第2話:初めての外の世界、前途多難です
あれから王都の繁華街に出て、暫くの間大広場にある噴水の傍でぼんやりしていた。色んなことが一気に起きすぎて、何も考えられない……身に覚えのない罪で解雇されただけでなく、親にまであっさり捨てられるなんて……人間、驚き過ぎると怒りも起きないのね。これまでの二十年の積み重ねが淡雪のように消えてしまった。これからどうすればいいのかしら……
今、手元にあるのは、お祖母様から譲り受けた革の旅行鞄一つ。この中には私服と下着とタオルが数枚、化粧水とお気に入りの香油、銀のスプーンとフォークに陶のコップ、お祖父様の日記を始めとした形見の品。そして僅かなお金が入った革袋一つだけ。
お金は魔術師としての給金の一部。殆どは実家に送られていて、生活に必要なものを買うために残されたもの。魔術書や化粧品、私服を買うくらいだったけれど、幸いなのはこの二月ほどは買い物に行く間もなかったこと。暫くは食い繋ぐことは出来るはず……多分。
どれくらいそうしていたのか……気が付けば辺りは夕日に照らされて赤みを帯び、どこからともなくいい匂いがしてきた。お腹が空いたわ。そういえば朝から何も食べていなかったわね。往来を眺めていると、貴族の夫人が入っていく店があった。暗くなる前に宿も見つけなきゃいけないし、善は急げよね。立ち上がって鞄を手にその店に向かった。のだけど……
「予約がないと、入れない?」
「はい。当店は完全予約制になっております。それに当店は貴族様向けの店。大変失礼ですが……」
全身を舐めるように見られた。寮で着ていた私服は貴族の外出着と比べると地味だけど……そんなに変かしら?
「私も、貴族の出ですが」
「ご家名はどちらでございましょう?」
「それは……」
そこまで言って、言葉が出てこなかった。追い出されたのだから家名を言うわけにはいかない、わよね……
「申し訳ございません。お客様が貴族の出でいらっしゃることはわかるのですが……」
「いえ、手間を取らせたわね。ありがとう」
皆まで言わないのが彼なりの気配りなのでしょうね。もう貴族じゃない私に入る資格はないと。何とも表しようのない寂しさを感じながら店を後にした。
それにしても、どうしたらいいのかしら? どんな店に行ったらいいの? 一人で出歩いたことなんかないからわからないわ。誰かに尋ねた方がいい?
「ねぇ、お姉さん、どうしたの? 何か困りごと?」
誰に声をかけようかと考えていたら後ろから声がした。振り返るとまだ十三、四歳くらいの少年が人懐っこい笑みを向けてきた。そんなに困っているように見えたかしら? だけどちょうどいいわ、誰か大人を紹介してもらえば。
「ええ、宿を探しているの。誰か詳しい人を知らない?」
「そうなの? だったらいい宿を知っているから教えてあげるよ」
さも当然のようにそう告げられた。慣れているようだけどこの辺りに住んでいるのかしら?
「あなたが?」
「うん。ここでの暮らしも長いし、色んな店を知っているよ。どんな宿がお望み?」
選べるほどあるの? だったら……
「あまり手持ちがないから安いところでいいわ。それにお腹も空いているから食事が出来る店も教えてくれる?」
これからのことを思えば散財出来ない。食事も、お腹が膨れれば十分。
「ふ~ん、そっかぁ。あ、じゃ、ちょうどいい店があるよ。あっちの方」
そう言って指さしたのは王都の中心部ではなく、外れの方だった。あまり外れに行くと治安が悪いって聞いたけれど……
「あ、鞄持つよ」
「いえ、大丈夫よ」
「そう言わないで。ほら」
「あ!」
それは一瞬のことだった。少年が鞄を手にすると、あっという間に駆けだした。しまったわ、あの子、スリだったのね!
「待ちなさい!」
「嫌だよ~だ!」
慌てて追いかけたけれど、悪びれしないところを見ると常習犯のようね。だったら……
「待たないと、痛い目に遭うわよ」
「ははっ、追いつかれ……ぎゃあぁ!!」
悪態を付こうとしたようだけど、それは未遂に終わった。思いっきり転んで揉んどりを打っている。痛いでしょうね、あの鞄には電撃が走る魔術が仕込んであるから。
「はぁ……油断も隙もないわね」
「な、何だよ、あんた……」
「知り合いに魔術師がいてね。王都に行くと言ったら盗難防止に魔術をかけてくれたの」
本当は自分でかけたのだけど。魔力量が少なくてもこれくらいのことは出来るのよ。
「くっそぉ……」
「こぉら、またお前さんかい!!」
「げ!」
忌々しげに立ち上がろうとした少年に怒号が落ちた。声のする方に視線を向けると中年の女性がずんずんとこちらに向かってくる。身なりからして露店で物売りをしている方、かしら?
