第三十話
※エピローグ回です。
夏休み中のある日。由良から連絡が入った。
アメリアに会いたくはないか、と。
直接会える訳ではなかった。あの『縁を映す鏡』と似たような神秘を使うとのこと。
詳しくは知らないが、死者を呼び出せないだけで、他は『縁を映す鏡』と同等以上の機能があるらしい。
場所は隣県の山中らしく、不案内なため由良が迎えに来てくれることになった。
駅前での待ち合わせ。指定時刻より早めに向かうと、途中で幼馴染と出くわした。と言っても奈緒ではなく。アメリアと一緒に会った、大衆食堂の娘の方だ。
「よっ」
「……今日はあんた一人?」
おそらくアメリアの事を言っているのだろう。アメリアは一緒じゃないのか、と。
覚悟はしていたし、気持ちの整理は出来ているつもりだが、それでも由良からの話に何も考えずに喰いつくくらいにはアメリアの事を今でも想っていた。事情を知らない相手とは言え、アメリアの話題を振られると、地味に凹んでしまう。
「……アメリアなら、帰国したよ」
「そっ、そう、なんだ……ごめん」
平静を装ったつもりだったが、たぶん失敗していたのだろう。気まずそうに返される。
「あ、あんたは何処に行くの? あたしは駅ビルのアニメショップに行くんだけど」
話題を変えようと思ったのだろう。バレバレなのにオタク趣味を隠しているつもりのこいつは、普段ならアニメショップに行くなんて明かさない。
「ああ、俺は駅前で人と待ち合わせ」
「ふーん……それなら、駅まで一緒に行くわよ」
お互いの高校の話をしながら、駅まで歩く。
ゆっくり歩いていたが、それでも待ち合わせ時刻の五分前には到着した。
既に由良と、何故か麻由里が来ていた。
先方が気付いて俺に手を振ったのだが、食堂娘は俺の待ち合わせ相手とは思わなかったらしく、素通りしていた。
「ごめん、待たせたかな?」
「お久しぶりです、明臣様。まだ予定時間前ですのでお気になさらず」
なんだかデートの待ち合わせみたいな会話だ。食堂娘は驚いた様子で振り返った。
「ご無沙汰しております。明臣様とお会いしたく、無理やりついてきちゃいました」
麻由里までそんなことを言い出して、幼馴染はアワアワしながら俺たちを指さした。
「あっ、あんた、彼女が帰国したと思ったら、もう別の女と付き合ってるの!?」
なんでも色恋沙汰に繋げるとは、これが恋愛脳というやつか。以前はそんな感じじゃなかったんだが。
俺が否定するより先に、由良が口を開いた。
「私たちは、お付き合いしている訳ではありませんよ」
由良のことだから、何か変なことを言い出すかと思ったのだが、普通に返事をしていた。
「……じゃあ、どういう関係なの?」
更に追及されて。由良はちょっと思案した後。
「愛人?」
真面目な顔で、とんでもないことを言い出した。
「ちょっ、何言って──」
慌てて否定しようとしたのだが、
「私も愛人にしてくださいっ!」
麻由里が俺の左腕に抱き付いた。
まだ中学生くらいで、背も低い麻由里だったが、それなりに出るところは出ていた。……って、そうじゃなくて。
「……あなたたち、何やってるのよ?」
背後から、不機嫌そうな声。
振り返ると、奈緒が眉間にしわを寄せて、仁王立ちで睨んでいた。背後には、笑いを堪えている部長と琴音先輩までいる。
尚も腕を離さない麻由里を見て、奈緒は嘆息して、俺の右腕に抱き付いた。
「ええっ!?」
その様子を見ていた食堂娘が驚きの声を上げた。
そこで、ようやく奈緒もそいつの存在に気付いた。
「あら。あなた、どうしてここに?」
二人とも俺の幼馴染ではあるのだが、この二人は昔から仲が悪かった。
「あ、あたしも駅に用事があったから、こいつと一緒に来ただけよ」
「ふーん。じゃあ、ここでお別れね。あたしたちは、これから明臣と一緒に小旅行だから」
「一緒に旅行!?」
妙に驚いているところを見るに、何か勘違いしているのだろう。
訂正しようと思ったのだが、奈緒に引っ張られて改札の方へ引きずられた。
部長は状況を察しているだろうに、面白そうだからと訂正もしない。
「……またな」
もう面倒になったので、とりあえずそれだけ言い残して駅のホームへ向かった。
食堂娘はあんぐりと口を開けたまま、俺たちを見送っていた。
由良に案内されて、件の神秘の顕現場所に辿り着いた。
そこは、山の中腹に建てられた神社だった。
