*episode.22 過去の話
制服を着たまま、商店街を歩く。
「……おい、何してんだよっ!」
私に腕を引っ張られた浅黄檸檬さんが、明らかに不機嫌そうな声を上げる。
それもそのはず。私が無理矢理引っ張ってるんだもん。
「ちょっと桃音、どこかに連れていこうとしてるなら、行き先くらい教えた方が良いんじゃないの?」
無言でずんずん歩いていく私を不審そうに見る3人に振り返って、仁王立ちでどや顔する。
更に「???」な顔をする3人に、高らかに宣言した。
「何って、みんなでカラオケだよ!」
そう。私は浅黄姉妹と赤羽さんを誘って――と言うかほとんど無理矢理、近所では1番大きいカラオケに来たんだ。
そして、ロビーの隅でこうしてるってわけさ。
みんなで楽しく歌って盛り上がって、そして色々お喋りして……浅黄姉妹の事を、もっともっと解ってあげられるようになりたい。
このまま光になってしまったら、きっともっと辛くなっちゃうって、そう思った。
でも、当然そんな私の企みを知らない3人は全然乗り気じゃないみたいなんだ。
「そんなの見れば分かるよ。でも桜澤さん、私達にはもう関わらないようにするっていう約束だったよね。あなたって約束を破るような人だったの?」
浅黄蜜柑さんの言葉が、胸に深く突き刺さった。
「うっ……」
「お昼の事で少し見直したと思ったらこうだもんな。がっかりだよ、やっぱりお前は少し仲良くなったらすぐ調子に乗るような馬鹿だったんだな。」
浅黄檸檬さんは、全く悪気のなさそうな顔で言った。
「えっ」
「桜澤さん、流石にいきなりカラオケはないんじゃないかしら。浅黄さん達だって予定があるかもしれないのよ。少しは他人の都合も考えなさい?」
赤羽さんまで……。
「えええ、そんなぁ……そこまで悪い事なの?」
予想以上に攻撃的で、流石の私もテンション下がる。
「別に特にこれと言った用事はないよ。
でもね、私と檸檬には事情があってね……」
「それを言ってくれなきゃ分からないよ……」
っは、思わず本音が……。いけない、また余計な事言っちゃった。
なんて焦ったんだけど、案外2人は怒ってないみたいだった。
「まあ、それもそうだな。もうこの際、きっちり話しておくか?」
「ちょっと檸檬、あんなに嫌がってたのに……!」
「もう付きまとわれて質問攻めにされるのは面倒なんだよ、話したら満足するだろ」
「だけどあんな話、聞いたらきっとショックになっちゃう……。止めた方が良いよ……」
「こいつらが知りたがってんだから、欝になろうがトラウマ背負おうが私達には関係ないよ。
おい、桜澤。自分から聞きたいって言ったんだから、後で後悔しても蜜柑を責め立てる事だけは絶対にするなよ。」
「う、うん……」
何か物凄い緊張感が……。予想以上に悲惨だったのかな、浅黄姉妹の過去って。
「檸檬は本当は聞いてほしいんでしょ?」
「……どうだろうな。」
私達は受付を済ませて、カラオケボックスの中に入って、ソファに腰を降ろした。
「話したってどうにかなる事じゃ無いんだけどな。」
浅黄姉妹は、ゆっくりと話し出した。
✡
「昔っからだったな。私と蜜柑は、見ての通り真逆の性格だったんだ。私はこんな乱暴な言葉遣いで性格もクズみたいだったし、蜜柑は誰にでも優しくて何事にも丁寧で天使みたいな子だった。
そのせいか分からないけど、まだ幼いにも関わらず、蜜柑は『いい子ぶりっ子』って言われていじめられてたんだよ。年下からも同い年からも年上からも、誰にでも言われた。流石に大人は言ってなかったけど、内心どう思ってたのかは分からねぇな。どうせ可愛げのない姉妹だって思ってたんだろうよ。
そんなわけで、蜜柑は色々トラウマになっちまって、些細な事でもすぐに傷付くようになったんだ。コソコソ話してる奴が居れば自分の悪口を言っているんだと、相手が少し顔を顰めると、自分が不愉快な思いをさせたんだと思い込んで。……思い込みなんだよ、蜜柑。
まあ、そんな風に、常にネガティブ思考で、どんな事を取っても最初から諦める。『どうせ』、『無理』が口癖の、ただの暗い奴になっちまった。
それでも優しい心はずっと残ってたんだけどな。
それで、これは私と蜜柑が小学2年生の時なんだけど。
私と蜜柑はクラスで少し浮いた存在だった。私はこんな調子で荒々しくて、男子なんて1発殴れば泣かせられたくらいでさ。
