表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
con-tract //out  作者: 桐識 陽
2/4

report1:0→1 (後)

 

 report1:0→1 (後)



 7 

 

 

 「オリバーの……妻だぁ?」

 「はい」

 「ちょっ、ぃょ、よぉ!?」

 「金田一っ、ちょっと黙ってろ!」

 ボコと頭をこずき、ショックから口からラップ調の混乱をする金田一を気絶させた。

 まぁ、俺も困惑はしている。

 俺は一息吸い込み、頭を切り替える。なにがともあれ、有力な情報提供者と出会えたのは幸運なのだ。

 ただし、妻ということは身内。容疑者を庇う可能性は大だ。彼女の口からでる嘘や真実に細心の注意を払う心の用意を手短にすませて、話を伺おうではないか。

 金田一も軽い気絶から早々に復活し、メモを広げて書き込む用意は完了していた。

 「……ヒメ、さんでよろしいですか? 話を聞かれていたかと思いますが……我々はあなたの旦那様にこの間からの連続殺人の容疑者候補の一人として見立て捜査をおこなっています」

 「彼は殺人などしていません」

 断言するヒメ。まぁ、そう応えるのが普通だろう。

 「……あくまで、候補とさせていただいているだけですので……それででですね、旦那様は最近、見かけた、ことは?」

 どこにいる? と聞かれて応える奴はいまいとして遠回りに質問する。

 いる、いないに関わらず徹底的にソドムを探し回るがな。

 「……もう何カ月間も、みて、いません」

 「……そうですか。では、彼の居場所の心辺りはありますかね? それと彼が最近、変わったとか。もしくはなにか……誰かを怨んでいた、とかありませんんでしか?」

 「彼が憎むとするなら、母親を殺した彼の生まれ故郷の人間たちです」

 席で我関せずとするようにミルクを飲んでいた進ですら、彼女の変化に顔を傾けた。ゆっくりと俯いていく中で語る彼女の声が綺麗な幼さが残るソプラノから、しわがれた老婆が呪殺の呪文でも呟くような声質に変わったからだ。

 「それだけじゃありませんよ。彼を苦しめた世界も、なにより……アイツらが。アイツらは死んで…殺されて当然に奴らなんですから」

 俯き気味なヒメの表情は見て取ることができない。口元が狂気な笑みを作っているような気がして覗き込むことができなかった。それだけ、怨み辛みが言葉の端から端までたっぷりと染み込んでいた。

 俺は息をのみつつ、それでも根性で質問を続ける。

 「……その、アイツらとは……殺された被害者たちのことですかな?」

 「被害者……あぁ、あの四人のことですか? あれは被害者なんかじゃありません。りっぱな加害者……いえ、悪党ですよ」

 「彼らが悪党? その理由を詳しく聞かせてもらえますか?」

 警察は彼らに職場や男女関係以外の共通点がないか調べていた。だが、それ以外の有力な情報はでず、愉快犯や店自体への怨みの線で調べていた。

 「……警察でも……あぁ、“日本だから”調べても誰も話さなかったんですね」

 日本だから調べても、誰も話さない? 彼女はそんな意味深な言葉を置き去りにして語り始める。

 「あいつらは、詐欺師だったんです。それも外人専門の」

 「外人、専門?」

 「はい。一人がプロの逃がし屋で、三人はその共犯者なんです。彼らは海外から極悪人から祖国を無くした人まで請け負っていソドムへ逃がす手伝いをすると言ったそうです」

 若干、他人から受けた言葉のように話すのはオリバーから聞かされた話だからだろう。

 「彼らはまず到着したら日本の部屋へ一時的な準備期間があるとして一拍させるそうです。その時使われた部屋が二番目に殺された女の部屋なんです」

 なるほど、相槌をうつ。二番目に殺されたホストのマンションは完全なプライベートが約束された金持ちしか入れない場所。悪く言ってしまえば完全な孤立空間だ。徹底した情報管理や同じマンション内であっても誰が住んでいるのかさえわかりづらく防音設備等も完璧が売りだったはずだ。

 そこにどんな凶悪犯やれ犯罪者を連れ込もうが誰もわからないし、最悪管理者側すらプライベートを理由に口を紡ぐ。今回は逃がしのプロが絡んでいたこともあり、目撃者や悪い噂もなかったのだろう。

 「そこで彼は……あの死んだ二人のホステスから……言い寄られたそうです。彼はもちろん断りました。でも、彼は無理やりされたように見せかけられて、残りの二人が彼の写真を……」

 彼女の声は悔しげに歪んでいき、遂には涙を流しはじめた。関係の近いモノに悲嘆にほとんどの人間は共感を感じてしまうが、彼女のは心からの悔しさだろう。夫と呼んだ人間が……と、そこで気がついた。

 「話の腰を折る様ですいませんが、オリバー……旦那さんとはいつご結婚を?」

 「……去年の12月に結婚を申し込まれて……こ、の指輪と……やぐ、約束を……した、のに」

 しまった。と後悔しても後の祭りである。遂に泣きだしてしまった彼女は、もう話すことができそうにない。金田一はそんな彼女に早々と近寄り、ハンカチをやさしく手渡と、なにかに気がついたかのようにハッとした後、俺のことを避難するように睨みつけた。

 さすがに俺もデリカシーがなかったとは思うさ。

 「あの、その、申し訳ない」

 「明智さん、だから奥さん寝取られるのよ」

 四十代のガラスの(ハート)にトラウマという名の言語化された不可視の槍を突き刺したおカミが代わりに続きを語り始める。

 「ヒメちゃんの言っていることは本当よ。彼らは四人組の逃がし屋をしていた。いえ、逃がし屋なんて言い方は本業さんに失礼ね。彼らは時折依頼が入ると集まり、主にソドムへ移り住もうとする外国人を狙う。そして、その獲物が懸賞金がかけられている犯罪人なら即通報、もちろん仲介者を使ってね。もし、それが普通の難民や軽犯罪者なら別の方法で金をむしり取るの」

 「別の方法?」

 「そうよ。彼らは彼らで事情があれど、日本を経由して無許可で来させられた時点で密入国者であるのは事実。当然、見つかれば強制退去もしくは犯罪者扱いで出れるか怪しい牢屋行き。そこで彼らは、立場の弱い彼らを脅すの。もし見つかりたくなければ、金をもって来いってね。写真を撮られたのは保険のためと、もし自分たちのことを密告された際の保険代わりだったようよ。私たち、脅されたんです~みたいなね」