参拝に来る者は滅多におらず、そこまでの経路は獣道と呼んでも差し支えない物だった。
体力の無い奈緒が途中でへばってしまい、途中からは俺が背負って登った。
「明臣、元気ねぇ……」
背負われていてもあまり回復出来なかったらしく、暫くひっくり返って動けずにいた。
「この神秘は『絆氷鏡』と言いまして。生者にしか使えませんが、強い絆で結ばれた者同士を映す鏡です。昔は冬場にしか使えなかった代物ですが、便利な世の中になったおかげで、使える時期が増えました」
社殿の地下、八畳くらいの部屋の中央に、木の枠が浮いていた。
由良の指示で、部屋の隅にある冷凍庫から氷の板を取り出すと、中央の木枠にはめ込んだ。結構な大きさだったが、今の俺なら一人でも余裕だった。
水自体は特別な物を使っているらしいが、氷にする手段は問わないらしい。これで水道水でもOKだったらお手軽過ぎるか。
「……それで大丈夫です。明臣様、アメリアさんのことを強く想ってくださいまし」
俺は頷くと、『絆氷鏡』の前で跪き、目を瞑った。
アメリアの姿を思い浮かべる。
短い期間ではあったが、一緒に過ごした相手。
これまで二人でしてきたことを逐次思い出して行く。
その想像の中、肌色成分が多くなってきたところで、正面に何かの力が発動するのを感じた。
「アメリア、さん?」
奈緒が呟く。どうして疑問形?
目を開くと、『絆氷鏡』には美しい女性の姿が映っていた。
年齢はおそらく三十台半ばくらいで、しっとりした色香を纏っている。かなり印象が違って見えたが、それでも間違いなく、アメリアだった。
「……久しぶりね、アキオミ。いつかどうにかして、連絡してくれると信じていたわ」
アメリアの話す言葉が、日本語に感じられた。『縁を映す鏡』と同様に、言語に関係なく意志の疎通が出来る神秘らしい。
「会いたかったよ、アメリア。随分、大人な感じになっているんだね。惚れ直してしまうじゃないか」
向こうの世界とこっちの世界では、時間の流れが違うのか、行き来するときにただ同期が取れていないだけなのかは判らないが、ズレがあることは判っていた。
アメリアが帰還してからの時間に比例して、ズレも大きくなるだろうと予想もしていた。ただ、今のタイミングなら、ズレていても十年以内だと思っていたのだが。
「ふふっ。こちらでは、あれから十五年ほど経過しいるけど、アキオミはやっぱりほとんど年を取っていないのね」
「それって、アメリアには予想出来ていたってこと?」
そういう事例が過去にあったのだろうか。ただ、その事例も、『この世界』との例であるか、向こうの世界では判別出来ない気がするのだが。
「戻ってからも、色々あったけれど。アキオミがくれたアクセサリのおかげで、何度も命を救われたわ」
アメリアは話を変え、髪をかき上げて耳元を露出して見せた。
耳たぶには、俺があげた無骨なイヤリングが、今も当時のままの形で装着されていた。
「……っ!? 明臣様、アレって──」
『絆氷鏡』はそこまで鮮明には見えないのだが、それでも由良はアレが魔物の足から作った物と気付いたらしい。
「ああ、そうだよ。アレから作ったやつさ」
「……羨ましいです。けれど、私には使えないのでしょうね」
俺の返事で、アレの機能を察したみたいだ。
由良たちの組織でも、魔物の足についてあれからも調査を続けているみたいだが、その進捗や結果は聞いていない。恐らく、俺やアメリアに出来たことが、由良たちには出来ないのだろう。
「ふーん……アメリアさんが戻るときに言っていた、明臣から貰った対価がそのアクセサリなんだ」
アメリアの帰還直前の会話を思い出したのだろう、奈緒がジト目で俺を見ながら言った。
だがアメリアは、キョトンとした目で奈緒を見て。何事か理解した様子で笑った。
「ふふっ、違うわよ。私がアキオミから貰ったのは、こっち」
そう言うと、アメリアは『絆氷鏡』から見えない方に向かって、何やら手招きを始める。
「えっ、何?」
『絆氷鏡』の向こうから、アメリア以外の誰かの声が聞こえた。何やら聞き覚えのある声。
やがて。
その人物が、『絆氷鏡』に映り込んだ。
「……エリス!?」
現れたのは、俺を召喚したエリスだった。しかも、俺を召喚したときと殆ど見た目が変わっていない。
「あはっ、アキオミ──じゃなかった、お父さん、久しぶりね!」
お、お父さん、だと!?