蜜柑は……友達と上手くコミュニケーション出来てなかったっけな。幼少期のトラウマは消えてなかったんだ。いつも他人の目とか評価を気にしておどおどして、それでまた悪口を言われるっていう悪循環でさ。」
「ちょっと待って、檸檬。」
せっかく話してたのに、蜜柑が遮ってきた。
「何だよ、話の途中だろうが……」
「少し話が違うわ。
檸檬がこんな風になったのは小学校に入って、男子に八重歯の事をからかわれてからだったでしょ? 私のせいでもっと荒れちゃったけど……。
保育園の頃は優しくて無邪気な可愛い女の子だったじゃないの。」
「余計な事言うなって……その頃は黒歴史なの知ってるだろ、あんま無闇に触れないでよ」
掘り返してほしくないものを平気で掘り起こしてきた蜜柑だけど、その顔は確かに笑っていた。
「ふふ、いつも私の事を助けてくれてたよね。私がからかわれて泣くと、物凄い勢いで飛んできてさ……ヒーローみたいだったよね」
「そんな昔の事なんてよく覚えてるよな……」
「そういう檸檬もねっ」
蜜柑はくすくすと笑った。こんなふうに心から楽しそうに笑う蜜柑は久しぶりに見た気がする。
「浅黄さん達って、本当に仲が良いんだね!」
桜澤と赤羽はにこにこ笑いながらそんな私達を見ていた。
「双子だしな。唯一の家族だし」
「え、それじゃあご両親は――」
桜澤と赤羽の瞳孔が小さくなる。
「母親も父親も生きてるよ。でも……あんな奴ら、家族なんかじゃない。」
蜜柑は眉を潜めて、制服の裾をぎゅっと握り締めた。
「え……?」
桜澤はそんな蜜柑を見て、自分がいけない事を訊いてしまったんだと思ったのか、慌てて口を押さえた。
「ご、ごめんなさい、私いけない事聞いちゃった……?」
「ううん、いけない事なんかじゃないよ。
むしろ……私と檸檬が、誰かに1番話したかった事だから。」
蜜柑は慌てふためく桜澤に苦笑いをして応じた。本当は蜜柑だって嫌なはずなのにさ。それに、ちゃっかり私の名前も出してくれちゃってる。
「そう、なんだ……」
桜澤は、語尾がほとんど消え入るくらい小さく呟いた。
「話を横断しちゃってごめんなさい、続き……」
続きを促されて、私が再び口を開いこうとすると、それを蜜柑が阻止した。
「親の事は私が話す。檸檬にとっては、とてもとても辛い事だから」
「……ありがとう」
蜜柑はどこまでも私の事を理解している。表に出さなくても、蜜柑には私の考えている事が、何でも分かってしまうんだ。不思議だな、双子であっても、私達は別々の人間なのに。
「私達の両親は、海外のブランドのデザイナーなの。かなり有名な会社でね、日本でも結構人気なんだ。多分桜澤さんも赤羽さんも、聞いた事あると思う。
当然海外での仕事の方が圧倒的に多いから、私達一家は海外に住んでたの。私達が生まれたのは日本なんだけど、生まれてからすぐ海外に引っ越して、8歳の頃まではずっと海外に住んでいたの。」
「じゃあ、さっきの話は……海外で虐められてたって事なの?」
「うん。その国の人達は、みんな思った事をはっきり表に出すから……日本人が謙虚過ぎるだけなのかもしれないし、それが当たり前だったんだけど、当時はやっぱり怖かったかな。」
蜜柑は苦しそうに笑った。
「そっか……」
「……両親はね、デザインと商売は人一倍上手かったんだけど、子育ては全然ダメだったんだ。仕事ばっかり、利益ばっかり考えてて、私達の事はまるでほったらかし。元々父方の祖母がその国の人間だったから、よくそこに預けられてたんだけど……。
ある日、私達は祖母の家の庭で遊んでいたの。結構な広さがあったから、毎日のようにたくさん走り回って。
ふふっ、あの時は楽しかったなぁ。」
今度は楽しそうに笑っていた蜜柑だけど、その笑顔も一瞬で曇る。
「そしたら、檸檬が祖母が片付け忘れていた水やり用のホースに足を引っ掻けて転んで、骨折しちゃった事があるの。
そうしたら、両親は激怒して、祖母を酷く問い詰めて、精神的に追い詰めた。……檸檬が怪我したのはお前の不注意だ、孫の面倒も見れない最低な奴だって。」
そう話す蜜柑の表情には、微かではあったものの、強い悔しさと怒りが滲み出ていた。遠いあの日の記憶は、蜜柑にも残っていたんだ。覚えているのは私だけなのかと思ってた。
「何それ、そんなのおかしいよ!?