「このガキ、ま~た悪さしようとしていたんだね!」
「うるせぇ、クソばばぁ!!」
あっという間に少年が立ち上がって転がるように逃げて行ったわ。す、素早い……
「ああ、大丈夫かい? あいつはスリの常習犯なんだ。あんたみたいなお上りさんを狙ったね」
「そうでしたか。助けてくださってありがとうございます」
頭を下げると、そんな大層なことじゃないと笑われてしまったけれど……ちょうどいいわ、宿について教えてもらえるかしら?
「あの、助けていただいたばかりで申し訳ないのですが、この辺りに宿はありませんか? あまり高くないところがいいのですが」
「宿? あんた、こんな時間にまだ決めてなかったのかい?」
「はい、お恥ずかしながら……」
そんなに早く決めるものなの?
「こんな時間じゃ真っ当なところはもう空いていないよ。今の時期は特にね。地方から仕事を求めて来る連中が押しかけてくるから」
「そんな……」
知らなかったわ。だったら今日は野宿するしかないかしら。
「あ~なんか、訳ありかい?」
「……少し」
本当は仕事も貴族籍も失ったばかりで少しどころではないのだけど。さすがに言わない方がいいわよね。貴族に反感を持っている平民も少なくないし。
「私はこの近くで夫婦で宿屋をやっているんだ。使用人部屋でよければ泊めてあげられるよ。食事つきだ」
「よろしいのですか?」
「なんか、放っておくと変なのに捕まりそうだからねぇ。娘があんたと似たような年だからこのまま見過ごすのも寝覚めが悪いし」
「あ、ありがとうございます」
本当にいいの? よかった、野宿は避けられたわ。
それから彼女が営む宿屋へと向かった。二区画先にあった店は古いけれど手入れがよくされていて、食堂は酒場を兼ねているのか、早くも賑わいが道にまで伝わってきた。
「悪いね、ここは冒険者なんかも来るから騒がしくて」
「とんでもない! 泊めていただけただけでもありがたいです」
案内された部屋は想像していたよりもずっと小さく、調度類も粗末なものだった。本当に使用人部屋のようね。それでも屋根があるだけ有難いわ、さすがに野宿は朝晩寒いから。
後で食堂に来るように言うと女将さんは部屋を出て行った。一階が食堂兼酒場、二階が宿で三階はここの家族が住んでいるという。与えられたのは三階の屋根裏部屋で、狭いし小さい窓があるだけだけど十分だわ。鞄を置いて魔術で扉に鍵を掛けてから食堂に向かった。先にお代を払おうと金貨を出したら、酷く驚かれてしまった。
「あんた、お貴族様だったのかい?」
「いえ、そういうわけではないのですが……」
平民です。さっき勘当されたばかりの。
「もしかして、足りなかったですか?」
「いやいやいや、足りないどころかそれだけあったら一月貸し切ったってお釣りが出るよ……けどあんた、その金銭感覚じゃ痛い目を見るよ」
「え?」
買い物に行ったらいつも金貨を使っていたのだけど……
「いいかい、よ~く聞くんだよ」
そう言って女将さんが懇々とお金の使い方を語ってくれた。金貨を見せてはダメ、持つなら銅貨で銀貨も避けた方がいいこと、宿屋でも店でも最初に値切らないと法外な値段を吹っかけられること、貴族だと思わせるような言動は控えること、口調や服装ももっと平民っぽいものにした方がいいことなどだった。凄いわ、これが生活の知恵ってものね。
女将さんから色々と教えてもらっていたら部屋に戻る頃にはすっかり暗くなっていた。大通りの人気もまばらになって、聞こえてくるのは酒場からの会話や笑い声ばかり。こんな時間になっても賑やかなのね。寮は夜でなくても静かだったから新鮮だわ。
鞄からたらいを出して水差しの水を満たす。顔を洗ってからタオルを濡らして身体を拭き、最後に足を洗った。それだけでもさっぱりして身体が軽くなった気がした。
ベッドに転がると軋む音が部屋に響いた。ろうそくの灯りなんて久しぶりだわ。寮では魔石を使った照明があったから。これからどうしたらいいのかしら? 頼れる親族も友人もいないから一人で生きていかなければならないのよね。こんな未来は考えたこともなかったわ……
だけど……これでよかった、のかもしれないわ。だって、家では妹と比べられて馬鹿にされ、職場では面倒事ばかり押し付けられてこの結果だもの。今じゃなくても、いつかは同じ結果を迎えていたかもしれない。
だったら、そんな場所から離れられたのよね。これからは自分が好きなように、自由に生きてもいいんじゃない? ふっと心が軽くなった。そうよ、これからは好きなことをしてもいいのよね。やりたいことを探す旅に出るのもいいかもしれないわ。