 そこまでくれば、頭の悪い俺でも想像がつく。

 「金がある奴ならまだしも、個人経営してるような逃がし屋に頼むような奴は大抵金のない奴らだろうな。そんな奴らが金なんてもっているはずはない。そこで闇金の金貸しを利用するしかない」

 「そうよ。あら、NTRされた人とは思えない考察ね?」

 「もう寝取られネタから離れろっ!!! それに俺は寝取られたんじゃないっ、捨てられたんだ!!」

 「いいわねっ! その自暴自棄ッぷりっ、イィティングしたいわぁぁん! その通りよ、明智さん。その金貸しってのがソドムにまで支店出してるとこでね。彼らはソドムで彼らを働かせて金を徴収していたのよ」

 「じゃあ、ここもその組と関係が?」

 「いやね、違うわよ。その組、咲那会って言うんだけどね。先代はできた人だったけど、今のそのイスに座っている若造が好きじゃないのよ。イヤミったらしくて可愛くないったら!」

 オレンジのカツラをズラすほどの怒りを見せつけたおカミの言葉は本物のようで安心した。

 そのズレたカツラを治しながらオカマは続ける。

 「彼らの被害者は全部で3人。最初の一人目がイイ感じの悪い犯罪者でね、懸賞金が出たの。それに味をしめたのね。誤算があったとするなら、彼らはやり過ぎた」

 「やり過ぎ? 三人だろう? それに、新東京じゃあ、そんな話は出てこなかったぞ」

 「やり過ぎたの。日本じゃわからなかっただけよ。ソドムはね、無法な土地やら危険極まりないって言われるのは事実でも、ガキでも守れる暗黙のルールってもんはあるの。それさえ守れば誰を殺したって誰もなにも言わない。誰と殺し合おうと、守ろうとしても、援護しようともかまわないの。

 結果的に彼らには仕事は一切なくなったし、連続殺人なんてものが起きなかったら四人まとめて一月に報復されて、太平洋の深海への片道旅行になる予定だったんだから……でも、それってソドムだけかしら?」

 「どういう意味だ?」

 「ねぇ、金田一ちゃんなら、今の話でどうして日本じゃ四人がやってた犯罪のことを誰も語らなかったのか、わかったんじゃない?」

 ここにきての問いかけに、金田一はヒメの介抱を止めて申し訳なさそうに述べる。

 「それは……その……」

 「いいのよ、気なんて使わなくて」

 「……彼らの客の大半がソドムを目指していた犯罪者だから……結果的にソドムの住人であったからです」

 「? どういう意味だ?」

 「ソドムの住人はみんな悪人だ、だからどんな仕打ちを受けようが因果応報、天罰だ……って日本の奴らは思ってるってことだろう?」

 「なんだと!?」

 今まで口を開かなかった進がミルクのおかわりを望むようにグラスを傾けつつ、答えを断定した。

 「顧客は全員犯罪者だ。なにせ不法侵入アンド自分の家も戸籍もない身元不定者。しかも、日本人から見りゃ、自分たちの土地を奪ってこちらに害しか与えない犯罪者予備群ときた。そんな奴らを庇う必要はない。むしろ四人は逆に英雄なんじゃないか? そうだ、ソウダ! ホウニシバラレテナニモデキナイボクラのカワリにワルモノをイタメツケルヒーローダ、とでも思ったんじゃないか? 現に俺もニュースは視るが被害者と報道される殺された3人の悪い噂は一つも聞いたことはないしな。いい人だったのに、笑顔がまぶしいだっけか? “日本の奴ら”にとっては良き隣人だったみたいだな」

 「それで誰も答えないと!? 馬鹿げてる!」

 「それだけお隣にできた国の印象が悪いんだろうな。もしかしたら、本気で悪いことじゃないなんて思ってたりしてな? クックククッ」

 「誰も……気がついて、ない……だけで」

 「申し訳ないけれどね、明智さん。情報屋から言わせてもらうと、誰もしらないなんてことはないはずよ。一人目が出た時点で懸賞金は出たでしょうし、受取人の身元を調べればホコリくらいはでるわ」

 「……なんて、こった」

 ソドムが生まれてから、日本に来る外国人観光客はそろって日本人の目が冷たく感じると感想を述べる。それはソドムの犯罪者たちが、未許可で侵入してきた外国人が大半であるという世間の知識が誤解が生み出す目なのだろう。

 そんな勝手な誤解の目が、今回の事件を難航させた。もし、彼らのおこないがわかれば、警察はすぐにでも彼らの被害者たちから容疑者をしぼることができたはずだ。

 それ以前に、ソドムは悪だという認識から、責任をすべてなすりつけ、他人を陥れて利益を生み出すことを良しとした者たちがいたという事実がどうしようもなく胸を痛めつけた。それを擁護した者も、良しとして無視した者も、なにか考えや社会的な守るべき者があったとしても……

 知らなかった。それだけ言えばすむ世界自体に、反吐が出そうだ。

 いや、俺もまたそんな場所の住人か……

 「もし、管轄違いでも俺達、いや国が一番初めの不法入国のルートに気がついていれば被害者出さずに……オリバーの奴にも違う人生があったってか? まったく、なんてこった」

 力尽きたように椅子にヘタリこんだ俺を

 ククククッ

 笑う声?

 「クククッハ! 明智さん。あんた、おもしれぇな?」

 「そうよぉ。別にあなたが気にする必要はないのっ」

 「いや……だが」

 俺を笑ったのは、進とおカミであった。

 「別に俺達があんたらの土地に勝手に住んでる悪人なのは確かなんだよ。銃刀法違反だしな」

 「そうよぉ。あんまり気にしないの。私たち、悪人だしね。ちなみに私の股間にはすべての男を快楽に叩き堕とすリボルバーが付いてるわ!!」

 「まぁ、おカミさんのが危険兵器なのはしらんが、アンタのせいじゃねぇのはわかってるよ」

 「そうよ。それに、オリバーのことも考えてくれたみたいだしね。彼も素直によろこぶと思うわ……ね? ヒメちゃん」

 「ええ」

 車椅子の女性はもう泣きやみ、見れば笑顔がそこにはあった。

 「彼って本当に優しかったんです。だから、きっとあなたのような人がいたら笑ってよろこんでくれると思います」

 まるで憑き物が落ちたかのようなさっぱりとした顔のヒメに俺はなんだか嫌な予感を……

 ちゃりん、ちゃりんと鈴の音が鳴る。

 「おカミさん~! まぁ~た来ちゃったー!」

 来客のようだ。酔っぱらったホステス風の女が、客の襟首をひっつかんでやってきた。無礼にも極まりない光景なのだが、いいのだろうか? いや、客のほうもなにか満ち足りた顔をしているのだから……いいのか?