誰かが吹き出すのが聞こえた。見ると、部長が口を押えて笑うのを我慢しているのが見えた。部長には、状況が正しく理解出来た様子。
他の皆は、ポカンと口を開いて、呆然としていた。
俺も、予想は出来るものの、それが自分でも信じられなかった。
「……私も知らなかったのよ? あなたに救われて、無事釈放された直後、行方不明だったお母さんが戻って来たの。そして、その時初めて、アキオミが私の父親であることを教えて貰ったのよ」
やはり、そういう事なのか。
「……それって、順番がおかしくない?」
「いや、順番自体は正しいよ。時間の経過は色々とおかしいけどね。アメリア君がこちらに召喚されて来たのは、牧嶋君が向こうに召喚される前。アメリア君が戻ってから、牧嶋君が召喚されるまでに十五年くらい経っていたというだけの話だよ」
奈緒の疑問に部長が答える。
「……でも、それって……パラドックスが発生しかねませんよね? 牧嶋が召喚されて戻った後、もし子種を仕込まなかったら……」
「そうなりますが、恐らく明臣様が召喚された時点で、アメリアさんと恋仲になり、子供が授かるところまで確定事項だったのでしょう」
今度は琴音先輩の疑問に、由良が答えた。
恥ずかしいので、子種を仕込むとか言わないで欲しい。
つうか、俺、エリスから対価を貰わなくて本当によかった。自分の娘と、なんて洒落にならない。……キスならセーフだよね?
などと考えていると。
「……牧嶋君、つかぬ事を訊ねるが。君が召喚された時、召喚者から対価を戴いているのかな?」
いち早く、部長がその事に思い至ったらしい。
奈緒と琴音先輩は、一瞬ポカンとしたが、部長が何の事を言っているのか思い至ったらしく、盛大に吹き出した。
「いえ、エリスから迫られはしましたが、断りましたから」
そう、エリスからの対価はちゃんと断っている。
俺の返事に、皆、胸を撫で下ろした。だが──
「私がお父さんに対価を払うことが、何か問題なの?」
エリスがそんな事を言い出して、皆、唖然としてしまった。
「貴族が血を保つために近親婚するのなんて、そう珍しい事じゃないと思うけど、そっちは違うの?」
……なるほど。言いたいことは判った。こっちの世界でも、全く無い話じゃなかったと思う。
そもそも、世界によって倫理観が違うのだろうし、こちらの世界でも国によってまちまちだ。俺たちが禁忌だと思っていても、それを向こうに当てはめるのは無意味なのだ。
……それを俺たちがどう思うかは、また別の話だが。
「と、とにかく。俺はエリスから対価を受け取っていない。だから、何も問題は無い!」
身の置き場が無くなりそうだったので、早々に話を打ち切った。
「そう、ね。私はアキオミが誰と寝ても、気にせず愛し続けているわ」
アメリアがそんなことを言い出す。ギルティ決めつけは止めて欲しいんだけど。
そう言うアメリアは、どうなんだろう。今でも俺の事を想っていてくれているのだろうか。
「ふふっ。私は、エリスを産めて満足しているから。これからも、アキオミ一人を想って生きていけるわ。だけど、アキオミは……私のことは忘れて、なんて殊勝なことを言う気は更々無いけれど、それでも私に構わず、そっちの世界の女性と愛し合って欲しいと思う」
「アメリア……」
「アキオミを狙っている女性は何人もいるみたいだし。……アキオミの国って、一夫多妻は駄目だと聞いたから、苦労しそうね」
