第1話:今日、仕事も家族も失いました
穏やかな日差しが室内を照らし、柔い風がカーテンを揺らす。ようやく春めいた暖かさが訪れ、今日も何事もない一日が過ぎる筈だった。軍靴がけたたましく鳴るまでは。
「アレッサ! アレッサ=フェルザーはいるか!?」
穏やかな空気は荒々しく近付く靴音と乱暴に開けられた扉、そして怒声に近い大きな声によってかき消された。入ってきたのは王宮騎士で、険しい表情と声色に悪い予感がしたのは仕方がないと思う。一同の視線が声の主に向けられた後、私へと向かった。突然のことに肌が粟立つ。何なの、突然…… 遠征の同行を頼みに? いえ、それなら上司を通すし、もっと穏やかに話を持ってくるはず……
「はい、私がアレッサ=フェルザーです。何か?」
さすがに知らん顔をするわけにもいかず、仕方なく一歩前に踏み出して名乗り出た。
「貴殿がアレッサ=フェルザーか」
「はい」
じろりと、でも睨め付ける視線に敵意を感じた。背がすっと冷える感じがして胸騒ぎが増す。何かしら? 心臓が一気に鼓動を速めた。
「通達だ。貴殿の王宮解呪師としての職務を剥奪し、この王宮魔術院から永久追放とする」
命令書を掲げて告げられた言葉が室内に響き、ざわめきが生まれた。驚きと動揺が室内を支配する。今、何て……剥奪? 追放って……私が? どうして? 理解が及ばないわ。何を言っているの?
「ま、待ってください! 剥奪って、どうしてですか?」
急にそんなことを言われても意味が分からないわ。私が何をしたというの?
「どうもこうもない。先日貴殿が行ったデリウス侯爵の解呪、忘れたとは言わせんぞ」
「デリウス侯爵?」
その名前には覚えがあるわ。確か十日ほど前、解呪の依頼が来ていた方よね。
「貴殿は十分な能力がないのに解呪を行って失敗し、侯爵を危険に晒した容疑がかかっている」
「失敗? 容疑って……」
待って、デリウス侯爵なら上司のクルーゲ室長が解呪すると言っていた方よ。地位のある方だから成功すれば恩を売れるとここで言っていたもの。振り返って上司を見ると口の端が僅かに上がり、その横に先輩のクレマンがニヤついた笑みを浮かべていた。さっと頭から血が引いていく気がした……擦り付けたのね、自分の失敗を、私に。指先が冷たくなっていく。
「あ、あれは私ではありません。デリウス侯爵の解呪をしたのはクルーゲ室長です!」
無駄だと思っても言わずにはいられなかった。だって、本当にそうなのだから。
「いい加減にしろ、フェルザー! よりによって室長に罪を擦り付けるとは何たることだ! この嘘つきが!」
怒号を上げたのは室長の腰巾着と言われているクレマンだった。そういえば十日ほど前、二人が青い顔をして何やら話し込んでいたわ……じゃ、あの時既に私に押し付けようと?
「嘘ではありません。その日は休みでずっと寮の部屋にいました。デリウス侯爵にもお会いしていません。使用人に聞いていただければ……」
「侯爵家の使用人は皆、若い女の解呪師だったと証言している」
「な……!」
使用人が、私だと証言した? あり得ないわ、そんなこと……だって、デリウス侯爵の屋敷の場所も知らないのに。
「残念だな、フェルザー。正直に話してくれれば私も庇い立て出来たものを」
ここぞとばかりに室長が声をかけてきた。優しく声を作っている様に苛立ちが募る。いつもは横柄な態度で私のことなんて「おい」か「お前」としか呼ばないのに。
「室長! ですが私は……」
「うむ、本当に反省の色が見えんな。だったら情状酌量の余地なし、か」
抗議しようとした私に、騎士がしたり顔でそう告げた。反省の色なんてあるわけないじゃない! 私は無実なのだから!