 「お上さん、私はここで……」

 「あら? もうこんな時間。そうね……あがってもいいわよ、ヒメちゃん」

 車椅子をドアではなくバックの方へと向け、こちらに会釈し去っていくヒメ。そのまま後へと去るのかと思うやいなや、バックのドア目の前で停止し、改めて店内を見回す。

 その目にあるのは懐かしさと、ほのかな優しい色を揺らしていた。

 「ここであの人と出会って……大切な日々を過ごして……お上さん、お疲れさまでした」

 「ええ、お疲れさま。気をつけてね」

 「…………はい」

 そのままバックへと引っ込んだヒメはもう戻りはしないだろう。

 さて……

 「ねぇ、みんな……」

 俺は彼女がオリバーの居場所を知っていると確信していた。そのまま逃走する気ではないか、と勘繰っていたのだが……

 「おカミさん、悪いが俺は刑事だ。どんな理由があるにせよ……」

 「違うの。進クンは……金田一ちゃんも、わかっていそうだけど」

 「……ああ」

 「なんのことだ?」

 「先輩、行きましょう」

 俺だけが置いてけぼりらしく、金田一も顔を酷い苦痛に耐えるかの様な表情のまま店を出ようとスーツに手をかける。

 二人が座席から立ちあがり、俺もいそいそとそれにならう。

 「おっと、勘定」

 勘定を払おうと財布に手をかけようとする俺の手。それをすばやく握りしめる手が割り込む。

 「お代は、今日はサービスよ」

 おカミだった。そのいっそのこと清々しさすら感じる好意を受け取り……?

 握りしめられた手が何かを握っていた。それは一枚の紙。新東京の住所が書かれたこれは……

 「おい、おか…」

 「まった~ん! さぁ、どんどん頼んじゃって!」

 尋ねようとした時にはすでに新しい客の接客に行ってしまっていた。

 「……ふん、なかなか良い“女”じゃねぇか」

 「惚れましたか、先輩?」

 「馬鹿言え、俺じゃ手の届かぬ高嶺の花だ……行くぞ、金田一」

 スーツの襟もとを直し、俺たちは颯爽と出ていく。

 さぁ、二次会は新東京だ。


 

 8



 ついた時にはすでに、二次会会場は閉幕していた。

 「どうなってんだ、これは……」

 会場は、新足立区と呼ばれるソドムにほど近い新東京二十三区内の一角。ほぼベットタウンと化している場所ではある。静かな住宅街の中を走る覆面パトカーに乗る俺達三人は息をのんでその光景を見つめながらゆっくり電灯の明かりがやけに弱弱しく感じる道を走行していた。

 時間は夜9時。人が寝静まるには早すぎる時間のはず。なのに、この静けさはなんだ?

 夜空も月を隠すようまばらに雲が広がっている。この暗さの原因はそのせいか

 「人が倒れてるな」

 「結果だけ言えばね……道路に倒れている人もいるからスピードはこれぐらいでいいかな」

 「いや、もっと早く行ける。道路には誰も倒れてねぇ」

 そう言い切る進の言葉を信じ、金田一はアクセルを踏み込む。やはり、心配なのだろう彼女が。

 俺達がソドムを抜けだし、この周辺に到着したのが3分前。

 ついて早々の驚愕光景がこれ、倒れる人だ。俺達がいく道に沿って人が……いやこのままいくとこの一帯の住人全員だろうか。一度下りて確かめたが息はあり、多少の衰弱が見られる程度、意識はかろうじてあるようだった。俺は病院へ連絡して後をまかせてここにいる。

 「住民はどうしたんだ? バイオテロなのか?」

 「違ぇよ。魔力酔いさ」

 俺の不安を拭うように唯一、平常心を保っている進が窓の外を見ながら呟いた。

 「魔力酔い? 魔力ってあれか魔法を出すみたいな……」

 「そんなもん、そんなもん」

 「投げやり過ぎない?」

 「良いんだよ。魔力が練れない人間や魔術に関わり少ない奴には、魔力なんてとんでもエネルギーは未知の物体Xと変わらん。それが空気中にあって吸いこんだら、風邪みたいな症状がでるのさ。倒れている奴らは魔力に当てられて気絶みたいな状態になってるだけだ……“アレ”は違うがな」

 進が“アレ”と言った瞬間、車が急停止する。いきなりのブレーキがかかった衝撃に、金田一を怒鳴ろうとしたが、あまりに金田一の何かを見つけてしまった顔が絶望に満ちていて言葉を止めた。

 金田一の視線の先へ、俺もゆっくりと顔を傾けた。

 その先、夜の闇が広がる道。車の光に照らされた影が二つ。

 一つは直立した人影。

 二つ目はその影に寄り添うように抱かれる人影。

 俺は瞬きを忘れて車外へ出る。

 それを待っていたかのように雲間から月が顔を出す。

 (――――じゃ! ――――者じゃ!)

 俺は月明りに照らされるその姿を見つめながら、俺の先輩に当たるゲンさんの言葉を思い出していた。

 (おい……おいおいっ! まさか、そんなこと、あるわけねぇだろ?)

