにある欅の木の傍に、ひとりの少女が屈んでいるのが見えた。
「おーい、泣いてんのか?」
因幡の無神経な台詞が飛び出したので慌てたが、振り向いた雛乃もたいそう慌てていた。
「な、なによ! なんでここに来るのよ!」
「おまえの行動なんざ、お見通しなんだよ。俺も一緒に謝ってやるから店に戻ろうぜ」
尊大な言い分に頰を膨らませた雛乃は、ぷいと顔を背ける。
彼女の足元には、小さな白い花が綺麗に並んでいた。先日亡くなった子うさぎの墓石に、花を添えたのだ。
南朋はそっと雛乃の隣に屈んだ。
「お参りしてたのね」
「……べつに。たまたま通りかかっただけよ。この間は何がいいのかわからなくて茄子の葉っぱを入れちゃったから、花でも置いてあげようかしらと思ったの」
「この子の名前、うーちゃんにしてたけど、雛乃が名づけてあげたらいいんじゃない?」
『うー』というのは南朋の思いつきだった。もっと美しい名前を、母親からもらったほうがよいかもしれない。
そう思い言葉をかけると、俯いていた雛乃は信じられないものを見るかのような、呆れた眼差しを南朋に向ける。
「ばっかじゃないの⁉ これだから子どもを産んだことも亡くしたこともない女はわかってないわねえ」
「……それは事実なんだけど、私だってそう言われると、とてつもなく傷つくんだけど。何かいけなかったの?」
雛乃は指先で白い花をいじっていた。彼女の爪先ほどの小さな花が、夕陽に染められて黄金色に輝いている。
「あたしが名前なんかつけたら、もっと哀しくなるじゃない。この子は『うー』のままで死んだのよ。だからそれが、この子の一生なの」
「……そっか。そうだね」
我が子の死を経験した雛乃から紡がれる言葉は重く響いた。
ふと振り向くと、因幡は畑の土を手で掘り返している。
「おーい、ミミズ捕まえたぞ。ほら」
ミミズを指先で摘まんだ因幡は、こちらに走り寄ってくる。
「ぎゃー! やめてよね」
「ちょっと、因幡! ミミズは土に帰してよ」
悲鳴を上げて逃げ回る南朋と雛乃を、ミミズをぶら下げた因幡は愉快そうに追いかけた。
鬼ごっこをして息が切れる頃、因幡なりに哀しみを和らげようと気を遣ってくれているのだなと、南朋は胸の裡で感じる。
無事にミミズを土に帰し、一行は墓に別れを告げると屋敷の敷地を出た。
蕩けるような太陽が雲間に滲んでいる。
並び歩く三人の長い影法師が、黄金色に染まった世界の中で、まっすぐに伸びていた。
さて……という空気になり、それぞれが目線を交わす。
南朋は言い出しにくいであろうふたりに先駆けて、口火を切った。
「謙介さんに謝らないとね」
このままでは本当に失職してしまう。迷惑をかけたことをオーナーの謙介に詫びなければならない。長尾は許してくれたけれど、それと謙介が怒ったこととは別だ。
だが、この期に及んで雛乃は唇を尖らせる。
「因幡さまが謝ってよね。あたしを殴ったから大騒ぎになったのよ」
「はあ? ふざけんな。おまえの失言が元凶なんだよ。なんで長尾にあんなこと言ったんだ。しかもさっき、逃げただろ。長尾のことが嫌いなのか?」
「そんなんじゃないわよ!」
「じゃあ、長尾にきっちり謝っておけよ。謙介には俺から謝る。いいな?」
「……う、ん……」
「長尾はおさわり部屋で、ずっとおまえと話してた時期があったな。独り言だろうけどよ。何を語っていたのか知らねえが、あのときのことが引っかかるのか?」
「因幡さまには関係ないわよ」
ぷい、と雛乃は顔を背ける。因幡は眉をひそめたが、追及しなかった。
病院帰りの長尾は、不妊治療や子を失ったことについての辛い気持ちを雛乃に語り聞かせていたのだ。長尾が心情を打ち明けられる相手が、物言わぬうさぎの雛乃だけだったのだと思える。




