第23話:関係が変わり始めているようです
「……ルカが、謝ることなんてないだろう?」
いつまで続くかとその重苦しい空気に焼かれるような沈黙の後出てきたのは、絞り出すような言葉だった。抑揚のない声は多分、感情を抑えるためのもの。きっと思うところは多々あるけれど理性を最大限に動員してくれたのだと思う。フィンは優しいから。多分、自分の感情よりも私の心情を慮ってくれた。その事実が罪悪感を一層深くしていく。何か言わなきゃと思うのに、何を言っても言い訳にしかならない気がして、そうなると余計に焦ってしまって返す言葉が見つけられない。
「それでも、隠していたのは事実だから……」
考えに考えた末出てきたのは、この状況をいい方に向けるには何の意味もない言葉だった。これまでの程よい距離感を失ったことを嘆く資格なんかないのに、心が勝手に悲しんでいる。
『まったく、お前は自分のことばかりだな。妹を労わる気持ちが持てないのか?』
ふいに父の言葉が頭に甦った。何かある度に、私に非がないはずのことでも当たり前のように繰り返された言葉だけど、父は私の身勝手さを知っていたからそう言っていたのかもしれない……沈んでいく気持ちが止まらない……
「解呪は絶対にするわ。それは絶対だから」
フィンの顔が見られなかった。視線を感じるけれど、それを直視する勇気が持てなかったから。だけど、信頼を失ったとしても、それだけは絶対に成し遂げてみせる。先生のお力を借りれば出来ないことはないはずだし、もしダメでも別の手掛かりを探す。それだけは何があってもやるし、やりたい。
ふと気配を感じた。視線を伏せた視界にフィンが立ち上がったのが見えた。ああ、こんな私と話すことなんかないかもしれない。フィンなら先生に直接解呪を依頼することも出来るわ。先生もあんな呪いを見たら手を出さずにはいられないもの。あの方、自分が知らない術式には目がなかったから……そんなことを考えている間にフィンが近付いてきた。私の背には扉がある。話はここまでなのね。目の奥が熱い……お願いだからフィンが出ていくまでは耐えるのよ。そう思ったのだけど……
「ぇ?」
不意に重さと暗さが加わって面食らった。目の奥の熱さは霧散して見えるのは、フィンの真っ黒な髪だった。何が起きているの? 僅かに残っていた冷静な頭は状況を理解しているのに、混乱している大部分が真っ白になって動けなくなっていた。伝わってくる体温に別の意味で泣きそうになった。
「なぁ、何でそんな泣きそうな顔しているんだ?」
「……え?」
言われた言葉は理解出来るものなのに、意味が分からない。泣きそう? 私が? それはフィンの方じゃ……
「すまなかったな」
「あ、あの……」
どうしてフィンが謝るの? そんな要素は砂粒ほどもないのに。
「一人で抱え込ませて。俺のことを心配して、黙っていてくれたんだろ?」
指摘してくる言葉に鼓動が跳ねた。胸の奥まで見透かされたようで落ち着かない。いえ、私の考えなんか聡いフィンならわかってしまう程度のものだけど。胸の奥から熱いものが溢れてくる……
「フィン……」
「何度も言うけど、ルカが謝ることなんかない。出来ることは全部やってくれただろう? おかげで出会った頃に比べたら嘘のように楽になった。本当だ。あの頃は痛みで眠ることも出来なかったから」
そう言うと抱きしめる力が一層強まった。淡々と告げられる言葉は低く静かで、絞り出すようなそれにフィンのこれまでの苦労が感じられた気がした。あくまでも気がしただけだけど……
「俺が今、生きているのはルカのお陰だ」
耳元で告げられる声に心拍数が上がった。そこで喋らないでほしい。それに、大袈裟すぎるわ。
「そ、そんなことは……」
「いや、出会う直前に意識が薄れていく時、ああ、ここで死ぬんだと思ったんだ。あの時拾ってくれなかったら、あの場で死んでいた」
フィンがそう感じていたなんて……いえ、あのまま放っておいたら死ぬだろうと思ったけれど。それほどひどい呪いだったし、フィンでなければとっくに死んでいたかもしれない。
「ルカは俺の命の恩人だ」
繰り返される言葉にじわじわと心に温かみが戻ってくる。父の声はもう聞こえない。
「それに、解いてくれるんだろ、この呪いも?」
身体を離して、口の端を上げてそう言われ。茶目っ気のあるその言い方に、強い励ましを感じた。そんな風に言ってくれるのね。だったら……
「もちろんよ。そのためにここまで来たんだから」