 浮かぶシルエットから一人は男、もうひとりは女だ。間違いない。

 ただし、見間違えてはいけない。直立して立っているのは女で、抱かれている“様に見える”のは男ということ。そして――――

 やけに明るい月明りがすべてを照らし始める。 

 「マジかよ……」

 月明りで鮮明になった視界の収まるその女には、足がなかった。

 いや。あるにはあるさ。だけど、それは人のような二足ではなく、一本。

 魚。

 七色に輝く鱗と、水面をかく尾ひれがあった。

 見間違いようもなく、この女の下半身は魚であった。

 その人魚は信じられないという顔をする。

 「どうして、なんですか……」

 直立不動する魚の下半身と、目を覆いたくなくなる美し乳房が隠されることなく、長い“深い緑色”の髪がそれを隠す。

 美しかった翡翠色の瞳はそのままであった。

 「やっぱり、そうなんですね? ……ヒメさん」

 先ほどまでオカマバーの従業員にして、連続殺人犯の容疑者の妻と名乗った女性は、悲しむように目を伏せた。



 9



 「やっぱりなんですね……ヒメさん」

 「来てしまったんですね。みなさん」

 「どういうことなんだ、金田一? 俺はてっきり……」

 俺はてっきり彼女とオリバーが逃亡するとふんでいた。だから、手渡された地図はてっきりオリバーの潜伏地点なのかと……

 「僕も確証はなかったですし、彼女が人魚だなんて思いませんでした。ただ……」

 「ただ?」

 「犯人ではないか、という直感はありました」

 これだ。これなんだ。金田一が出世コースから外されても一課に配属され重宝される理由がこれだ。

 直感。誰もが馬鹿にするかもしれないが、これは当てずっぽうとは違う。

 数多くの情報の中を、研ぎ澄まされた集中力によって事件の真相の端っこを解明する。それが直感なのだ。ひらめきではない。素直な柔軟性ある感受性と、情報の組み立て能力である。

 「どこで気がつきました? 私は車椅子の時点で捜査から外されていると思ったんですけど。本当に歩けませんし」

 「本当に決定打はないんですよ。アリバイだって聞いてないし、どういう経緯でここまでやってこれたのすらわからない。でも、あの時の会話には、あなたの口からは真実しか聞こえてこなかったように感じました。でも、あなたは自分のことを一切話さなかったですよね? それってすごい自信があったからじゃないですか? 人にはわからない。でも絶対の秘策があったとか? でも、それはどうでもよくて……その、あの」

 「……? なにか?」

 口ごもる金田一は顔を赤くさせてモジモジしている。30近い男がなにしてんだ。それに犯人に心配されてんじゃねぇ。

 「その失礼なんですけど……クサイっていうか、臭ったんです」

 その瞬間、心の奥底からヒメが絶望した表情になった。

 俺、ノーコメント。

 「な、なんすかっ先輩!! あのヒメさん、誤解しないでくださいね? そのトリハロメタンっていうか、その下水の臭いが少ししたんです」

 ハッとなる俺達。

 そうか、ハンカチをヒメに渡した金田一は彼女に唯一接近した男だ。下水を通って犯行に及んだとすればその臭いがつく可能性もある。それに下水の臭いは香水や風呂で洗ったとしても犯行は昨日の今日だ。下水のの激臭だ、残っていたとしても不思議ではない。ただ臭いをかぎわけるなんて芸当ができたのは、さりげなく思い人の臭いを少しでも嗅ごうとする思春期並みの恋愛根性があっての結果だろう。まぁ、とりあえず白い目で見ておこう。

 「そ、そうですか。……それでも当たりですよ、金田一さん。私がすべてのやりました。下水を通ってこれたのは人魚の能力である水との一体化を使っていたからですけど……ふふふ。臭いなんて言われちゃった、少し悲しいですね。でも……いえ、もうすこしなんです……だから」

 ヒメの目があやしく光る。

 月明りをあびてさらに美しさを増すヒメから、俺は目を話そうとしてできないことに気がついた。

 (どうなってる!? 目がっ、離せねぇ!?)

 「二人とも、目ぇ覚ませ」

 ポンッと進が俺の肩を叩いた。それがきっかけとなり目を逸らすことが叶い、ドっと溢れた疲労感が俺の膝を崩した。金田一もまた俺と同じように地面にへばりついている。これは、一体?

 「人魚の“魅惑の属性”って奴だ。伝説にもあったろ? 海の男たちを惑わすやつだ。……それにしても人魚の“ヒメ”ね。ネーミングセンスはおカミさんか?」

 「ええ。あの人人間であらせてくれた大切な人。わたしもずっとあの人の下で……なのにっ!!!!」

 キーーーーーーッ

 ヒメが激昂し、声を荒げた瞬間耳の鼓膜が破れるかのような甲高い音が発生した。黒板を爪でひっかくような音に近い。

 黒板やガラスを引っ掻く音で人間が不快な感覚が起こるのは、音の周波数が人間が本能的に嫌悪する周波数であるという説は有名である。それと同じく有名なのが、この音が破壊的なエネルギーをもち、集中させれば発熱から溶解を引き起こす高周波音であるという説だ。

 人の耳では知覚できないが、確実に感覚器官には察知されており、害ある音を察知した感覚器官の危険信号が嫌悪感となって現れるというのだ。

 その音が聞こえないのか、ヒメは抱きかかえていた……いや、体を抱き潰そうとしていた男の首を鷲頭噛むとはるかに彼女よりも体重のありそうな男を宙吊りにした。

 男はすでに絶命しているように見える。顔は彼女の長い爪で切り裂かれて原型がない。首筋は抉られており、歯型がついているから噛みちぎられたのだろう。大量の血液が漏れ出てしまった形跡が足元にあった。

 それ以外にも数々の裂傷や打撲痕が怨みをぶつけたことを物語っていた。

 あの店で見せてくれた笑顔の片鱗はなく、般若の如く顔を歪ませ、目を怒りの感情で、全開にさせたヒメはもの言わぬ男の首を握り締める。

 「なのにっ!! なのに、お前たちが私たちの幸せを奪った。彼は傷つきながらも、やり直すことを望んでいたのに!! オリバーはあなた達から騙されても恨みごと一つ言わず、金を稼いでは返済にあてて、苦しい生活をしていたのにっ!!」

 音が張り裂けんばかりに出力をあげていく。

 耳を塞いでも強引に頭に殴りこんでくる痛みをもつ悲鳴に、俺達も悲鳴をあげる。

 俺は昔に見た人魚の物語を思い出していた。

 その中に歌声で人間たちを誘惑し、魅せられた船が難破するという話があったはずだ。

 ずっと不思議におもっていた。なんで魅せられた船が難破するのか? だが、わかった。みせられた船が難破するのではない。歌声に導かれた船の乗員が、そのまま人魚の声に殺されるのだと。

 誘惑と破壊。両方の性質をもつ人魚。誘惑が導くその先は、死。

 今回、このまま行くと精神が破壊されそうだ。

 「あの日、あのクリスマスに彼は借金返済が終わると喜んでた! だけど金貸しが、組がつぶれてしまったといってあなたたちの場所に行けと言われて、行ったけれど、帰ってこなかった!!」

 (なん……だと!?)