だって、だって……お父さんとお母さんは、子育てを放棄して、2人をお祖母さんに預けたんでしょ!? それなのに自分の事を棚に上げてお祖母さんを問い詰めるなんて絶対おかしいよ!」
桜澤は立ち上がってそう叫んだ。静まり返っていたカラオケボックスにその余韻が残る。
そんな桜澤に、蜜柑は無言で頷く。
「……桜澤さん」
赤羽が怒りで肩を震わせる桜澤を宥めて座らせる。それでも怒りが収まらないのか、桜澤は「そんなの無責任過ぎるよ」と小さく呟いた。
「そうだよね。私達もそう思って、ちゃんと両親に間違っているって事を伝えたわ。
でも、両親は聞く耳も持たずに、一方的に『あいつが子供達を洗脳した』『あいつが親に反抗するような悪い子に育てた』って、更に祖母を追い詰めた。
それからは両親の元へ帰り、祖母とは全く連絡を取らせてもらえなかったわ。
それから、更に……私達の知らないところで、両親は祖母に何度も手紙を送りつけてたみたいなの。
祖母は酷く傷付いて、数ヵ月後に認知症になって、すぐに行方不明になって……」
「そ、そんな……どうして」
桜澤は顔色を真っ白にしながら、呆然と膝を見詰めていた。膝の上で握られた両手は微かに震えている。
「祖母は、今も行方不明のまま。
祖母の家からは、大量の手紙が見付かったんだって。送り主は全て――」
蜜柑は唇を噛み締めながら言葉を絞り出した。今までずっと黙って聞いていた赤羽も、驚愕の表情でテーブルを凝視している。
「これだけじゃ、終わらないよ。
私達は両親に引き取られた――って言っちゃおかしいか。私達は両親と暮らすようになったけど、両親は子育てなんてした事なかったから、何をすればいいのか分からなかったみたいでね。
私達は既に5歳になっていて、普通の食事も出来て、お風呂にも自分達で入れたのに、離乳食だとか樽にぬるま湯を張ってだとか、もうとっくに過ぎた事ばっかりやり始めた。やっと落ち着いたのは、数ヵ月後だったっけ。
そこまでが物凄い大変で、ストレスを溜めた母は仕事を辞めてしまった。父は何とか続けてくれていたけど、過労で1度倒れてしまって……。
まだ小さかった私達は、もうどうしたら分からなくなって、何回も家出した。親に苦労を掛けたくなかったの。大嫌いだったけど、私達の事を一生懸命育ててくれた人達だったから、祖母みたいに居なくなってほしくなかったの。
まあ……こんな子供だったから、毎回すぐに帰っていたんだけどね。
特に檸檬は、祖母が深く傷付いた末に認知症になって、誰にも気付かれずに行方不明になってしまった事と、母が大切にしてきた仕事を辞める事になった事、父が過労で倒れた事は、全部自分のせいだって思い込んじゃって。
きっと私の何億倍も苦しかったはずだわ。檸檬は強がりだし、人に心配掛けたくない子だったから、物凄く我慢していたの。
私には、全部話してくれたけど、もしかしたら……」
蜜柑はちら、とこっちを見る。気まずくなって、私は目を逸らした。
一生懸命経験した事を継ぎ接ぎにして説明していたけど、意味はしっかりと伝わっているはずだ。桜澤も赤羽も、口を紡ぎながら下を向いてしまっている。
「やっぱり……話さない方が良かったか――」
「辛い思い、たくさんしてきたんだね」
唐突に、桜澤が口を開いた。目に涙を溜めていて、唇が微かに震えている。
「子供の時だけでも、こんなに苦しい思いしてきたのに、誰にも言えなかったなんて……。どんなに苦しいか、どんなに辛いか、私には全然解らないよ。
でも、でも……話してくれて、ありがとうね」
桜澤は泣きじゃくりながら必死にそう言った。ぼろぼろと零れる涙が、テーブルに滴り落ちる。
「浅黄さん達ほど酷くはないけれど、私もいじめの辛さや大切な人を失う悲しみは分かるわ。
恥ずかしいけど、私も小学生の時に……真面目過ぎで気持ち悪いっていじめられていた時期があって。母親も今は他界してるの。
あなた達に比べれば私の出来事なんかちっぽけだけれど、きっと辛いっていう気持ちは同じだと思うわ。」
赤羽も目に涙を溜めながら、震える声を絞り出していた。
馬鹿っぽさ丸出しで人の事なんかこれっぽっちも考えられなさそうな桜澤がこうやって理解してくれたり、普段は冷静な赤羽が泣くなんて思わなかった。
「今日、話せて、良かったな、私。」
蜜柑も泣きそうな目を伏せた。
そして、気が付いたら、私の頬にも暖かい涙が伝っていた。
✡
そんなこんなで、私は浅黄姉妹の事を少しだけ知れたんだ。良かった、そんな事情があったなんて知らないままだったら、もしかしたらその傷の深くまで触れてしまったかもしれない。
「ごめんなさい、今日はここまででいいかな?
