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【STRELITZIA】

 休み明けに出社した私は、クサカベリーダーにミーティングルームに呼び出された。


 部屋に入り、長机を挟んで椅子に腰かける。


 彼はクリアファイルから書類を取り出すと、勿体振った仕草でパラパラめくった。

 そして、正式に異動を告げた。


「あくまでも、一時的な配置転換ですから……」


 言いにくそうに眉間に皺を寄せる。


「……一時的、ですか」


 銀縁眼鏡の向こうの瞳を、まっすぐに覗く。

 ヤナイさんから聞いていたとは言え、ショックに変わりはない。


「貴女のスキルは当社の戦力です。しばらくの間、活かせる部署で頑張ってください」


 『一時的』『しばらくの間』。


 期間を明示されないことに不安が高まる。


「……大丈夫、問題が解決したら、必ず僕が呼び戻します」


 クサカベリーダーがまっすぐに見つめ返してくれたので、私は頷くしかなかった。


 夏がカウントダウンで終わろうとしていた。


* * *


 私の異動先は、量販店や小売店舗からの問い合わせに電話対応する部署だった。


 入電相手が全て特定されるため、『繋がり君』のような事態は起こり得ない。


 お客様窓口に比べると、ここは製品に対する専門的知識が求められる。

 とはいえ、技術的な内容の問い合わせには、また別の対応部署があるから、心配はいらなかった。


 むしろ、感情的なトラブルを処理する必要がないため、淡々と事務的に仕事をこなす毎日である。


 そして何よりも違うのは、この部署にはノルマがないことだった。


 1本当たりの受電時間の目標数値も、1日の受電率も、設けられていない。

 数をこなすより、多少時間をかけても、1件1件の問い合わせに丁寧に対応することが重視されている。


 拍子抜けした私だったが、3日も経つと、電話がかかってこない時間の長さに苦痛を感じて始めていた。


「あの……電話がかからない時間は、何をしていればいいでしょうか」


 馬鹿げた質問だ。今更、新人でもあるまいに。

 私は胸の内で自嘲つつ、右隣に座る先輩に、恐る恐る尋ねてみた。


「……あぁ。カサイさん、お客様部署にいたんですものねー」


 恐らく、ヤナイさんよりも数年は早く入社したであろうハタケヤマさんは、一瞬キョトンとした後、カラカラと笑った。


 彼女は、自分のクリアファイルにストックしていた古い製品カタログを抜き取りながら、


「あっちからみたら、ここは天国みたいでしょ〜」


 と悪びれずに続けた。


「苦情もないしね、これで同じお給料なんだからー」


 左隣の席から、小皺の隠れていない笑顔が近づいた。


「ここも新製品が発表されたら、忙しくなるんだけど。春先に出たエコ製品の問い合わせも一段落したし……今は暇だわよね〜」


 噂には聞いていた、わが社の生ける伝説・アネサキさんだ。


 彼女は、お客様部署で伝説的な失態を演じたため、この部署に『飛ばされた』と囁かれている。


 何でも、苦情入電のお客様に向かってコンコンと説教を垂れ、最終的には口論になり、異常な雰囲気に気づいた上席が慌てて強制的に引き取った、というのだ。


 その後、対応した上席は、本社に呼び出しをくらい、地方支社へ季節外れの異動になった――。


 我々後輩がオペレーター研修を受ける時、一度ならずも先輩から聞かされる反面教師のエピソードである。


「そうなんですか……エコ製品の問い合わせ、私苦手なんですよね。もっと資料、勉強しておきますねー」


 左右の先輩に微笑み返して、会話を回収した。


 ディスプレイの中、見飽きた【新製品情報】を開きながら、時計アイコンに視線を投げる。


 間もなくお昼にあがる時間だ。

 朝9時からの業務開始なのに、今日はまだ5本しか受けていない。

 元の部署なら、この10倍はこなしていないと、ベスト5には、到底入れないだろう……。


 貼り付けたままの笑顔の下で、私は大きくため息をついた。


* * *


 異動してからも、ヤナイさんは何かと気遣ってくれた。


 そしてお決まりのように、休日前には、贔屓のレトロなバーに、私を引っ張っていった。


 彼女の話では、『繋がり君』の入電は、徐々に減ってきているらしい。


 私というターゲットを失い、上専対応となったことで彼のモチベーションが下がったのであれば、リーダー達の判断を認めざるを得ないだろう。


 ヤナイさんは、私の再異動をクサカベリーダーに何度か打診してくれているらしいが、


『当分、予定はありません』


 との回答だったそうだ……。


 季節が冬に差し掛かった11月。


 私は、ヤナイさんのお誘いがなくとも、1人で【STRELITZIA】を訪れるようになっていた。


「『必ず呼び戻します』なんて言っていたのに……まだ声がかからないんですよー」


 驚くべきことに、いつしかマスターに職場の愚痴をこぼすまでになっていた。


 ついぞ他の客の姿を見た試しがないことも、安心感を助長したのかもしれない。


 マスターは、いつも穏やかに話を受け止めてくれた。


 さすがに電話の内容に触れはしなかったが、職場の左右のおば様達のことや、休日に観てきた映画の話など、とりとめのない話題にもマスターは付き合ってくれた。


 職場のしがらみとも無縁で、昔からの私を知る訳でもない。

 取り繕う必要のない距離感が心地良かった。