 「私はあの人を一生懸命さがした。でも、どこにもいない。いっぱい探した! ……それでようやく見つけた……あの人は東京のドブ川の底にいたわ」

 「っ!! そんなっ」

 「オリバーが死んでた? じゃあどうして現場にいつも奴の証拠である頭髪があった!?」

 「ごめんなさい。たぶん、これのせいです」

 そう言って彼女は胸元から取りだしたのは一つのアクセサリー。店頭で置いてあるような動物の尾のような品だ。

 「これ、彼の頭髪で出来てるんです」

 「「なっ」」

 「汚水にまみれて、水をたっぷり吸って原型ほとんど残ってっなくて……遺体を見間違えはしません。あれは確実に彼でした。髪だけが、それだけが彼から貰えるものでした。もう彼、動かなくて、あのままじゃ、可哀想で……遺体は火葬しました。自分で最後までやりました。灰を集めるまでずっと、全部ぅ、ぜんぶッッ!!!!!」

 ぐしゃり、と男の首がへし折られる音が静かな住宅街に妙に響き渡った。彼女の細い腕とは反比例した腕力に度肝を抜かれるが、それ以上に、その瞬間にヒメが微笑したことにこれまで以上の危険を感じた。

 「一番初めに殺した女が言ったの。私が彼が帰ってこないって何度も訪ねたことに迷惑でもしたんでしょうね……わりと簡単に話してくれたわ。あの日、彼が大金をもってあなた達のアジトにしていた二番目の女の部屋に現れた。彼は全額をあなた達に渡した。なのに、あなた達は味をしめて増額を要求した! それを拒んだ彼を、あなた達は警察に渡して懸賞を得るため捕まえようとして、何度も何度も無抵抗の彼を殴りつけて……あげく、殺したですって!?」

 どこまでも金を絞り取ろうとした人間たちが引き起こした殺人がすべての始まり。それがさらなる悲劇と惨劇を起こすと、彼らは一切考えもしなかったのだろう。

 「死んだ懸賞金首をさし渡しても、ごくたまに懸賞金がもらえる時がある。けど、あなた達は不味いと思った。自分たちの住んでる日本は殺人を犯した者には冷たい国だから。情報がもれれば、おいしい仕事ができなくなるかも……だから、彼の死体を底の深いドブに捨てた? 身元不明の奴なんて誰も探なない? 誰も悲しまない?」

 ヒメがようやく笑みをつくる。目に涙を溜め、噴き出る怨恨の業火に口を裂いて笑う。

 「あの女は足が使えない自分より格下に見えた私に、笑いながら言ったわっ!! ゴミダメに生きてるような奴は生きる資格なんてないって!!! 少しは私たち“真っ当に”生きてる自分たちのためになれって!!? ふざけるなっ! 一秒先に自分たちの命があることを至極当然のようにしている奴らが!!

 生きていられる場所あることがどれだけ贅沢で、尊く、ありがたいものなのだと頭で考えてやっとわかるような者たちに、私たちの……彼の生きる資格を勝手に決めつけられてたまるかっ!!」

 ヒメが死んだ男の顔へ顔を近づける。 

 「……まだよ。この世界であの人が粉になってしまったのに、あなた達が肉体をもってるなんて……許されないでしょう?」

 ヒメがはぁぁと、息を吸い込む。

 「やめっ」

 「伏せろっ!」

 このままではいけない、と直感した俺は静止の声をあげ、進はそんな俺の頭を掴んで、地面へ押し倒す。

 そして――――――



 「ァゥ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――」



 俺は彼女が男の死体に向かって叫んだこと目視したが、彼女の声は聞こえない。

 進により強引に耳を塞がれたからではない。

 あまりの轟音に耳が瞬間的に機能不全を起こしたのだ。

 声はそれだけにとどまらず周囲を振るわせ、いや、周囲を音が空気を振るわせることで伝わる様に、高威力すぎる音に周囲へ破壊現象を引き起こす。

 拡散する波動は俺達を強引に吹き飛ばす。

 目の前で爆弾が爆発したような現象を受け、俺が意識をとり戻したのは時計で確認すると……10秒後。

 その数秒で、光景がガラリと変わっていた。

 周囲は破壊の衝撃で巻き上がった粉塵。ひび割れたコンクリートの道と立ち並ぶ家々が亀裂が生まれていた。

 そして、その中心で立つ人魚の手にはなにもない。男がいた痕跡を示すように白い灰が下に積もっていた。

 目の前の光景を愕然とみている俺達とは違うのか、冷静な進は男がたどった末路を分析する。

 「声による超振動ってところか……全身の細胞から水分を蒸発させてっ、その前に純粋な破壊エネルギーを全身に浴びて分子レベルで破壊されていたかもしれないが、な……で、そっちはもうスッキリしたのか?」

 「……ええ」

 進の問いかけに応えるヒメ。その肯定の声に俺達は安堵したが、進だけは違った。

 「嘘だね」

 全員の視線が俺の横に佇む進へと向けられる。

 進は不敵な笑みで告げる。それに対し、人魚は表情を無くした。

 「…………」

 「なにを……言ってるんだ、進君?」

 「金田一さん、この事件の被害者は何人だよ?」

 「それはオリバーを殺した4……いや、そうじゃない」

 「そうだ、この事件で殺されたのは5人。おカミさんが言っていた四人は東京で殺されたホステス二人と男、そして今真っ白になったソイツだ。……なら、昨日、殺された奴はなんだ?」

 答えに応える者はない。

 昨日の今日であるが、現場証拠と犯行現場近くのクラブから連絡が取れない女性従業員がいると報告は受けていた。

 四件目も何らかの繋がりがあると警察は見ていたのだが……

 でも、違うのなら……どうして四件目の人物はなんの目的で殺されたのだ?