こちらも今出せる限りの明るい声で応えた。フィンがそう言ってくれるのなら、何としてでも呪いを解いて自由にしてあげる。
「ははっ、期待しているぞ、相棒」
そう言って額を指で弾かれた。痛みはなくて、それが励ましに思えるし、きっとこの感じは間違っていないはず。
「食事の準備が出来ました」
笑みを向け合っているとロイがやって来てそう言った。あ、危なかったわ、抱き合っているところを見られなくて……
「ああ、ありがとう。いい匂いがしているな」
フィンが嬉しそうに礼を言うけれど、ロイはにこりともせずに扉を閉めた。まだ警戒されているみたいね。どうやらあの子も見えるようだし、フィンの呪いを警戒しているのかもしれない。どれほど見えるのかしら? まさか、妖精眼? もしそうだったら嬉しいわ、これまで会ったことがないから。
食事は一階の食堂に運ばれていた。何か手伝おうかと思ったけれど、座っていてくださいと言われてしまった。さっきの失敗もあってそれ以上何も言えなかった。生活力を視に就けなきゃ。もう貴族じゃないのだから。
「そういえば、王都では王子殿下同士の争いが増してきたそうじゃな」
パンを千切りながら先生が明るい口調で重い話題を出してきた。口調と内容が同じにならないのは昔のままね。だから多くの人は先生のペースに巻き込まれてしまうのだけど。
「はい、まだ立太子が行われていないからでしょう。第一王子殿下と第二王子殿下が特に」
「そうか」
陛下にはお子が三人いらっしゃって、上のお二人は既に成人され、末の殿下はまだ十五歳。幼いながらも聡明だと聞くけれど、さすがに年の差もあって継承争いには加わられていない。三王子とも王妃様のお子で、争っているのは上の二人の殿下の妻の実家ともいえる。年子でどちらかが際立って優れていたら起きなかったのでしょうけれど、第一王子は文官タイプで、第二王子は武官タイプ。正反対ともいえるお二人だから馬が合わないし、どちらも我がお強いから引く気がない。陛下が静観されているのも大きいのでしょうけれど……
「厄介なことじゃな。陛下がさっさとお決めになっておけばよかったものを」
「先生、さすがに不敬です」
「いやいや、くだらん争いを足元で起こすなど愚策じゃ。そんなことをしていると他国に付け入る隙を与えるだけじゃ」
その通りだけど、今はそう諫める方がいないわ。宰相様は第一王子妃の父親だから妻の夫を王にと願われるでしょうし。もっとも、第一王子を次代にともお考えがあって宰相の令嬢が王子妃に選ばれたのでしょうけれど。
ちなみに第二王子妃の実家は宰相と対立している家で、その勢力は甲乙つけがたいと聞く。今どうなっているのかは知らないけれど、長兄の第一王子の方が優勢だったはず。あれからどうなったのかしら?
「お詳しいのですね」
「ふぉっふぉっふぉ、ここは隣国に接しているからのぅ。王都の情勢には敏感にならざるを得んよ」
確かにここは我が国の北東に位置し、北と北東、更には東にあるの国と接している。北東の国は山脈があって街道もないから行き来はないけれど、北と東には街道があってそこから攻め込まれたこともある。どちらも間に高い山々があるから滅多なことはないけれど、あちらが我が国を虎視眈々と狙っていることは政治に疎い私でもわかる。
「最近は第一王子の側が優勢らしいな」
「はい、長子で宰相を抑えておりますから。それに、第二王子殿下は最近失態が続いて焦っているとか」
「左様。先日の魔獣討伐では先頭に立ったはいいが、住民を巻き込んで多数の負傷者が出たらしいな」
「そんなことが……」
フィンが言葉を失っていたけれど、それは初耳だわ。元より武を優先して考えが浅いとの噂は聞いていたけれど……
「そういえば……二人の実家は、第一王子派じゃったな」
先生ったら、そんなことまでご存じだったの。いえ、実家は確かにそうだったわ。フィンの実家のギレスベルガー侯爵家もそうだったのね。
「そうですね。我が家は積極的に支持しているわけではありませんが、長兄が親しくさせていただいておりましたから」
「そうか……だったらお前さんたち、第二王子派に嵌められたのかもしれんな」
カトラリーを持つ手が止まった。嵌められたって、私たちが? その言葉の真意を知りたくて先生を見たけれど、いつも通りののんびりした所作で肉を口に運んでいた。フィンの視線を感じた。彼もまたその真意がわからないようで、先生をじっと見ていた。