日本に来てからの事はまた明日で……」
浅黄蜜柑さんは苦笑いしながらそう言った。その顔はひどく窶れて、大きな疲労が見られた。話すのだって、物凄く辛かったんだよね、きっと。聞いてほしかったとは言え、いざ話すとなると、やっぱり緊張しちゃうはずだよね。
「もちろん、少しでも聞けて良かったから」
「私も、話せて良かった。口には出してないけど、檸檬もすごく嬉しかったと思うよ」
浅黄蜜柑さんは悪戯っぽく笑った。その後に反応を楽しむように、隣に座る浅黄檸檬さんを横目で見た。
浅黄檸檬さんは照れ臭そうに壁を見て黙り込んでしまった。……何か可愛いなぁ。
「表には出さないけど、檸檬ってすごい照れ屋さんなんだよね。
自分に話の矛先が向くとすぐにこうなんだから」
「うるっさいな、余計な事言うんじゃねぇよ……」
なるほど、照れると口調が荒くなるってわけか。
……でも、何か悪い事しちゃったかな。だってさ、2人がもし黄色と橙色の光だったら、って事しか考えないで2人を助けようとしたんだよ。
もし、せっかく気持ちが楽になったのに、そこに新しい災難が降り掛かったら、きっとまた――
「あの、浅黄さ――」
「……しっ」
私が言い始めた途端に、赤羽さんが私の口を塞いだ。
何すんのさ、と恨めしげに睨んでやった。
「桃音が何を言おうとしたのかは分かってる。
今はその事は言わない方がいいわ。かえって彼女達に負担になるから」
「でも――」
「嘘なんかじゃないわ。あなたはどんな理由にせよ彼女達を助けたいと思って行動したんでしょ。その気持ちだけで充分よ。」
赤羽さんは微笑みながらそう言った。
「それに、ほら」
赤羽さんが浅黄姉妹の方に視線を移す。
そこには、今まで見た事なかった、笑顔の浅黄姉妹が居た。
心の底から、安心したような、本当の笑顔。
……そっか。今はまだ、幸せでいてもイイよね。
「はあ、安心したら何か歌いたくなってきたっ!」
私は立ち上がって、マイクを手に取った。
「って、お前は何に安心すんだよ」
浅黄檸檬さんの的確なツッコミを華麗に流しつつ、私は頭を振り回しながら曲を入れまくった。
「ついに壊れちゃった……?」
浅黄蜜柑さんも眉を潜めながら、心配そうに私を見上げている。心配してくれてるのか引いてるのか分からないけど、前者って事にしておこ。
「桜澤さんの奢りだものね、たくさん歌わなくちゃね。」
なんか勝手に奢りって事にされてるけど……まあいっか。奮発してやる。
「それじゃとりあえず、私からいくよ!!」
「お、おー……」
私は早速流れてきた1曲目を歌い出した。3人はあんまり乗り気じゃないみたいだけど、私が盛り上げてやるっ!
この後、結局みんなはドリンクバーとおやつだけ頼んで、大量に入れてしまった歌は、全部私が片付けるハメになった。
私の喉は潰れて、カエルみたいな声が出るようになった――って嬉しくな──い!!
でも、浅黄姉妹の事を知れたから、それも許せちゃうかな。