 「四人の関係者ってことも考えられるけどな。でも、アンタは四人がオリバーを殺したということを知っていたから四人を殺した、最愛の人を殺した怨むべき相手として。なぁ、もしかしてアンタ――――」

 改めて血に濡れた人魚を視る。俺も警察のはしくれ、復讐を終えた人間を何度も見てきた経験もある。彼らは大抵、目的を失い、空虚な人形のような無気力さを復讐の代償のように身に宿す。

 だが、この人魚は違う。

 深い翡翠色の瞳はほほ笑みに歪む。

 “あたらしい獲物”を見つけたと言わんばかりに、捕食者の笑みが人魚に張り付いていた。

 「――――アンタ、人間を殺し足りないんだろう?」

 「殺し足りない!? まて、進。どういうことだ?」

 「人魚に関わらず、魔族ってひとくくりに呼ばれる奴らのほとんどは闘争本能が人間よりも強く、本能的に人を襲う奴らが多いが、友好的な奴もいるんだよ。そんな温和な奴らでも、自分たちの血に刻まれた闘争本能ってのにはやっぱりある。いくら人を愛していようと、一度殺戮の快楽を、血の味を覚えたら、どうだ?」

 進は余裕のある笑みを捨て、無表情に吐いて捨てた。

 進の問いかけに、一連の事件の殺し方に差があることが話題になったことがあったことを思い出した。二人のホステスは女性だから体が残されていたのではないか。男に直接的な原因が、など多く推測が上がったがどれもピンとこなかった。

 そして、進の話を聞いて繋がった。

 怨恨の多さではない。一人、一人殺していくうちに破壊衝動が強くなっていったことによる殺害方法の苛烈化だったのだ。

 江戸時代の終期に肉を煮る上手さに気がつき、肉の食文化が拡大したように。この人魚は自らの血に潜んでいた殺害本能を呼び覚ましてしまったのだろう。

 人魚は今の話を否定もせずに、爛爛とこちらを見つめる。発情した獣がつがいを求めるがごとく、殺したくてしかたないという圧力が伝わってくる。

 「まさか、ここに来るまでの倒れていた人たちは?」

 「直接的じゃねぇが、アイツがここまで来た時に下水道を通ったって言ってたろ? 水との一体化ってのは自分を水質化させるってことだ。そんな不安定な状態じゃ魔力は体から駄々漏れだ。だから、水路に沿って、あんな殺人衝動に汚染された呪力が体を害した結果だろうな」

 人を殺すという意思だけで人間を害する存在になり果てたヒメは喉をカラカラと震わせ笑う。もう、あの朗らかな笑みの面影はない。

 「キィヒヒヒャヒャヒャ!! 違う、違うっ、違うわ!! あの人の声が聞こえるんです! 自分を苦しめた奴らを殺してくれって! ボクの無念を晴らしてって! そう、そうよ! 次はあの人のお母さんを殺した故郷の奴ら!! ええ、ええ、ええ!! オリバー、貴方のために、貴方の願いはすべて叶えてあげる!! ゼンブ、人間なんて全部っ、殺して、コロシテ、殺しつくしてあげるの!!」

 「……アンタの旦那はずいぶんと悪人なんだな。そういう奴だったのか?」

 「違うわ!! 彼は優しい人だった! ひとを殺してなんて言わないわ!」

 目茶苦茶であった。ヒメの言葉にはもう一貫性はない。

 「見ちゃいられねぇな。おカミさんが止めてくれってのは、こういうことか」

 「ヒメさんっ! もう止めてくれ! もう終わったじゃないか!」

 「金田一、もう……無理だ」

 「無理じゃないです! きっと話せば――――」

 「おっと、ここからは通行止めだ」

 ヒメを説得しようと、一歩踏み出す金田一を進が手で塞いで止める。

 「止めないでよ、進くん! まだ」

 「無理だ。もうわかってるだろう。一目ぼれしたんなら、今のアイツがどれほど醜いかわかるだろう? ……綺麗なままで、旦那のところに送ろうぜ」

 「でも、くそぉ……ちくしょう」

 それきり、金田一は黙りこんで嗚咽し、涙を流す。 

 紅の目線は荒ぶる人魚姫から外さす、手をひっこめて自分が一歩踏み出す。

 首を捻り、関節を鳴らす。体を前傾にし、全力疾走のかまえを取る。

 「そういうことだ。こっから、先は契約外だ。荒めに行くから、アンタらはそこ、動くなよ?」

 軽く手をこちらにふり、まるで近所のコンビニに歩き出すような声とともに、殺意にまみれた人魚姫へ駆けだす。

 始め、俺たちとヒメとの間は十メートルほどであったが、今は飛ばされて15メートルといったところだ。

 その間を、一秒と経たぬ時間で約半分を走破。

 (速い!!)

 矢の如き速さで間を無くしていく進。

 だが、人魚が鋭く息を吸い込む速度のほうが早かった。

 「ァゥ―――――――――――――――――――」

 殺した実感を掴む人魚が破壊の歌声を放った。空気の濁流が彼女を中心に放たれ――――

 「ガァァァッ!!!」

 進が爆発と見紛うほどの大声を叩きつける。

 瞬間的に不可視の力場が衝突し、閃光のような衝撃音が世界を支配した。

 ぶつかり合った音同士が互いをかき消し合い、音による破壊の嵐を対消滅させた。

 だが、余波はきた。目を塞ぎたくなる風圧と粉塵が巻き起こる。

 そんな中、俺は見た。

 覆いかぶさるような粉塵を払いのけ、不可視の袋を破り裂いて現れた真っ黒な大剣が、驚愕に目を見開いた人魚の肩口へと振り落とされ、彼女の斜めに切り裂いた瞬間を。

 「―――――――」

 そして、切り捨てた進の口が“すまねぇ”と紡ぎ、天を見上げながら倒れた人魚が“ありがとう”呟いたのを。

 俺達、二人はなにも出来ずに見届けた。

 グっと歯を食いしばり、叫びたくなる気持ちを抑えて、見届けた。



 10


 

 「――――ホントはね、あの子が壊れていったことには気がついていたの」

 そうオカマが呟いたのを、俺は馬鹿みたいに晴れ渡った空に紫煙を吐きながら聞いていた。

 「事件がはじまって数日後には私はあの子が犯人だって知ってたわ。それでも見ぬふりしたの。だって、あの子の気持ちが痛いほどわかった。私も昔、自分の愛した女を失っているからね」

 あれから、一日。あの後、人魚の最後と“遺言”見届け遺体を回収し、ソドムに戻った。

 世間ではあの大量意識喪失者事件を大規模なガス漏れということで処理されたようだと連絡が入った。

 だが、連続殺人犯については未だ不明。そのまま迷宮入りとなる様子を見せているとも仲間は言っていた。

 実際、事件は終わりなのだ。犯人は死に。もう無残な死体ができることはない。そして、いつかはこんな事件があったことすら忘れて人々は営みをし続ける。

 陰惨な事件の裏で、明るい人生を奪われても必死に生きようとした男と、その男を一途に愛した人魚姫の悲劇があったことなど知らずに……

 「全部、私の我がままだった。あの子が元の優しい子のままでいてくれるって信じ切ってしまった。そのせいで気がついた時にはあの子は血に飢えたバケモノになってしまったの」

