第二話
翌週。
クラスの半分くらいは既に入部先を決めた様子で、放課後になると早々に教室から出て行った。
逆に、教室には勧誘に来ているらしい上級生が入ってきていて、今も奈緒に二人ほど話し掛けていた。まぁ、あれは部活の勧誘じゃ無いのかもしれないが。奈緒にはその気が無いのか、愛想笑いを浮かべて、掌を振って断ろうしているみたいだった。
琴音先輩はまだ現れておらず、今日は一人で行こうと席を立ったのだが、
「明臣」
背後から呼び止められた。
俺のことを名前で呼ぶ相手など、奈緒以外に居ない。
「ん?」
俺が振り向くと、周囲がざわついた。
何事かと思ったのだが、よく判らないまま、奈緒を見た。
「毎日、何やってるの?」
琴音先輩に毎日拉致されていることを指して言っているのか。
「部活だよ、部活。先輩から強引に勧誘されて入った訳だが、ちゃんと活動してるんだよ。奈緒は、まだ何処に入るか決めてないのか? 社会奉仕活動がしたい訳でもないだろうし」
「まぁ、ね。いくつか、興味持てそうなところを当たっては見たんだけど……微妙にやる気が出ないのよね」
気軽に会話を交わしていると。周囲のざわめきが増した気がした。主に、男子の声。
それとなく周囲を窺うと……妙に殺気立っている連中がちらほら。
なるほど。
俺が奈緒と親しげにしている様子を見て、そういう反応をしているのか。色々と思うところがあるのだろう。
本当は別に親しくしている訳でも無いのだが。幼馴染の気軽さから、下の名前で呼び合うことは普通のことだったし。昔はそれこそいつも一緒にいたのだが。事情を知らないやつから見たら、親しげに見えるだろうな。
実のところ、いつまでこの距離感でいていいのか、俺の方は迷っていて。教室では奈緒に話しかけ辛かったのだ。今更、三宮さん、なんて呼ぶのも他人行儀過ぎるし。
中学では奈緒の方も距離を置いていたと思う。元々、中学では同じクラスにならなかったこともあって、疎遠気味ではあったのだ。中学で奈緒から話し掛けてきたのは、彼女がフリーになった受験前くらいだった。どこを受験するのか、なんて話をしたっけ。
「だからさ。明臣が入った部に、見学に行ってもいいかな?」
奈緒は、エスコートしろ、とばかりに俺の腕を取った。
……周囲の空気が更に変わったのを感じた。
俺は今の事態に戸惑っていたのだが。奈緒は周囲をチラ見して、満足げに微笑んでいる。
自らのモテ具合を確認して悦に入っている、という訳では無さそうだ。
ひょっとして……男避けに俺を使っている?
さっきまで奈緒を誘おうとしていた連中は、まだ教室で奈緒の方を見ていた。しつこい相手にうんざりして、こういう手段を取ったのか。
だけど、それだと今ここにいる男子だけでなく。多方面に効果を発揮しないか?
……まさか!? 既に全学年の男子生徒をチェック済みで……眼鏡に適う相手が居ないから、学校内では俺を男避けに使うことにしたのか──恐ろしい子!
「……だめなの?」
一瞬、くだらない妄想を読まれて、そう返事をされたのかと思ってびっくりした。
別に、そっちでも個人的には構わないのだが。
「いや、それは部長に聞いてみないと判らん。一緒に行って見るか」
奈緒は、部室に到着するまで俺の手を離さずにいて。俺が琴音先輩に拉致されている光景を見慣れていたクラブ棟の近所の連中も、相手が違うことに目を丸くしていた。
その間、奈緒は俯き加減で、笑いを堪えていた。
状況を愉しんでいやがる。
それとも、男避けの盾を全方位に展開しているのか。
俺としては、自分自身については別に気にすることも無かったから、奈緒自身に問題なければとりたてて拒絶する気も無かった。
「部長、相談があります」
部室に入るなり、部長の姿を見てそう口にした。
部長は手元の資料からこちらに視線を移して。咥えていたボールペンを机上に落とした。
奈緒のやつ、部室の中に入ったら今度は俺の腕に抱きついたのだ。
俺をからかっているという訳では無く。俺の周囲の人間をからかうつもりなのだろう。
「……そちらは?」
部長は面白そうに目を眇めた。
奈緒を見ると、俺を見てニヤニヤしていた。俺がどう紹介するのか、それも見物対象なのだろう。
「こいつは俺の幼馴染の三宮奈緒です。今日は部活の見学をしたいって言っているのですが、大丈夫ですか?」
部長は活動内容というか成果をあまり大っぴらにはしたく無さそうだったから、可否の判断を仰いだのだ。
「ふむ……幼馴染ね……。秘密が守れるなら、構わないが──」
その時。
勢い良く扉が開いた。
「部長、牧嶋が──って、ここにいたのね」
琴音先輩が慌しく入って来た。俺を迎えに行って、既に居なかったから慌てていた模様。
奈緒は、まだ俺の腕を抱いていて。琴音先輩を見て、手を離すどころか更に力を込めた。
「……って、この人は? 牧嶋の彼女?」
