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プロローグ

 彼女と再び出会ったのは、桜舞う高校二年の四月。始業式を終えた直後の教室だった。


「は……じめまして……。ひ、樋上(ひかみ)雪奈(ゆきな)と……申します。と、東京から、転校……してきました。……よ、よろしくお願い……します」


 担任の隣で黒板に名前を書かれた彼女――樋上雪奈は、何度もどもり、時に声を裏返らせながら自己紹介をしていた。


 新年度の初日。まだクラス内での自己紹介も済んでいない中で、転校生という理由から、樋上だけ特別待遇の自己紹介タイムだ。担任の気遣いなのだろうが、人前に立つのが苦手な人間からしたら地獄以外の何ものでもないだろう。


 事実、昔から自己主張が苦手だった樋上は、教壇の上で顔を真っ赤にして視線を泳がせていた。クラス中から向けられる好奇の視線に晒されて、完全に上がってしまっている様子だ。


 もっとも、クラスの中で二名、俺と細川(ほそかわ)という女生徒だけは、別の感情が籠った視線を樋上に向けていた。俺は懐かしさ、細川は懐かしさに加えて喜びが籠った視線だ。


 なぜ俺たちが、樋上に懐かしさを感じているのか。その理由は単純、俺たちは樋上のことを知っているからだ。


 俺と細川の共通点は、同じ中学の出身で、中二の時に同じクラスだったということ。樋上は中学二年まで、ここ浜松(はままつ)市に住んでいて、俺たちと同じクラスだった。つまり、元クラスメイトだ。


 加えて言うと、俺は中一の時も樋上と同じクラスで、ついでに樋上と一緒に図書委員をやっていた。友人と呼べるほど親密な関係だったわけではないが、共通の活動をしていたこともあって樋上のことを覚えていた、というわけだ。


 細川も、二年の頃に樋上と一緒に行動していたのを見たことがある。俺は細川とそれほど会話したこともないが、教壇に向ける顔つきを見る限り、きっと樋上の友人だったのだろう。


 そんなことを考えていると、不意に樋上と目が合った。

 俺と視線を合わせた樋上は、どこか安心した様子で強張っていた表情を少し和らげた。


 転校したクラスの中に、見知った顔がいたから。樋上の方からしたら、そんなところだったのだろう。


 ただ、その表情を見た俺は、胸の奥から二つの感情が込み上がってくるのを感じた。

 一つは温かな安らぎ。樋上の笑顔を見ていると、なぜか心が満たされるような気分になった。

 そしてもう一つは……得も言わぬ痛みだ。樋上と目が合った瞬間、なぜか胸をナイフで抉られるような鋭い痛みを感じた。次いで、何かを後悔している時に感じるような、重くて鈍い痛みが襲ってくる。


 改めて言うが、俺は中学時代、樋上と取り立てて仲が良かったわけではない。図書委員として一緒に図書室のカウンター当番をしたこともあったが、たいして会話もなかった。


 当然、その程度の間柄だった樋上に特別な感情なんてなかったし、ましてや後ろめたいことなんてあるわけがない。

 それなのに、俺は彼女に二つの相反するような感情を同時に抱いた。その事実が、何か大切なことを忘れてしまっているとでも言いたげな焦燥感を俺に植え付ける。


 けど、頭をひねっても思い出されるようなエピソードもなく、残るのはモヤモヤと、いまだ引かない痛みだけだった。安らぎの感情に勝ってしまったそれらの感覚が不快で、俺は逃げるように樋上から視線を逸らした。


 俺の視界から外れる瞬間、樋上の表情がやや曇ったように見えた。きっと俺が無視するような態度を取ったからだろう。そう思うと、より一層心が痛んだ。


「それじゃあ、樋上も席につけ。ホームルームを始める」


「……はい」


 担任に促された樋上が、小さく返事をして教壇を下りる。彼女の席は最右列の一番後ろ、出席番号が最後の生徒が座る席だ。転校生である樋上は、名字に関わらず出席番号が最後となっている。


 そして、その席は何の因果か俺の隣だった。

 とぼとぼと自信なさげに歩いてきた樋上が、俺の隣の席に座る。少し俯いたその姿は、中学の頃に図書室のカウンターで見た彼女そのものだ。


 先程のこともあり、俺は合わせる顔がなくて、すぐに視線を教壇の方へ戻す。

 すると、隣で樋上が動く気配がした。


「し……宮野(みやの)、君」


 俺の名を呼ぶ樋上の声が、なぜか胸に深く染み渡った。

 合わせる顔がないということも忘れ、俺は樋上の方を向く。


 樋上は顔を紅潮させ、少し震えながら俺を見ていた。中学の頃、樋上は自分から男子に話しかけられるような生徒ではなかった。だから、きっと今も、なけなしの勇気を振り絞って俺に話し掛けたのだろう。

 俺が振り向くと、ホームルーム中ということもあってか、樋上はノートの端に何かを書き込んでこちらに見せてきた。


【久しぶり。私のこと、覚えてる?】


 きれいな文字で書かれた文章を読んだ後、再び視線を樋上に戻す。そこには真剣な、けれどどこか自信なさげに俺を窺う樋上の瞳があった。


 慌てて自分のノートを引っ張り出し、【覚えてる】と書いて樋上に見せる。

 俺が答えると、樋上はまた安心したように表情を和らげてくれた。なんだか俺の方までホッとしてしまう。

 彼女は先程の文章の下にもう一文を加えて、俺に見せてきた。


【また、よろしくね】


 短いその文章に、俺の心臓はまた勝手に跳ね上がる。同時に、覚えはないのに拭い去れない後悔が、再び鎌首をもたげてくる。


 この再会が俺、宮野士郎(しろう)と樋上雪奈、そして彼女の妹を巡る、世にも奇妙な物語の始まりだった――。


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