体重を巡る冒険
「山内君、いまちょっといいかな?」
僕は、血液回路や除水計算の間違いがないかチェックして回っている技士の山内君に声をかけた。山内君は天パでメガネでポッチャリ体型の所謂いじられキャラなんだけど温和で優しい性格で、他のスタッフにちょっと言いにくい頼み事なんかでも結構頼みやすい。
「毛受さん、どうかしたんですか?」
山内君は訝しげに僕のベッドサイドにしゃがんで僕の顔を見た。
「針が痛むんですか?」
「いや、そうじゃなくてさ…。今日の回診の先生って、誰かわかる?」
山内君は顎に手を当ててちょっと考えて、答えた。
「本当なら今日は院長先生だけど、さっき緊急のオペが入っちゃったって主任さんが言ってたから…副院長先生が来てくれるんじゃないですかね。」
僕は心の中でガッツポーズをした。これはいけるかもしれない。
「あのさ、山内君。僕、最近さ、家でも血圧低めでちょっとフラついたりして、体調よくないし…できれば、体重を上げてもらいたいんだけど…。副院長先生に、相談してくれないかな?」
「体重、ですかー?」
山内君は、ちょっと困った顔になった。
僕たち透析患者は、尿が正常に作られない。だから、体に余分な水分が貯まってしまう。その余計な水分を透析で抜くのだけれど(因みに水を抜くことを除水という)、どれだけの量の水分を抜くのかは、基準になる体重からどれだけ体重が増えているのかで決まる。この基準の体重をドライウエイトといって、血圧とか胸のレントゲン写真とか血液検査の結果を参考に決めているらしい。ただ僕ら患者も人間だから、普通に(水分じゃなくて肉が)太ったり痩せたりするので、ドライウエイトが合わなくなることもチョイチョイある。体重がキツすぎると血圧が下がったり足を攣ったりフラついたりするし、逆に体重が甘過ぎると浮腫んだり血圧が高くなったり胸が苦しくなったり呼吸が苦しくなったりする。僕は肺に水が溜まりやすいせいか、頼んでもなかなか体重を上げてもらえない。特に院長先生は絶対に上げてくれない。
「うーん、ちょっと主任さんに相談してみますー。」
まずい。主任さんも僕が体重を上げることにいつも反対するのだ。
「え、いや、山内君から言ってよ。」
「なーに?私がどうかしたのー?」
主任さんが現れた。
「あ、いや、あの…」
「毛受さんが、体重上げて欲しいって言うんですけど…」
「はあー?ダメだよ。こないだだって、ちょっと体重上げたら調子に乗ってめちゃくちゃ飲み食いして夜中に救急車で市民病院に搬送されたでしょ?!」
返す言葉もない。そう、僕のこういうだらしないところも体重を上げてもらえない理由だと分かってはいるのだ。
「あ、でも毛受さん、自宅で血圧低くてフラつくって言ってますけど…」
山内君が一応フォローしてくれたが、主任さんは僕の血圧手帳をパラパラっと見て言った。
「血圧130台なら低すぎではありません。フラつきは貧血が進んでいるかもしれないから、血液検査の指示を貰っておきます。透析中にいつも血圧下がってしんどくなるのは、食べ過ぎ飲み過ぎで体重増やしてくるから!今日もまた4000も増やしてきて!!」
またいつものお説教が始まってしまった。わかっている。わかっているんだけど、できないんだよなー。僕が溜息をついていると、遠くのベッドから大きな声が聞こえて来た。
「イヤです!!体重あげるのはイヤです!!今の体重で合ってます!!!」
千坂さんの声だ。つい聞き耳を立ててしまう。
「あのね、千坂さん。最近、血圧もかなり低いし足もよく攣っちゃうでしょう?レントゲンもね、心胸比45%で女性にしてはかなり小さいし、こないだの血液検査の結果もね、ハンプっていってね、心臓のホルモンがね、50が基準のところ35しかないからね、要するに、千坂さんの体から水を引きすぎているんだよね。」
副院長先生が優しい声で丁寧に説明しているのが聞こえてくるけれど、千坂さんは猛然と駄々を捏ねている。千坂さんは結構精神的に不安定になることがある。その関係なのか、急に無茶なダイエットをしてガリガリになったり、逆に突然太ったりすることがある。それでも体重には拘泥わりがあるみたいで、ドライウエイトを上げることは、「太ったことを認めるのは負けた気がするから」と言って凄く嫌がるのだ。
結局、千坂さんの体重の変更は「足を攣ったり血圧が下がったら除水を止めて体重を残すようにする」で、保留になったようだ。無理に体重を変えることで千坂さんが意地になってまた拒食になるといけないからということなんだろうなと思う。
「なー、頼む!一生のお願いだって!!な、ちょっとでいいから体重上げてくれって!!」
隣のベッドで矢田さんが副院長先生と主任さん相手に頑張っている。
「矢田さん、いつも体重が上がるとその分以上に呑んできちゃって大変なことになるでしょ?」
「今度は頑張るから!!俺の目を見てくれ!!なっ?!」
矢田さんの猛アピールに副院長先生も苦笑している。
僕たちは、まったく困った患者なんだろうな、と思う。
体重管理はできないし、そのせいで体調が悪くなるし、おまけに我儘も言う。
そんなことを考えていると、ちょっとした自己嫌悪に陥ってしまう。
「どーしたの?気分悪くなったの?」
ミコさんが声を掛けてきた。
「え…いや、そういうんじゃないですけど…」
「あー、また体重増え過ぎって叱られたから?増えてきちゃったもんはしょーがないよ。あんまり気にしない方がいいよ。」
ミコさんは優しく俺の背中をトントンと叩いてくれた。なんだか、急にだらしない自分が情けなくなって
泣きそうな気持ちになってきた。
「あのね、メンジョウくん。主任さんだって、別に意地悪してるわけじゃないんだよ。そりゃ、言い方キツくてムカつくけどさ。」
「わかってますよ…。僕がしっかり自己管理できないのがいけないんですよ。」
なんだかいじけた気分になって、卑屈な物言いになってしまう。
「あー、まーねー。でもさー、正直言って、私が患者になったとしてもそんな体重管理なんてできないと思うわー。それに食べるのは生きる楽しみなんだからさ。」
そう言って最後にちょっと強めに僕の背中を叩くと、ミコさんは回診にきた副院長先生に向かって何かを訴えた。先生は僕のカルテと血圧手帳を見て、ちょっと考えてから言った。
「毛受さん、ちょっとだけ体重上げましょうか?」
ミコさんが、先生の後ろでニヤッと笑った。
僕は心の中でバンザイ三唱した。