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2歳の息子と異世界転移——賢者と呼ばれた我が子の隠された秘密  作者: 梅丸みかん


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第41話 春の訪れを乱すもの

 地表を覆っていた雪はすっかり消え、あちこちに小さな緑色の花芽が顔を出していた。

 春の兆しが、まだ寒さを残す大地に静かに息吹を運んでいる。


 最近は暖かい日が増え、私は理玖を連れて村の広場へ出ることが多くなった。

 サーシャと一緒に遊ばせる時間も増え、子供たちの笑い声が広場に響く。

 仕事を終えたラウロやシュシュも時折混ざり、その声がさらに賑やかさを増していた。


「リク、すごいぞ! 今度は竜巻だ!」

 ラウロの声に応えて、理玖は両手を高く上げる。


 すると、地面から風が湧き上がり、くるくると回転しながら広場を縦横無尽に駆け回った。

 不思議なことに、理玖は呪文も魔術式も使わず、魔法を自在に操っている。


 日々、その力は着実に成長しているのだ。

 先代賢者が書き残した魔法の書をことごとく無視し、ラウロの指示に合わせて、理玖の魔法が動く。



 ……おかしい。

 仕組みが違うはずなのに、噛み合いすぎている。


 理由は分からない。

 けれど――今は、それでいい。


 広場を駆け回る子供たちの声、柔らかい陽射しに揺れる草花、風の匂い。

 小さな魔法の竜巻は、そんな日常の中に、ほんの少しだけ異世界の色を添えていた。


「子供たちの声は、気持ちを朗らかにするものですな」

 理玖たちが広場を走り回る姿に目を細めながら、長老がゆっくりと近づいてきた。

 長年この村で生きてきた者の落ち着いた雰囲気が、子供たちのはしゃぐ声と不思議な調和を作っている。


「イオリ様とリク様が来てから、子供たちだけでなく村全体が明るくなった。本当に感謝しておるのですぞ」

 その言葉に、私の胸の奥がじんわりと温かくなる。


「長老……感謝するのはこちらの方です。私、大したことはできないのに、食材も衣服も、それに生活用品まで十分に用意してくれて、ありがたく思っています」


 言葉にしながらも、私の心はどこかで安心を求めていたのかもしれない。

 村人たちが笑顔で過ごす姿を思い浮かべると、不思議と力が湧いてくるようだった。


「大したことはできないと、イオリ様は今そうおっしゃいましたか? ですが、イオリ様が作ってくれたアロウ軟膏もアロウローションも村のみんなは重宝しておるようですぞ」


「本当ですか? そう言ってもらえると嬉しい」

 長老の言葉は、私を励ますためのものかもしれない。

 それでも、誰かの役に立てたという実感は、心をすーっと軽くしてくれた。


「本当ですとも。先日、ゼン婆様が思い切り箪笥の上にぶつけてできた青あざも、イオリ様の軟膏で瞬く間に消えたと言っておりましたぞ」


「まあ、そうなんですか? でも、ゼン婆さん、意外とそそっかしいのですね」

 口に出すと自然と笑みがこぼれた。


「そうですな。彼女は、いつもセカセカと動き回っておりますからなぁ」

 長老はその姿を思い浮かべているかのように、遠くを見つめた。

 その目には、長い年月を共に生きてきた人々への深い愛情が滲んでいる。


「ところで、もうすぐ、桜祭りの時期なのですよ」

「桜祭り?」

 少し首を傾げて尋ねると、長老は穏やかに微笑んだ。


「ええ、先代賢者が春は桜の時期だと言って、彼がいた頃は毎年、桜の木の下で宴を開いていたのですよ」

 なるほど。つまり、お花見——ということなのね。


 私は先代賢者はどれだけ日本の文化を取り入れているのよと心の中で突っ込んだ。

 だが、桜の木がこの村にあるという事実は、素直に喜ばしい。


 春の訪れとともに、子供たちや村人たちと笑顔を交わすひとときがある——それだけでも心は満たされる。

 色々悩むことはあるけれど、ジタバタしてもどうしようもない。


 理玖の将来だって、今の私には答えが見えない。

 ならば、今この瞬間を楽しもう——そう思った。


「かあしゃん、見て見て! 風が僕の手から出てる!」

 理玖が小さな手を空にかざすと、ふわりと風の渦が巻き上がる。


 くるくると回転し、地面から天へと舞い上がる風に理玖は大喜びだ。