 ヤナイさんはマスターを『空気みたいなもの』と表していたが、ある意味その表現は正しいと思う。


 彼の存在は、水槽中のエアーポンプのように、私を日常の息苦しさから救ってくれていた。


 自分用のウィスキーボトルを入れてしまったのは、1人でバーのドアを開けた3度目の夜のことだ。


 そのボトルも、もうすぐ空になる。


 2本目を入れようかと、グラスの残りを開けた時、


「……何? カクテル?」


 カウンター越しに何かゴソゴソしていたマスターは、淡いピンクの液体を注いだ華奢なグラスを、スッと目の前に置いた。


「……昨日、お誕生日だったんですよね?」


 驚いて固まっていると、おずおずとマスターが言い訳をした。


「……ヤナイさんから聞きました?」


「ええ、昨夜」


 ――昨夜。


 洋菓子店の紙袋を下げた私は、駅前のデパ地下で彼女とばったり会った。


 1年で2回――誕生日とクリスマス――だけ、お洒落な洋菓子店で気に入ったケーキを買って帰る。

 社会人になってから始めた、ささやかな贅沢だ。


 ヤナイさんは、この店で祝おうとかなり粘ったが、私は丁重に辞退した。


 祝われることには、慣れていない。


「貴女をイメージしてみました……こういうのも出来るんですよ」


 ちょっと困ったようにシェイカーを拭きながら、はにかんだ表情が年甲斐もなく可愛い。


 ……コポ……コポコポッ……


 強張った心に、空気が送られた気がした。


 気がつくと私は号泣して……更にマスターをオロオロさせた。


 ベビーピンクのカクテルは飛び切り甘く……優しさが全身に染み込むようだった。


 私はまた子どもみたいに泣きじゃくりながら、ゆっくりと彼の心を飲み干した。


* * *


「今年度を区切りに、退職しようと思います」


 隣の先輩に向き直り、静かに告げる。


 【STRELITZIA】のいつもの席。

 ヤナイさんは、言葉を無くして目を白黒させた。


 今の部署のリーダーとクサカベリーダーには、今朝出社してすぐに退職を告げていた。


「僕の力不足で、貴女には辛い思いをさせてしまったね……」


 クサカベリーダーは、異動を告げた時と同じように、苦し気に眉間の皺を深めた。


「……いいえ。クサカベさんには、入社してからずっと、本当にお世話になりました」


 深々と頭を下げる。

 新人研修で叱られたことや、日々の業務で気遣っていただいたことが思い出されて、目頭が熱くなった。


「貴女ならどんな世界でもやっていけますよ。頑張り過ぎず、幸せになってください」


 銀縁眼鏡の奥の瞳が寂しそうに微笑んだ。


「しっかし驚いたわ〜! カサイさんが寿退職なんてね!!」


 一方のヤナイさん。

 彼女は、私の報告をひとしきり聞くと、満面の笑顔に変わった。


「……それにしても、マスター、いつの間に?」


 好奇心を隠さず、瞳を輝かせながら、ヤナイさんは私とマスター――トウドウさんの顔を見比べた。


「ヤナイさんには感謝してます」


 殊更照れるでもなく、彼は穏やかな表情のまま、目尻の皺を深めた。


「……これにも、まぁ驚いたけど……」


 先刻、彼が差し出したロンググラスを示す。

 中には、鮮やかなマリンブルーの液体が半分残っている。


「本当は、カクテルも出せるようなダイニングバーをしたかったんです」


 けれども、お洒落な物件は賃料が高く手が出なかったこと、立地重視で借りられた物件は、元々喫茶店だったこの店しかなかったことを続けた。


「あー、わかるわかる! 喫茶店って雰囲気だよね? だから、ここに来るとホッとするのよねー」


 スツールから身を乗り出して、ぐるり。ヤナイさんは、今更ながら不躾に店内を見回す。


「それ、誉めてるんですか?」


 私は苦笑いしつつ、


「だから、結婚を機に、ここの内装をリフォームすることにしたんです」


 カウンターごしの婚約者と視線を交わす。

 わずかながらの退職金と、5年間の貯金を、彼の夢につぎ込むことに決めていた。


「開店したら、彼女も手伝ってくれるって言ってくれたんで……決心したんですよ」


 幸せそうに微笑むトウドウさんの前で、ヤナイさんは再び目を白黒させた。


「えーっ、カサイさんお料理上手だったんだ?」


「ひどいなぁ〜。でも、人様にお金をいただくレベルではないので、今、お料理教室で勉強中なんです」


 今の仕事を辞めるまでの数ヶ月。

 料理学校できちんと資格を取ることも考えたが、終業後に通え、かつ短時間で効率良く学ぶには、料理教室がベストに思えたのだ。


 探せばあるもので、職場から歩いて通える場所に、ちょうど半年クールで開催している料理教室の講座があった。


「うわ、花嫁修行中? 着々と進んでいるのねー」


 大袈裟に熱気を払う仕草をしてから、ヤナイさんはグラスを空けた。


 見計らったように、情熱的な深紅の液体で満たされたロンググラスが置かれる。


「わぁ……素敵な色ねぇ」


 うっとりと目を細めて、口を付ける。

 心なしか、彼女の頬も炎の色に染まって見えた。


 この夜、トウドウさんは、彼女のためにカクテルの腕を存分にふるった。


 私は、リニューアルオープンする前に、これから磨く腕の成果をたっぷり披露する約束をした。


 それが、私達のキューピッドであるヤナイさんへの精一杯の感謝の気持ちだと考えていた。



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