琴音先輩が、この状況の俺たちを見ても動じないのを見て、奈緒は意外そうに目を瞬かせた。
「いえ。ただの幼馴染ですよ」
「ふーん。まぁ、どうでもいいけど」
何事もなくスルーしようとする琴音先輩に、
「どうでもいいんですか!?」
奈緒の方が慌てた。
「ん? だって、あたしは牧嶋の彼女でもなんでもないし。牧嶋の女性関係なんて気にする必要ないでしょ?」
琴音先輩には、中学の頃から好きな人が居て。今でも彼のことを想っているのだろう。
奈緒はがっくりと肩を落として。俺の腕を放した。
「……なーんだ。つまんないの」
恐らく、奈緒は俺と琴音先輩が付き合ってるとか、近しい関係だと思い込んでいて。俺たちをからかうつもりでこんなことをやったのだろう。
「冷やかしなら、帰ってくれないかな」
茶番に付き合わされてムッとしたのか、部長は片眉を上げて、つまらなそうにそう言い渡した。
「あっ、いえ、部活の見学に来たのは本当です。明臣が毎日楽しそうにしてたから、何か面白いことでもあるのかなと」
奈緒は慌てた様子で、部長に向き直った。
奈緒は昔から、こういう場面でも物怖じしないタイプだった。見てる方がハラハラさせられていたっけ。
部長は、奈緒のあっけらかんとした態度に毒気を抜かれた様子でため息を吐いた。
「……まぁ、いいさ。面白いかどうかは、こういう物の興味があるか次第だけどね」
部長は奈緒に手元の資料らしき物を差し出した。
奈緒はそれを受け取って、まじまじと見て。チラッと俺を見て、笑みを浮かべた。
「……面白そうですね。こういうのを調べるのが活動内容なんですか?」
「ああ。今週末辺りに、その資料にある物を皆で調べに行こうかと考えていたところだったんだよ。ただ、ソレはガセっぽいけどな」
「ガセ、ですか?」
思わずそこに食いついて、問う。
「多分ね。だが、そういう信憑性が低い物も検証対象ではあるんだ。無い物の証明は難しいが、可能な限り裏を取って、確認出来ないことを確認するのさ」
翌朝。教室に入ると、既に登校していたクラスメイトたちからは、先日よりも更に微妙な空気で迎えられた。
ひょっとして、昨日の奈緒とのことを気にしているのか? 奈緒は、まだ来ていないみたいだった。
「おはよう」
俺から言い訳めいたことを口にするのもおかしな気がするので、何事も無い風に、誰に言うでもなくそう呟いて自分の席に座った。
「……牧嶋君?」
例によって、背後から宮内が話しかけて来た。
「うん?」
何食わぬ顔で、座ったまま振り向く。
傍にはまた沢渡の姿。
「三宮さんとは、どういう関係で?」
宮内は妙にうろたえた様子。この前、奈緒のことをビッチ呼ばわりしたことを気にしているのか。
「まさか、彼女……ですか?」
沢渡は眼鏡を弄りながら、そんなことを口にした。
なんかデジャヴ。
「同じ中学だって、知ってるだろ?」
俺は問いかけには答えず。なんでもない風に返した。
他の連中も、気になっている様子でこちらを窺っているのが判った。
「それは判っていますが……」
別に、俺と奈緒はただの幼馴染というだけで、なんでもないのだが。奈緒がどういうつもりで行動しているのかはっきりしなかったから、ここで返事をするのを躊躇っていると。
「明臣、おはよー」
奈緒が登校してきて、またもや親しげに話しかけてきた。昨日の放課後までは、一切話しかけることすらしてこなかったのに。
奈緒の様子に、周囲がまたざわついた。
「ああ、おはよう」
奈緒に挨拶を返す。
奈緒はご機嫌な様子で、俺の傍に近寄って。
「週末、楽しみだね」
嬉しそうにそう言うと、自分の席へ移動した。
ただ単に、退屈していただけなのかもしれない。
奈緒のところにも、他の女子が何人か集まって、何やら質問攻めに遭っているみたいだった。多分、なんで俺みたいなのと、みたいな内容だろう。態々誤解されるよな言動をしやがるから、双方面倒な状況になっていた。
「……それで、三宮さんとの関係は?」
宮内は追及の手を緩めない。当人が近くに来たときは黙り込んでいたが。ビッチ呼ばわりしてたくせに、奈緒のことが気になっている?
「ただの幼馴染だよ」
「……くうぅ! 美人の先輩と可愛い幼馴染を侍らせてるとか、どんなリア充だよ!」
宮内はわざとらしく、右手の甲で目を覆って。そんなことを言い出した。
「リア充許すまじ。もげてしまえ!」
沢渡も同調してるし。
お前ら、色々諦めてた筈じゃなかったのかよ。
つうか、未使用でもげるとか勘弁してくれ。
「そんな色気のある話じゃねぇし」
「だよね? 先週なんて、一言も口聞いて無かったし」
沢渡は腕を組んで、うんうんと頷いた。
「だろ? ……って、よく見てんなお前ら」
「女子のチェックを欠かさないのは健全な青少年の嗜みという物ですよ」
「なんだそりゃ」
全力で喪男やってたくせに。そういうところはしっかりしているというか、ちゃっかりというか。
俺は呆れつつも、感心してしまった。