 その姿を見て、私は思わず笑みをこぼした。


 陽光に照らされる広場、芽吹き始めた草木、子供たちの無邪気な笑い声。

 小さな幸せが、日常の中に静かに広がっていくのを感じながら、私は深く息を吸った。


 その時、小海の方からラフさんがこちらに駆けてくるのが見えた。

 足取りは速く、息が荒い。雪解け水が跳ね、髪が乱れている。



「お父っー!」

 声が広場の空気を震わせる。子供たちの遊ぶ声も、一瞬止まったように感じた。


 ああ、そういえば長老はラフさんの父親だったっけ。

 緊張感が漂う空気の中、私はそんなことを思い出した。


「おや、ラフではないですか。どうしました? そんなに慌てて」

 長老は穏やかに眉を上げる。


 しかし、その声の中には軽い不安も混じっているのがわかった。


「大変だ。白狼族が……」

 ラフさんは息を切らしながら、言葉をかろうじて紡いだ。

 胸の上下に合わせて呼吸が荒く、手も小刻みに震えている。


「白狼族? 彼らは結界内に入れないはず……ですよね」

 私も思わず声をあげる。


「そうなんですけど……お父、ちょっと、耳、貸してくれるか?」

 ラフさんは長老の耳元へ身を寄せ、低い声で何かを囁く。

 長老の眉が一瞬ぴくりと動く。しかし、すぐに落ち着いた表情に戻った。


「……跪いている、とな」

 長老の目が、わずかに細められる。


「降伏か、あるいは……願いか」

 小さく呟いたあと、ゆっくりと首を振った。


「いずれにせよ、結界内には入れないでしょう。すぐに危険はありませんが――油断は禁物ですな」

「ああ……しばらく注意しておくようにしますわ」

 ラフさんの声に警戒が混じる。


「あ、あの……白狼族がどうしたんですか?」

 私も思わず問いかける。目の前で内緒話されてしまった以上、気にならないわけがなかった。

 ラフさんは一瞬、長老に視線を向けた。長老は了承を示すように軽くうなずいた。


「そうですね。ラフの様子にイオリ様だって気になるでしょう。ラフ、イオリ様にも話しておやりなさい」

「わかった。実はですね……小海の森の結界の外で、白狼族がずらりと並んで跪いているんです」

 ラフさんの言葉が、風に乗って私の胸に重く響く。



「白狼族が……?」

 自然と声が震え、胸の奥がざわりと波打つ。


 ――跪いている?


 その言葉を聞いた瞬間、小海で見たあの子供の姿が脳裏をよぎった。


 白い髪の、小さな背中。

 あのときの光景が、ふいに脳裏をよぎる。


 ざわり、と胸の奥が揺れた。

 理由は分からない。

 けれど――目を逸らしてはいけない気がした。



 長老は細めた目で遠く小海の方を見つめている。

 やがて、ぽつりと呟いた。


「……妙ですな」

 低く、重みのある声だった。


「あのものたちは誇り高いといわれている種族のはずですが……」

 長老は眉間に皺を寄せ考え込む。


「誇りを捨ててまで頭を垂れる理由がある、ということかもしれません」

「理由がある……?」

 思わず聞き返す。


「ええ。わしらに向けて、何かを伝えようとしている可能性が高い」

 その言葉に、胸の奥が小さく揺れた。


 ――伝える? 何を?

 ラウロの警戒する様子が脳裏をよぎる。


 だが同時に、小海で見たあの子供の姿も浮かんだ。

 長老は続ける。


「ただし――」

 声がわずかに引き締まる。


「それが友好的なものかどうかは、別問題です」

 広場を見渡す。

 遊んでいた子供たちは、不安げにこちらを見ている。


「結界内には入れません。ゆえに、即座に危険が及ぶことはないでしょう」

 穏やかに言いながらも、その視線は鋭いままだ。


「ですが、油断は禁物ですな。それが救いを求めるものか、あるいは別の思惑か……今の段階では判断できませんからな。ラフ、しばらく様子を見ることにしましょう。何か変化があれば報告するのです」


「わかった。今まで以上に警戒するよ」

 ラフさんはそう答えると、再び小海の方へ踵を返した。

 私はその後ろ姿を見つめる。


 静かな森の景色の向こうに見えないはずの光景を思い描く。


 春先のやわらかな陽射しの中に届いた知らせは、平穏な空気を一気にかき乱したのだった。


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