「そんな……! 待ってください! 話を、話を聞いてください。そうすれば……」
「既に調査は済んでいる。貴殿が功を焦るあまり実力以上の案件に手を出したこともだ」
騎士が淡々と告げた。
「済んでいるって、私は話を聞かれていません!」
「罪人の証言など必要なかろう。貴殿はもう王宮魔術師ではない。早々にここを出て行け。一刻後にも姿があったらその時は強制的に排除する」
そう言うと騎士は掲げていた命令書を手放した。風に揺れて舞いながら床に落ちる。止まった頃には騎士の姿は扉の向こうに消えていた。
「室長、どういうことですか? どうして私を……」
「おいおい、人聞きの悪いことを言わないでくれよ。自分の失敗は自分で始末するものだろう?」
人を馬鹿にしたような口調に怒りが一層増す。最初からそのつもりだったのね。だったら何を言っても勝ち目はないわ。証拠なども周到に用意して、使用人たちにも嘘の証言を命じたのでしょうから。
「私はやっていません」
「罪人は皆、口を揃えてそう言う。だが、証人が事実を物語っている」
「往生際が悪い奴だな。さっさと荷物をまとめて出て行けよ。ああ、荷物を片付ける時間が与えられただけでも感謝しろよ。本来は石牢にぶち込むところだったんだからな」
クレマンの嘲笑が室内の空気を汚す。こんな奴と同じ空気を吸っているのも嫌だわ。今更何を言っても決定が覆らないことはわかっている。これまでも同じように追放された人がいたから。今度は私がそうなったということ……
「さようなら、フェルザー嬢。早々にお父上に縁談でも用意していただくことですね。ああでも、かの御仁は無能な娘に用はないかもしれませんね」
室長が小馬鹿にした物言いをする横で、クレマンが冷笑を浮かべていた。いつだって私に面倒事と失敗を押し付けていた二人。だけど、もういいわ。これまで散々命令に従ってきたのにこの仕打ち。これ以上、この人たちに私の人生を汚させないわ。それから半刻もしないうちに私物を片付けて魔術院を後にした。
王宮魔術院は王都の東側にある。大通りに出て辻馬車を拾い、西の区画にある実家へと向かった。鞄の中には私服と下着、祖父母の形見の品が数点と僅かなお金。魔術に関する書物や資料などは私物であっても持ち出しを禁じられてしまったわ。特殊な加工がしてある制服などもそう。だけどそこは仕方がない、魔術に関することは持ち出し厳禁の機密扱いだから。祖父の遺してくれた日記を取り上げられなかっただけでも幸いだったかもしれない。
窓から流れる王都の街並みを眺める。季節は冬を過ぎて春を迎え、人の往来は増し、店もたくさん開いている。以前見た時よりもずっと賑わっていて笑顔の人々が目につくけれど、私の心は沈んでいった。
馬車を下り、実家へは徒歩で向かった。足取りが重くなるのはこの帰宅が歓迎されないから。冤罪だとしても罪人として家に戻るなんて、合わせる顔がないわ。本当に靴に重しを付けられたように足が重い。息苦しささえ感じるけれど、他に帰る場所がない……
門を叩いて帰宅を告げると、意外にもあっさりと門番が通してくれた。既に連絡が行っている? その可能性に一層気分が落ち込んで頭痛がしてきたわ……いつも馬車を使っていたせいか、玄関までの距離が酷く遠く感じた。
「よく帰ったな、アレッサ」
使用人が玄関の扉を開けると、その先に父が立っていた。魔術師のローブに身を包んだ父は静かに、だけど侮蔑をありありと浮かべて見下ろしていた。いつものことだけど、状況が状況なだけにいつも以上に威圧的に感じた。
「よりにもよって解呪で失敗し、解雇されるとは……我が家の恥晒しが」
家に入るよう勧めるでもなく、その場で父が吐き捨てるように告げた。唾を吐くにも似た叱咤に怒りと失望の深さを感じた。それは、怒鳴られた方がましだったかもしれないと思わせるもの。
「待ってください。私は無実です!」
「当たり前だ! だが記録ではお前は罪人なのだ。その意味が分かっているのか!?」
その言葉に言い返せなかった。わかっている、貴族社会では一度決まったことが覆らないことは。そして、事実よりも上位貴族の都合が、政治的な力関係が優先されることは。多分、私は、権力争いに利用されたのだ。父と、上司である室長との。
「我が家は代々魔術師を輩出する家系、なのにお前は魔力量も少なく、魔術師にもなれなかった。この出来損ないが。お前の存在は我が家とマリーヌの足枷にしかならん。お前はこの家から除籍する」
その宣言は最も可能性が高くて、最も恐れていたものだった。家から放逐されるのは貴族にとって死ぬことと同じ。室長の嘲笑が蘇った。彼の指摘は貴族家では当然のこと。名誉に傷が付いた者の居場所なんてどこにもないのだから……
「出て行け。二度とこの家に戻ることは許さん」
「お父様!」
「うるさい! お前に父と呼ばれるなど、虫唾が走る」
万感の思いを込めて呼んだけれど、返ってきたのは今まで以上に強い拒絶だった。足元が揺らぐ。地面を踏んでいるはずなのに、宙に浮いているよう……
「どうして、どうしてそんなにも私を厭うのです? 私だってお父様の娘なのに!」
長年抱えていた思いを吐き出した。どうしてこうも冷たくされなければいけなかったの? 私の、なにがいけなかったの?
「無能はいらん。それだけだ」
「お父様! そんな……お、お母様に会わせてください!」
「無能な娘はいらんそうだ」
父が手を軽く振ると玄関の扉が鈍い音を立てて閉じられた。目の前で起きたことが受け入れられず呆然とするしかなかった。それに、お母様も同じ思いだと? 私を産んだのはお母様なのに? 父の足音が遠ざかっていく……
「お嬢様、どうぞお引き取りを。このままでは……」
門番が控え目に声をかけてきた。私が居座って強制的に追い出されることを懸念しているのね……色んな感情が沸き上がってくるけれど門が開く様子はない。ここにいても無駄なのね。諦めて踵を返し、門の方へと引き返した。途中まで来て振り返って……息を呑んだ。二階の窓からお母様の姿が見えた。思いを込めて見つめる私の前で、ため息をついたと思ったら、姿が消えた。行ってしまったの? 私は要らないと、お母様も?
途端に乾いた笑みが込み上げてきた。これまでの二十年がたった今粉々に割れて、跡形もなく消えていく。屋敷に背を向けたその時にはもう、実家への、家族への思いは陽に当たって消えた霧のように、形もなく消え失せていた。