 「人魚だってことにも気がついていたのか?」

 「ええ。こんな稼業をしてる人間は魔術世界にどっぷりつかっている人間ばっかりよ。私、実はすごいのよ」

 「見りゃわかるさ。じゃぁ、オリバーは?」

 「知ってたわ。隠すつもりでいたんだけど、ある時ヒメちゃんが人魚化してるときを見ちゃったんだって。あの子の人間の足はね、人魚姫の伝説に出てくるモノとほぼ同じものなの。だから歩くと激痛が走るから車椅子だったんだけど、長時間の使用は無理で6時間程度が限度。丁度時間切れの瞬間を見られたのね。でも、オリバーは言ったそうよ。本当に綺麗な人魚姫がいたんだって、お母さんの話してくれたお伽話は本当だったんだって喜んだそうよ」

 「……そうか」

 俺はそんな話の光景が見えたような気がした。

 俺はポケットからハンカチを出して目元をぬぐった。

 おカミの服装は喪服。カツラもそれに合わせた黒髪のオカッパ。俺も、そして横で目の前の十字架に手を会わせ続ける金田一も喪服であった。

 現在俺達はソドムの東端にある墓地に来ていた。ソドム最大の墓地は海に面しており、風景として申し分ないロケーションであったため、ソドムの有力者たちから鎮魂の場にふさわしいとされた場所であるらしい。よく整備された墓地の海側に、新しく“一つ”の十字架が立てられた。

 刻まれた名は、オリバー・カーンズ。とその横にはヒメ・カーンズと彫られていた。

 事件の後、俺達はヒメの暮らしていたというアパートの部屋を訪れた。六畳ほどの小さな部屋。そこには家具一つなく、殺風景なそこの中央に灰が入った小さな壺がおかれていた。それがオリバーのモノだと納得した俺達は、同じく火葬したヒメの遺灰とともに、この場に埋めた。

 「ソドムが火葬だったことのほうが驚きだ」

 「大抵はね。昔はソドムも整備されてなくてね。墓なんてすぐ荒されたから、火葬にして灰にしてあげたほうがいいってことになったのかもね」

 祈りを終えたのか、金田一は立ちあがっておカミの手へとあるモノを渡す。

 「これって……」

 「ヒメさんから預かった指輪です。あなたへ返してほしいと頼まれました」

 「…………」

 「あと、伝言です。“魔術師に追われ、死にかけていた私を人魚と知ってて助けてくれたこと、そして彼と私を引き合わせてくれて、ありがとう、すいません”、と言っていました」

 風が凪いだ。優しい春の風が人気のない墓地をかけぬける。

 どこか、それがサヨウナラと言っているようであった。

 「ふふ、馬鹿ね。あなたの悪い癖よ、最後にスイマセンって言うの」

 おカミの声は震えていた。涙に揺らぐその顔を俺は見れなかった。

 「この指輪は、あなた達にあげたのよ。だから、ずっと二人で大切に持っていなさい、いいこと?」

 そう優しく言って、十字架の根元に指輪を埋める。

 この時、俺はヒメがどうして彼が死んでいることを始めに言わなかったかを察した。始めに言ってしまえばオリバーが犯人である線は完全に消え、捜査妨害することもできなはずなのに、彼女はしなかった。

 それは死後までが夫婦としての永遠の愛の誓いの期間だからだ。彼が死んだ事実は、同時に結婚の約束が破棄されてしまうことにつながり、嵌めている指輪もただの過去の産物に変えられてしまう。

 それは彼女には耐えがたいものだったに違いない。彼の命が強引に奪われ、誓いの絆すらもはく奪されてしまうことは何としても避けたかった。だから、オリバーの死を隠したのだろう。彼の不名誉を拭うより、彼と自分の愛を優先させたかった人魚姫の唯一の我がまま。

 死後、夫婦の契約は切れるというが、これで彼女たちは天国でも仲むつまじい夫婦でいられることだろう。

 「……もう行くわ」

 「送ろうか?」

 「いいわ。でも、そうね。また、店で待ってるわ。明智さん、金田一ちゃん。今度はだっぷりサービスしちゃうわ」

 「ああ、頼むよ」

 おカミの顔にはもう悲しみはなかった。悲しい気持ちを呑みこんで、今日もこのオカマは自分を頼る人間に笑顔を振りまくために懸命に生きるのだろう。

 それがどこか美しいと思い、それが“彼女”の人の良さなのだと感じた。

 俺達も無言で頷きあい、墓地を後にする。

 墓地の入口で待たせていた進がこちらに気がつき、近づいてきた。

 「もういいのか?」 

 「うん。……進くんは、いいの?」

 「イイもなにも、奥さん斬った奴が墓前にいたんじゃ、旦那の霊は気が気じゃないだろう? ……ここから祈るだけで十分さ」

 「そうか」

 金田一は笑顔で頷き、もう一度振り返り、呟く。

 「……どうか、天国でお幸せに」

 「……行くか、金田一」

 「はい」

 俺達はもう振り返らずに、ソドム的なバスであるトラックの荷台に乗り込んで、西へと戻る。

 そうして、事件は終わり告げた。



 11



 ――――はずだったのに。

 「お待ちしてましたよ、明智警部。金田一警部補」

 このまま、帰ってビール飲んで、寝るはずだったのに。

 「……なんだ、お前ら」

 どうして、武装した奴らに囲まれライフルを突き付けられねばならん。

 現在位置は、始めてソドムに入った入口の前。ここから出ようとした瞬間、怒涛の勢いで付近に隠れていたコイツらに囲まれた訳だが……

 顔面まで覆い尽くすプロテクターというフル装備の奴らを指揮する男が口を開いた。この男はその中でも浮いてみえる。この殺伐とした中で満面の笑顔と軽装といえる仕立ての良さそうなスーツ。ワザとアホ毛がぴょんと立たせつつ、揃えられ整えられた頭髪の30歳とも20ともわからぬ男は好意的に語る。

