あの炭酸飲料
天然炭酸水が湧く場所は地球の各地にあるし、日本にもあったと聞いたことがある。
それでも、これまで目にする機会はなかった。
異世界で初めて発見するなんて、なんと素敵な偶然。いや、奇跡だ。
おかげで――あの、世界で最も親しまれている炭酸飲料を作ることだってできる!
チナミは目を輝かせて力説した。
「これがおいしくなるんですよ! このお水を使えば、大人から子どもまで楽しめるおいしい飲みものが、たくさんできちゃうんです!」
今まではエールやシャンパンでしか味わえなかった炭酸が、これからはいつでも飲めるようになる。
アルコールではないので、メルのようなお子様だってOK。
これは、異世界の革命だ。
――といっても、グルーシャ村まで来ないと飲めないんだけど。
炭酸ガスは空気に溶ける性質がある。
これまで、天然炭酸水の噂が王都に伝わっていなかったのは、村内のみで楽しんでいたからなのだろう。だから今までその存在すら知らなかった。
羨ましい。いっそこの天然炭酸水のためだけに、グルーシャ村に定住したい。
「こんな時、あってよかったマジックバッグ! あぁ、エナちゃんにも飲ませてあげたい……この感動を分かち合いたい……」
高価で希少なマジックバッグを渡してくれたエナのおかげで、より多く炭酸水を味わうことができる。これまで何度も心の中で感謝を伝えてきたけれど、今日ほど彼女への尊敬が極まったことはない。正しい意味で聖女。
周囲との温度差などものともせず、チナミはうきうきしながらマジックバッグを探る。
そして、再び愕然とした。
「水を入れられる空いた容器がない……マジックバッグの容量も限界に近い……」
ルドウィンが魔法で便利に生活水を生み出してくれたおかげで、マジックバッグに備蓄していた水をほとんど使っていなかった。
同じように、食材も現地調達のおかげで増えていて、容量の八割以上を占めている。
絶望に打ちひしがれるチナミの前で、ルドウィンが何かを取り出す。
それは、大きな貯水瓶だった。
「いざという時に水を分けられるよう、空の容器を持ち歩いているんだ。いくつかあるから全部使っていい。それを、俺のマジックバッグに入れよう」
彼は何でもないことのように笑っていて、チナミは恥ずかしくなった。
人に水を分けようと考えること自体が、さすが元騎士団長といえる。マジックバッグの容量にも限度はあるから、自分を優先して当然なのに。
ルドウィンの崇高な理念に比べ、チナミの醜さといったら。利己的な欲望の赴くまま一喜一憂して。
「私が飲みたいだけなのに、駄目ですよ……」
「チナミがおいしいというなら、きっとそうなんだろう。俺もぜひ飲みたくなった」
「……あんまり、甘やかさないでください」
「俺が甘やかしたいんだと言っただろう」
ルドウィンの笑顔がやけに眩しく感じて、小さく感謝を告げながら目を逸らした。
本当に、口説くかのような言動は控えてほしい。
今なら真に受けてしまう。
チナミは天然炭酸水を汲みはじめると、甘くなりそうな話題を変えた。
「ルドウィンさんも、マジックバッグを持ってるんですね。とても希少価値が高いと聞いてますが」
これまで、彼がマジックバッグを使っている場面を目にして来なかった。
確かに軽装だと思っていたが、男性の一人旅とはそういうものかと納得していた。
そこまで興味がなかったとも言えるし、詮索するのは失礼だと考えてもいた。
しかも、彼のマジックバッグは小さい。
コインケースくらいの大きさしかないのに、大きな貯水瓶が簡単に消えていく。
ルドウィンは、さらにたくさん空の貯水瓶を出しながら答えた。
「魔道具とは、魔法陣によって魔力を定着させた道具のこと。つまり発祥は……」
「あぁ――魔族領、ですか」
「その通り。便利だろ?」
しみじみと頷きつつ、ルドウィンのマジックバッグをじっくり観察する。
よく見ると、チナミが持っているものより魔法陣が複雑で精巧だ。もしかしたら性能もはるかに上かもしれない。
人族の国で魔道具は高級品だ。
上級貴族しか持てないほどで、それにより権威を主張しているのだから、何とも皮肉なものだった。
実際は、彼らが恐れ忌み嫌う、魔族が生み出したものなのに。
何はともあれ、心ゆくまで天然炭酸水を溜め込んだ一行は、再びグルーシャに向けて出発した。
なだらかな起伏のある丘陵地帯に村はあった。
着く頃には日が暮れはじめていて、今夜の宿探しに苦労しそうだ。
そして、村の奥にそびえる崖がよく見える。
魔族領との国境だという、ゾディアス断崖。
夕焼けに黒々とした陰影を浮かべ、異様な存在感を放っている。
――ついに、ここまで来た……。
魔族領には、何が待ち受けているのだろう。
グルーシャの村人は、一体どのような暮らしをしているのか。
緊張しながらも村を進んでいく。
まずは宿屋を目指すべきだが、ソルタ村に似た素朴な街並みを見ていれば、そういったものはないような気がする。
宿泊施設は、観光名所や交通の便がいい場所、要所との中継地点などにできるものだ。魔族領との境に存在するグルーシャ村は、残念ながらそのどれにも該当しない。
「こういう場合、どこに行けばいいんでしょう?」
「村長の家とかが定番だな。あとは、教会があれば一泊くらい――……」
ルドウィンの返事が途切れるのと同時に、小さな教会が見えてきた。
茜色が照り映える、白い建物。
素朴な木製の民家とは違って、漆喰の頑健な造りをしている。
村の規模に合わせた小ぢんまりとした教会だが清潔で、大切にされているのが分かる。唯一神アヴァダールを熱心に信じているのだろう。
ただ、ルドウィンが口を噤んだのは、教会に到着したからではない。
教会の門前にできた人だかり、そしてその中心で柔和に微笑むのが――王都にあるアヴァダール教総本山にいるはずの者だったから。
癖のない黒髪を背中に流し、淡い灰色の瞳に慈愛を浮かべるのは、シルファという二十代の青年。
迷惑イケメンの一人、神官長その人だった。
今日もまた、とても嬉しいご感想をいただきました!
本当にありがとうございます!
今週は少し更新頻度落ちるかもです!
よろしくお願いします!