アメリアはそう言うと、俺の傍に居る面々を眺めた。向こうからは、『絆氷鏡』のこちら側の面全体が見えているみたいだ。
「正式な妻は一人だけですが、子供を産ませるのは経済的な問題だけですよ」
由良がそんな返事をして、一同を呆れさせた。
そんな話をしていると。
『絆氷鏡』が曇り始めた。
「……そろそろ、『絆氷鏡』の力が尽きそうです」
由良が終わりに近付いたことを告げる。『縁を映す鏡』よりは、長い時間使えるみたいだ。
「そう……なのね。またいつか、連絡してくれる?」
アメリアの問いに、由良を見る。
「……同じ神秘は、相当時間を置かなければ、同じ相手には使えません。ですが、類似の神秘なら、他にもあります。私が責任を持って、牧嶋様とアメリアさんを引き合わせますから安心してください」
由良はそう言ってくれた。
「そう。それなら、いつかアキオミの奥さんを紹介して欲しいな」
「当分、アメリア以外を愛せる気はしないけどな」
「もうっ、そんな調子のいいことばかり言って。……でも、嬉しいわ」
アメリアは穏やかな笑みを浮かべた。俺はそれを見て泣きそうになった。
現時点でも、アメリアは既に十五年も、俺だけを想ってくれていたのだ。それを思うと、俺が誰かに心を動かされるとは思えなかった。
それでも。アメリアがそう望むのなら。そうしないと、アメリアが安心できないのなら。いつかは、そうしないといけないだろう。
次に連絡を取れた時、向こうとの時間がどれくらいズレているかも判らない。そう考えれば、あまり悠長なことは言っていられないのかもしれない。
「……努力、するよ。アメリアが、それを望むのなら」
ついに我慢出来なくなって、涙を零してしまった。
「……アキオミ、愛しているわ」
アメリアは、俺の涙をスルーしてくれた。
「俺も、アメリアを愛している。ずっと、愛しているから」
アメリアも涙を零したのが見えた。
「お父さんっ! 私のことも、忘れちゃ駄目だからね!」
「ああ。エリスのことも、忘れたりしないよ」
そこで、氷が割れた。『絆氷鏡』が力を失ったのだ。
暫く、そのまま呆然としてしまった。
皆、そんな俺を黙って見守っていてくれた。
「由良、ありがとな」
「……この程度、明臣様から受けた御恩に比べれば、些細なことです」
「そう言ってくれると助かる。またいつか、お願いすると思う」
「畏まりました。使える神秘が無いか、常に調べておきますので、ご連絡ください。神秘の性質上、使用できる時期が限られている物がほとんどですが、可能な限り対応させていただきますので」
「うん、頼む」
頻繁に使える様な代物ではないが、当てがあるというだけで、随分と気持ちが軽くなった。
「そんな訳で。奈緒、当分、無理だから」
「判っているわよ、もうっ!」
拗ねて顔を背ける奈緒に、皆で声に出して笑った。
ここに来て、随分と恥ずかしいことを口にした気もするが、誰も冷やかしたりしないでくれたおかげで、穏やかな気持ちになれた。
皆に感謝するとともに、これから先、俺やアメリアたちにどんな人生が待っているのかと、思いを馳せた。
とりとめもない話になってしまった感がありますが、この話はここまでとさせていただきます。
読んでいただいた方、ありがとうございましたm(__)m