 「安心してください。我々はあなたの敵じゃないし、命を取ろうとも思ってません。ただ、人生をください」

 「どこが安心できるんじゃボケ!」

 「あっ、違いますよ。私は至ってノーマルですので」

 「違う! 安心なんて言っておいて銃を向けてるじゃねぇよってことだ」

 「あ、それですか。申し訳ありません、そこの魔王に一度痛い目を受けていましてね、ええ。これでもわりと安心できないくらいでして」

 「魔王?」

 「そこの今にもあくびしそうなクソガキですよ。ぶっちゃけ私も次に会ったら殺してやる程度は考えていたんです。……また、会いましたね? 進・カーネル」

 そこ、と指さされた進はこの状況をなんとも感じてないらしく、あくびしている。

 「本当にあくびするとは……あなたが(ジン)の忘れ形見で、我が友の弟でなければ殺したいくらいですよ」

 「え? できるのか?」

 「コロスッ! 全部隊発砲開始!! 全弾撃ち尽くしてでもこのガキを地面に沈めろっ!!」

 いきなりの発砲命令。だが、笑顔を夜叉に変えた男とは違い。銃口をむけている部隊の連中にはそこまで怨みはないようで、そこまですることないよな~的な緩い空気になった。一度、痛い目を受けたのは彼一人だけなのかもしれない。

 「なにぃしてるぅ!? 殺せ! キル! ゼムオール! ファイ…痛っ!?」

 「この青リンゴがっ、なに馬鹿やっとんじゃ」

 怒り狂う男を止めに入ったのは腰が曲がり始めた初老の男性。

 我が先輩、大場 源氏であった。

 「ゲンさん! なにやってんだっ!」

 「なにを? こりゃ! おめぇさん何やってた!」

 「えぇ、そのムカつくガキが痛っ!?」

 「まだ言っておるのかっ、助けられたのはこっちじゃろうが!」

 「ですがこともあろうにコイツは姫殿下を、我らの姫さまをぉ!? すみませんでした! もう殴らないで! 地味に痛いんですから……ウゥッフォン! ……さて、お二方、本題を率直に申しますと、貴方方を我々は迎えたいのです。我ら、外異管理対策部に」

 壮絶なテンションの切り替えしに引き気味になりつつ、最後に聞こえた耳にしたことがない部署の名。

 外異管理対策部? なんだ、その無茶苦茶な名前は?

 「言ってしまえば、今回貴方たちの経験した人ならざる者たちや、この国に害を及ぼすとされた魔道から国を守る公的機関ということです。ただ重要なところは“公的”! そこのガキのような民間ではなく選ばれた宮内庁ちょく――痛っ!?」

 「しゃべりすぎじゃ馬鹿者。そうお前たちはジンガイに触れた。もう何もしらぬ一般人ではない。だから、私らと共にこい。……もしかすれば今回のような悲劇を止めることも可能だろう」

 「あんた、まさか知ってて」

 「いや、ここまでとは知らんかった。なにせ、うちは人材不足。戦力はこの馬鹿ともう一人だけじゃしな……だが、心配いらん。有能なのが二人増えたからの。もう人事は(無理やり)通したしな。頑張れよ、二人とも」

 「はいっ! 金田一 次郎。ヒメさんのような人を出さぬように粉骨砕身努めます!」

 「ちょっと待て! こいつはイイかもしれんがおれの立場は!」

 「しらん」

 「認めん! 絶対に認めん! 俺は帰るっ! ぅ、な、なんでお前ら俺をはがいじめにする!? 離せぇぇ! 俺は今日帰ってビールを飲むんだ! ついでに冷蔵庫に残った“豚まん”を喰うんだぁぁぁっ!」

 そのまま連行され、俺は突如現れた高そうな黒塗りのベンツへと投げ入れられ、連れ去られる。

 逃げたい一心で窓ガラスから助けを呼ぶ俺は、窓越しに「豚まん? 肉まんと、どう違うんだ?」と呟いている進に助けを求めたが、その違いに頭がいっぱいのようで助けてくれる気配がない。

 別に違いなんてねぇ!!

 無情にも車は発進し、ソドムの正門へと向かッていく。

 認めん。俺は認めんぞ! 

 「こんな左遷があぅってたまるかぁ!!」

 俺の声は車外へでることはなかった。



 12


 数分が経ち、車は新東京へと出た。

 整備された道を進む車内は静かなものだった。

 諦めがついた俺は、それでもたまらずに窓の外を見る。

 その瞬間、反対車線が突如荒れた。

 「なんだ?」

 数メートル先にある、いかにも高級車な黒塗りのリムジンが急停車した結果のようだ。

 その車から東京にある有名な進学校の制服を着た女子高校生が飛び出し、目を見張る速度で駆け出していった。すれ違いに見えた亜麻色の髪をなびかせてダッシュして消えていった少女と俺は面識があった。

 「ありゃ、九重(ここのえ) 撫子(なでしこ)じゃねぇか」

 「明智先輩、知ってるんですか?」

 「ああ。ドレイク・V・ノスフェラは知ってるだろう? あのいけすかない金持ち社長。あれの養女だよ。新都庁完成パーティに呼ばれた時に、あの子と少し話をしたことがあってな」

 「へ~」

 金田一は聞いてきたくせにやけに淡白な答えを返して、落ち着きなくソワソワしながら車内に目を戻した。これから行く場所への興味の方が強かったのだろう。

 (……そうだな。今は俺も他人の心配している場合じゃないか)

 


 エピローグ



 急激な人生転換期を迎えていた俺にはこの時彼女、九重 撫子がなにを焦って飛び出したのか考えもしなかった。

 そして、肉まんと豚まんの違いを教えなかったために、進が時間をかけて豚まん探しのコンビニめぐりを初めてしまったことなど、知りもせず、考えもしなかった。

 これが始まりの“直前”の物語。

 ゼロから始まりの中間地点の物語。

 ここで俺がなんらかの介入をしていれば、今の状況に変化があったかもしれない。そういう場所にいたってことだ。

 まぁ、何かしていたら良い方向に転んだかどうかは、わからないがな。

 あぁ、そうさ。ただの愚痴だよ。

 本当に、人生、わからんもんだよ。



     外異管理対策部所属 明智 草十朗。日記項目、第“四”次世界大戦前夜、から抜粋。


 

                                 report1 end



                      

 おはようございます。桐織 陽です。


 今回は本編の一章がはじまる直前にあった物語でありました。なぜ進が豚まんを探していたのかが最後に書かれていましたが……後付けじゃないよ……

 

 

 アウトの方は、本編が進んでいくと同時に書いていきますので、更新が本編と比較しても不定期となります。


 今回はこのあたりで、ここまで読んでくださった方々に感謝を。


 

                        桐織 陽



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